大学入試改革って何をするの?現場の課題は? 

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大学入試改革と中等教育[1]

793653da53d1ecc8af593009190ef246 藤原和博氏

藤原和博氏(以下、敬称略):本セッションには教育改革に高い関心を持っておられる方がお集まりだと思う。ただ、教育といっても幼児教育から生涯学習まで幅広い。まず、2×2マトリクスで縦軸となるライフサイクルは、生まれたところから始まり…、生まれる前から胎教でモーツアルトを聴かせたりする人もいるけれども、そのあと幼児教育があって、ど真ん中に小中学校の義務教育がある。もちろん義務教育には公立と私立があるけれど、とにかくそのうえに高校教育があって、大学入試がある。日本ではこの大学入試が大きい。で、大学教育や大学院といった高等教育があって、そのあと社会に出ると入社してからの教育があったりする。そして生涯学習があって、最期は「どう死ぬか」なんていう終活教育があったりするわけだ。

一方で横軸を見てみると、皆さまから見て最左翼に文化・芸術・スポーツが、最右翼に科学技術があって、後者は科学技術庁が、前者は文化庁が見ている。それらをすべて議論の対象にするとぼわっとした話になっちゃうので、今日は大学入試にテーマを絞りたい。大学入試がどう変わっていくか。これは大きなトピックだ。日本のお母さんたちもここを見据えて動いているし、その意味では教育への投資もここを見据えでいる面がある。「それでいいのか」といった話を含め、入試に関して、そして大学入試が変わると高校教育がどう変わるかということも考えていきたい。

なお、本セッションには被災地近くの学校から高校生や大学生が見に来ている。先ほど話をしてみたら、だいたい生徒会長とか委員長とか、そんなのばっかり。リーダーを目指す学生が並んでいる。従って、大人の方々は発言に気をつけて欲しい(会場笑)。まずは下村大臣に伺っていこう。今、かなり強烈な入試改革を企画していらっしゃる。どのように改革していきたいのかといったお話から伺いたいと思う。

Bd1a4c23af24a8aa74f0c04782078177 下村博文氏

下村博文氏(以下、敬称略):文科省は教育・文化・スポーツ・科学技術を見ているが、今は57項目で相当ドラスティックに改革を進めようとしている。それで、既得権益とは言わずとも既存の人たちからすれば、「自分たちの立場がなくなってしまうかもしれない」と。そんな背景もあって、私は一部メディアから相当批判されている。

ただ、今はとにかく個人の立場を抜きにして、「今後の日本を考えたとき、今行うべき教育改革は何か」ということで腹を括って進めようとしているところだ。で、我々はこれを「高大接続改革」と言っているけれども、大学入試だけを変えようとしても絵に描いた餅になってしまう。実際、大学入試改革というのは20年前から言われていたことなのに、何も変えられなかった。大学入学試験と大学教育、そして高校以下の教育まで、トータルパッケージで変えるプログラムでないと改革は進まない。

では、なぜ変える必要があるのか。今の学校教育で前提条件となっている近代工業化社会は、もう20年も前に終わった。近代工業化社会では、画一化と均一化を通じて一定水準の品質をクリアしたモノをつくっていれば良かった。でも、今はそうした時代が終わり、情報化社会に入っている。皆で同じことをしていればいいわけではなく、多様な価値や個性を皆が生かし合う社会になった。

そういう時代にも関わらず、日本の学校教育は20年前と変わらない。その結果…、これは会場の高校生にも聞きたいほどだけれど、あるアンケートでは日本の高校生の84%が「自分がダメな人間だと思うことはあるか」といった質問にyesと答えている。アメリカ、中国、そして韓国と同じ調査をしても、日本の高校生だけ、その割合が圧倒的多い。その調査を始めた1980年頃は、日本でもそうした自己否定感を持つ子どもは30%前後だった。では、なぜ増えてきたのか。時代が大きく変わってきたことを子どもたちが感覚的に分かっているからだ。でも、今の教育環境のなかで、「自分はこれから通用しないんじゃないか。社会で自分の存在が認められないんじゃないか」という自己否定感を、直感的に抱えてしまっている部分があるのだと思う。

事実、あるアメリカの学者は「今の小学校1年生が大学を卒業する頃、今世の中に存在する職業の65%が変わっているだろう」と予測している。また、ある学者は、「今ある仕事の47%は自動化して、職業としてなくなっている」と予測している。一方、「将来は週15時間ぐらいの労働で大丈夫になる」と予測する学者もいる。でなければ失業者が増えて、さらに厳しい時代になるという。

一方、今の日本の大学入試は暗記や記憶の力を中心とした一発勝負の学力テストになっている。そういう試験は世界で日本だけ。韓国だって数年前にシフトした。そうした基礎・基本は大切だけれど、それだけでは通用しない時代になったからだ。それは子どもに限った話じゃない。会場の皆さんだって15~20年後、もしかしたらリストラされてしまうかもしれない。だから、そうならないために必要な三つの能力を学校教育で高めなければいけない。そして、その物差しを入学試験、つまりアドミッションポリシーに組み込む必要があるのではないか。

一つは課題を主体的に、自ら解決しようという能力。二つ目はクリエイティブな企画的能力。そして三つ目は、コンピュータやロボットが発達したとしても到達できないであろう人間的な感性。優しさや思いやり、あるいはいたわりといった能力のことだ。そうした三つの能力を大学入学試験で問うているか。問うてない。だから学校教育の現場でもそれが育まれていない。でも、大人になってから問われるのはそうした能力だ。紙媒体メディアの記者を例にとると、たとえば今後は少子化が進んでいるだけに、放っておけば出版部数は次々減っていく。それでも15~20年後も記者でいられるのか。今は…、これは記者だけじゃないが、上司に言われたことをするだけのイエスマンのような部下は、真っ先にリストラ対象となるような厳しい時代だと思う。

そうならないため、今申し上げた三つの能力が必要になる。大学入試でそれを問うためには、学力テストだけでなく小論文や面接を実施したり、高校時代の活動などもトータルに問う必要がある。また、大学に求められているのは、ところてん式に誰でも卒業できるようにすることではない。入学試験で多様な能力を測り、その後の4年間や6年間で学生を鍛え、社会に送り出す高等教育機関としての責任がある。それに合わせて高校でも、先生が一方的に授業をするのでなく高校生が主体的に学び、発表していくようにする必要がある。そうなるよう高校以下の学習指導要領も変えていく必要があるし、それを急がなければいけないと思っている。

で、現在の入試には二つの問題がある。まず一つは推薦・AO入試に関して。およそ50%がそれで入っているけれども、現在、およそ50%の大学で高校レベル以下の補習授業をしている。こんなのおかしい。大学に入ったら大学レベルの授業をするべきだ。やはり高校で基礎を身につける必要がある。だから推薦・AO入試でも基礎学力テストはやっていく。これは、大学の授業についていけるだけの能力は問うということで、「ゆるみ教育」や「ゆとり教育」といったものに戻すという話じゃない。

また、センター試験も変えていく必要がある。これは私立を含めておよそ8割の大学で行われている。しかし、センター試験はマークシート方式。4つ選択肢から一つを選ぶわけで、まさに暗記力・記憶力を問う試験だ。これを思考力や想像力あるいは判断力といった能力を問う試験に変える。また、今かなりの国立大学でやっているけれども、その後の後期試験もペーパーテストでなく小論文や面接によって、トータルに判断をするような試験に変える必要があると考えている。

藤原:アメリカSAT (大学進学適性試験)のような、「高校でここまで到達して欲しい」という点数を出し、それを年に何回か受けることができるようにする感じか。

下村:そう。大学によって違うだろうから基準点は設けないが、基礎学力テストの結果が大学受験でも評価対象の一部にはなると考えている。

藤原:一方、大学は自らのアドミッションポリシーをはっきりさせ、面接や小論文、あるいは社会的貢献を問う、と。

下村:そう。以前、ノーベル医学賞・生理学賞を受賞して今はアメリカにおられる利根川進さんがこうおっしゃっていた。「日本で一番難しい大学の学部は東大の医学部だけれど、東大医学部からはこの100年間でノーベル賞受賞者が出ていない」と。一方、利根川さんが関係する大学の一つにシカゴ大学があって、こちらは東大ほど入学が難しくない。ただ、大学院生も含めるとノーベル賞受賞者が89人いるという。「それはアドミッションポリシーが違うからだ」という。シカゴ大学では暗記力だけを問うような試験をせず、その学生がどれほど伸びて、どれほど社会に貢献するのかを見ていく。それが大学側にとっても社会にとってもプラスになるからだ。そういう学生を、点数でないアドミッションポリシーで、つまり志や意欲、あるいは基礎的な地頭の良さで選別する。今は日本の大学入試でもそういうことが求められているのだと思う。

藤原:ここまで話を聞いて、会場の皆さまは、「素晴らしい。ただ、本当にそんなことができるの?」と思ったかもしれない。どうだろう。今大臣が話した改革は2020年に実施されていく。現在の小6から影響を受けるわけけれども、これに基本的には賛成だという人は手を挙げてみて欲しい。…ほぼ全員だ。ただ、「今までの大臣もそういうこと言っていましたよ?」「ゆとり教育って、たしかそういう理念で始まらなかったっけ」等々、ここであえて疑いの眼差し含めつつ、現場の漆さんに伺いたい。実際、どうなのだろう。また、そうした入試改革に伴ってご自身の学校経営がどう変わるのか。

8a609b41ec4fc33e1ceb24feedb14456 漆紫穂子氏

漆紫穂子氏(以下、敬称略):結論から言うと、私はできると思う。ただ、現場では懸念も多い。たとえばSATのようなテストについて。常にテストを受けることができるようにすると、たとえば文化祭のときも体育祭のときもその勉強ばかりになって、その補習塾のようなものに通ったりするんじゃないかな、と。あと、皆が言っていることを言うと…、怖いから人が言っていることにしているけれど(会場笑)、大学がちゃんと言うことを聞いてくれて、私大と国大が足並みを揃えて同じテストをしてくれるのか。今までの偏差値表は、ある意味では便利で、浪人せずに入る一つの目安になっていた。それを失って、いろいろなテストを受けることになるとどうなるか。私大も多いので従来型の試験をやる大学も出てきて、新旧のテストが混在してしまうと子どもたちの準備が大変になる。それで浪人が大量に出ることを心配する向きもある。あと、「教授会が云々」といった話はよく聞くけれども、入試が変わっても大学の中身が変わらない限り、どうなのかなという心配もある。

ただ、先日、修学旅行でニュージーランドに行って、そこのバカロレアの学校を少し見学してきて感じたことがある。そこの子どもたちを見ていると、海外ではまさに今言ったような制度できちんと合格が出ているということも分かる。だから、うまくいっているモデルがあるならやり方次第できるんじゃないかなと感じている。

あと、現場で言われていることはもう一つ。いわゆる内申書のようなものが今後は必要になる。すると昔のように、内申書のために先生におべっか使うようなケースも出てくるのではないかな、と。また、推薦書にボランティア実績を書くようになると、その実績づくりのためだけにやる子が出てくるかもしれないという懸念がある。「公平性を欠くようなテストにならないか?」といった点も併せて、だいたいその辺が現場で出ている懸念だ。ただ、いずれにしても移行期間があるわけだし、そこで整備していけば、やっている国があるから可能ではないかなというのが私の感覚になる。

藤原:品川女子学院としては、今の入試制度は嫌なの?

漆:うちは嫌です(笑)。うちは18歳時点の大学受験をゴールにしないという宣言をしている。28歳のときに社会で活躍しつつ、自分の生活も楽しめるような人になっているというのがゴールだ。だから、1点きざみの勉強を今やることに関しては、ある意味、「もう、耐えろ」という感じだ。パスポートみたいなもので、「これは取得しないといけないから」ということで今やっているので、それが変わるならハッピーだと思う。

藤原:インターナショナルスクールの経営している小林さんはどうお考えだろう。今日のテーマになっているような改革は日本でもできそう?

73166df4541829dd5544457e018b8d5c 小林りん氏

小林りん氏(以下、敬称略):できると思う。ただ、チャレンジはあるんだろうなとも感じる。これは教育再生実行会議でも申し上げているけれど、大学入試と高校教育が一気に変わったとき、現場の先生は対応できるのか。教える内容を「明日から変えましょう」と言われて…、まあ2020年からとは言ってはいるけれども、そうしたスピードで先生が教え方を変えられるのかという問題意識はある。順序というか、まずそちらに力を入れないと、ゆとり教育の二の舞になるリスクを孕むかもしれないと思う。

藤原:そうしたアクティブラーニングのような主体的学びを…、僕がやっている「よのなか科」もそうだけれども、なぜ欧米はできているのだろう。そういう教育を小林さんはある程度受けてきたわけだけれども。

小林:私自身、20数年前に国際バカロレアを取得させていただいて、やっぱり勉強の仕方が違うことに衝撃を受けた。

藤原:やっぱり。僕ね、最初に小林さんとお会いしたとき、「やけに目つきがきつい女だな」と思ってね(会場笑)。要するに主張することが前提になっている。だからね、こっちも油断できないというか。どうなんだろう。それは良かったと思う?

小林:向こうで学んでみて、日本の基礎的な理数系教育はすごいと思った。私は、日本では数学で赤点を取るような人間だったのに、あちらへ行ったらいきなりヒロインになった、みたいな。やっぱり理数系は強い。ただ、特に文系はまったく違う。たとえば歴史の授業。日本では、私の頃は年号を語呂合わせで覚えていたけれど。

下村:今もそう。

小林:ですよね。でも、あちらでは、「第二次世界大戦について、この国とこの国の教科書で勉強しましょう」となる。そのうえで、「本当はどうだったと思いますか?」と。「それ、あたしが聞きたいんだけど」みたいな(笑)。どんなパースペクティブを持つのかを問われるし、自分が読んだことのどこまでが本当か、あるいはそれについてどんな解釈をするのかを問われ続ける。そのなかで、いわゆるクリティカルシンキングの力が自然に醸成されるし、そうした部分では教育の影響が間違いなくあると思う。

ただ、日本で今から高校生をそのように育て、彼らが先生になるのを待てるわけでもない。だから教員養成が大事になると思う。しかも、新卒の方々だけでなく今現場にいらっしゃる先生方も一緒に変わっていく必要がある。また、スクールリーダーも重要だ。漆先生みたいな方が一人いらっしゃると学校は一気に変わる。だから海外ではスクールマネジメントのトラックもある。そういう人材が特別に育てられている点も、学校を変えるリーダーが輩出されている大きな理由だと思う。

藤原:今後5年ぐらいでAからBの状態に変えるということを今はやろうとしている。そのイメージをもう少し共有したい。アクティブラーニングという言葉が文科省からよく出ているけれども、これはどういうことか。具体例を一つ出そう。皆さんは中学のとき、「走れメロス」を授業で読んだと思う。そこで、「帰り道にあったメロスの気持ちに一番近いものは、次のイ、ロ、ハ、ニのどれですか?」と。これが旧来型の教育だ。四つのなかで必ず一つ正解があるという前提だし、イ、ロ、ハ、ニはすべて先生に与えられている。でも、今の産業界や日本社会が求めているのは、イ、ロ、ハ、ニすべての仮説を自分でつくること。もしかしたらそれで試行錯誤を重ねたのち、「いや、正解はBだ」いう話になるかもしれない。そこで徹底的に試行錯誤できる人間を育てたい。そうなると、授業でもたとえば、「もしメロスが間に合わなかったとき、王は本当に親友を殺したのか」といったことをディベートするような授業になる。

で、実際に名古屋の中学生が面白いことを調べた。彼は「走れメロス」をよく読み込んで、日の当たり方や影の伸び方から時刻を割り出し、さらに実際の都市に当てはめて距離も算出した。そして距離を時間で割って、メロスがどれほどのスピードで走っていたかと(会場笑)。その結果、なんとメロスは走っていなかったことが分かった(会場笑)。たしか時速6コンマ数kmぐらい。やや速足、みたいな(会場笑)。これこそクリティカルシンキングだ。こういうことができる人材を育てなければいけないという点に関しては、恐らくG1サミットのメンバーは合意できると思う。ただ、「本当にそんなことできるの?」と。会場に教員の方はいらっしゃるだろうか。…引率で来ていただいた先生方含めて3人いらっしゃるので、先生にも伺ってみたい。この10年で、自分から主体的に考えていくような子どもを増やしていくことができるとお考えだろうか。

会場(先生1):今やっている途中になる(会場拍手)。

会場(先生2):高校で校長をしているが、私もできると思う。国語と英語は言語だから皆で共通じゃないと議論できない。数学も、研究する人は別だけれど、計算は一緒だから先生方には「理科と社会で、最低でも学期に1回ぐらいは話し合いの授業してくれ」といったことを伝えている。そのうえで、「もう3年後には始めないと入試に間に合わないから、そういう気持ちでやってくれ」とお願いをしている(会場拍手)。

会場(先生3):できると思う。私は経済産業省から官民交流で学校に出向していて、議論に出ていたようなことをやるべく学校現場に入っている面もある。そこで思うのだけれども、ぜひ会場にいらっしゃるような皆さまが教員として現場に入りやすい環境をつくって欲しい。大学時代から教員になろうと考えていた教育学部の人だけでなく、民間企業等で働いたことのある人もアクティブラーニングに求められている。そういう方が35ぐらいになって、「あ、教員やりたいな」と思っても学校に入りづらい。そこで、教員免許の形も柔軟にしていただけるとやりやすくなると思う(会場拍手)。

→大学入試改革と中等教育[2]は6/9公開予定

※開催日:2015年3月20日~22日

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