かものはしプロジェクト 村田早耶香代表 −想いをかたちにする力(対談) 

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留学生に囲まれた少女時代がアジアの問題を“自分事”にできる心を育んでくれた

2327 1 村田 早耶香氏

村尾:村田さん、本日は素晴らしいお話を本当にありがとうございました。ここからの時間は、私のほうから現在の事業に関するご質問をいくつかさせていただきたいと思います。また、村田さんの人間像にもご興味を持たれた方はかなりいらっしゃると思います。ですので、村田さんがこれまで歩んでこられた道のりに関して、皆さまにお話しいただけるような部分があればそちらも併せて伺っていきたいと思っています。

まずカンボジアについてですが、プロジェクトをスタートさせた当時、カンボジアの一般国民の方々はこの問題をどのように捉えていらしたのでしょうか。

村田:当時、カンボジアの人々に聞いてみると、「すごく憤りを感じるけれども自分には解決出来ない。どうにも出来ないんだ」といったことを話す方が過半でした。国全体の状況としても内戦をずっと続けていましたし、1997年には市街戦が起きてしまうような、かなり不安定な状態でした。ですから「自分が動いたところで何も変わらないじゃないか」と感じている人が多かったと思います。そんな状況下で活動をはじめた訳ですが、現在は警視総監や若手の方々が動きやすい状況になっていて、国が変わってきた印象がありますね。

村尾:貧困に関して言えば、やはり人というのは自分に余裕があってはじめて他人に思いやりを持つことが出来るような部分もありますよね。恐らく多くの方が自分のことで本当に精一杯であったと思いますし、それはそれで、ある意味では仕方がなかったのかなと感じます。一方でカンボジアにおける母親の就業支援ということで、社会的には「母が支えている」というイメージを今日は持ったのですが、男性、つまりお父さんはどうしているのでしょうか。

村田:私もそれはすごく疑問に思っていたので実際に調べてみたことがあります。すると、私たちの工房に来ている家庭では、農地がないために働きに出るのはまずだいたいお父さんなんですね。ただ、都会へ出て仕事をはじめたお父さんがその先で他に家庭をつくってしまい、そのまま帰ってこないですとか、行方不明になってしまうとか、そういったケースが多く見られました。あるいはお父さんが買春宿に行ってエイズのウィルスを持ってきてしまい、それをお母さんに感染させてしまうというケース。それで両親が亡くなってしまい、祖父母と孫たち、もしくは祖母と孫たちだけになっている世帯もあります。そういった世帯のおばあちゃんやお母さん、あるいはお姉さんが私たちの工房には働きに来ているんですね。

村尾:そういう構造があるとなかなか簡単にいかないというか…、地域によっては父親が出稼ぎに行ったあと、問題が出てくる場合もあるということですね。ただ、そういった状況下でもかものはしさんは現地の警察も巻き込みつつ非常に上手く事業モデルを構築されていると感じます。普通に考えますと日本から行って警察を動かすというような発想はなかなか出てこないと思うのですが、それを実現させているというのが本当にすごいなと。その辺でどのようなプロセスがあったのかという点についてもう若干お聞ききしてみたいのですが、いかがでしょうか。

村田:はい。「可能であれば加害者を減らすための取り締まりが出来たらいいな」というのは、カンボジアに入った当初から抱いていた思いだったんですね。需要と供給で考えたら、需要を減らすほうが明らかに早く問題解決にも繋がりますから。ただ、いち大学生やいち学生団体がいきなりひとつの国で法律制定や法執行に関わるというのは、現実的にはかなり難しかった訳です。ですからまずは供給を減らすための経済的サポートからはじめようと考えました。それで実績が出来たら改めて話をしていこうということで、私たちとしてはずっと我慢していたという状況です。

ただ、そのあいだも子どもを買った人の話をたくさん聞いたりして憤りを感じていましたから、いつかは法執行のセクターにも関わりたいと思い続けていました。それで色々な団体さんと情報交換をしていたのですが、あるときユニセフさんと話をしていたら、「かものはしもここまでやってきんたから一緒にやらないか」と声をかけていただいたんですね。それで途中から入っていったという流れです。すごく良いパートナーに恵まれていたなかで、私たちとしても懸命にサポートしていくうち、一気に問題解決が進んだという印象でした。

村尾:今日はそういった「想いをかたちにする力」というタイトルにもなっています。今日のお話を伺っていると、とにかく村田さんの想いというものが最初にあって、それを元に出来る限りのことをやってきたという感じがします。で、なおかつそれでもまだ解決出来ていない部分があって、それが現在に繋がっているというところですよね。

それほどの強い想いというのはどこから来ているのでしょうか。売られていく子どもを見れば誰でも、「ああ、可哀想だ」「なんとかしたい」「私に出来ることはないかな」、といった気持ちを抱くとは思うんですね。ただ、それを出発点にしながら本当にカンボジアへ行って活動し、「絶対に解決するんだ」という強い思いを持ち続けるられるかどうかというと、なかなか出来ない人が多いと思うんですね。ですので、そういった行動力や強い想いに繋がる原体験のようなものがあればぜひお伺いしたいと思っています。たとえば子どもの頃の環境ですとか、何か現在の想いに繋がる要素はおありなのでしょうか。

村田:そうですね…、恐らくこれが関係するかなと思うのですが、家には私が13歳ぐらいの頃から、いつもアジアの留学生がホームステイで暮らしていたんですね。それで毎年、タイやマレーシアの子と友達になっていました。それで感覚的にも中学生ぐらいから、日本人とアジアの人とのあいだにあまり国境を感じないような生活をしていました。たとえば音楽ヒットチャートひとつにしても、アジア全体のチャートのほうが先に入ってくるような環境だったんです。ですから私としては、タイの人やカンボジアの人が困っているのは日本の人が困っているのとそれほど変わらなかったという感覚があります。

同じ国の人が買春宿で殴られながら6歳でお客さんをとらされていると思ったら…、日本でもしそういった事件が起こっていたら恐らく皆さまも放っておかないと思うんですね。でも、それが会ったことのない遠い国で生きる人々の状況となると、恐らくは気持ちのうえでも少し距離が出来てしまうのかなと思います。そこで実際にその人たちと話をしたり会ったりして、「自分の国の人だ」と思うようになればやはり放っておけないと思いますし、私としては本当に酷い問題だと感じていました。もちろん私自身が女性ということもありますし、こういった子どもが売られる問題がどれほど深く女の子を傷つけるものなのかはなんとなく分かります。また、私よりもはるかに小さな子どもたちが傷つけられているということも本当に許せないと考えていたので、そういった想いが一体になって行動に繋がっているという感じですね。

村尾:他人事ではなく“自分事”になっているというか…、カンボジアという国のことを遠いと言えば遠いという風に一般的には感じると思うのですが、村田さんにとっては自分の周囲で起こっている問題であったということですね。「自分が解決する」という主体性を持って取り組んでいらっしゃるのだなと、改めて感じました。

で、そのなかで一緒に進んでいく二人の仲間と出会い、現在は三人で非常に上手く、互いの強みを生かしながら活動していらっしゃるという感じが致します。きっとそのお二人も村田さんの想いに巻き込まれたのかなと思うのですが、ご自身ではリーダーシップについて悩まれたこともあるというお話を今日は伺いました。その辺も振り返っていただきつつ、村田さんとしてリーダーシップというものの本質をどのように捉えていらっしゃるのかもお聞かせいただけますか。

村田:そうですね…、まだ私自身が模索をしながらやっている状態なので「これだ」という風に上手く表現出来ないのですが、ひとつはコミットメントなのかなと思っています。自分たちの団体が持つミッションに対するコミットメント。自分が使命に対して強い思いを持ち、「私はここまでやりきるんだ」という強いコミットメントを持っていないとやはり皆も協力してくれないのかなと思います。

団体をつくって大学を卒業する際も、ものすごく大きなリスクはありました。失敗したらあとがないという状況にしてしまっていたので、「失敗したときに自分はなんとか出来ても、もし仲間を道連れにしてしまったら」という怖さを感じていたんですね。で、そんな状態でも何かを説得するというのであれば、まずは「自分はこれだけ強く思っている。だから一緒にやろう」というコミットメントが必要になると思うんです。ですから自分たちがやろうと思っていることに対して自分たち自身がどれだけ本気でいるかということを見せることも、私としては重要だと感じています。

「何が解決の近道か」を意思決定の基準にする団体を仲間とともに作ってきた

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村尾:経営学の教科書的に言えば、「リーダーはビジョンを描くものだ」という話がやはり出てくる訳ですが、その一方でフォロワー、つまりリーダーに付いていく人が出てはじめてリーダーはリーダー足り得るという考え方もありますよね。「私がリーダーだ」というポジションありきのリーダーではなく、純粋にその人の想いに共感した人がついていくという。そういう意味でも本当のリーダーシップというか、想いそのものが村田さんにはまずあって、それに皆が巻き込まれながら進んでいらっしゃるのかなと感じましたし、その辺がすごく本質的だなという印象も受けました。

ただ、とは言っても色々とチャレンジはあったと思います。先ほどは団体分裂の危機といったお話もありましたが、これまで「一番しんどかったなあ」というか、チャレンジであったことが何かあればお聞かせいただけないでしょうか。

村田:色々あるのですが、一番のチャレンジはやはり団体が分裂するかどうかという際の、「ミッションをとるか、それとも事業モデルをとるか」という部分でした。社会起業家と呼ばれている人たちは大きく見ると2つのパターンに分類されるかなと、私としては勝手に思っているんですね。まずひとつは手法を大事にしている団体。たとえば「これを使って世の中を変える」というパターンですね。そしてもうひとつが、「まずミッションがあり、それに対応して事業を柔軟に変えていく」という団体です。私はどちらも正解だと思っています。ただ、私たちとしてはどうしても子どもが売られるという問題を解決したいという思いが強くありましたから、結局はそのミッションに合う手法を柔軟に選んで進めていったという感じになります。

村尾:一般的に株式会社というのは永遠に継続することが前提で、成長し続けるということを目標にしていますよね。それに対してNPO、特に社会問題を解決していこうという団体は、解決自体が目標になる訳です。となると、かものはしさんがプロジェクトという言葉をつけた通り「早く解決したい」と思うのは、「自分たちの存在自体を消したい」と思うのと同義ですよね。消滅に向かって進んでいくというのは、そういったセクターが持つ特徴のひとつでもあるのかなと感じます。

ですからカンボジアで問題が少し小さくなったら今度は大きなところへ行くという風に、順番に世界をまわり、早くその問題が無くして消えたいというような部分もあるのかなと。ちなみにカンボジアからインドへ活動場所を変えていくにあたり、どの部分で「カンボジアはそこそこになったから次はここに行こう」といったご判断をされたのでしょうか。これからもそういった展開はあると思うのですが、その辺の判断基準をお持ちであればお伺いしたいのですが。

村田:どこまでやるかというのは難しい判断で、私たちも今ちょうど話し合っているところです。実際、「ここまでやったらカンボジアは終わり」という明確な基準をつくることはまだ出来ていません。ただ、カンボジアのなかで被害者がかなり出にくい状態になっているという背景はあります。警察がきちんと加害者を捕まえていて、そして買春宿に行っても子どもが出てこないという状態になったときが、私たちとして「カンボジアでは終わったかな」と考える基準になると思っています。

村尾:ありがとうございます。村田さんご自身についてもう若干お聞かせいただきたいと思っているのですが、村田さんは学生時代からこの問題に取り組みはじめて、それが現在でも続いている訳です。ただ、自身のキャリアというものについて考えたとき、何らかのお金あるいは給料を稼いで生きていくという選択肢もあったと思うのですが、結局は「まずこの問題をなんとかしていきたい」という方向に突き進まれた訳ですよね。「その過程で不安はなかったかな」といいますか、ご自身の社会的キャリアについてお考えになったことはなかったのでしょうか。

村田:ありましたね。特に大学を卒業するときは、本当に今これをやっていくべきなのか、それとも一度修行してからやるべきなのかで悩みました。こういった団体を立ちあげる人々の多くが、同じようなことで悩んだ経験を持っていると思います。もちろん私も悩みました。日本は一度失敗して中途採用になると途端にハードルが高くなってしまう社会ですし、「卒業後は一度就職してお金を貯めつつ、3年ぐらい修行をしてから団体をつくろうか」ですとか、そんなことも考えていましたから。

ただ、私の場合はその頃すでに団体を立ちあげてしまっていたし、1年かけてようやく自分にぴったり合う仲間とも出会えていたんですね。戦略を考えたり組織をつくったりという、私が最も苦手としていた部分を彼らが持っていました。ですから当時は、「自分よりはるかに優秀な彼らがやってくれるという、こんなチャンスはもうないんじゃないか」とも、正直思ってしまっていました。

私がひとりで1年かけて進んできた道を、彼らは1カ月で追いついてきたんです。それに、たとえば私が子どもが売られる問題の酷い事例が掲載された文献を泣きながら読んでいるその横で、彼らはばさばさと左脳で物事を処理していくんです。私はいちいち感情移入して、「ああ…、こんな叩かれて可哀想」なんていう感じで読んでしまうのですが、彼らは「はい、こういうケースが1件。で…、はい、次はこういうケースが1件」みたいな感じで(笑)。とにかく自分とまったく違っていました。そのうえ私が持っていない部分を持っているし、本当に優秀だった訳です。ですから「たとえば20年のキャリアを積んでからこの人たちを見つけられるか」というと、もう見つけられないかもしれないと思ってしまったという部分もあります。

 

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また、それだけではなく、彼らはミッションに対して本当に有意義なことしかやらない人たちだったんです。一緒にやってきたなかで本当にたくさんピンチがありました。今であればもう一度同じピンチが来たのであれば乗り越えられるとは思うのですが、当時20〜21歳だった自分たちにとってはすごく高いハードルがたくさんあった訳ですね。

たとえば21歳のときに、一度、ITの仕事で大きな失敗をして借金を最大1000万円ほど背負いそうになったことがありました。しかしそのときも彼らは最後まで絶対に諦めず、責任を持って仕事を進めてくれました。もちろん途中で離れたしまった仲間もいるのですが、二人はどんなにきつい状況でも最後までやり切る人たちなんだということがよく分かりました。メンバーによっては約1カ月も家に帰らず睡眠時間も削り、最後はその案件を納品したんですね。それでお金が入った訳でもないのですが、誰も文句は言いませんでした。

それで弁護士の方のところへ行って、「もしこういう状況になったらどうでしょうか」という相談をしたのですが、彼らは「大丈夫だよ。本当に心配すんな。俺がなんとかするから。もし失敗したとしても俺が働いて絶対に返すからお前は心配するな」と言ってくれたりしていました。家に1カ月帰ることが出来なかったのは青木(健太)という現在カンボジアに住んでいる共同創業者です。彼は当時すごくきつかった筈なのに、終わったあとは「あー、今回は一番成長出来た」と言っていました。そんな風に、とにかくどんな状況になっても最後までやりきるし、前を向くことしかしない人たちなんだということが今では分かっています。

彼らは先ほどお話しした団体分裂の危機にあっても同じように振る舞っていました。現地から帰ってきたメンバーも含めて話し合いをしていたとき、駐在メンバーから私に対する批判がたくさん出たきたんですね。で、そのときも二人はきちんと全員が前を向けるような状態に持っていってくれました。とにかく前向きなことしか絶対にしないという人たちなんです。ですから、「この人たちと出来るのであればチャレンジしても良いのではないかな」と思えた部分があります。

村尾:お話を伺っていて、「どんな方なのかな」と。「そのお二人にもお話をお伺いしたいな」なんていうことも思っていたのですが(笑)。恐らくそこにも、ミッションが明確であったために皆がベクトルをずらさず進むことが出来たという背景があったのかなと。そんな風に感じました。ちなみに団体を引っ張っていかれるリーダーとしてのお立場で、村田さんが今大事にしているのはどういった要素になるのでしょうか。もちろんミッションをしっかりとベースにするというのはあると思うのですが、それ以外でもたとえば「これだけは譲れない」ですとか、何か意識されていることがあればぜひお聞かせいただきたいと思っています。

村田:そうですね…、団体として今後どうしていくかという話し合いをしているときに皆が重視しているのは、客観的に見てどれが最も早く問題解決に繋がるのかという部分なんですね。たとえば「こうしたほうがもっと多くの資金を現地へ送ることが出来るのではないか」ですとか、「こうしたほうがもっと効率的に資金を送ることが出来るのではないか」といった意見が出ていても、それが本当に一番早い問題解決法になるのかということを、やはり誰かが言いはじめるんです。それで実際のところ、その問題解決に一番早く到達することが皆の合意になっていきます。ですから誰かがすごく大きな権限を持っているのではなく、「これが一番早く問題解決に繋がるよね」と誰もが考えられるものが最終的に選ばれていく。そんな組織であることを重視しています。

村尾:ありがとうございます。ではあとひとつ質問をさせてください。現在、NPO団体はたくさんあって、皆さまがそれぞれに強い思いを持って頑張っていらっしゃると思います。ただ、リソースの獲得という点でなかなか難しい面はありますよね。カンボジアの子どもたちからお金は貰えませんし、運営していくうえでの資金不足はどうしても出てきてしまうときがあると思います。そのなかで、特に代表者の方々は、ときに資金集めにかかりきりとなってしまって、日々の仕事が出来なかったりするケースも増えるような気がします。それで「なんのために自分たちはやりたくない事業までやらざるを得ないのか」といった悩みを持ってしまう方は多いと思うんですね。そういった部分で日々意識されていること、努力されていること、あるいは苦労されていることについてもお聞かせいただけますか。

村田:現在4万団体以上あるNPOのなかでも、収入が1億円を超えている団体というのは本当に少ないと思います。うちはなんとか1億円に到達していて、支援いただいているお金も増えてきています。資金集めは本当に重要で、そこは私もかなりやっていますね。おっしゃる通り、本来であれば問題解決に使う筈の時間をすべて資金集めに使ってしまっているときがあります。実際、もう少し現場に時間を使いたいし問題解決について考える時間が欲しいということで、今は団体の体制を少しずつ変えているところです。

村尾:自分のことが出来てはじめて人のこともしっかりと出来るという部分はありますよね。「なんとかしたい」と思いで頑張って支援している側が、自腹を切ったりするばかりでは無理が出てくるというか、なかなか継続的なプロジェクトも難しくなるような気がします。

その辺に関して言いますと、日本はその辺の仕組みがなかなか整っていませんし、寄付をする文化も浸透していなかったりしますよね。ですからそれは日本全体の課題でもあると感じます。いずれにせよ、かものはしさんのようなNPOが大きく育っていくと、自分たちの思いを元に、自分たちを自分たちで支援しながら、自分たちが理想とする社会をつくっていくという流れにも繋がっていくと思います。ですから、ぜひそういった仕組みづくりに関しても…、これは政府に言うべきことかもしれませんが(笑)、進められたらいいなと感じました。

さて、ではこの辺で会場の皆さまからもご質問を募りたいと思います。ご質問のある方は挙手いただけますでしょうか。

格好悪くてもいいから皆の努力を形にするため幾度でもシュートを打つ自分に

会場:本日はありがとうございました。大変興味深く拝聴しました。私もNPO法人を運営しているのですが、今日は二つほど質問をさせていただきたいと思っております。まず、これまで10年間活動を続けてこられた今のご自身と、2002年に立ちあげたときのご自身を比べますとどのような変化があったとお考えでしょうか。あるいは活動のなかで変化を求められてきたことがあったとすれば、それはどのような部分であったのでしょうか。それともう一点。私自身もNPO法人を立ちあげて1年目なのですが、「10年前の自分に今はこう言いたい」ということがもしあれば、ぜひそちらもお聞かせ願えないでしょうか。よろしくお願い致します。

村田:はい。まず「10年前と比べてどう変わったか」ですが、すごく変わったと思っています。一番はマインドの部分ですね。昔は意固地で、なおかつ感情に左右されてブレてしまうところがかなりありました。でも10年間活動してきて分かったことがあって…、たとえば不満に思ったりマイナスに考えたりしていたとき、結局良いことが何もなかったんですね。少人数の団体であればひとりが担当する仕事も大きくなる訳ですから、とにかく前に進むように努力し続け、自分を良い方向に変えていかないと団体としても成長しません。ですから、そのなかで自分自身のマインドや性格もすごく変わったというか、「どんどん自分を良くしていこう」という風に変化していったと思っています。

実際、10年前の自分と今の自分を比べると、人間的にもすごく成長させて貰えたなと思うんですね。昔の私は頑固でしたので、たとえば講演の仕方ひとつとってもまったく抑揚のない喋り方をしていました。それで「もっと感情を込めて喋ってください」とか言われて…、まあ今でも言われるのですが(会場笑)。そのほかにも「滑舌が悪いです」とか「もっとポイントを絞って言ってください」とか、とにかく色々な人がアドバイスをくれていました。ただ、昔の私はそういうときに「でもあなた喋ったことないでしょ?」と考えてしまっていたんです。私は現在、年間100回ほど講演を行なっているのですが、実際のところ、講演でお話をすると次の日は起きあがれないぐらい体力を使うんですね。でも、そういったことも「喋ったことがないと理解して貰えない」と思ってしまっていて、アドバイスを貰っても素直に聞くことの出来ない自分がいました。

でも、そんな風にしていたあるとき、「団体の成長が止まってしまったな」と思うことがあったんですね。支援が上手く集まらず、共感も得られていないと。それで「何が原因なんだろう」と考えていたのですが、あるときプライベートでフットサルをしている最中に気が付きました。少し話が逸れてしまうのですが、私はそのとき、ゴールに一番近いポジションでシュートを蹴るという役割を任されていました。それでそのときに「あ、これは今、自分がかものはしでやらせて貰っているポジションなんだ」と感じました。

講演に関して言えば、かものはしでは現在、インターン生が一件一件電話をかけて講演のアポをとってきてくれています。それをうちのスタッフが具体的なスケジュールにしてくれたり、講演にあたってアドバイスをしてくれたりする訳ですね。そして私のほうは、いかに講演を行ない、いかに日本で仲間を得ていくかという発信の役割を担っていました。そうなると「皆が苦労してボールを繋いでくれたのに、私が最後に下手なシュートで外したらどうなるのかな」と。格好をつけて大きなシュートを打ってそれで入らなかったら、皆の努力が私のせいで無駄になると感じました。

ですからフットサルを何回かやっているうち、「これはもうコケながらでもいいや」と思うようになりました。格好悪くても良いから皆の努力を形にするためのシュートを打つべきだと思って、それからはいつも走り回ってシュートを打つようになりました。で、「かものはしでもこういう風にやらなければいけないんだな」と感じたんですね。役割を果たすためには柔軟になって、皆の意見をきちんと聞いて吸収しないといけない。そうしないと私自身も成長しないし、それが何より、団体の成長を止めている原因なのだということにそのとき気がつきました。私はそれからマインドを変えて、どんな人の意見も一度きちんと聞いてみるということを実践するようになりました。

で、そのときインターンで働いていた大学生の子が私に掛けてくれた言葉がすごく響いたんですね。私はそれまでの講演で「ぜひ会員になってください。お願いします」ということを言っていませんでした。団体の運営を考えると絶対に言わなければいけないことだし、言うべきだと思っていたにも関わらず、です。人に「お金を下さい」とお願いすることに…、もちろん自分に欲しいという意味ではないのですが、抵抗を感じていたためです。でも、「それをきちんと言葉にしてお願いしないと支援は集まらないから、きちんと言ったほうが良いと思います」と言ってくれた子がいました。

ですから、私は1年ほど前からそれをきちんと言葉にして話すようにしてみたのですが、そうすると1回で仲間になってくれる人が一気に増えました。そういうことを経験してみて、「やっぱり活動を進めるためには素直になって、自分自身を変えていかなければいけないな」ということを強く感じました。柔軟であることはとても大事なのだということを、今では改めて認識しています。

そんな風に頑固な自分を変えていったりしながら、とにかく前へ進む。子どもたちが助かるのであれば自分はいくらでも努力するということを、今は自分自身に約束をしている状態です。ですから、足りない部分は本当にまだたくさんあると思いますが、それでも努力を続けて「もっと良くしていこう」と考えるようになったところが10年前とは変わってきているところですね。

そのおかげで今は本当に良いことがたくさん起きています。何より素晴らしい仲間や支援者の方が集まってくれていますし、それこそ努力を続けてきた結果なのかなと思うんですね。その考え方は二つ目のご質問にも繋がると思います。10年前に団体を立ちあげて、そして大学を卒業してカンボジアへ行くかどうかについては私も当時、本当に悩みました。それで色々な方に相談していたのですが、そのなかで今でも私の指標になっているお話を伺えたことがあるんですね。

それはあるITベンチャーで活躍している部長さんのお話だったのですが、その方は大学時代、ボランティア活動に没頭していたと仰っていました。ボランティアばかりしていたせいで1年間留年してしまったほどだそうです。ただ、ちょうどそのときにバブル経済が弾けてしまった。それで「自分は人のために表彰されるほどボランティアをしたせいで、就職が上手く出来ない時期に卒業するはめになってしまった。人のために活動しても結局は自分が損をするだけだった。ボランティアなんてやらないほうが良かった」と感じてしまったそうです。ですからその方は就職が決まってから1年間、自分のためだけに生きようと思って、毎日パチンコや飲み会に明け暮れていたそうです。

で、そんな風に過ごしはじめてから1年が経ってふと気が付いてみると、自分の周囲が、まったく尊敬出来ない人ばかりになってしまっていたそうです。「それ以前は素敵な彼女もいたし、周りの友だちも尊敬出来る人間ばかりだったけれども、自堕落な生活を続けていたら周りも同じような人ばかりになっていた」と、その方は言っていました。そのときになって、「ああ、周りにいる人というのは自分なんだな」と思ったそうです。その方はそこからまた考え方を改めて、再び色々な活動をはじめるようになったと仰っていました。

私のなかでは今でもその考え方がひとつの指標になっているんですね。ですから10年前の自分に何か言えることがあるとしたら、「非常に大変だと思うけれど、努力しながら社会を変えていこうという活動を続けていけばすごく成長出来るし、そのなかで出会う人は貴方にとってすごく重要な人たちになる」という話をしたいですね。実際、10年前の自分と今の自分とを比べてみると、周囲が素晴らしい方ばかりになっているし、その方たちと一緒にいることで刺激を貰えたりするんです。

まず、かものはしの仲間はもちろんですよね。で、ほかにもたとえばフローレンスの駒崎(弘樹)君やHASUNAというジュエリーをつくっている会社の白木夏子さん。リビング・イン・ピースという団体の慎(泰俊)君も同様ですね。金融会社で働きながらパートタイムでNPOをやっていて、児童擁護施設の支援とカンボジアのマイクロ・クレジット支援をしています。そんな、本当に尊敬出来る同世代の友人とも出会えました。応援してくださっている方も尊敬出来る方ばかりなんです。

以前、「自分の周囲で近しいと思う人を10人挙げたとき、それが貴方だ」といったお話をどこかで読んだことがあるのですが、やはりそれだな、と思います。ですから「自分の使命に対してまっすぐに生きることは、貴方自身の人生を豊かにすることでもあるんだよ」ということを、10年前の私には伝えたいと思いますね。

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歯痒さや虚しさ、憤りを、冷静で強固な力に変えていく

会場:今日は本当にありがとうございました。ソーシャルワーカーをしております。私は今年、ひとりでタイへ行って順調に旅をしていたのですが、最後の一夜に酷い思いをしました。現地のホテルで隣の部屋に入っていた日本人の男性たちがタイの女の子を買春していて、声がすべて聞こえてしまっていたんです。そのときはとにかく歯痒くて虚しくて…。村田さんのことは以前から存じあげていましたし、石井光太さんのノンフィクションもたくさん読んできたのですが、まさか自分がそういうことに遭遇するとは思っておらず、そのときは「日本人…、本当にあほらしいわ」と思ってしまいました。もちろん私も同じ日本人ですしアジア人ではあるのですが、村田さんはそういったことについてどのように感じていらっしゃいますか?

村田:私も同じような経験をタイでもカンボジアでもたくさんしています。カンボジアで暮らしていたときのことですが、ある日、仕事でものすごく疲れて日本食レストランに入ったことがあったんですね。で、そのとき店内で聞こえてきた他の日本人男性客の話というのが、「15歳の女の子だった。すごい良かったよ。3000円で買えた」なんていうものだったんです。私はその日、市場で買い物をしていたら散々ふっかけられていていて疲れていたんですね。それで懸命に値段交渉をして、ようやく手に入れた品物とともに「さあ、ご飯を食べて帰ろう」といった感じで入ったレストランで、そんな話が耳に入ってきたりした訳です。

ほかにも、たとえばあるとき訪れたゲストハウスの旅帳に、「○月○日、13歳になるベトナム人の女の子をプノンペンで買った」なんていう話が延々と書いてあるのを見たこともあります。そういう状況をたくさん目にして、正直嫌になってしまったり、「本当にこの状況が変わるのかな」と思うことはたくさんありました。そんな状況のなかで暮らしていかなければいけないことに、たしかに私も歯痒さを感じたりしていました。ただ、その歯痒さを形にしたのが警察支援なんですね。

買春といっても強制の度合いが高いものもあれば自発的なものもありますから、なんとも言えませんし、自発的なものに関しては私たちもタッチはしません。ただ、それしか選ぶことの出来ない人たちにどうにか選択肢を提供したいと、私たちは思っている訳ですよね。ですから今は、「その活動を続けることで状況を変えることが出来ると信じて続けるしかないな」と思っています。とにかく12〜13歳の子を買うのは犯罪ですから、それがきちんと罰せられるようにしたいという思いをずっと抱いていました。それがようやく警察支援という形になった。カンボジアで子どもがもうほとんど売られていないという現在の状況に出来たのは、そのときの歯痒さが形になったものなのかなと思っています。

 

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会場:今日は貴重なお話、ありがとうございました。現在は学生なのですが、私も以前、カンボジアへ行って農村で暮らす貧困層の人々からお話を伺う機会がありました。ただ、話を聞いていくうちに「今、何も出来ていない自分」というものを感じてしまい、「僕が話を聞くことが本当にこの人たちのためになっているのか」という不安を持つようになってしまいました。たとえば12〜13歳で売られている子どもたちと向き合ったとき、村田さんはどういったことをお感じになるのでしょうか。そういった子どもたちのアフターケアなどについても併せて教えていただきたいと思っています。

村田:被害者の子に会って話を聞くと私も大変な無力感や憤りを感じます。だからこそ、その気持を忘れないでいようとも思います。その状況を突然変えることは出来ないかもしれませんが、「いつかは絶対に変えよう」と思いながら、その憤りを良い方向に生かそうと心掛けています。

たとえば私が仲良くしていた子で、当時6歳だった被害者のある女の子は、一度は救出されて保護施設に入っていたんですね。ただ、その後再びプノンペンに駐在していたときに会いにいくと買春宿に戻ってしまっていたんです。彼女が買春宿からいなくなったために実家の親が借金取りに殴られたり、妹まで連れて行かれそうになったりしていたそうです。ですから大きなトラウマがあったにも関わらず、彼女は保護施設を出て買春宿に戻ってしました。

それを聞いたとき、「この1年間、私は何をやっていたんだろう」という気持ちになりました。涙が止まらなかったし、どうにかしてその子を助けたかった。そういった悔しさが私のなかでは今でも残っています。逆に言えばそのとき助けたいという気持ちがあったからこそ、その気持ちが今でも活動の原動力になっているんですね。今でも本当に悔しいです。その子とはもう一生会えないかもしれません。けれども私自身は絶対にこの悔しさを生かして、同じような被害者を出さないようにしようと。それが自分の使命なのだと思うようにしています。ですからご質問にあったような憤りを感じることはすごく重要ではないかと思うんですね。また、そこから他者の状況を変えたいと願うのも大切だと思うので、その気持ちをぜひ持ち続けていただきたいと感じます。

会場:本日はありがとうございました。京都の大学生です。子どもが売られる問題に、私自身はこの1年半ほど興味を持っていました。そこでぜひ2点ほど質問させていただきたいと思っています。まず、先ほど買春宿にいる子どもたちを救うために警察と協力して活動していらっしゃるというお話を伺いました。ただ、たとえばカンボジアでは未だに賄賂の習慣が残っているようですし、さらに言えば農村から買春宿へ売られていくあいだにはブローカー、もっと言えばマフィアなどの存在も絡んでいたりするかなと思っていました。そう考えると、私自身が気の弱い人間ということもあって怖くなってしまいます。村田さんはそういうことを恐らくご存知のうえで現在も活動をされていると思うのですが、そのあたりはどのように克服されてきたのでしょうか。

それともう1点。被害者となる方々が、「良い仕事があるよ」ということを言われて町に連れてこられるというお話も本日伺いました。私としてはそれを防ぐためには、親や子どもに性教育をしたり、ブローカーの存在を教えたうえで「こういうことを言う人がいるかもしれないけれども安易に付いていっては駄目だよ」ということをきちんと教育したりすることもひとつの手段なるのではないかなと思っています。そういったことは現地では行われているのでしょうか。

村尾:はい。では残り時間も迫って参りましたので、ここで他のご質問もまとめて伺いまして、そののちに村田さんからまとめてお答えいただくような形にしたいと思います。

村の人から信頼を得るためには、短期間で目に見える成果を出すこと

会場:貴重なお話、ありがとうございました。私のほうからは2点ほどお伺いしたいと思っております。まず、日本人も子どもが売られる問題の原因をつくっているといったお話を今日は伺いました。ですので実際にかものはしプロジェクトとして支援を行う際、その辺の事情で農村の方々から拒絶されることなどはなかったのでしょうか。もしあったとすれば、そこからどのように信頼関係を築いていかれたのでしょうか。

それともう1点。個人的なことなのですが、私自身も有職という形で来年の3月にインドネシアにて3週間ほど、ボランティアに参加させていただくこととなりました。ただ、「10年かけてやっと変わってきた」という村田さんのお話を伺いまして、「たった3週間で何が出来るのかな」という心配も抱いております。この点について何かアドバイスがあればぜひ頂戴したいと思っております。

会場:本日はありがとうございました。私からは宗教という観点での質問をさせていただきたいと思っております。新興国というと、やはり宗教というものが住んでいる方々にとってひとつの拠り所にもなっているのかなと思っておりました。そういった宗教の観点で、たとえば「女性が働くのは駄目だ」といった話になるという問題はないのでしょうか。もしあるのであれば、そこでどういった解決策をとられてきたのかを教えていただきたいと思っております。

村尾:ありがとうございます。たくさん出ましたが(笑)、では答えやすいところからお願い致します。

村田:はい。まず汚職やマフィアに関するお話ですが、カンボジアは汚職度調査でもかなり低いランクにあるんですね。で、汚職はやはりあります。賄賂を払わないと何も進まないというところがあるんですね。警察も賄賂を貰って摘発情報を流すようなことが今まではありました。ですからその領域で戦うのは非常に大変ですが、政府の態度自体は2008年ぐらいから変わってきています。

その背景には、まずアメリカという、カンボジアにとって大きな影響力を持っている国が圧力をかけてきたという動きがあります。人権に関して厳しい目を持つアメリカが、人身売買に関して対策をとっていないカンボジアに対して「輸入制限を行おう」ですとか、「政府からの援助を止めよう」といった圧力をかけるようになったんですね。そのさらに背景には、アメリカの人権系NGOによる草の根活動がアメリカの議員さんたちを動かしたという流れもあります。

で、一方のカンボジアでは1997年にクーデターを起こしたフン・センという人が現在も政権を握っているのですが、彼がアメリカの圧力によって態度を大きく変えました。それで関連する法律が2008年に制定されたりして、現在は私たちとしても非常に活動しやすい状況になっています。実力を持っている人の態度が変わったのは非常に大きかったと思いますね。

 

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あと、「マフィアが暗躍しているのではないか」というお話ですが、実際にマフィアがかなり絡んでいるタイとは異なっていて、カンボジアはどちらかというと個人商店のような形態をとっている買春宿が多いんです。ですから摘発をしていけば簡単にビジネスを変える人がたくさんいます。しかしそれでも私としてはスタッフを危険な目に遭わせてはいけないと思っています。ですから私たちは摘発をするのではなく、たとえばインドであれば摘発をする団体のサポートですとか、その団体の活動が円滑に進むような支援ですとか、そういった活動を行なっているという状態です。

また、カンボジアに関して言えば「子どもが売られる問題の防止」という旗はなるべく出さずにやっていこうと、活動当初から考えていました。むしろ農村の女性支援あるいは自立支援といったお話をしながら活動を進めていたので、うちのスタッフが危ない目に遭うということは基本的にはなかったですね。

それと啓蒙活動について。これは村のなかではやっています。私たちが活動している村では最初に説明会を開いているんですね。村役場のような場所がありますから、そこで活動説明会を行うとともに、「都会に行くと危ない目に遭う可能性があるよ」といったお話もしています。また、うちの工房では全体集会のようなものを四半期に一度開くのですが、そのなかで働いている女性たち自身が演劇などを通した啓蒙活動を行ったりしていますね。「出稼ぎに出るとこんな危険があるよ」といったことを、彼女たちが自分たちで考えて伝えたりしています。

それと、農村における信頼関係の構築についてですが、短期間で何を成果として出せるかということが重要になると思っています。また、農村における活動では…、特に途上国では村長さんですとか集合村の代表を務める方ですとか、村のなかで人々の面倒を見る役割の人たちを巻き込むことが大事になります。ですから最初に村へ入るときはその人たちとよく話をして、理解をして貰う必要がありますね。村長さんの協力がないと誰も来ないということもあり得ますから。村長さんに協力をしてくれるようにお願いしたうえで、その合意を得てから村に入っていくというのがひとつのやり方としてあります。で、実際の信用についてですが、実績をつくっていけば農村にもだんだん浸透していきますので、とにかく根気よくやっていくというのが大切になると思っています。

あと、短期間の活動についてですが、成果を出すにはご自身が今まで培われてきた仕事上の経験をフル活用していただくのが良いのではないかなと思います。出発前から日本でも可能な限り事前準備をして現地に入っていけば、3週間でも出来ることはたくさんあると思います。

うちもプロボノの方に雑貨販売の支援をしていただいたことがあるんですね。その方は、売上増を目的として、たとえば「直営店の前をどういった人種の方が何人通過して、そのうち何人が品物を手にとって、さらにはそのうち何人が購入していったか」といったデータを集めることの出来る仕組みを、たった1週間でつくってくれました。さらに、その方が帰国したあともカンボジア人スタッフがそれを活用出来るようにしてくれました。そんな風にして短期間でもプロボノとして成果を出すことは、やり方次第でまったく可能だと思います。ですからぜひ頑張っていただきたいと思います。

 

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それと最後が宗教の部分ですね。実は調べていくと、宗教はこの問題にそれほど大きな影響を与えていないんです。どちらかと言えば宗教よりも、地域ごとに存在する文化的背景のほうが大きな影響を与えていますね。私たちがアジア地域を重視している理由もそこにあります。被害者に対する差別がアメリカやラテンアメリカに比べて根強いため、社会復帰が難しいという側面があるんです。ですからアジアの地域的な特性というのは、ひとつあるのかなと思っています。

被害者もあなたたちと同じように学び、愛し、いつか家族を持ちたいと思っている

村尾:ありがとうございます。たくさんのご質問に対して一気にお答えいただきました。ではそろそろ時間も迫って参りましたので、村田さんには最後に今後の夢や目標についてお伺いしたいと思っております。その辺、ひとつにはインドでのプロジェクトをというものがあるのかもしれませんが…、ちなみにいくら集まるとインドでのプロジェクトがスタート出来るのでしょうか。

村田:このあいだ経営会議を通せなかったものとしては、大きな絵を描いて調査を行い、色々な団体と連携するという計画がありました。4000万円あれば出来たのですが、それはインドで将来的に投入する全額に近い規模でしたので、無理ということになりました。ただその一方で、たとえば被害者に対する心のケアであれば100万円単位から進めることが出来ますし、法律家の支援をつけるといった活動もあります。そんな風にやりたいプロジェクトはたくさんあります。可能であれば1カ国で4000万〜6000万円ぐらいを投入していきたいとは思っているところですね。

村尾:今日はお話を伺いながら、私たちのほうでも「自分たちに何が出来るんだろう」というこを改めて考える機会になったと思います。この問題に関しては社会起業家として果敢に動いてくださる方々がいる一方で、自身の社会生活を送りながらもこの問題を常に気にかけている人々がいる訳ですよね。で、そういった人々も、寄付であったり、プロボノとしての参加であったり、読み終わった本を送る支援であったり、何かしらの貢献が出来ることがよく分かりました。私たち自身が今、問題解決のプロセスに参加出来るのだなということを今日は強く感じた次第です。

ですから今日ご来場いただいた皆さまも、それぞれが何かしら、かものはしさんに貢献出来る方法がないかということを考える良い機会になればと思います。では最後になりますが、村田さんのほうから皆さまに向けて何かメッセージをいただきつつ、本日のご講演を締めることが出来たらと思っております。いかがでしょうか。

村田:はい。今日は金曜日の夜にも関わらずこれほどたくさんの方にお集まりいただいて、そしてどなたらもお帰りにならず最後まで聞いてくださって、本当にありがとうございました。まずはお礼を気持ちをお伝えしたいと思います。

この問題は外国で起きていて普段は目にする機会もないので、やはり話を聞いても「ちょっと遠いな」と感じることはあるかもしれません。ただ、これは現実に起きていることなんですね。そしてそこには私たちの支援によって救える人たちがいて、傷つかないで済む人たちがいて、かつ自身の将来を描くことの出来る人たちがたくさんいます。現地では深い傷を負った状態でも懸命に回復を目指しながら、「後ろ指を指されても、私はもう生きていくしかないの」と言って頑張っている子もいます。

私はあるとき、7歳のときに売られて10歳のときに保護された子から、「被害者ってどういう人だと思う?」という質問を投げかけられたことがあります。その子は今19歳になるカンボジアの女の子なのですが、彼女は「被害者はあなたたちと同じように勉強したいと思っているし、恋愛をしたいと思っているし、いつか家族を持ちたいと思っています。本当に普通の人間が、ただ貧しかったというだけで被害に遭って将来を目茶苦茶にされているんです」と話してくれました。

最後はその言葉を皆さんにも投げ掛けたいと思っています。子どもたちを深く傷つけているこの問題について、「やっぱりこれはおかしいんじゃないか?」と、もし思っていただけましたら、ぜひご協力をいただきたいと願っています。恐らく今日集まってくださった皆さまは、それぞれボランティアをされたり、団体をつくって活動をされたり、あるいは将来、社会貢献活動をしたいと願っている方だと思います。ですから、皆さまがそれぞれ問題だと思うことに対してぜひ行動を起こしていただくとともに、この問題にもぜひお力を貸していただければと思っております。

 

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社会問題は大きいですし、はじめのうちは「問題解決が難しいものなのかな」と思うかもしれません。しかしそれでも解決を目指して前に進んでいくことが重要なんですね。私自身、最初は「かなりしんどいな」と感じていたのですが、そのなかですごく成長させて貰いましたし、たくさんの素晴らしい人と出会えました。ですからこの10年間を振り返ってみると、「こうなったけどやって良かったな」と思っています。ぜひ皆さまも同様の一歩を踏み出していただきたいなと願っています。私からは以上になります。ありがとうございました。

村尾:ありがとうございます。今日は2時間、本当に貴重なお話を伺うことが出来ました。とても勇気づけられるお話だったと感激しております。村田さん、本日は誠にありがとうございました。皆さまも最後に盛大な拍手をお願い致します(会場拍手)。

村田:ありがとうございます。ちなみに今日は、現地で女性たちがつくっている雑貨を、少しですが持ってきました。カンボジアの工房で先ほどの女性たちがつくっているものです。もし気に入っていただけたらぜひ使っていただきたいと思っています。

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