リーダーシップ観、発信する姿勢…変わるべき日本の価値観とは? 

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日本的なるもの ~変わりゆく価値、普遍の価値~[3]

堀:次のテーマに移ろう。残すべき価値がある一方、世の中ではテクノロジーやライフスタイルあるいは価値観の変化といったものもグローバルなレベルで起きている。そのなかで、僕たちは何を変えていくべきだろう。僕らがどのような形でそれらを革新していくべきかというテーマでお話ししてみたい。

下村:先ほどお話ししたとおり、これまでの成功例は足を引っ張り、改革を遅らせてしまう要因になる。従って、いかに柔軟に物事を捉えていくか。進化の歴史を経て生き残ってきた動植物たちは、強く大きいからでなく環境に対して柔軟性を発揮したから生き残ることができた。そういうことが我が国でも問われていくと思う。

田坂:変化に関しては冒頭で申し上げた通り、物事が螺旋的に発展する過程において、「古く懐かしいものが新たな価値を伴い復活する」という視点を持つ必要もあると思っている。そこで、この何十年間のなかで日本から失われたものを復活させるという意味で、変えるべきだと思っていることがある。その一つがリーダーシップ観だ。日本のリーダーシップ観にも世界の水準から見ると、「え!?」と思うような深みがあると思う。私が若い頃に学んだリーダーシップ論は、「千人の頭となる人物は、千人に頭を垂れることができなければならぬ」という一文に象徴される。頭という字を二度使った格言だ。社員あるいは部下として預かる千人に対して、「本当に心のなかで頭を垂れる思いがありますか?」と。そうした謙虚なリーダー観が一昔前の日本では教えられていた。私はもう一度そこに戻るべきだと考えている。

それともう一つ。日本人がすごいなと思うのは、すべてを「道」にする点だ。たとえばイチロー選手がシーズン262安打を達成したあと、次の目標を訊かれてなんと答えたか。「“次は4割”と言ってもらいたい」と、誰もが思っていた。けれども彼は決してそう答えない。あるシンプルな理由で、「打席に立ちたくなくなるシーンをつくりたくない」という彼の美学があったからだ。彼はそこで、「野球がもっとうまくなりたいです。ただ、ここから先は数字には表れない世界であって自分にしか分からないと思います。でも、もっと野球がうまくなりたいです」と話した。

この言葉には会場の皆さまも共感できるのと思う。これは「道」だ。タオルをつくられる方であれば「タオル道」、経営者の方なら「経営道」といったものが同様にあると思う。我々は皆、「道」にする。そこには汲めども尽きぬほどの深い世界があると、皆が思っている。だからこそ、「命尽きるまで」なんていう表現を普通に使うのだと思う。「生涯修行だなあ。この道は深いよ」と。単なる技術だと捉えない。そして、その理由は「金が儲かるから」とか「出世できるから」でもなく、己を磨くため。「道」というのは己を磨くという一点に立ち戻ってくる。日本人が持つ価値観の多くはそのように、自分が成長させていただくというこの一点に戻ってくる。その意味で「道」という文化も復活して欲しいと感じる。

堀:「残す」という点について言うと、私は「残すんだ」という強い意志がなければ残らないと思っている。変化についても同じ。「変えていくんだ」という強い意志がなければ変わらないだろう。それを政治家任せにするのでなく、僕らが各自で行っていく必要があるのだと思う。そこで、改めて会場に振ってみたい。「私はこういうことを変えていきたい」という意見が何かあるだろうか。

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会場:我々の多くはアメリカの経営を学んできた。しかし、これからはアメリカのやり方をそのまま日本に持ち込むのでなく、日本にカスタマイズして、日本のためにどう変えていけばいいかということを考えていきたい。

会場:これまでは他者や自然との一体感を得るため、人と同じであることが強く求められていたと思う。しかし、今後は人と違うやり方で一体感を持つという方向に変えていくべきではないかと思っている。

会場:日本はこれまで、内向きとなったときに遅れたり道を誤ったりしていた。従って、今後は海の向こうに素直な好奇心や尊敬の念を持つことも大事になると感じる。

会場:アジアを幸せにできるのは日本だと確信している。優しい人が多く、真のリーダーになれると思う。ただ、一つだけ、「これをやらなければいけないのでは?」と思うのが、いろいろな国のいろいろなレイヤーで友達を作ることだ。それによって自分事として考えるので。インドのスラムに友達がいればそこを「なんとかしよう」と思うのが日本人だ。それをぜひ皆でやれば戦争もなくなって素晴らしいアジアになると思う。

会場:古典に対する姿勢を変えていきたい。古典から我々が学ぶべきことはもっとあるはずだ。今は教科として教えられているだけの状態だが、もっと古典から思想的に学ぶ姿勢を、日本人としてもう一度取り戻したいと考えている。

会場:メディアで働いている。昨日から会議に参加しているがメディア批判が多くて(会場笑)。ただ、文化・伝統を次代へ引き継ぐためにもメディアの力は不可欠だと思っているし、そこでメディアに対するリテラシーがそれほど育っていない点が日本の課題であるとも感じる。それを教育のなかで行っていかなければいけないと思う。

会場:経営に戦いを持ち込まないという考え方が大切だと思っている。そこで、まずは「戦略」「戦術」といった言葉から消していけば良いのではないかと考えている。

会場:欧米化してしまった日本人の意識を変えるべきではないか。明治維新以降、日本人の意識はだいぶ変わってきた。しかし、むしろグローバルな時代であるからこそ日本人が持つ仏教や神道あるいは儒教の価値観を今一度見つめ直すべきだと思う。

会場:これまでの議論を聞いていて、一方で危うさも感じた。日本人というものに固まっていく意思を強く感じたのだが、これは恐らくマイノリティや障害者の排斥につながる。これまで多くの場面で日本はマイノリティを見えないようにして排斥してきたという事実もある。あらゆるマイノリティが幸せに暮らすことのできる社会を目指す方向に変わるべきではないか。

会場:私は就職マッチングビジネスをやっているが、マッチングというのは人と人との出会いであるから、そこは合理的にすべきではないと感じている。一つひとつの出会いを大事にしていくという価値観に変えていきたいと思っている。

会場:たとえば、「海外では」という言葉と、「欧米では」「ヨーロッパでは」「アングロサクソンでは」「アメリカでは」という言葉はすべて違うが、実際にはその辺があまり区別されていない。今回のお話でも同じだ。京都人と関西人と日本人とアジア人、ないしは東アジア人ではそれぞれ異なるはずだ。そこで、今回のお話にあったような「日本で良かった」と聞くと、「このバリューは本当に日本だけの良さなのかな。東アジアの価値かもしれない」と思うことがある。その辺についても議論する必要があると感じた。

会場:コミュニケーション方法を少し変えなくてはいけないと思う。日本は他民族国家ではないが、世界を見渡すとほとんどの国が他民族で構成されている。いろいろな言語があるから、人々は違う言語で意味を伝える作業に長けている。私たちはそれに慣れていない。しかし、言語というものは気持ちや意味を伝えるためにあるものだ。日本人もそうしたコミュニケーション方法に変えていくべきだと思う。それともう一つ。科学技術は西洋の人々にとって思想であり、世界を理解する方法だ。今、科学技術は世界を支配しているし、日本はこれから科学技術大国になって世界に進出していかなければならない。しかし、科学技術は日本人にとって思想ではなく道具。思想は別にあった。従って、測り得ないものを信じ、尊重する心を大切にする必要があると感じる。

会場:こちらにいらっしゃる皆さまは違うと思うが、多くの人々は人のせいにして生きているように思う。それを自分のせいにして立ち上がり、自分自身を変革する勇気が求められているのではないか。皆がそういう考え方に変えていく必要があると思う。

堀:残り時間も迫ってきた。それでは田坂さんに、今会場から挙がってきたコメントに対するご感想と、最後のまとめとなるお話をお願いしたい。

田坂:議論は尽きないが、こういう場面で何を語ろうかと考えたとき、私はいつも天に導かれるような感覚を抱く。シナリオを用意して、「あれを語ろう」と考えるのでなく、なにかこう、皆さんとの無言の交流のなかで話すことがふっと降りてくる感じだ。私は昔から、「対話とは“する”ものでなく、“起こる”ものだ」と思っていた。今回も皆さんのお気持ちに引き出されるような形でお話をさせていただいている。そのうえで申し上げたいことが一つ。先ほど「大卒以外の方々」というご意見あった。素晴らしい視点だと思う。「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という最澄の言葉もまた、日本では特殊な宗教用語としてではなく普段の生活のなかで使われてきたものだ。

21世紀を生きる人類が大切にすべき価値観は、まさにその一隅を照らす人たちに対する思いを持てるかどうかだと思う。先ほどの「千人の頭」という話と同じだ。世界全体を見渡せば、日本という国はどう考えても一番豊かな国だ。個別の立場で見たら差はあると思う。ただ、この70年間戦争がなく、世界で2~3位の経済大国であり、科学技術は最先端で、医療からオーディオまで最高のものが使える。また、国民の大半が高等教育を受けることもでき、そして高齢社会が悩みとなるほどに寿命が伸びている。この条件を満たす人々が70億人のうちどれほどいるのか。その現実認識を我々はしっかり行うべきだと思う。もちろん70年前には多くの方々が戦争で亡くなった。ただ、その方々の、ある意味では犠牲のうえに我々は生きている。「あの方々のお陰で」と私は申し上げるべきだと思うが、日本はここまで歩ませていただいた。世界のおかげで歩ませていただいているのも事実だ。

従って、日本は21世紀、世界に何かのお返しすべきだと思う。そして、その「何か」とは新しい発明や新しい資本主義のビジネスモデルだけではない。その根本に、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」といった、隅々にまで光を届けるような暖かい思想を持つべきだと思う。日本人は、たとえば経営や資本主義や科学技術一つにも、そうした魂を込めることのできる国民ということを最後に申し上げておきたい(会場拍手)。

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下村:「メディア批判が多かった」というお話については、…その通りだと思っていまして(会場笑)。私は今月号の『月刊文藝春秋』に、「朝日新聞は時代に取り残された」と題した寄稿を行った。これは朝日新聞一社だけでなく、“朝日的なもの”に対する提言だ。時代の変化に対応していないメディア側にぜひ考えて欲しいと思う。

あと、マイノリティのお話と、「世界に向けて日本が心の広い対応をすべき」という話についてコメントさせていただきたい。実際、その通りだと思う。ただ、誤解されている部分も相当あるのではないか。その辺に関しては今まで、神道で言うところの「言挙げせず」ということで敢えて言わなかった。あるいは、話さなくても合い通じるものがあるということで伝える努力を怠っていた部分があると思う。最近、『The New York Times』で日本の教育政策が名指しで批判をされた。私の名前も出ている。「日本がグローバル教育ということでドラスティックな改革をしている点は評価するが、愛国主義教育に特化しているんじゃないか」と。その相矛盾する政策はいかがなものかという批判だ。

これは、そういう話じゃない。真のグローバル人材を育成するためには、真の日本人としてのアイデンティティが必要だということだ。先ほど「古典が必要」といったお話もあったが、実際のところ、日本人のほとんどが日本のことを知らない。だから海外に行っても日本のことを語れない。だから本当に世界で活躍するため、根っこの部分で日本人としてのアイデンティティをきちんと抑え、日本の伝統や文化や歴史も教える。これは狭い意味での愛国主義教育ではない。ドラスティックな教育改革と矛盾するわけでもなく、その教育によって日本人優位論や他国に対する蔑視論が出てくるわけでもない。日本は文化においても何においても海外のものを受け入れる寛容さを本来持っていて、それらを咀嚼しながら日本独自のものにしてきた。これからもそうした思想が問われていくのだと思う。だからこそ日本国内では宗教戦争というものが起きなかったわけだし、たとえば石山寺に東大寺の長老が来られたりする。そして、それに関して他の皆さんも違和感を持っていないわけだ。日本あるいは日本人の精神性にはそれほど、包み込む度量の広さがあるのだと思う。

ただ、それが島国根性的に見られるというのは日本の発信力が弱いことの証でもある。「日本は素晴らしい」と、日本人のあいだでだけで言っていても世界は理解してくれない。今後はその素晴らしさを発信する力や積極性を持つ必要がある。それによってしっかりと自信も育んでいく。私はこれから、先ほど申し上げたような日本の考え方が、決して大袈裟でなく21世紀の人類に求められていると思っている。日本の文明的な考え方こそ、人類が共生の視点で調和を保ちながら生き残っていくために必要となるものだ。そして、その発信は「愛国主義的なものではない」と、日本人が努力して伝えていくことによって世界の人々も分かっていくのではないかと思う。

日本政府はこれまで、「まあ、海外の1メディアが書いただけのことだし」と、一切反論もしてこなかった。しかし今は、「今後は一つ一つ、場合によっては反論をして理解を求めていこう」ということになっている。『The New York Times』の件については向こうが載せてくれるかどうか分からないが、愛国主義教育ではないという趣旨をしっかりと英文で書いて、近々投稿したい。そういう作業をありとあらゆる場面で行って世界の人々に理解してもらいながら、決して日本優位論でなく、歴史のなかで日本が培ってきたものをしっかりと発信していく。それによって、日本もまたバージョンアップできるし、人類に貢献できる時代になってきたと思う。繰り返すようだが、これは日本人優位主義的な発想ではない。ある意味では、歴史的な使命感で謙虚に捉えるということが今求められているのではないか(会場拍手)。

堀:愛国心に関して一つだけ申し上げると、必要なのは愛国心という言葉でなく、「コミュニティに対する責任感」だと思っている。僕らは日本というコミュニティに、リーダーとして責任を持っている。だからこそ、僕らが日本を変えていく気持ちがある。もしかしたらそれが愛国心的なものかもしれないし、それが「京都を良くしたい」「滋賀を良くしたい」ということであれば愛郷心という話なのかもしれない。ただ、リーダーとして自らが所属するコミュニティに責任を負って、そのコミュニティを良くしていく責務があるのなら、そのコミュニティを愛さなければできないと思う。コミュニティを愛しているからこそ行動に移すことができる。そういう観点で考えていただければ、恐らくまったく問題ないと思う。アジアを愛する気持ちがあるから韓国や中国も仲間だし、地球を愛する気持ちがあるから地球人全員が友達だと。『The New York Times』にもそういう観点で受け取っていただければありがたいと思う。

それと、今回のG1関西を通して思ったことをもう一つお話ししたい。やはりキーワードの一つはアイデンティティだと思う。「自分は何者なのか」と。アイデンティティというのは、自分が触れてきた土地の空気であり、風の匂いであり、目にしてきた原風景であり、触れた人々の言葉だと思う。そこから自分が培ってきた思想や価値観というものがあるわけだ。僕は水戸出身で、「水戸っぽ」というアイデンティティを明確に持っているし、京都の方は京都の強いアイデンティティを持っている。そのアイデンティティが日本人のアイデンティティになっていくのだと思うし、それがないと世界では戦っていけないという気持ちもある。従って、こういったG1地域会議を通して多くの人に、「自分とは何者か」ということを考えてもらい、そのうえで自分たちのあるべき姿を論じて欲しい。そうした、世界のどこへ行ってもブレないバラストを持つ必要性があると思う。

あと、変化に関しては、私は「変化に抵抗するものは滅びて、変化を創り出すものは栄える」という言葉が好きだ。従って、アイデンティティや引き継ぐべき価値は残しながらも、変えるべきものはがんがん変えていく。教育もメディアも変える必要がある。世界に発信する力を高める必要もあるし、とにかくすべて変えていく。ただ、根っこの部分には素晴らしい文化がある。従って、変化の一方で、石山寺のような素晴らしい空間、あるいは日本の価値体系や哲学や宗教は、僕らが守っていく必要がある。

今日皆さんの意見を聞いて感じたのは、僕ら個人が守りたいと思うものは守れるということだ。結局、個人がどれほど強い気持ちを持って守っていくかということだと思うし、そうした強い気持ちを持っていれば変えていくことも可能だと思う。残すべきもの、変えるべきものは何かを議論したうえで、強い気持ちを持って行動していくことが重要だと、改めて感じた。今日は大臣にお越しいただいたこと、そして田坂さんに大変含蓄あるお話をいただいたことに心より感謝申し上げたい。また、鷲尾座主にはこの素晴らしい場を提供していただいたことに感謝を。そして、ここにいるすべての皆さんの貢献にも感謝して全体会を終えたい。ありがとうございました(会場拍手)。

※開催日:2014年10月18日~19日

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