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希望みたいなものは見失っちゃいけない 「NO LIMIT 〜最高峰に挑戦する人たちへ〜」後編

投稿日:2014/05/28更新日:2021/11/29

「お前を信じている」と言った父親のために生きて帰ろうと思った(栗城)

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為末:ではフロアからも質問やご意見を募っていこう。(46:20)

会場A:いろいろなチャレンジのなかで、特に「こういうリスクを取った」という経験があれば、そこから何を学んだことも含めてお伺いしたい。(46:30)

栗城:16回ほど行ってきた海外遠征のなかで「どの山が一番きつかった?」と聞かれたら、僕は大学3年のときに初めて登った北米最高峰のマッキンリーを挙げる。標高自体はエベレスト等と比べて相当低いけれど、僕としては一番苦しかった。何故なら相手が山でなく人だったから。当時、「一人で行く」と言ったら先輩や友達を含め、周囲の全員に反対された。「それもそうだな」と思う。海外初遠征で単独でマッキンリー。言葉としては格好良いけれど、実態は初の海外旅行だから(会場笑)。それまでは海外へ行ったこともなかった。当然、リスクが高い。だから皆に反対された。僕にとってはそれが一番きつかった。どんなチャレンジでも、誰か応援してくれる人がいれば意外と頑張ることができる。誰も応援してくれない挑戦は本当に孤独だ。(46:54)

それでも行くことができたのは何故か。これは今でも自分の支えになっているけれど、出発直前に父親から電話が掛かってきたから。出発一カ月前に初めて「マッキンリーに登りたい」と伝えたとき、父親は反対も賛成もせず、ただ「うーん」と言っているだけだった。今考えると、マッキンリーのことをよく知らなかったのだと思う。ただ、父親は出発の日、空港にいた僕に電話をかけてきた。僕はそこで「そんなことは止めなさい」と言われたら止めようと思っていた。でも、そのときに父親は一言、「お前を信じているから」と言ってくれた。すごく嬉しかった。他の全員に反対されても、一人に「信じている」と言って貰えたらそれが支えになる。だから絶対に登り、父親のために生きて帰ろうと思った。今でも父親は僕を信じてくれているし、だからこそ、今もこうして頑張ることができている。そう考えると、自分が何かを頑張って云々というより、周りの人がどういう言葉を掛けてもらえるかによって変わるのかなと思う。(48:02)

死んでもいいと思った銅メダルを獲ったら頑張ることができなくなった(為末)

会場B:登山というのは登頂したのち、無事に下山して初めて成功と言えるのだと思う。ただ、登頂という一つの大きな目的で力を使った後だけに、下山は大変危険になると感じる。短い時間のなかで登頂と下山という二つの目的を達成しなければいけない状況下、どのように気持ちをコントロールするのか。(49:23)

栗城:統計によれば、エベレストにおける事故の7割が下山中に起きている。目標に向かって頑張って、いざそれを達成したあと、やはり燃え尽き症候群のような状態になるのだと思う。その目標が大きいほど燃え尽きる振れ幅も大きくなる。特に登山では精神が落ち込むと肉体も落ち込んで、それが事故に直結するということは昔からよく言われている。僕はその辺に関して、先輩に「次に登る山のために生きて帰って来い」と、よく言われていた。だから僕はいつも目標を二つほど設定して、「この山を終えたら次はこの山だ」という勢いで行っている。そうすると、比較的帰りやすくなると感じる。「この登頂が人生のピークなんだ」なんて決めてしまうのは危険だ。その意味では、三浦雄一郎さんなんて本当にすごいと思う。(50:34)

為末:その辺は我々の世界ともかなり近い。その先にある別の山頂も考えながらの登山と、「この山頂しかない」と考えながらの登山では、多分、後者のほうが現在の山頂に対するフォーカスは強まり、力も出ると。燃え尽き症候群になってしまうという問題点と、そこに向かって徹底的に突っ走るという課題は、常にセットだ。僕自身がそうだった。「日本人が獲ったことのない銅メダルが欲しい。それさえ獲れたら死んでもいい」と思った僕は限界に挑戦して、23歳ぐらいのときに銅メダルを獲得した。で、そのあと1週間ほどはフィーバーということで良かったけれど、そのあと「はっ」と気付いた。「このあと、なんのために生きていけば?」と。それで頑張ることができなくなった。銅メダルに懸け過ぎていたから。ただ、「それに懸け過ぎるほどだったからメダルを獲ることができたのでは?」とも思う。(51:51)

結局そのあとは自分の競技力が落ちて社会からの期待値も下がった。そのときに強く感じたことがある。自分が「このぐらいできる」という状態で、しかも社会は「そんなの無理だ」という状態だと、そのときに僕はモチベーションが湧くタイプだった。「皆をびっくりさせてやろう」と。でもメダルを獲ったあとはイメージが逆転してしまった。皆が「金メダル、獲れるよ」と言ってくる。それで僕のほうは「絶対に無理だ」と(笑)。こういうときは頑張れない。宿題をやろうと思っているときに「やりなさい」と言われてしまった心境と言えばいいのか。とにかく、社会の期待値とモチベーションの関係という点で当時は悩んでいた。ここもバランスだと思う。本気でやりきって、たとえばすべての8000m峰を登頂したあと、すぐ次に向かうことができるのか。それは分からない。ただ、モチベーションも揺らぐときはあるし、やはり人生のどこかで休暇があってもいいと思う。長期的な戦いを続けるのならそれも重要ではないか。(53:20)

栗城:ハイテンションを維持したまま目標に向かって頑張り続けるのは難しいと思う。僕にも苦い体験がある。2012年にシシャパンマで滑落したときは前兆があった。実は落ちる前、ベースキャンプを出た瞬間に初めて足を挫いた。そこからして、もうおかしい。しかも、その一カ月前から不眠症にもなっていて、知り合いの先生に相談してみると、「それ、うつ病だよ」と言われていた。結局、ずっと頑張り続けようとしてもどこかで限界が来るのだと思う。そのバランスがすごく大切だと思う。(54:40)

また、為末さんのお話を伺っていて思ったことがある。「アスリートや冒険家の役割って何だろう」と。たとえば、誰かに「お前には無理だよ」と言われていたことができたとしたら、その瞬間、彼らの心のスイッチを入れることができると思う。その意味でも、皆に期待されないほうがモチベーションも上がるというのはすごく分かる。逆に「栗城君なら絶対にできるよ」なんて言われると、「じゃあ…、ちょっと違うチャレンジをしたいな」と思ったりするものなのかなと思った。(55:23)

もう逃げられない修羅場に耐える体験も大切(為末)

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会場C:若い方々にセルフマネジメントでなく他者マネジメントということで、「もう一つ上の目標」を持ってもらうためにはどうすれば良いだろう。たとえば19〜20歳の人達に、「最終的にはオリンピックに出場する」という目標を、自分のなかで納得したうえで掲げてもらうために、どういったコミュニケーションが必要になるとお考えだろうか。(56:04)

為末:ご質問に関連して、ぜひ聞きたいと思っていた大きなテーマがあった。限界に挑むことのできる人間は、そもそも限界に挑みたい人間だ。では、何故限界に挑みたいと考える人間が育つのか。これが最大の要点ではないか。「どうすれば限界を〜」といった話をしてみても、そもそも限界に挑みたくない人には届かない。最後の最後は苦しい世界だから。その点に関して言うと、個人的には先天性だと思っていて、最初から選んでしまったほうが良いとも思う。ただ、後天的に得ることができるものもあると考えると、大事なのはやはり小さな成功体験を積み上げることではないか。「やってみて、それなりに変わることができた」という成功体験の繰り返しによって、少しずつスパイラル状に成長していく。それともう一つが修羅場体験だ。「もう無理だ」と思う状況を一度でも良いから体験しておく。そして逃げられない状況でも耐え、自分で、あるいは仲間と一緒にもうひと踏ん張りする体験が大切になると思う。(57:20)

さらに言えば、そうした忍耐にも二つあると思う。一つは、「今までやってきたものに耐える」という忍耐。そしてもう一つが、「何かしたいことがあったから、そのなかで起きる困難に耐える」という忍耐だ。その場に立ち止まり続ける忍耐と、前へ進むことで壁にぶつかったときに踏ん張りきる忍耐。この二つはまったく質が違う。後者を乗り越えたときは大きな自信になるけれど、前者を繰り返しているとひたすらその場に立ち止まる人間になってしまう気がする。日本の教育は比較的前者の側面が強いのではないかなと思うけれど、とにかく、何かしら前に進みたいものを持つことが大切だと思う。また、前に進むうえで必ず足を踏み入れる修羅場でも踏ん張りきる経験を持つこと。答えになっているかどうか分からないが、そのあたりが重要だと感じる。(58:48)

栗城:登山でもいきなりエベレストは難しい。僕がどうやってそこまで辿り着いたかと言えば、やはり目の前にある国内の小さな山を先輩と登っていって、それがだんだん大きくなっていったから。その意味でも目標をきちんと持つことは大切だと思う。それともう一つ。僕がすごく有り難いと感じているのは、目標を持って頑張っている父親のような人達が身近にいたことだ。父親は今金町という小さな町で眼鏡屋を経営していたけれど、本人は「それは副業。本業は町づくり」と言っていた。今金町は元々温泉のない町だった。ただ、1カ所だけ雪が溶けるところがある。それで父親は、「もしかしてここに温泉が?」と考えた。僕が小学校3年生のときだ。で、ある日の日曜日、父親はいきなり穴を掘り始めた。それで皆もいろいろとテレホンカードをつくったりしてお金を集め、ボーリングを行った。すると3年後、本当に温泉が出てきた。町の人は皆否定していたけれど、子供の頃にそうやって、「あ、夢は実現するんだ」ということを見ていたことは大きかったと思う。そういう大人が増えていけば子供達も変わると思う。(59:47)

自分と向き合うという作業は、生活すべてのことではないか(栗城)

会場D:いろいろな壁を乗り越えていくうえで、思い込んでいる状態から一度離れてみたり、自身のメンタリティをコントロールするために自分と対話といった作業も大事だと思う。お二方はどういったタイミングで、もしくはどういう方法で自身との対話を行っていくのだろう。それともう一つ。結果を出すためには、ときには今まで学んできた型を否定する、あるいは少し変えてみるといったことも必要になると思う。この辺のタイミングや方法論についてもお聞きしたい。(01:01:38)

為末:自分と向き合うために一番大事なものは暇ではないかと思う。つまり、一人になること。他者とコミュニケーションを取ることができない状況になれば、いろいろなものが見えてくる。僕の場合、英語がまったく分からない状態のまま一人でアメリカへ行った3カ月間が、自分との対話期間になった。そのとき、たまたま僕の父親が食道がんで半年後に亡くなってしまうのだけれど、その出来事と向き合い、「人が死ぬってどういうことなんだ?」、「何故、人は死ぬのに生きるのか」といったことを考えた。もっと言うと、僕らは人生が終わるもっと前に競技人生が終わる。「じゃあ、残り数年の競技人生、僕は一体何をするために生きるのか」と。そういうことをすごく考えた。そんな風にして、人生のなかで起きたことのなかにヒントがあると考え、それらを整理しながら答えを見つけ出すには孤独が一番重要ではないかと思う。(01:02:39)

それともう一つの「型を破る」というのは、これも難しいと思うけれど、まさに守破離のような世界だと思う。何かを習得し、それが無意識にできるようになってしまったものをどのように意識して、疑い、そして変化させるか。簡単に乗ることができる自転車の乗り方を疑えと言われても、実際は難しい。ただ、一番良いのは鏡の存在だと思う。ここで言う鏡とは、アスリートであれば身体の動きになるから実際の鏡でもあるし、誰かから見た評価のことでもある。とにかく何かと照らし合わせないと自分自身がどういった型で生きているのかは分からないと思う。(01:03:57)

栗城:僕は基本的に、一人で荷物を担いでベースキャンプを発ち、一人で登る。だからテントで過ごす一人の時間も長い。そのときにどんな心境かというと、実際のところ、苦しい。ただ、苦しさを含めたいろいろな感情のなかで自分自身と向き合っている面はあると思う。ただ、一人で向き合うことだけが自分と向き合うことではないとも思う。自分と向き合うという作業は、生活すべてのことではないか。人と関わり、人に教えてもらうことで初めて分かることも多い。だからいろいろな人と関わることも大切だ。それと型の話について言うと、登山でも初めのうちは型がある。ただ、無理をして「これを変えよう」というのはまったくない。この山をこのスタイルで登るため、「じゃあこういうことをテストしよう」と。目標に合わせてやり方もすべて変わると思う。(01:04:49)

誰も挑戦したことのない世界にリスクを取って向かうことは人類の本能(栗城)

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会場E:長期的なモチベーションとは別に、瞬間瞬間に奮起するというテンションも大事だと思う。実際、お二人とも0コンマ数秒の差で転んでしまうことがあるかもしれないし、命を落としてしまうことがあるかもしれない。ただ、誰にでもしんどい時期はあると思う。そんなときでも、「今この瞬間がチャンスなんだ」という判断をするためのテンションを、どうすれば上げることができるとお考えだろう。(01:06:11)

栗城:もう単純で、TRFを聴く(会場笑)。それで一気にテンションを上げる。最近はPerfumeも聴きます(笑)。やっぱり音楽の力は大きい。音楽を聴いてリラックスして、それでテンションを上げていくということはしている。(01:06:59)

為末:22歳でオリンピックに出場したとき、僕は9台目のハードルで転んでしまい予選落ちになった。それでいろいろと考えて、「自分には海外経験が足りない」と思ったのだけれど、陸上にはセリエAもMLBもないからどうやって行けばいいのか分からない。それで日本に来ていた海外エージェントに自分の電話番号やアドレスを渡してみた。「もしかしたら連絡が来るかな」と。それから一カ月ほど経ったある日、練習に向かっているときに電話がかかってきて英語で何かをまくし立てられた。よく聞いてみると、「3日後にイタリアでレースがある。来れるか?」という話だった。もう、その場ですぐに、その人が本物のエージェントかどうかもよく分からないのに(会場笑)、「行っちゃえ」と決めて、OKの返事をした。それで電話を切って、その20時間後ぐらいには飛行機に乗っていた。それで実際に試合出場が叶って、4試合を転戦して世界ランキングが20位から4位になった。銅メダルを獲ったのはその年だ。(01:08:02)

その日が僕の人生を変えた瞬間だと思う。ただ、その時間は2秒もなかった。その瞬間に「行く」と言えるかどうか。渡る前の世界ランキングは20位だったわけで、あちらとすれば他にも選手はいたと思う。たまたまかもしれないし、僕に電話した理由は分からない。ただ、人生ではそんなことがある。そんな勝負所で、躊躇しない自分でいることができるのかどうか。その意味で言うと、当時の僕は「やってやる」という野心を持っていたし、方向性も見えていた。その辺が大事になるのかなと思う。(01:09:15)

さて、登山家の方がせっかくいらしているので、最後に「何故山に登るのか」も聞いてみよう。あと、先ほど少し触れたことについても改めて伺いたい。方法論の話は数多くあるけれど、そもそも人間が「自身の能力を最大限に開花させたい」と思う心をどのように育んだら良いのか。難しい質問だが。(01:10:00)

栗城:本当に難しい。ただ、猿から進化してきた人間は歴史のなかで常にフロンティアを求めていたと思う。だから今、我々の文明もある。会場にはベンチャー企業の社長さんが多いと思うけれど、ベンチャーもアドベンチャーも一緒だ。誰も挑戦したことのない世界にリスクを取って向かっていくという点では登山もベンチャー経営も同じだと思うし、そういう精神がさまざまな文化をつくり、人類を発展させていくということだと思う。だから、これは本能なのかなとも思う。もしその機能がなければ、我々は多分ここにも存在していないと思う。山登りは一見すると、無駄なことのように見えると思う。けれども、実はそれが巡り巡って誰かの心に、そして人間の本能的なものにスイッチを入れることはあると思う。だからこそ、いろいろな人に応援してもらいながらここまで続けることができているのだと感じる。(01:10:49)

為末:もしニートだった頃の自分に幸か不幸か失恋の経験がなく、そのままずるずる日々を過ごしてしまっているとしたら、当時の自分に何を伝え、何を体験させたいと考えるだろう。転機となるような経験をしても目覚めない人は結構いると思うけれど、そういう人達が目覚めたら、それは国の力という意味でもすごく大きなものになると感じる。そういう人達に何を伝えるか。頬を“ぱちん”でもいいと思うが(笑)。(01:11:58)

栗城:僕自身はニートをやっていたときも何かのエネルギーを溜めていた。今ニートと言われている人達も同じだと思う。だからこそ、そういう人達だけで会社を立ちあげたり、「ニコニコ生放送」でいろいろと配信をしたりしているのだと思う。僕は17歳のときに母を病気で亡くしたとき、「生きよう」と、強く思った。何かの目標を持って、なんだか分からないけれども「生きよう」と。その先でニートになったりした訳で、しばらくは真逆の方向に進んでいたけれども、その期間に自分のなかでエネルギーは溜まっていたと思う。だからそれ自体は悪いことではないし、いつか開花する瞬間もあるのではないか。だから、当時の自分には「希望みたいなものは見失っちゃいけない」と伝えたい。溜まったエネルギーが変なところへ流れると犯罪になってしまったりすると思うけれど、常に明るい道というか、希望みたいなものは心の奥底に、たとえなんだか分からなくても持っていて欲しい。僕自身もそうだった。なんだか分からないけれど、希望みたいなものがあった。それに最後は山というものが火を付けたのだと思っている。(01:12:31)

いろいろな“生きている”があるけれど、あれほど“生きていた”ことはない(為末)

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為末:400mハードルでトラックを周っているときに感じることがある。無酸素運動を30数秒続け、どんどん苦しくなって、頭が真っ白になって、それでも最後まで走ろうというときは、「よりによってなんでこんな競技を選んじゃったんだろう」と思う。ただ、そのときに思い切り走って、それで“はまる”ときは、なにかこう、自分の身体が大声で叫んでいるような感じがする。それで、「もう、どうとでもなれ」なんて思いながら、最後にゴールをしてぱたんと倒れこむわけだ。引退した今、僕は、「世の中にいろいろな“生きている”というものはあるけれど、あれほど“生きていた”ことはないな」と思う。引退後の世界でそういうものをなかなか見つけられないのは寂しい。けれども、とにかく、ある意味で死や限界に近い世界では、「どう生きたいか」とか、「どのくらい生きたいか」とか、そういう生命力の話になるような気がする。(01:13:59)

栗城:僕の場合も酸素ボンベを使ったりすることで今よりも安全に登ることのできる方法はある。じゃあ、何故それをやらないのか。死やリスクといったものを楽しんでいるわけではない。ただ、そういうことを意識することで逆に生きようとする力が湧いてくるからだ。現代社会ではいろいろなものが便利になり過ぎてしまって、生きようとする力が失われている部分もあると思う。だからニートの方々や、やる気を失っているといった方々は、皆でヒマラヤに行けば変わることができるかもしれない(笑)。(01:15:11)

為末:一億総ヒマラヤ登山が日本を元気にするということで(笑)。では、少し延びたが本セッションを締めたい。ありがとうございました(会場拍手)。(01:15:53)

※前編はこちら

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