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健康総合企業タニタのファンづくりと変革へのチャレンジ(後編)

投稿日:2015/02/27更新日:2019/04/09

「タニタ食堂」やシリーズ累計で532万部を売り上げるレシピ本「体脂肪計タニタの社員食堂」(大和書房刊)が話題となっている健康総合企業の株式会社タニタ。3代目となる谷田社長が推進した新しい取り組みを通じて、イノベーティブなDNAが改めて輝き始めたタニタの、これからの時代の「ファンづくり」の考え方や、変革へのチャレンジなどを伺った。(2014年12月8日、グロービス経営大学院 大阪校にて開催)

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村尾佳子氏

村尾佳子氏(以下、敬称略): 後半の対談とQ&Aでは、まず私からいくつか質問させていただき、その後、質問を募りたい。谷田社長は元々、タニタさんを継ぐお気持ちはなかったとのこと。ご自身ではどんなキャリア考えていらしたのだろう。今までの来し方を交えつつお聞かせいただきたい。

谷田千里氏(以下、敬称略): 高校までは父が卒業した立教大付属に通っていたが、当時はとにかく早く手に職を付けたいと考えていたため大学には進学せず、調理師学校を選んだ。

ちなみに私は4人兄弟の次男になる。私が生まれるときは、「長男の次は女の子がいい」ということで、「千里(チサト)」という名前にするつもりだったそうだ。ところが男の子だったから、「まあ、漢字はそのままでいいや」ということで「千里(センリ)」になった。育児に追われていた母の家事を助けるため、私も自然と料理の手伝いをするようになった。このため高校を卒業する頃は料理が好きになっていたし、料理ならすぐ手に職がつくという思いもあったので、進学先は大学でなく調理師学校を選んだ。

調理師学校を卒業すればそのまま就職できるところだったが、在学中に椎間板ヘルニアを患ってしまい、手術とリハビリで1年間を棒に振った。主治医にも、「立ち仕事は腰にかなりの負担がかかるから、調理の仕事は諦めたほうがいいよ」と言われてしまった。でも、まだ10代だったし諦めきれない気持ちがあって、泣く泣く「それなら栄養士に」と考えた。当時、国の教育方針が変わって、中学校の家庭科が男女ともに必修科目になっていた。このため「家庭科を教えることのできる男性教諭が求められるのでは」と考え、希望する学部のあった佐賀短大に進学。栄養士と家庭科2種の免許を取得する。ただ、その学校は4年制大学への編入が可能であったため、恩師に理工学部に編入するように薦められたのがきっかけで、編入試験を受け合格。最終学歴は佐賀大学理工学部卒業になった。

卒業後はアミューズメント施設を運営している会社に就職した。飲食にも力を入れていた会社で資格が生かせると思って入社したが、創業間もない時期ということもあって労働環境が大変な状態だった。このためそこそこで辞めて、父の紹介で船井総合研究所(以下、船井総研)に転職した。ここの水がすごく自分に合っていた。船井総研に入っていなければ今の自分はない。社会人の基礎もすべて学ぶことができた。また、コンサルタントとして企業トップの方々と会うようになって、子供の頃に反発していた父の考え方が実は当たり前だったことも分かるようになった。逆に「父はすごい人だったんだな」と思い直したし、自らが社会人となり大人になってきたこともあって、自然と父と結構仲良くなっていった。それで、タニタに呼ばれることになった。

村尾: 船井総研でのお仕事を通して経営に興味を持たれたということだろうか。あるいは元々興味をお持ちで、それが花開いた?どんな感覚だったのだろう。

谷田: 船井総研時代も含めて社業には全く興味がなかった。なんというか、コンサル会社で同僚も先輩もすごく仕事ができるし、それが悔しくて仕方がないからわき目もふらず勉強し、仕事に没頭していたのだと思う。だから仕事は大変だったけれど、当時はそれを苦に感じなかったし、何より「ここでやらなかったら自分はもうダメだ」と思っていたから、とにかく勉強していた。ただ、仕事で全国を回ることができるというのは面白かった。

村尾: ビジネスを見るという仕事自体はかなり楽しまれていたと。コンサルタントという仕事がご自身の水に合っていたということだろうか。

谷田: そう思う。ただ、当初は同僚や先輩と大きな差があることを、それこそ名刺の渡し方一つからも感じていたので、「とにかく追いつかないと」という思いがあった。

村尾: その頃は20代?

谷田: 20代後半になる。

村尾: 今日は20代のビジネスパーソンもたくさんいらしていると思うけれど、いろいろなことを成し遂げる20代もいれば、そこそこで通り過ぎてしまう20代もいる。前者を望んでいる20代のビジネスパーソンに何かアドバイスはあるだろうか。

谷田: 戦後日本は諸先輩方のおかげで良くなり過ぎてしまった。私としては、20代のうちは「がむしゃらに働け」と。基礎力がつくのはその時期だから。泥臭くなるかもしれないけれど、今後の人生を考えたら入社3年ぐらいの間は何も考えずに仕事だけをやっているべきではないかというのが私からのアドバイスになる。

村尾: タニタに呼び戻されて今のお立場となるまではどうだったのだろう。戻られた時点で、継承される可能性をどれほど意識していらしたのか。

谷田: 役員に指名されるまでは本当に何も考えていなかった。取締役に指名されたときは、「まさか後継者として考えられてないよな」と。いきなり社長に指名が来ることはないと思っていたから。

村尾: 直接は確かめなかった?

谷田: 確かめなかった。「まさか」という気持ちが勝っていたから。

村尾: それが確信に変わったのはいつ頃だったのだろう。

谷田: 確信になったというか、取締役になって1年もしないうちにそう言われた。社長に呼ばれたので行ってみると、「お前、社長をやってくれ」と。

村尾: そこですっと受け入れられた? 覚悟は決まったという感じだったのか。

谷田: プレッシャーはあった。実は、睡眠計という睡眠の状態を点数などで表示する弊社の商品があるのだが、当時、その商品の最終テストということで私自身が睡眠時に使って試していた。その商品は最も良い眠りだと100点、最も悪い眠りだと0点と表示するのだが、これまでの私の点数が70~80だったところ、社長に指名された夜から40点台に(会場笑)。「これはすごい商品だ、睡眠状態が正確に計測できる」と(会場笑)。それほどのプレッシャーがあった。それこそ会社を潰して社員に土下座している夢も見た。本当に、最初の頃は冷や汗をかきながらやっていた。しかし、私は「やる」と言ったらきちんとやるほうだ。社長を引き受けたのは、親孝行というのもある。当時、息を切らせながら働いていた父の姿をみて、「このままやらせておくのは可哀相だな」と。それで、「親孝行かな」と思って社長を引き受けた。

村尾: 継承に関して、今後継いでいくべきものと変えていくべきものについて何かイメージはお持ちだろうか。

谷田: その辺については天の采配みたいなものがあると思う。弊社では本社の耐震工事に合わせて本社1階に小さな博物館をつくった。そこには弊社の設立から今に至るまで製造・販売していた歴代の商品が展示され、当時の技術やナレッジが保管されている。完成した博物館を見回しているとき、冒頭でお話したライターの展示品を見て、「ライターをつくっていた当時の方々に、“今のタニタは健康を売っているんです”と話したら笑われるだろうな」と思ったことがある。改めて振り返ってみると、「タニタ食堂」といったレストラン事業を始めた時点で既に弊社は事業の大転換をしているのではないかと思う。実際、今の若い人に「タニタって何の会社?」と聞いてみると、「レストランです」と言う人もいる。「それなら、事業を全く変えて、社名だけで残ればいいのかな」と。きちんとした商品をつくるとか、そういった生真面目さは残すが、事業自体は完全に変わってもいいと考えている。自分が次世代に会社を譲る際、「タニタってレストランだよね」と言われてもいいんじゃないかと思っているし、今後の事業展開は過去の事業にあまり縛られずに考えている。

村尾: 今、経営者またはリーダーとして大事にしていることは何か。

谷田: 率先垂範を大事にしていきたい。実は、社長就任1年目ぐらいに肺炎で倒れて1週間ほど入院したことがある。まあ、夏休みに入る少し前だったので大きな影響も出なかった。ただ、そこで1週間高熱にうなされて、「(なんでもかんでも自分でやる)仕組みはダメかな。このままいったらあと2~3年で死ぬな」と思った。以来、ある程度は任せるようにはしているけれど、それでも率先垂範で自分が動くということは大切にし続けている。

村尾: 今回のご講演を依頼させていただくにあたって本社にお邪魔した際、社内で社員の皆様とすれ違うと、どなたも立ち止まって「いらっしゃいませ」と声を掛けてくださる。「素敵な会社だなあ」と。それで社長とお話をさせていただいたのだけれど、帰る際は社長自ら1階まで見送ってくださり、しかも門を出るところまでずっと頭を下げていらした。大変恐縮してしまったのと同時に、「社長のこの姿勢が会社の文化をつくっているんだ」と感動した。さて、続いてお伺いしたい。リーダーといってもいろいろなタイプがあるし、会場の皆さまに関して言えばトップリーダーよりもミドルリーダーが多いと思う。そうしたミドルリーダーにはどういった要素が必要になるとお考えだろう。

谷田: 今の仕事でどれほどパフォーマンスを出せるかが重要だと思う。当然、こういった場で知識をつけるのは悪くない。ただ、実際に結果を出さないと意味がないし、そこでどれほど泥臭くできるか。結局、人はやった仕事で評価される。結果を出さない限りいいポジションには付けない。その意味でも、この場で学んだ知識を今の仕事にどれほど生かせるかがポイントになると思う。

村尾: では、ここから会場に質問を募りたいと思う。

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会場1: アメリカに5年間おられたとのお話だった。アメリカは日本に比べると健康や食への意識が低いように思う。そうした市場で食堂を展開するお考えはあるだろうか。

谷田: 海外のマーケットは日本と様子が違う。高所得者層であれば健康に気を付けている方も多いと思うけれど、全体では関心は薄い。マーケティングをするのなら特定ターゲットに向けて展開するほうがいいと思っている。日本食ブームにもなっていることだし、そういう部分をうまく組み合わせれば上手くいくと思う。

会場2: 創業家の一員として良くも悪くも色眼鏡で見られることはあったと思う。そうした環境下でも自分を貫くために、どんな心構えをお持ちだったのだろうか。

谷田: 私自身は一度もぶれていない自覚があるし、いつでも自分が正しいと思ったことを実行してきた。私は自分で「これだ」と決めたら、人の意見を聞かないわけじゃないけれど、きちんと実行する。その点はタニタに入社以降も一貫していた。その判断自体が良いか悪いかは別としても、自分で決めたことはぶれなかったというのは良かったのかなと思う。

村尾: これ、なかなか難しいことだと思う。多くの人は「正しい」と思っても不安になってぶれたりしてしまう。その辺りの力はどのように培われたのだろう。

谷田: コンサルタントの経験が大きかったと思う。あと、私も失敗は怖いけれど、この歳になると失敗しなければ次に進めないし、あえて失敗をしないと経験値が上がらないという思いもある。社長としての立場や社員の手前というのもあるけれど、「私は失敗して傷付きながらでも次に進むぞ」という気持ちがあれば仲間も増えてくると思う。

会場3: 2015年12月にストレスチェックが義務化される。数値で表しにくいストレスというものに関する何らかの数値化を含め、社長自身がお考えになっていることや、企業として取り組んでいこうとしていることがあれば教えていただきたい。

谷田: 難しい領域になるけれど、先ほどご紹介した睡眠計は自分がプレッシャーを受けているかどうかが睡眠の状態から分かるので良いと思う。

村尾: 睡眠の状態をはかるという点でプロの谷田社長は、睡眠について何か特別な方法をご存じではないか。

谷田: 私は元々センシティブなほうだったと思う。ただ、コンサルタント時代の激務を通して、疲れ切ったときに「その辺で寝てろ」と言われたらすぐ寝られるようにはなった(会場笑)。環境が人をつくるのだと思う。

村尾: 睡眠に悩まされているビジネスパーソンは多い。人生の1/3~1/4は睡眠時間になるということもあるし、そこが幸せになれば本当に素晴らしいと思うので、その意味ではタニタさんの商品にぜひ期待したい。

谷田: 多少運動したほうが寝付きは良くなると思う。私の場合、42歳になって朝に強くなってきた(会場笑)。例えば朝4時頃に起きてメールをチェックするといった「社長の1日のスケジュール」がよく紹介されていますよね。加齢に伴って自分も「こうなるなあ」と(笑)。ただ、それを真似するのは大変だし、眠いときに寝ればいいというか、夜型なら夜型という自分の生活リズムに従えばいいと思う。実際、10年前の私であれば「4時に起きてメールをチェックする」というのは相当辛かった(笑)。でも、今は普通に起きることができてしまうし、会社で気になることがあると夜中に起きてしまうこともある。だから、その辺は真に受けないほうがいいと思う。

会場4: 特にお好きな著書や言葉があれば、ぜひ教えていただきたい。

谷田: 社会人として自身を鍛えてもらったということがあるので、故・船井幸雄会長の著作はほぼすべて好きだ。それと、私はよく「1粒で2~3度おいしい」と言っている。これにはいろいろな意味がある。例えば在庫削減のプロジェクトをスタートさせるとすると、私はそこでほかにも解決できそうな課題を仕込んでおく。仮にそれがうまくいかなければ最初から言わなかったことにして、「在庫は削減しました」と(会場笑)。そんな風にリスクヘッジもできるし、うまくいけば1つのプロジェクトで複数解決できるわけだからコスト削減にもなる。だから1つのプロジェクトを動かす際は複数の目標を設定するという意味で、「1粒で2~3度おいしい」という言葉を好んで使っている。

会場5: 社長の「元気の素」を教えていただきたい。ストレス発散手段や趣味をお持ちなのだろうか。今日のお話を拝聴した限りでは仕事がご趣味という風にも感じる。また、「お酒は嫌い」とおっしゃっていたが、本当にお飲みにならないのだろうか。あるいは、今は止められているのかな。

谷田: どちらかというと私はワーカーホリックだ。いい仕事ができたと思えばモチベーションも上がる。その意味では、たまにスペシャルボーナスも受け取っている。ローソンの新浪社長(当時)とお会いできて協業の話が具体的に進んだとき、「よっしゃ!」と思ってしまう(会場笑)。そういうボーナスが元気の素だと思う。

それともう一つ。以前、ある会社の代表の方と会食した後、同席していた社員の一人が「先方の社長に質問して返ってきた言葉がすごく勉強になりました」と言う。モチベーションを保つ方法を聞いたところ、「楽しいことをやっているとき、モチベーションのことなんて考えているか? マックスで楽しんでるだろ?」と。そういう姿勢で仕事に取り組む限り、モチベーションは関係ない。その社員は、「長年の課題が解決しました」と言っていた。私も同じだ。楽しいと思ってやっている。「これで社会を変えよう」と(笑)、勝手に考えていてそれがモチベーションになっている。だから疲れを覚えにくいのだと思う。あと、お酒に関して言うと、最初の1杯ぐらいはお付き合いをするときもあるけれど、2杯目以降はウーロン茶を飲んでいる。健康のためというか、本当にあまり好きじゃないので。

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会場6: タニタさんでは「はかる」ということが1つのキーワードになっていると思うが、それが健康に直接結びついているわけでもないと感じる。「健康になりたい」という意思がなければ健康には辿り着かないと思う。「健康になって何かをしたい」というメンタルに働きかける必要性について何かお考えがあればお伺いしたい。

谷田: 規模が小さい弊社としては、市場を細分化して特定の分野で差別化しようと思っている。おっしゃる通り、はかるだけでは解決しない。ただ、「はかることに特化する」という割り切りもある。ここは逃がさないようにしている一方、この先は他社にやってもらえたらいいかなという気持ちがある。逆に弊社はどんどんその分野を掘り下げて、例えば健康な人に対しても「こんな指標をつくりました」ということができればいい。これに加えて、弊社でははかった後どうするかといったソリューションを提供している。現在は、この2本立てで事業を展開している。いずれにせよ、きちんと差別化すれば生き残ることもできると思うし、事業も成り立つと思う。

会場7: 自身が勤めるベンチャー企業では、最近、「働き方革命」として仕事と健康を両立する企業をつくるという課題を掲げている。谷田社長から見て、「ここは健康と仕事を両立して、かつ業績も上げている」とお感じになる企業さんがあればぜひ伺いたい。

谷田: 逆に、良い機会なので私から皆さんにお聞きしたい。弊社では今、女性活用の視点でいろいろなことを考えているが、弊社の女性幹部数はまだ少ない。「この人を取締役にしたいな」と思う人がいても、ちょうど脂が乗ってきたあたりで、「結婚して子どもを産みたいから」と言って会社を離れる人もいる。どうすればキャリアを失わずワークライフバランスを実現できるか、いろいろ考えているところだ。答えは出ていない。

会場8: 会社を変革しようとするトップの意思とは裏腹に、メンバーのほうには「今の事業を継続していればいい」と考える人も多いと思う。ミドルがその板挟みになるというのは多くの会社で起きていることだ。谷田社長はミドルの方にどのようなメッセージを出していらっしゃるのか。

谷田: トップが言い続けるというのが重要。あとは前段でご紹介したように、アンオフィシャルなやりとりができる場で「思い」を語るということもある。また、当然ながらトップの言った通りにやって100%成功するわけじゃないけれど、例えばうまくいっている事例を紹介して、変革に向けた雰囲気づくりも大切だと思う。それと、コンサルタント時代に先輩から教わったことがある。まず、社長とは時間なんて共有できない。だから、私はよく上司がエレベーターに乗るタイミングを見て一緒に乗り込み、「すいません。こういうことを考えているので、ぜひお時間をください」と言っていた。すると、「そうか。じゃあ、話すか」ということになる。こんな風に泥臭くやればチャンスは出てくると思う。

上司のスケジュールを握っている方をほだしていくという手もある。上司の出張中、たとえば秘書の方に毎回お土産持っていく(会場笑)。それで日程を手に入れておく一方、エレベーターでは顔を覚えてもらう努力をして、そして次は車で移動する際に乗り込む(笑)。秘書に一言伝えておけばいいんだから。上司もその1時間で他の書類に目は通すだろうけれど、「終わったらどこに降ろしていただいても結構です。私は電車で帰ります」と言ってでも時間を取ればいい。基本的に車移動の際は何もできないし、そこに乗り込んできて話をしてくるなら、「聞いておくかな」となる。そんな風にしてトップと思いを共有していく人を増やせば、ともに会社を変えていくこともできると思う。

会場9: 谷田社長にとってのターニングポイントは船井総研さんに入社されたところなのかなと感じた。船井総研さんを選ばれたきっかけは何だったのか。

谷田: 特に大きな理由はない。最初の会社を辞めた後、ぶらぶらしていた私に対して、父は親心を抱いて船井総研を紹介したのだと思う。私は今度こそという思いで船井総研に入社したものの、勤めてから3年ほどで「戻ってきてくれ」と、父に頭を下げられた。船井総研を離れることに対しては踏ん切りが付いていなかったため、社内の尊敬する先輩に相談すると、「谷田君ね、そんな環境にいる人が世の中に何人いると思う。君は恵まれているんだよ」と言われた。「確かにその通りです」と納得した(会場笑)。

村尾: 振り返ってみると調理師や栄養士の資格も得るべくして得たもののような気がしてしまう。必要なものがすべて揃い、それが今につながっている感じがして「本当に不思議だな」と思う。

会場10: 我が家にもタニタさんの体組成計がある。身長などの数値をインプットして乗ると体重と体脂肪率が表示される。いくつかの数字が表示された後、最後に「体内年齢」というものが表示される。それが実年齢よりも15歳ぐらい若いと、「やった」となる。逆に、少し疲れているときに同じことをすると、その差が13歳ぐらいになっていて、「もうちょっと頑張らないと」となる。これ、マーケティングなのだろうか。

谷田: 体内年齢とは、基礎代謝の年齢傾向と弊社独自の研究による体組成の年齢傾向の2つの傾向から、計測した体組成が「どの年齢の体組成と近いか」を表現したもの。わかりやすく言うと体組成は、一般的に歳をとるにつれ筋肉量と基礎代謝量が減少する傾向にあるので「筋肉量が多く」「基礎代謝が高い」ほど、体内年齢は若くなる。従って、自信を持って「自分は同い年の平均的な人よりも若い」と思っていただいて良い。

それと、計測値が計測する時間で変動するのは、日内変動といって、食事や運動などによって体重だけでなく、体内水分や体温も1日の中で常に変化している。このため、計測時間や条件によってからの電気抵抗値が異なり、体脂肪率などの計測値も常に変動するというわけだ。このため1回の計測結果に一喜一憂せず、毎日同じ時間に同じ条件で計測していただき、1カ月ほど経過を見たうえで「やった!」と思っていただきたい。今お使いいただいているとのことだから、まずはその体内年齢が落ちないよう基礎代謝量を増やすこと。つまり筋肉のトレーニングをしていただく。そうすると若さが続くことになる。

村尾: では最後に一言、会場の皆様へのメッセージをいただきたい。

谷田: 私の拙い話が参考になったかどうかは分からない。ただ、今日はお話をするためだけでなく人脈を広げたいと思って来た。この後は皆様とぜひ名刺交換させていただければと思っている。最後になるが、今日ご用意した本もぜひ買っていただいて(会場笑)、今後も弊社の商品をご愛顧いただければと思う。皆様のご支援、よろしくお願い致します(会場拍手)。

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