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「責めはわれ一人にあり」――苦境時のトップの覚悟

投稿日:2015/04/16更新日:2022/07/12

下村博文大臣×東大寺長老・森本公誠氏×ソフィアバンク・藤沢久美氏
G1地域会議2014 関西
第8部 分科会A 「聖武天皇に学ぶ国づくりとリーダーシップ」Part2/3

律令国家の完成から動乱期を生きた聖武天皇。全国に建立された国分寺・国分尼寺、総本山となる東大寺は、日本の仏教史に燦然と輝く。即位以降、度重なる疫病や凶作、動乱にあって、仏教に鎮護を求め、東大寺盧舎那仏を建立した天皇。「責めはわれ一人にあり」という言葉は、現代に生きるリーダーたちに、覚悟を突き付ける。国をつくるとは何か。リーダーシップとは何か。1300年の歴史を越えて、東大寺・森本長老と下村大臣の対話から考える(肩書は2014年10月19日登壇当時のもの。視聴時間27分27秒)。

下村 博文氏
文部科学大臣
衆議院議員
森本 公誠氏
東大寺長老
文学博士
藤沢 久美氏(モデレーター)
シンクタンク・ソフィアバンク
代表

【ポイント】
・莫大なお金や労力を費やし、大規模な東大寺建立したのは、物心両面の意味があった。仕事を与えるため公共事業として大仏造立を考えたが、権力を使って建てるだけでは心が入ったものにはならない。自分の趣旨に賛同するものがいれば誰でもと考え、「一枝の草 ひとつかみの土」のような、取るに足らないような形でも参加させた(森本氏)

・当時、ただの公共事業ではなく、その裏には精神的支柱を求めていた。聖武天皇は仏教によって国民をまとめる事ができると考えた。国の安泰と国民の安寧を仏教によって救済しようとする背景があった。またそれを国が一方的にやるのではなく、民間をまとめる力のある人を上手く活用した(下村氏)

・(イスラム教への興味について)仏教とイスラム教は相反する。自分の考えは正しいと思っているかもしれないけれども、それは一面だけで必ず反対の意見をもっている人がいるはず。その意見を排除するのか、それとも見てみるのか。どのようにお互い解り合い生きるのがいいのか両面からみたいと考えた(森本氏)

・戦後、教育から宗教が排除された。そのため宗教音痴の人が増えたと思う。宗教を文化に置き換えているが、文明間対話としてとらえていない(森本氏)

・民を治める方法を聖武天皇は考えた。中国式は皇帝が徳をもっておさめる上からのもの。仏教は同じ立場で考える、相手の立場を考えるのが基本(森本氏)

・全て自分の信じるものが正しいと排除していくと、どんな宗教も偏ったものになってしまう(森本氏)

・「責任はすべて自分ひとりにあり」――聖武天皇は天変地異や罪人が多くなったのは、最高主権者の自分に全責任があると考えた (森本氏)

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