古俣大介×伊藤羊一(1)仲間のおかげでモードチェンジできた 

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人はどのようにして、リーダーとして目覚めるのか――。活躍中のリーダーたちに「その瞬間」を問い、リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第2回は、インターネット上で写真などデジタル素材を売買する「PIXTA」を運営し、2015年9月、東証マザーズ上場も果たしたピクスタ株式会社の代表取締役、古俣大介氏。リーダーとしての旅路はいかに。(文: 荻島央江)

3度目の起業で上場を果たす

伊藤: まずピクスタの事業内容を教えてください。

古俣: 当社はインターネット上で写真、イラスト、動画などのデジタル素材を売買するサイト「PIXTA」を運営しています。いわばデジタル素材を売りたい人と買いたい人のマッチングサイトです。

特徴としてはプロ、アマ問わず、誰でも作品を投稿できる点です。現在、投稿者は登録ベースで約18万人。1日に1万点以上の投稿があり、ストックは全部で1450万点以上に上ります。素材を購入するのは広告代理店やデザイン制作会社、出版社などが多く、広告や販促物、ウェブサイトなどあらゆる制作物に利用されています。

価格は1点につき数百円から数千円と手ごろ。そうした高品質で低価格、圧倒的な品ぞろえが当社の強みといえます。2015年9月には東証マザーズに上場を果たしました。

伊藤: 古俣さんはピクスタを創業する以前に、いくつかのビジネスを経験されていますね。

古俣: はい、ピクスタは僕自身3度目の起業になります。

伊藤: もともと起業志向があったのですか。

古俣: そうですね。両親共に小売業を手掛けていたことが影響していると思います。小さい頃から店を手伝っていたから、物を売るということがとても身近でした。加えて、僕らの世代にはインターネットビジネスで起業する人たちが多かったので、僕もおのずとインターネットでものを売ることを発想しました。

伊藤: 振り出しはコーヒー豆のeコマースでしたね。

古俣: はい、大学4年生のときに始めました。それなりに順調にいっていたのですが、数ヶ月ほどで手が離れてしまいました。

伊藤: せっかく始めたのに?

古俣: ちょうどその頃、ガイアックスというスタートアップ企業に出合い、熱に浮かされたような高揚感に触れてしまったんですね。さほど年齢の変わらない人たちが大きく仕掛けようとしている。「これは今体験しておかなければ」とインターンで仲間に加わり、後に社員として1年ほど勤務しました。

伊藤: なるほど。同世代の人たちの熱気にやられたと。その後、営業マネージャーとして2つの新規事業を立ち上げた後、2000年9月には子会社の取締役に就任されています。それでも起業意欲は衰えず、次に飲食店向けの販促物のデザインと印刷を手掛けたのですね。コーヒー豆のeコマースとはずいぶん毛色が違いますが。

古俣: コーヒー豆の販売をやめたのはガイアックスの存在が大きいのですが、それ以前にものを売ること自体が自分の中でピンときていなかったのです。それなりにうまくはやれるのですが、何か違う。楽しくないし、伸びても達成感がない。それよりクリエイティブな分野に興味がありました。

当時、2000年前後の話になりますが、大判ポスターやチラシを1枚単位から作るオンデマンド印刷が注目を集めていました。これを活用して販促、制作サービスを立ち上げることを思い付き、事業を始めたのが2000年、24歳のときです。

リアルでスタートして、軌道に乗ったらネットで仲介サイトをやろうと考えていました。だから最初は飲食店に飛び込み営業をしまくって、注文を取りました。そうして実際に制作から印刷までやってみると工程があまりに複雑でネット上で再現できる自信が持てず、これも1年余りでやめてしまいました。

人生を懸けられる事業をやりたい

「次こそは人生を懸けられるような事業をやりたい」と思い、3カ月ほど考え続けましたが、これというものが見つからなかった。当座の生活費を稼ぐため、またECサイトをやることにしました。父親から仕入先を紹介してもらい健康グッズを販売したらこれが結構うまくいって、2年後に年商1億円を稼ぐまでになりました。

ただ、やっぱりものを売ることに情熱を持てなかった。クリエイティブなことをインターネットでやりたいと、新たな事業を模索し続けていました。

1年くらい経ったとき、デジタル一眼レフカメラが大ヒット。同じタイミングで、孫(正義)さんが「Yahoo! BB」でモデムを配りまくっていた。それまでISDN主体だった通信環境が、一気にADSLになり、さらにブロードバンドに変わったんです。

それで何が起こったかと言えば、アマチュアでも質の高い写真が撮影できるようになり、ネット上にばんばん作品が投稿され出した。アマチュアカメラマンの熱量は当時からものすごかった。それを見て、何かその受け皿となるウェブサービスや、世の中に活用されるサイトが作れるのではないかと思い始めたんです。

早速、写真をからめたビジネスプランを10個ぐらい持って、ガイアックスの上田(祐司)社長のところへ相談に行きました。試行錯誤の末、生まれたのが現在の「ピクスタ」の原型となるビジネスモデルです。

伊藤: 会社としては順調だったのですか。

古俣: 設立3年半後から突如伸びだして、そこから四半期ベースだと一度も売り上げは落ちていません。2009年3月がまさに換点で、この月の売り上げは、一気に前の月の倍以上になりました。

伊藤: そのときは「おっ、ついに来たぞ」という感じでしたか。

古俣: いえ、どちらかというと「おや?」という感じでしたね。最初は半信半疑で、半年ぐらいたってからやっと「これは軌道に乗ったということなのかな」と思いました。

伊藤: 何がきっかけで急に伸び始めたのですか。

古俣: コンテンツの品ぞろえがある一定レベルまで達したのと、検索のロジックみたいなものがうまくかみ合ったことなど、いろいろな施策がはまりだしたんです。何か1つが効いたというより、100個くらいの施策に取り組んで、そのうち5個から10個ぐらいがうまくいき、やっと方程式が成り立ったという感じです。

資金繰りに奔走する地獄の日々

伊藤: 何が当たるか分からないから、自分が信じた方法をやるのみなんでしょうね。結果が出るまでの3年半は結構長かったはず。このときはどんな心境でしたか。

古俣: 3年半は地獄でしたね。今、思うとつらい思い出しかありません。暗闇の中でどこが出口かも分からないまま、何かしなければいけないともがいていました。ちょうどリーマンショックの真っただ中で、資金調達には苦労しました。当時、社員は10人くらい。彼らの前では平静を装っていたものの、裏では資金繰りに奔走していて眠りが浅い日々が続いていました。どうしようもない状況になって、社員に「全員の給料を半分にする」と宣言したこともあります。それでも辞める社員は1人もいなくて、むしろそのときのメンバーが今、経営幹部として活躍してくれています。僕自身、一度もやめようとは思ったことはありません。

伊藤: 事業が一挙にプラスに転じた後、心境にどんな変化がありましたか。トンネルを抜けたなとか、よく耐えたなとか。

古俣: 少しそういう思いは持ちつつも、経営スタンス、例えば投資のスタンスを変えることができませんでした。それまで超がつくほど低コストでやってきましたからね。慎重な姿勢のまま、打って出ることはしませんでした。今、思えば方程式はできたので、あとは各変数を伸ばせばいいだけ。経営のセオリーで言えば、スタンスを攻めモードにすべきでしたが、変えられなかった。

伊藤: それがいつしか攻めモードに変わった?

古俣: 2010年に2人、11年に1人、幹部が新たに加わったうえ、ベンチャーキャピタルから投資を受けた。この間にスタンスががらっと180度変わりました。

役員の1人はガイアックスの創業メンバーで、僕と同い年の遠藤(健治)。ガイアックス時代の上司でした。頭が切れるし、エンジニアで技術も分かります。もう1人が僕より10歳年上の内田(浩太郎)。彼はもともと写真の会社を経営していたので、業界の知見が豊富です。

僕から声をかけたというより、向こうから「そろそろおれの出番だな」と仲間に加わってくれた。彼らが常勤役員になってくれたことはピクスタにとってとても大きい。
 
例えば、遠藤はガイアックスで創業から株式上場までを経験しています。「事業は軌道に乗りつつあるが、今のままだと上場だとかそんなレベルじゃない」というのを遠慮なく指摘してくれ、投資のスタンスや僕の経営者としての目線や意識を変えてくれました。

伊藤: そのタイミングで大きく成長するための投資が始まったわけですね。

古俣: 社員数は2010年前半で10人ちょっと。それを1年後に25人、2年後に40人まで増員しました。広告費もそれまで月20万円ぐらいだったのを2年で800万円にするとか、そのぐらいトップラインががーっと伸びたんです。

伊藤: そのモードチェンジは1人ではできなかった?

古俣: できなかったですね。目線を上げてくれる人が一気にそろったから実現できました。遠慮なく、フラットに意見を言い合える。でも最後に決めるのは僕という形で尊重してくれる。これほど素晴らしい仲間はどこにもいません。

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