医療で日本の経済はどう変わる?先駆者たちの目の付け所 

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国家戦略特区“医療イノベーション”が拓く未来[1]

1f1d4353a53204587c120dfe2d6c92e9 澤芳樹氏

澤芳樹氏(以下、敬称略):私はG1サミットに4年前から参加させていただいているが、これまでは医療関連のセッションが少なかった。それで堀(義人氏:一般社団法人G1サミット代表理事/グロービス経営大学院学長)さんに、「医療で何かやりましょう」と無理にお願いをしていて(笑)。それで、医療でどのように世の中を変えていくかを議論しようということで、本セッションを持たせていただいた次第だ。壇上には私を含めて医療を生業にしている、あるいは医療行政に携わるイノベーターにお集まりいただいた。で、モデレーターはあまり喋らないようにと言われているのだけれど、少し喋らせて欲しい(笑)。まず私のほうから問題提起をして、それに対する皆さんの見解を、皆さん自身の医療との関わりとともに教えていただきたいと思う。

私は数日前インドに行ってきたのだけれども、そこで生まれて初めて、人の体臭に圧倒された。AIIMS(All India Institute Of Medical Sciences)というインドで一番の大学病院へ行ったのだけれど、その敷地が無数の人々で埋め尽くされていたためだ。その理由は病棟に入ってみて分かった。僕は外科だから手術室も見たりしたけれど、40床の病棟に看護師さんが4人しかいない(会場どよめき)。僕らの大学は、特に阪大心臓外科は50床に50人の看護師さんがいる。それぐらい看護量を増やさないと間に合わないほど、収益性の高いことをしているからだ。

では、インドのその病院は看護師4人でどうやって医療をしているのか。これはもう低コスト医療の最たるものだと思ったが、全入院患者さんに家族が付いてきていて、その人たちが24時間体制で面倒を看ている。で、家族のなかで誰かが疲れてきたら次の誰かに交代するから、家族は5~10人ほど。誰かが入院する際は10人ほどの団体が、汽車で3日ほどかけて病院へやって来るわけだ。そのご家族が病院の周囲にたむろしている。その人いきれがすごかった。外来は1万人で、ERも1000人におよぶ。で、ERのベッドは隣同士で50cmもないほどの間隔で、そこに発熱の人も腹痛の人も担ぎ込まれる。その1000人に対して医者と看護師は16人(会場どよめき)。すごいことになっていた。それはお金をかけずになんとか人を助けようという医療の原点なのか…。「日本人はなんと豊かな医療を享受しているんだ」とも感じた。

ただ、そうした病院でもステムセル・セラピーをやり出しているし、低侵襲手術もやると言っている。私が今回インドを訪れたのは、それでインド政府と我々大阪大学とで調印を結ぶためだ。先日、インドのモディ首相が来日して安倍首相とさまざまな議論を交わしており、そのなかに阪大との連携も入っていた。いずれによせ、インドでいろいろなことを目の当たりにして思うところもあったが、今日は「日本の医療はどうあるべきか」「医療で日本経済を変えることができるのか」といったことを議論していきたい。そこで、御三方には医療との関わりから伺っていこう。まずは浅野さんから。

391b122b57b341b58e7ae88491fa52e6 浅野武夫氏

浅野武夫氏(以下、敬称略):私は元々オリンパスにいて、同社を辞めてから澤先生に引っ張られて現在のような立場になった。それで半分は大学で教員を務め、もう半分は内閣官房の行政官として医療政策を引っ張っているという感じだ。

さて、インドに関連したお話をすると、インドにはスタンフォード大学の「バイオデザイン」がある。これはMBAみたいなもの。その講座を受けた人間が、今は特に医療機器分野で開発の先鋒を切っている。かなり認められているプログラムで、今後は日本でも大阪大学でやっていく。ただ、とにかく欧米の大学は新興国のボリュームに大きな興味を持っている。で、先端の医療は欧米で開発したらいいのだけれども、もっと簡単なものや安いものでマスを広げるとなると新興国がすごくいい。彼らはその先鋒ということでインドに拠点を置いてニーズを拾っているわけだ。「病院に家族が付いてきていて、皆が交代で面倒看ているような患者さんにはどんな医療が適しているのか」と、必死にサーベイをしている。それを形にするのがアメリカ本土の会社で、彼らがニーズをすべて吸い上げている。

実は、この視点はあまり間違っていない。日本の医療機器メーカーも、実は中小企業がすごく多い。これは少し古いデータかも知れないけれども、売上は平均で40億円ぐらいだ。従業員は300人ほど。日本では、それぐらいのところが医療機器の事業を持っていることが多い。テルモやオリンパスや日立といったビッグプレイヤーはそれこそ4桁の売上をあげていたりするけれども、それは本当に一部。それ以外は中小の方々で、その意味では売上もそれほど望めない業種と言える。従って、ビッグプレイヤーよりも小回りが利くような、それこそ皆さんのようなベンチャー企業や中小企業のほうが、事業では負担をかけずに済むのではないかと個人的には思う。

最終的に、たとえば匠の技術みたいなものを価値に変えようという話になったら、そのときにビッグプレイヤーと組めばいい。医療機器業界というのはおかしな業界で、私が以前在籍していた会社は何から何まで自前主義だった。だから中小企業に任せたら小さく軽くできるのに、その方法を知らないから大きくてうるさくて仕方がないようなものをつくってしまう。内視鏡検査を受けた方はお分かりだと思うけれども、あれ、耳元で「ぶわーっ」という音がして、それが怖いと思う患者さんが多かった。で、それをつい最近、中小企業の力を入れて音がほとんどしない機器に変えたわけだ。そんな風に、今は中小企業が持つ匠の力とビッグプレイヤーを組ませるということを、国のほうでも振興している。ビッグプレイヤーと言っても日本のなかでという意味だけれど、そういうところと組ませてイノベーションを起こそうという視点がある。

一方、やはり新興国も一つの大きな視点になる。日本では医療機器をクラスⅠ~Ⅲと分けているけれど、それほど高いものを彼らは要求していない。クラスⅠ~Ⅱのメスや注射器を、彼らは今持っていないので。従って、そういった入りやすい領域から入っていくのが、新規に医療機器を狙う会社としては鍵になると個人的には思う。とにかく、症例を特化してしまうと売上もなかなか望めないので、それほど大きくない領域できちんと収益が回るようなビジネスモデルを考えたほうが良いと思う。パナソニックさんは新規参入で頑張っているが、やたらと大きくて難しい機器を狙っている。決してそういう領域だけが医療機器ではない。そう考えると、この業界ではひょっとすると中小企業のほうが生きやすく、面白いものができるのかなとも感じる。

F1aa2088b79e1cdac384b95840a7113b 原丈人氏

原丈人氏(以下、敬称略):医学と関わり始めたところからお話ししたい。私は27歳頃までエルサルバドルやグアテマラやホンジュラスで考古学を研究していたのだけれど、当時、一番の問題は熱帯感染症だった。野口英世さんもパナマで黄熱病にかかった通りで、エボラやマラリアといった、あらゆる熱帯感染症が問題だった。で、当時の私は川の水を飲んで…、たぶん赤痢か何かだったのだろうけれど、薬もない状態で7日間ほど、「もう死ぬのか?」なんて思いながら七転八倒していたこともある。あと、あちらには毒蛇がたくさんいる。血清も1種類にしか効かないし、あちらにいる何百種類もの蛇には対応できない。そんなこともあり、当時は医学とはなんの関係もない世界にいたけれど、「医学っていうのはやっぱり重要なんだな」と思ったりしていた。

その後、私は考古学の研究資金を稼ごうと思ってスタンフォード大学に入ったのだけれども、ある日、銀行家のボブ・スワンソンという人とハーバート・ボイヤーというカリフォルニア大学の学生が私のところに来た。で、「これから遺伝子工学でインシュリンをつくる」と言う。「一体なんのこっちゃ」と。考古学の世界からビジネススクールに来ていた当時の自分は、「ファイナンス用語にも困っているのに、なんで遺伝子工学なんだ?」なんて思いつつ話を聞いてみると、すごく面白い。夢のある話だった。その二人で創業したのが、遺伝子工学企業のジェネンテックという有名な会社だ。今はロシュの子会社になったけれども、当時、その創業者二人に出会った。

それで関心を持ってしまった。「これ、ひょっとしたら毒蛇対策に役に立つんじゃないか?」、「川で水を飲んでもこれを勉強しておけば平気になるんじゃないか?」なんて考えて。それで、「何から勉強したらいいんですか?」と聞いてみると、「バイオケミストリーを勉強するべきだ」と言われた。それも聞いたことがない。辞書をひくと「生化学」とあるが、日本語でも分からない。それでバイオケミストリーの先生がいる医学部に行ってみた。で、ドアにバイオケミストリーのプロフェッサーと書いてある先生のなかから、優しそうな先生を選んで話をしてみた。「実は考古学を勉強しているけれども、これこれこういう理由でバイオケミストリーの勉強をしに来ました」と。それがアーサー・コーンバーグという先生だった。

そのときはそれほど偉い先生だと知らなかったのだけれども、その方は遺伝子を切るハサミにあたる酵素を発見し、1958年にはセベロ・オチョア博士とともにノーベル生理学・医学賞を受賞していた。弟子のポール・バーグという方も、息子のロジャー・コーンバーグという方もノーベル賞を受賞していて、門下に8人ほどノーベル賞受賞者がいるという大変な先生だった。たまたまそこに飛び込んで、私は先生に考古学を教えて、先生は私に生化学を教えるという関係になったわけだ(会場笑)。

それをきっかけに、私はその後、いろいろなベンチャーをつくるようになる。その先生たちからも「バイオのベンチャーをやってみないか」と言われ、1988年5月5日には世界最初の遺伝子治療会社に投資した。あとはアンチセンス分野の会社だとか、とにかくいろいろなライフサイエンス分野の企業に資金を投下した一方、自らも社外取締役になっていろいろなことをしていった。それが1990年代前半の話だ。そうしたキャリアのなかで、バイオや医療には常に関心を持ち続けていた。

で、2010年までの経緯は飛ばして国家戦略特区の話をしたい。浅間さんは内閣官房の健康・医療戦略推進本部におられるけれども、それを所管するのが甘利大臣になる。私のほうはその内閣で参与をやっていて、いくつかの成長戦略を見ている。医療・健康政策についても私なりに提言している。一言で表現すると、人間の寿命自体を延ばすことはできないけれど、そのぎりぎり前まで…、1週間前や数週間前、あるいは1ヶ月ぐらい前まで、健康に働けるような社会をつくりたい。それに必要な医療サービスを実現する、世界初の地域を国家戦略特区として国内につくりたい。アメリカやヨーロッパがそれを手本にして真似ていくようなことをやっていきたいと思っている。

523dd626af028972d838b9f64b28308c 山田邦雄氏

山田邦雄氏(以下、敬称略):私も経歴の話を少しさせていただきたい。実は、大学では生物物理を専攻していた。科学者になりたかったのだけれど、化学がまったくできなかったということと、物理と生物の両方に興味があったからだ。で、当時は「生物学では絶対に飯が食えん」と言われていたけれども、その頃教えてくださっていた先生はDNA解析の研究をしていた。今から考えると最先端の領域だ。そう考えると、日本における医学の基礎は僕らが学生だった頃から脈々と積み重ねられていたんだなと、特に最近は痛感している。(19:35)

で、その後はご存知のように家のほうでビジネスを始めた。こちらは製薬業でもコンシューマ向けだから医療とはそれほど大きな関係がなかったのだけれども、ここへ来て世の中が大きく変わってきた。再生医療ということで、だいぶ前から遺伝子が治療薬で応用されるようになってきた。で、今は生きている細胞をもっと医療に利用しようということで、その実現可能性も見えてきた。これはエレクトロニクスで言えばアナログからデジタルに変わるぐらいのインパクトだと思う。今までの薬では手も足も出なかった分野で機能の回復ができる。臓器を再生するといったレベルになるまでは多少時間がかかると思うが、細胞の力を利用して身体の治療を行っていくわけだ。それで、たとえ小児麻痺で長年動かなかった手足でも神経が再生してつながり、動くようになるといったことが見えてきた。いろいろな意味でチャンスだと思う。

また、これまで医療を引っ張ってきた製薬メーカーとドクターに加えて、日本のものづくりの技術が参入できるチャンスも増えてきた。たとえば再生医療は細胞を扱うわけだけれども、細胞は生きている。ある意味で、アナログの極地だ。上手に、元気に育てるための職人技が求められるケースがある。もちろん、それを安定して行うためには工業的な技術も必要とされる。たとえばセンシングの技術が必要とされる一方で、遺伝子の発現という点ではサイエンスのノウハウもいるわけだ。

そういったこともあって、今はたとえば富士フイルムさんやカネカさんや帝人さんといった異業種の企業さんが、むしろ熱心に再生医療に取り組んでおられる。そういう状況で僕たちにもできることは多いのではないかということで、今はいろいろとチャレンジしている状況だ。また、関西を世界に誇れる医療の先進地域にしていきたいというのもある。これは澤先生が提唱されていることだけれども、そういった動きを皆で盛りあげていきたいという思いもある。

※開催日:2014年10月18日、19日

→ 国家戦略特区“医療イノベーション”が拓く未来[2]は5/16 14:30 公開予定

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