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Acucela・窪田氏×QED・藤田氏×Quipper・渡辺氏 「世界を変える日本人起業家たち」 前編

投稿日:2014/06/26更新日:2021/11/29

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間下直晃氏(以下、敬称略):皆さん、こんにちは。グローバルということだが、私も今日初めてのモデレーターなのでどうなるかわからないが、75分間皆さんにいろいろ情報をお伝えできればと思っている。まず三人に話を聞く前に会場に聞きたい。海外に今住んでいる方はいるか?意外といるようだ。ビジネスで海外展開をしている方は?やはり多い。これから海外展開しようと思っている方は?当然多い。

今日の三人のパネルの方は少し珍しい。私は今シンガポールに普段住んでいるが、日本でまわり始めたモデルを海外に持っていって展開している。この三人の場合、最初から国はバラバラだが海外で起業、スタートされている。三人とも日本生まれか?(皆うなずく。)留学経験があったり、子どもの頃に向こうに住んだ経験もあるようだが、基本的に日本生まれの日本育ちで、なぜか海外でビジネスをスタートしている。ここら辺のところは恐らく、今海外展開を目指される皆さんともだいぶ違うところかと思うので、こういうところも少し聞いていければと思っている。まずお一人ずつ、数分ずつ位で簡単に自己紹介をしていただきたい。【01:19】

30432 窪田 良氏

窪田良氏(以下、敬称略):皆さん、こんにちは。お忙しい中、今日はお集まりいただきまして誠にありがとうございます。私はAcucelaIncというシアトルにあるバイオベンチャーのCEOを12年ほどやっている。元々は慶応大学医学部を卒業して眼科医をやっていたが、失明を世界中から無くしたいということで米国に渡り、たまたま日本で緑内障の原因の遺伝子を発見する仕事をさせていただいた関係で、アメリカの大学に招へいいただき、そこで勤めた技術をもとに12年前にベンチャー企業を興した。

2月に、東京証券取引所のマザーズ市場に米国企業のIPOとしては第一号案件ということで、日本の市場に上場させていただいた。バイオテックの中では今まで一番資金調達が大きかったという、165億円の資金調達をさせていただいた。日本の投資家から現在まで約360億位の投資を頂いて、ずっと米国でやっている。

どうしてアメリカでやったかということの一点だが、私は父の転勤の関係で小さい頃、短い間だがニューヨークに住んだことがある。その時には、日本がどこにあるかアメリカ人はだれも知らなかった。「地図のこの辺か」というと、だいたいフィリピンとか他の島を指して、アメリカというのは意外に自分のことしか考えてなかった。そうじゃない人もいると思うが、僕が出会った方は日本がどこにあるかも知らなくて、よく知っている人といえば「半導体のコピーばかりして模造品を作って、アメリカの技術を盗んでいるのではないか」みたいな話で私は衝撃を受けた。世界にとって日本人というのは必要で、何か情報を発信したり価値を創造したりしていけるような文化度を持った国であり、民族であり、人であることを発信していきたいという思いがずっとあった。それで米国発で、世界中に新しい知的財産を生み出して価値を生み出すということを日本人として発信していきたいということで、アメリカで起業したというのがベースになっている。【02:47】

30433 藤田 浩之氏

藤田浩之氏(以下、敬称略):皆さん、こんにちは。私は、アメリカのオハイオ州クリーブランドというところで今、QualityElectrodynamics、QEDという会社をやっている。医療機器の開発、製造、特にMRIに関してやっていて、それをクリーブランドで製造して、各国に輸出して、顧客、例えばドイツのシーメンスとかアメリカのGE、日本の東芝、韓国のサムスン、そういうところでOEMブランドとして我々のデバイスを供給させてもらっている。

私もアメリカに渡ってすごく長いが、ちょっとまた私の場合きっかけが違う。私は早稲田の理工学部にいたことがあり、たまたま1年生の時に海外留学ということでカリフォルニア大学サンディエゴ校、UCSDというのがあるが、そこに語学留学をさせてもらうきっかけがあった。

その時に僕は衝撃を受けた。なぜ衝撃を受けたかというと、実は僕は日本にいた時は理工系だったが、外交官になりたいと思っていた。その外交官になろうにも日本の場合はプロトコールというものがきちんとあって、例えば外務省に入るのであれば東大の法学部に入って、国家上級公務員試験を受けて、という線路を基本的な道筋として踏まないといけないわけだ。僕の場合はどうしても理科系の方が得意だったので、どうしようかなと思っているうちに、「外交官にはなりたいけど、理工系に行くしかないな」とアメリカに留学した。

そこでアメリカの学生がいろいろな意味で多様性を追求でき、例えば法学をやっている人間が工学も勉強できる、医学も勉強できるというのを見た時に、「僕の将来はアメリカにあるな」と思ったのが1987年。1988年に日本に戻ってきて、アメリカに留学するためのいろいろな準備をして、それからアメリカに渡った。それからまたもう一回学部からやり直して4年間、次にアメリカのオークリッジ国立研究所というのがあるが、そこで物理学者の仕事をして、それもまた自分の将来ではないなと思いケース・ウエスタン・リザーブ大学というところの物理学科の博士課程に入ってそれを出て、たまたま医療機器のプロジェクトをさせてもらうことがあったので、企業に入って企業の研究者をやっていた。

それも順調に行っていたがベンチャーから誘われて、ベンチャーに行って、そのベンチャーがGEに買収されたということでGEの人間になった。だから本当に小さい会社、勢いのあるベンチャーから、世界最大企業の一つであるGEに入って、そこで揉まれていろいろな方とコンタクトをとらせてもらうことができた。結局、「自分が今やりたいと思っている研究開発(デバイスの開発など)というのは独立した方ができる」ということで2006年に独立し会社を興した。それから順調にここまで来させてもらっている。そのようなわけでアメリカで製造業をやっているということもあり、元々日本からアメリカに渡った移民ということで、いろいろな要素が重なってオバマ大統領から一般教書に日本人として初めて呼んでいただいた。それからまたいろいろなことがあり、今は米国商務省プリツカー長官の顧問ということで、アメリカに製造業を内製化するためにはどういうポリシーを作らないといけないのかということを、商務省とホワイトハウスと議会に向けて提言させてもらっている。あともう一つ、オバマ大統領のことでは、ホワイトハウスの中で「ビジネスフォワード」という機関がある。そもそも大統領は産業界と密接に協力をすることによって国を進めていきたいという思いを強く持っていて、それで「ビジネスフォワード」という、ノンプロフィットが作られて、私はそこの理事もやらせてもらっている。毎月ワシントンDCには仕事で行っているが、そのことでいろいろ忙しくしている。【04:53】

間下:オバマ大統領の一般教書演説(に呼ばれる)ってすごそうだが、これはなぜ白羽の矢が立ったのか?他に日本人の方で、アメリカで起業して成功しているような方は少ないということか?

藤田:少ないかどうか私はわからないが、実はオハイオ州というのは、ご存じのように「スイング・ステート」、要するに共和党と民主党が時代によって揺れるというキング・メーカーの州。そこはアメリカの縮図という見方をされていて、オハイオ州で起こっていることが要するにアメリカにとっても重要であるという認識がある。先程申したが、私は日本から外国人としてアメリカに行って、博士課程を終わって、日本に戻らずに残って、かつ、そこで製造業を作った。その製造業が医療機器という国の国益に直結する重要なものであったということ、現地で雇用を創出しているということ、もう一つ大きいのは輸出。大統領が輸出を倍増しようと提言していたが、私共の会社はOEM供給なので世界中に製品を出すわけだが、輸出が今は90パーセント。そうなるとそれぞれの要素が当たって、実は大統領と2回位、前に会わせてもらうきっかけがあった。そういうことでたまたま電話をもらったが、私はその電話を冗談の電話だと思ったので、最初に電話がかかってきた時に「こういう電話は困るので、また今度にしてほしい」と言って、ものすごく恥ずかしい思いをした。あとでホワイトハウスに行った時に、大統領の側近の方から「大統領の招待を断る人はあまりいない」と言われた。

間下:それは本人からの電話ではない?

藤田:違う。エグゼクティブディレクターという方がいるが、その方が「来週の火曜日、大統領とファーストレディーが招待させていただきたいので」と言うのを僕は嘘だと思い、「来週僕は忙しいので」(と断った)。そんなことがあって、でも本当だったということでえらいことになった。

間下:あまり日本人コミュニティーみたいなものはないのか?起業家コミュニティーみたいなものとか。オハイオの中では。

藤田:オハイオは、例えばホンダのアメリカの工場があったり、ブリジストンのタイヤの工場があったりするが、日本人コミュニティーという意味ではそんなに大きくない。

間下:起業家は少ない?駐在員はいるかもしれないが。

藤田:そう。会社を興して何かをやっている方はなかなかいないかもしれない。【9:30】

30434 渡辺 雅之氏

渡辺雅之氏(以下、敬称略):皆さんはじめまして。Quipperの渡辺です。よろしくお願いします。先のお二人の経歴が華やかすぎて、僕は「なんちゃってグローバル」な感じで恥ずかしい。それでもいいから話してよいと言われたので、ご紹介する。

僕は大学を卒業して、マッキンゼーに入って、2年ちょいしかいなかったが、その時に南場さんが上司だったり、川田さんが同僚だったりして、二人と一緒に誘われる形で辞めて、DeNAの(そこに守安社長が座っているが)創業に参加して、以来12年位DeNAにいて、新規事業とか投資とかそういったものを担当していた。
どうしても海外に住んでみたくて、英語もできないのもコンプレックスだったし、ちょっと1,2年休職をしてインド料理、カレーを作るのが趣味だったものだから、カレーって実はロンドンが本場。世界で一番美味しいカレーというのはロンドンにあって、ミシュランで星を取っているカレーレストランはすべてロンドンにある。そういう場なのであわよくば修行もできる…、恥ずかしい。

いろいろあってロンドンを選んで家族で移住した。子どもが小さいうちだったら教育もまだ考えなくていいし、2年位住もうかと思って行って、実際カレー屋さんに飛び込みで行って「修行させてくれ」みたいな話をしてしばらく修行していた。あわよくばお店を開けたらいいなと思っていたが、難しい。いきなり強くないビザで行った外人がカレーレストランを開いてうまくいくほど甘くない。そこは国際競争都市だった。何をしようかと思い就職活動をしていたが、あまりに英語が喋れなくてうまくいかず、満を持してQuipperを創業した。(笑)

もともと教育にすごく興味があって、DeNAで新規事業を担当していたこともあり、アイデアは常にあった。ただやはりテクノロジー的にある程度の大きさのデバイスの画面のサイズとか、伝送の速さとか、いくつかの要素が組み合わないと難しい。しかもリソースがかかる、かつ時間もかかるみたいな難しさというので、お蔵入りしていたような事業アイデアが心中にあったものだから、これにチャレンジしてみようかということでロンドンでQuipperを作った。当然知り合いも友だちも一人もいなかったのでそこから一人ひとり仲間を探していって、ちょうど今から3年半前位にQuipper社を作って、最初大人のトリビアのマーケットプレイスみたいなところから始めたが、なかなかうまくいかず、ピボットみたいなものを何回かして今は学校向けの教師のサポートツールとか、ご両親と子どものサポートツールとか、そういうQuipperSchoolというのをメイン商品として提供している。一番お客さんがいるのは東南アジア、あとアメリカみたいなところでだいたい1万クラスに導入して、日々プラットフォーム運営をしている。

あと日本では、ベネッセさんと非常に仲良くさせてもらっていて、R&Bというか「どうしたら子どもは学習をタブレット上、あるいはスマホ上で続けるのか」という実験をさせてもらったり、KDDIさんと共同事業をさせてもらったり、日本でもかなり活動している。

先月、シリーズBというか、三回目のラウンドをまわらせてもらい、グロービスさん、ベネッセさん、イギリスのアトミコ、その前の時はアメリカのファイブハンドレッドスタートアップスみたいなところから資金調達していて、今調達したばかりで一段落なのでこういうことも安心して言える。【12:39】

間下:三人とも海外で会社をつくられている。私も普段シンガポールに住んでいて、シンガポールに来たいという人はすごく多い。話していて思うのは、日本は超内需国。日本人だと、普通に日本で始めた方がすごく楽。日本でうまくいかないで海外でうまくいく理由も普通はないだろうと思うことも結構ある。そういうところについて皆さんはどう思われるか。もし今もう一度やり直すとしたら、また同じ場所で始めるのか。医療などは若干特殊な部分もあるとは思うが…。渡辺さんはロンドンから始めているが、東南アジアとアメリカが多くて、売り上げは日本が一番大きい。ヨーロッパは無い。こういうことも含めて、もしこれからやり直すとしたらまた同じ事をするのか。もちろん個人的な事情もあるが、そういったところも教えてもらえるか。

窪田:私の場合、医薬品の開発というのは一大開発するのに1,000億から3,000億円の投資が必要とされている。それだけの投資を回収するためには基本的にプロダクトのグローバル展開を当初から考えていないと全く採算が取れないというか投資が見合わない。人の命を懸けて医薬品を開発するために、それが頭痛薬であろうがガンの薬であろうが、それは何の薬であっても、やはり非常に莫大な医療機関に払うコスト、保険に払うコスト、そう考えると開発コストというのは大体そんなに変わらない。そうなると希少疾患とか特別な場合を除いては、かなり大きなマーケットが必要とされる、投資を仰ぐために。だからグローバルでやるしかないので、日本でやろうがアメリカでやろうが、どこでやろうがグローバル展開を考えてやらなければならないというのが一点。

そしてアメリカでたまたま始めて振り返ってみて思うのは、アメリカというところは小さいベンチャー企業にベスト・アンド・ブライテストの人が来るということが非常に高い確率で起こるからすごくやりやすい。しかもそれだけではなくて、僕が一番良かったなと思うのは、ベスト・アンド・ブライテストだけでなく非常にハングリー。ベスト・アンド・ブライテストかつハングリー。シリコンバレーでも、大体スタートアップの半分以上は移民がやっていると言われているが、ベスト・アンド・ブライテストに加え、「24時間働くぞ」というハングリー精神を持っている。アメリカというのは「アメリカ人になる国」で、アメリカに外国人として居続けるためには相当なパフォーマンスを発揮していないと相手にされない。それを必死でやろうという国。日本人の私からすると、日本はずいぶん恵まれている。食事も美味しいし温泉もあるから日本の方が居心地がいいが、働いてくれている仲間に日本人はいない。皆他の国から来てなんとかアメリカに残ろうとしているから、すごく優秀な上に、働きぶりが半端じゃない。それが、不可能を可能にするベンチャーの一つのエンジンになっているという個人的な実感がある。またやるとしたらアメリカでやりたい。【16:52】

間下:なるほど。かなり移民の方を活かしている?

窪田:それはもう彼らのハングリー精神はすごい。ご両親の世代は庭師だとか八百屋だとかを頑張ってやっていて、子どもには学力を付けさせてホワイトカラーの仕事に就いてもらいたいと。その意向を受けた人たちというのは、本当によく勉強するし、貪欲だし、パフォーマンスにしろ頑張りにしろ、「たぶん昔の日本もそういう時代があったのか」みたいな勝手なイメージだが、マネージメントをやっている側としては非常にありがたい。

間下:シンガポールも結構そうで、今ローカルのエンジニアを雇っているが、ローカルのうち8割がシンガポーリアンではない。周辺国から集まって来ている、PR(永住権)を持っているシンガポール人。彼らはやはり相当貪欲。日本もここに住みたいとか、世界中から来たがる国になれば人材が変わるかもしれない。

窪田:それは手の一つだと思う、確かに。【20:22】

藤田:私も同感。アメリカは非常に面白い国で、移民の国。世界中のハングリー精神を持った人間が来ている。一旗揚げたいという人間がすごく多いわけだ。だから集まる人間の才能というのは非常に驚くべきものがあって、私も中国系やインド系の方としのぎを削って来た。日本のいわゆる学歴社会でも頭のいい人はいるが、彼らは本当に頭がいい。「普通では考えられないぞ」という人間がアメリカにはたくさんいる。僕は、これが大事だと思う。世の中には才能を持った方がたくさんいるが、何によって違ってくるかというと、機会が与えられたかどうか。だから機会が与えられないと、どんなに能力を持っていても残念ながらそれを発揮することができない。アメリカというのは機会を与えられやすい。非常に利口な人間、野心に燃えた人間がベンチャーに行く。大企業には勤めないで自分で会社を興して、自分でビジネスを興していくという人がたくさんいる。そういう文化なので、そういう人間に対しての視線が違う。日本の場合は、今は相当変わってきていると思うが、どうしても有名な大学を出た後は大企業に就職、もしくは官僚になるというのがある。それが根本的にアメリカと日本では違う、ということがまず一つ。

二点目は私の場合、ここまでの半生を振り返った時、スティーブ・ジョブズが2005年のスタンフォード大学のコメンスメントでスピーチしたが、あの中で「コネクティング・ザ・ドッツ」という言い方をしている。本当に僕はその通りだと思う。いろいろなことが人生においては起こるわけだが、その時点ではその起こっていることが何を将来的に意味するのかなかなか判りづらい。でも何年か経った時に、「あ、そうだったのか」というのがスッと入ってくる。僕は日本を出た時に最初からクリーブランドに行こうと思ったわけではなくて、最初は天気のいいカリフォルニアに行こうと思っていた。でも今は積雪の厳しい厳寒のクリーブランドにいる。だからよく「なぜカリフォルニアに行こうと思っていた人間がクリーブランドにいるのか」と人に言われる。それも不思議なもので、今から考えると例えば「固体物理学を勉強したけれどもそれもちょっと自分がやりたいのと違うな」と、こうやって繋がっている。今いるところがクリーブランド。クリーブランドというのは医療産業都市としては世界的に見ても本当に有数の産業都市。世界的に有名なクリーブランドクリニックもあるし、ケース・ウェスタン・リザーブ大学という研究大学もある。ユニバーシティホスピタルズというのもあって、それらのおかげで、フィリップス、GE、東芝、日立が集まっている。そうして産業都市となり、いろいろな職種の方々が集まってきている。そういう意味で言うとそこで我々が事業をするというのは非常に理にかなっていて、まさにワンストップショップという感じ。そこにいることによっていろいろな情報が入ってくるし、人材もいると。だからそういう意味で言うと、僕の今やっている仕事をするならばクリーブランドというのは恐らく最適解の一つに違いない。日本でやれるかというと、そういうことになるのであるならば、やはり行った所行った所でベストを尽くして自分の道を開いていく、というのが僕のスタンス。【21:49】

渡辺:たぶんアメリカと僕がやっているロンドン、イギリスとですごく大きく違うのは、あまりハングリーな人がいない(笑)。ヨーロッパは大体皆思った通りのイメージの人がいて、6時が定時だが6時に帰るどころか5時位にいなくなったり、金曜に昼間からビールを飲んで戻ってきたり、わりと楽しく過ごしていて、最初僕はすごく違和感があった。僕のいたDeNAもマッキンゼーもわりとハードワークな会社だし、僕自身もそういう「働いてナンボ」みたいな価値観を強く持っていたので、最初はすごく違和感があった。ただ半年、1年と過ぎていく中で、パフォーマンスがそこまで悪くないのではないかということにある時気付いた。つまり、時間的にはそんなに働いてないように見えるが、アウトプットの量というのはそこまで変わらないことがわかった。エンジニアにしてもそうだし、ビジネスの方もそうだし、自分の仕事スタイルとか「事業の中でどこに勘所を持つか」みたいなところはちょっと価値観が変わった。認識としてはそんなヨーロッパだから、ベンチャーとはどう絞るかがポイントである中で、皆の労働時間を足してもそんなに長くない、徹夜を絶対しないこの人たち、みたいなところで、本当に絞り込んで戦略を磨き込んで、ピンポイントで攻めることができるようになったのは逆にすごく良かったという気がしている。

今、欧州の売り上げとか欧州のユーザーは皆無。今この瞬間は優先順位からいって東南アジアから攻めているものの、エドテック(EdTech)のプラットフォームでやろうと思ったら絶対に世界的な競争になるのは明らか。シリコンバレーの教育ベンチャーは30ミリオン(3000万ドル)、40ミリオン(4000万ドル)というレベルで調達して、世界中にレップを置くというのを今始めたところ。そこと本当にガチで勝負しようと思ったら、世界のプラットフォームにならなければいけない。その時に欧米人テイストとかアジア人テイストとかいろいろなものを組み込みながらプロダクトを作っていく必要があると感じている。今、エンジニアがマニラと東京とロンドンにいて、あえて幾つかあるプロダクトをシャッフルするような開発体制を取っているが、ヘルシーな議論が行われている。やはり日本人は作りすぎてしまう傾向があり、ヨーロッパ人は作らなさすぎる傾向があり、そしてアジア人はすごくキャッチーでゲーミフィケーションみたいなものが好きみたいな。

日本にいたら僕は英語も大してうまくないので、日本人だけでチームを作ってしまったと思う。それに比べると海外に出て行って無理にでもそこでエンジニアを採用して、グローバルチームを作ったというのは、結果的にエドテック・プラットフォームをやることから考えると必須だったと思う。しかし「もう一回これをやるとしたら本当にロンドンに行くのか」と言われると、それをやるためにロンドンに行ったわけではない、たまたまロンドンだったというのがある。結果で言えばロンドンで良かった。今ロシアとかトルコとか攻め始めたところだが、どの国の人もロンドンをとりやすい、そしてローカルの人がいないと攻めていけない、教育コンテンツはすごくローカルだから。そういった意味で言うと結果的に良かったと言い訳ができるものの、もしかしたら僕は行かなかったかもしれない。むしろ、東京とかマニラとかシンガポールだったかもしれない。ただ、今この瞬間だったらそうだが、2年くらい経ってヨーロッパの方がサービスとして立ち上がってくれば、自信を持って「ストラテジックに、ここでした」と言うようにしないといけないと思う。【26:04】

30435 間下 直晃氏

間下:今の人材面のところでも出てきたが、働き方のアジャストメントというか、現地の働き方はやはり違う。シンガポールでも今、日本企業がすごい不人気。労働時間ばかり長くて、安い。昔は逆だったみたいだが、今は全然ダメ。このアジャストができないとやはりダメだろうということと、ローカライズをどのようにしてやっていくのか。もちろん三人の場合はローカライズではないが、社内にボードメンバーの構成とか社員の構成とか、どうマネージされているのか人材面を少しお話しいただけるか。

窪田:ボードメンバーは私以外は基本的に全員社外取締役で、財務の専門、ディベロップメントの専門、コマーシャリゼーションの専門、法律の専門の人が入ってやっている。彼らも何かあったら一蓮托生訴訟の対象になるので、きちっと斯業が全うかどうかを目を光らせて見ていないといけないので、そういう人たちはいる。だからもちろん自分の報酬を自分で決めたこともないし、そういう人たちが勝手に決めたので、よほど文句がなければ従うしかないという仕組みになっている。

間下:全員アメリカ人?

窪田:ボードメンバーは全員アメリカ人。アイルランド人でアメリカ人になった人も一人いるが、基本的にはアメリカの人、欧米人。従業員はロシア人もいればウクライナ人もいて、トルコ人もブルガリア人も、いろいろな国から来たファーストジェネレーションが半分位と、もう何代にも渡ってアメリカにいる人が半分位という感じ。

スタイルだが、ベンチャー企業だからすごくよく働くが、面白いことがある。アメリカは雇用の流動性が非常に高いために5年6年で会社を移っていくケースが多い。働く時には死ぬほど働くが、その間にインターバルがあって1年位何もしなかったりとか、時間的には拘束のないノンプロフィットに行ったり、シンクタンクに行ったり、大学でまた勉強したり、世界中を旅行したりして充電する。そしてまた死ぬほど働く。その働くことの全体のメリハリが効いている。だから、この時期は子育てだからご主人も一緒に子育てに参加するためにお金を貯めて、この時期は家族中心の生活をするためにベンチャー企業みたいな過酷なところじゃないところに行って、ベンチャー企業で蓄えた財やノウハウを活かして時間がゆるいところに行くとか。人生の時期に応じて、キャリア設計をしている人たちが多いという気はする。あのペースでずーっと走り続けられる人というのはアメリカにもごくわずか。ただ人生の時期、ステージにおいて、ものすごくメリハリが効いているという印象はある。だからそれを許容してやっていく、あとはそのポジションによってワークスタイルがこういう人がいるというカルチャーを許容して、いろいろなカルチャーが会社内に共存して、そのライフスタイルを認め合うということ。だからマネジメントトラックのCレベルのofficerになりたいという人は、死ぬほど頑張るし、自分はディレクターで一生やっていくので十分だから地元のリトルリーグのコーチをやりたいとか、子どものサッカーのコーチをやりたいという人はそういうトラックで、ずっときちっとしたことをやっていける。エグゼクティブマネジメントにはなりたくないという選択をする人もいて、その人たちはその人たちのライフスタイルをもちろん許されるということで、皆が皆Cレベルを目指すというライフスタイルではないわけだ。そういういくつかのライフスタイルが共存して、それを許容しているという印象を持っている。【30:16】

藤田:まず、取締役の話から。私のところも社外取締役は二人いるが、非常に面白いきっかけで出会った。私が株主で会社を始めたので、それまで取締役はいなかった。ずっと会社が成長していき、たまたまクリーブランドの管弦楽団があるが、そちらで内田光子さんというピアニスト、モーツァルトですごく有名な方だが、その方が来られる時に私が管弦楽団から打診を受けてスポンサーをしてくれないかと。光子さんも日本の方で、クリーブランドに来て、管弦楽団のために頑張って演奏すると言っている。私も日本人で、たまたまクリーブランドにいると。そうしたら日本男児として一肌脱がなければと思った。それでスポンサーをさせてもらったが、私はコンサートの壇上で光子さんのすぐ後ろに座らされて、その演奏の1時間半の間、ずーっと緊張して座っていた。というのは全部観客席から見えるわけで、僕は動いたらいけないと思ってずーっと緊張して座っていた。そうしたらコンサートが終わった後に、タキシードを着た老人が私のところに来て「名刺をくれ」と。私はもちろん渡した。その方は実は、アメリカでも有力なユダヤ系財閥の当主だった。彼は、演奏中に自分の周りに座っていた銀行の頭取や大企業の人間に「あのアジア人知ってるか」と聞いたが皆「知らない」と。そうしたら彼からしてみると、自分のテリトリー、縄張りで知らないアジア人がスポンサーをして、「これはどういうやつだ」と。「是非知ってみたい」ということで来られたわけだ。私は単なるおじいさんだと思っていたので、「ありがとうございます」と言った。「明日お前のところに電話するから名刺をくれ」と言って、次の日、本当に電話がかかってきた。

僕はちょうどその時オフィスで忙しくしていたもので、彼が「昨日会ったこれこれだ」と言った時に「ちょっと今忙しいので、また今度にしてもらえるか」と言った。そうしたら翌日にFedEx(宅配便)で包みが届いた。それを見ると、アメリカでも有名な大企業のオーナーだということがわかるものがあった。「えらいことをした、これは大変な失礼なことをした」と。そこに書いてある電話番号にすぐ電話して、「存じ上げなくて失礼いたしました」と。「それは構わん。ただなぜクリーブランドに日本人が来て、医療機器の開発をやってるんだ。それを俺は知りたいからお前のところに行く」と言って来られた。そして僕のアメリカに渡ってからの話をずっと聞いて彼が言った。「わかった。俺はお前を助けることにする。だから今日からお前の会社の取締役になる」と(笑)。私は「あっ、そうですか」と完璧に押し切られた。「お前はMRIのこととか物理のことはよくわかってるだろうが、アメリカの慣習とかわからないから俺が全部教える。だから今日から取締役だ」と。もう一つ財務は、「一応会社はきちっと成長して利益もあるみたいだが、プライベートの会社でも上場企業に対応したような会計をしないといかん」ということになった。チェース・マンハッタン・バンクの創始者ジョン・D・ロックフェラーの息子、98歳のデイビッド・ロックフェラーがCEO。そこでずっとCFOをやっていたイタリア系の財務の人を連れてきて「今日からこの男がもう一人の取締役だ」(笑)ということがあった。毎月彼ら二人が私のオフィスに来て、うちの財務、CFOとかを混ぜて会社の数字を見ていろいろコーチしてくれる。本当にありがたい。それも出会いで、まさかオーケストラがこんなことになるとは私も思っていないわけだ。でもそういうことがあって、それが取締役の話。

従業員の話をすると、アメリカで製造業というのは実は難しい事業。なぜかというと製造をする、組み立て工というのは決して高学歴ではない、基本的に。例えば博士号を持っているとかいう人ではなくて、中学を卒業したまま、高校を卒業したままの方、黒人の方が非常に多い。助成金をもらうと、基本的に国の方針として、マイノリティをきちっと雇わないといけない。これは国の税金から来ているのでということで。例えば何人マイノリティ、黒人を雇っているのかという報告義務が出る。そういうことで、自分のQED社を見た時に難しいと思うのは、確かに技術者として最高学歴を持った人間もいれば、そういう組み立て工のように時間給で生きている方もいる。このバランスを取るのが非常に難しい。そこがチャレンジというか、でもそこは会社の企業理念とかをきちっと謳うことによって皆でまとめていくという努力はしている。【34:21】

間下:下の方ってアメリカはレベルの差がすごくないか。超天才とすごい人たちで、間にいない感じがする。

藤田:本当にその通り。

間下:我々が向こうでオペレーションをやっていて、例えばイベントを撮影する人を時給20ドルで雇ったら、手がプルプルしているとか、そんなレベルばかりだった。このギャップってやはりすごいか。

藤田:すごい。本当にそれはまた非常に難しい問題があって、それを批判するようなことを言うと、「人種差別だ」となる。だから非常にオブラートのかかったような言い方。それが非常に難しい。アメリカ国家の抱えている一つの大きな問題。要するに、本当のこと、何が本当のことかわからないが、それを言った瞬間に「あの会社は人種差別をする会社だ」と。例えば、ちょっと話が変わるが、先程オーケストラの話が出た。楽団員を見るとほとんどアジア人かCaucasian、白人なわけだ。そしたら黒人の人たちは「なぜ黒人のパフォーマーがいないのか」と。それでどうやったかというと、公平にするためにオーディションの時に幕を張る。そうすれば誰が演奏しているか人種はわからない。それで選んだら、また皆アジア人と白人になってしまった。そういうことがあって、彼らからしてみると自分たちには機会がないという言い方をする、でも芸術家からすると芸術家というものは最高の芸術を追究するのが芸術家であって、ボランティアではないと。だからこういう話のしづらさってアメリカにはある。

藤田:なるほど。これは日本の楽なところだ。底辺層のレベルが高いから。【40:33】

渡辺:うちの場合、まだスタートアップのフェーズということもあるが、社内の取締役が二人で、社外が三人。その二人は、僕も相方のCTOをやっている中野っていうのも日本人で、ロンドンで会った日本人で永住権を持ってロンドンにいる人間。どっちも日本人。ただ、取締役会は全部英語でやることになっていて、ドキュメントのファイリングも英語で、社内公用語も全部英語。仕様のやりとりとかも全部英語でやるというのが一応ルールになっている。

それはファンドレイズする時に、本当に業態がイケイケだったら、たぶん投資する側が頑張って読み込んでくれるが、まだまだ夢というか、こちら側からしっかり説明しないといけないフェーズだとどうしても世界中から調達しようと思うと英語じゃないと読み込んですらくれない。そもそもロンドンの会社だから、英語でやろうと思って頑張って、僕が一番下手だが、英語でやっている。

メンバーに関して言うと、いろいろな国の人がいるが、労務的な感想というか、最近思っていることで言うと、先程「ヨーロッパ人が〜」みたいな話をしたが、国民性とかそういうのがすごくあると思っていて、イギリス人とかヨーロッパ人を雇う時にストックオプション、イギリスではシェアオプションという言い方をするが、「シェアオプションはこのぐらいだ」と言うと、知らない。少なくともベンチャーに入ろうという人って日本だったら、とりあえずは知っている、なんとなく雰囲気は。彼らは本当に知らない。普通に大学出て、前の会社もしっかりした方が知らなかったりする。それでいちいち仕組みを説明してあげると、「すごくよくできている」みたいな感動をされる。「そうだろう、こういうもんなんだ」みたいなやりとり。あまり株式で一攫千金するものって文化的に根付いていないというか、雇用の中であまり取り入れられていないと思う。

またヨーロッパ中の人が、イギリスは通貨は違うが一応EUの中に入っているので、ビザ無しで採用される。ロンドンで短い期間だけ働きたいというのがヨーロッパ人の共通の夢というか若い頃の大冒険みたいな風潮があることを僕は気付かずにいた。愉快にバンバン採用していると2,3年で辞める。「別に不満はないが辞めるよ、マサ」、「なぜだ」、「いや、国に帰るんだ」みたいな感じ。そういう流動性が、もう会社がどうというレベルではなくて、人生のスタイルとして2,3年ロンドン行くのがなんとかだ、みたいなそういうのを初めは全く理解していなかった。そういうところもちゃんと考えてやらないといけない。この前オペレーションマネージャーがオーストラリアへ移住するから辞めると言い出した。ビザのくじに当たったかなんかで。「なんでオーストラリアに行くんだ」と聞くと「クリケットで好きなチームがあるから」と。「お前は家族もいるだろう。いいのかそれで」という話をした。思ってもみなかった形で辞めたり入ってきたり労務上の問題が出たりというのが難しいし面白い。人は流動していくということ、会社が良い悪いではなくて、どんどん変わっていくことを前提に知識も蓄積しなければいけないし、開発スタイルも確立しなければいけない。組織に対する考え方が、ロンドン、マニラみたいなところでオペレーションすることで自分なりに変わってきたと感じる。【42:33】

間下:ロンドンは宗教的なところはどうなのか、結構混じっているのか?多宗教?

渡辺:イギリス人はイギリス国教会がほとんどで、基本的にはクリスチャン。ただ、中東から来ている人とか、インドとかパキスタンの人も多いので、イスラム教のお祈りする場所があるが、だれか入ってきたら作らなければいけない、準備しなければいけないというのがしっかりある。

間下:東南アジアは結構混じるので、ハラルとか豚が食べられないとか、僕も最初「電子レンジもう一個買ってくれ」と言われた。チン1回でもしたらダメ。「もう1個買って」みたいなお願いをされて最初キョトンとした記憶がある。宗教ってあれだけは否定できない。働き方とかは指導できても宗教だけは指導しちゃまずいので。そこは日本にいてまずないが、海外行くと非常に感じる。マレーシアなんか、ヒンズーとモスリムとチャイニーズとジャパニーズで混じっているので、うちは飲みに行けない。飯を食べに行っても豚と牛は食べられないので、チキンと酒無しみたいになってくる。どうしたらいいだろうみたいな。

渡辺:わかる。それから布教活動まではいかないまでも、すごく熱心な信徒とかクリスチャンの社員がいて、その人は雰囲気を読まずにひたすら布教というか。何かあるとそういう時には「クライストが〜」みたいなことを言い出して、どうしていいかわからない。僕もバックグラウンドがないので茶化すのもアレだし。あとスコットランド出身の人が、「社員の中で僕の訛りを馬鹿にする人がいる」と。「朝、訛りを馬鹿にしないように社員に通知をしてくれ」というのが来て、心情としてはすごくしたいものの、何をどう書いていいか全くわからない。いちいち大冒険という感じ。

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