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朝原宣治氏×武田美保氏×為末大氏「スポーツ立国日本を目指すには」

投稿日:2011/06/28更新日:2019/04/09

部活動の近視眼的な育成がはらむ様々な問題点(為末)

井上英明氏(以下、敬称略):多くの人を動かす力を持ったスポーツですが、問題や課題も多々あるようです。今日はぜひ、皆さまともそのような問題提起となる部分を共有出来たらと思っています。そのうえで社会のリーダーとしてご活躍中の皆さまに、具体的に「こういうことをやろうよ」、あるいは「こういった形で応援出来るよ」といったところにまでお話を繋げていただけるようであれば非常にありがたいと思っています。

パネリストの御三方ひとりひとりにお話を伺っていきましょう。まずはそれぞれ、皆さまがどういった環境や背景を通して現在のポジションまで登りつめたのかという点。こちらを近況報告と併せましてお伺いしたい。そして、日本のスポーツ界における問題点についてもご意見お聞かせいただければと思っています。では、為末さんからお願い出来ますでしょうか。

為末大氏(以下、敬称略):おはようございます。為末です。僕は今、現役の陸上選手としてロンドン五輪を目指して頑張っています。スポーツに関しては昨日も打ち合わせでずっと話をしていて、「色々と問題があるよね」という共通認識がありました。一方で、現在のスポーツ界では選手たちもすごく変わってきています。問題を解決する動きが、選手のほうからも、少しずつではありますが出てきています。

経歴についてお話をしますと、メダルはこれまで世界陸上などで2つ獲り、オリンピックにも3回出場しました。ただ、それよりも特徴的な経歴があります。僕の陸上選手生活は、小学校のときに陸上クラブの一員となったところからスタートしました。そのクラブは僕の中学時代の先生だった方がつくったものです。入ったのは8歳のときでしたが、それから15歳ぐらいまでその先生に指導して貰いました。その次は高校で、18歳ぐらいまで続けます。僕が育った広島では当時、国体が開催され、県が強化のために、「中高一貫で指導しましょう」というようなことになっていたから、中学と高校の先生が指導の面でかなり連携していました。

日本では、スポーツ活動は学校の運動部が単位というケースが多いですよね。どの競技でも。中高の活動は3年で区切られていきます。ところが僕の場合は基本的に18歳まで一貫で育ち、次の大学では自分ひとりでやりはじめました。以来、現在までのおよそ14年間、自分ひとりでやっているという状態です。つまり、選手として環境の転換期が一度ぐらいしかなかった。

色々なスポーツ選手が抱える問題を目にすると、育成がぶつぶつ切られてしまうという状況があります。たとえば「中学の3年間で勝たないと強豪校にも行けない」とか。次の章から脱落してしまう訳で、取捨選択をされる機会がとても多いと言えます。昨日の政治セッションでは「日本は選挙が多過ぎる」といったお話がありましたが、それに近いかもしれません。それで、「とりあえずは中学の3年間でどれだけ完成させられるか」という近視眼的育成を何度か繰り返すことになる。その結果として、選手生活トータルで考えると、世界で勝てる選手ではないけれど、国内の各カテゴリーではそこそこ生き残ることが出来る選手がたくさん育ちます。

たとえば甲子園で潰れた野球選手は少なからずいると思います。箱根駅伝で潰れたマラソン選手もかなりいるでしょう。「区切られているからこそ青春の輝きがある」といったような受け止め方が選手の側にもある。しかし、それはあらゆる種類の才能を早い段階で燃やし尽くしてしまうという構造にもなっているのではないかと思います。

しかも、そのような世界で生きる選手は競技以外のことにまったく手をつけない。長い目で見れば人間として色々な経験を持っている選手は強いと思いますが、近視眼だけで考えると特化するほうが良いからです。その構造で最後に大学ぐらいまで行った選手はどうなるか。自分の競技を徹底的に極める以外、ほかのことをまったく経験しないような選手になってしまいます。

こうなると次に起きるのは、引退したあとに社会で馴染めない人間が出てきてしまうという問題です。我々は引退後の生活をセカンドキャリアと呼んでいますが、そのセカンドキャリアがうまく構築出来ないという問題が出てくる訳です。僕としては当初、その部分だけで問題を捉えていました。ですから「とにかく選手を社会に還元すればスポーツ選手の環境だって良くなる。選手も皆ハッピーになって世界に出ていけるのだ」と思っていました。しかし長い人生をトータルで考えると、スポーツ選手にはほかにも色々な問題が降りかかっていくことが分かるようになりました。ですから、そういった問題について「選手たち自身で、すぐには解決出来なくてもせめて話し合う場所が欲しい」と思うようになった。それが『アスリートソサエティ』での活動にも繋がっています。

これは昨日の打ち合わせでもたびたび触れられたことですが、日本のスポーツ界は縦社会でかつムラ社会のような状態です。縦社会ごと「ぶつん」と区切られている。オリンピック選手でもこのようにお会いして互いに言葉を交わすのは初めてというケースがほとんどです。さらにその縦社会だけで通じる独自の価値観があったりします。多様性もない。選手もだんだんと世界へ…、サッカー選手などは行っていますが、世界へ飛び出していかないようになっていった。よく言われる“最近の若者像”を地でいくように、内向き思考に以前からなっていたという訳です。

ただ、すごく「良いな」と感じることもあります。それは、若い世代の選手たち自身から「スポーツのあり方を考えていこう」という動きが出始めていることです。現役あるいは引退後すぐの若い方たちが、何かを考えはじめているという大きな兆しを感じています。今日はそんな動きも意識しつつ、前向きな提案が出来るようなセッションになればいいなと思っています。

井上:ありがとうございます。では今度は武田さんにお願い出来ますでしょか。

セカンドキャリアを考えさせないスポーツ界の体質(武田)

武田美保氏(以下、敬称略):おはようございます。シンクロをご覧になっていて感じたことがあるかもしれませんが、私たちは歩き方も大変に特徴的です。「変だな」というのは自分たちでも理解しているのですが、シンクロでは曲から曲のあいだすべてが採点の対象になります。そうなると、やはり登場時から強豪国と言われるような国の選手は…、なんというか、身に纏うオーラだったり、身長よりもさらに手足が長く見えるような雰囲気を漂わせていたりする。「あ、これはトレーニングを積んできたな」と思えるような筋肉の張りがあったりします。そういうこともあって、私たちとしては儀式的な感じで登場していく訳です。

そんな部分も含めまして、シンクロはほかの競技と比べても非常に大きな競技特性を持っている世界だと思っています。ですから今日は私自身の経歴というか、「そもそも何故シンクロの世界に入っていったか」ということについてまずお話をさせてください。それから、オリンピックにも3大会出場させていただきましたが、自分自身が自然とオリンピックを目標に設定していけたというその背景などについてもお話ししていきたいと考えています。

今でこそシンクロと言えば、「鼻をつまんで泳ぐ」というイメージを皆さまにもすぐ浮かべていただける競技になりました。ただ、選手登録数は現時点で1000人に達していないです。どうしてかというと、まずは当然ながら常に深いプールを確保しなければいけないという事情があります。また、競技自体について考えてみても非常に大きな特殊性を持っていますから、コーチの数も少ないです。習える場所や機会がとても少ないと。現在の選手たちもそのような環境にあると思っています。

そんななかで、私は出会いに恵まれました。実家は京都ですが、実家から歩いて目と鼻の先に京都でもかなり大きなスイミングスクールがありました。近所の同年代だった友だちもたくさん通っていました。自然な成り行きで、「みんなも行っているから私も行きたい」と。そんな感覚で水泳をはじめました。クロールや平泳ぎを習って少しずつ上達していくうち…、恐らくシンクロのコーチがたまたま見かけてくださったのだと思います。あるとき、担当のコーチを介して「シンクロの先生があなたを誘っている。やってみる気はあるか?」というような声をかけていただきました。当時はシンクロの“シ”の字も知らない年頃でしたし、競技も今ほどメジャーではありませんでしたから、とりあえず見学をしました。そこで、もう本当に人魚姫の世界というか、そんなイメージを持ちました。通う場所も歩いて1分ぐらいのところでしたから生活環境も変わる訳でなし。「それならやってみようか」と。そんなスタートでした。

そこから選手を21年間続けていきましたが、「オリンピックを目指す」と思うことが出来た理由は、私としては二つあると思っています。ひとつは家庭環境で、もうひとつは指導者でした。まず、シンクロの指導者として井村雅代先生という大変著名な方に見て頂くことが出来ました。今でも「オリンピック種目となるスポーツ界で、最も怖いと言われる指導者ふたりのうちのひとり」みたいにしてお名前が挙がりますが(会場笑)。

井村先生は私がシンクロの世界に入った当時からすでに日本代表監督でいらっしゃいました。ご自身もかつて選手であり、当時は大阪・堺でコーチをしていらしたんですね。そしてキャリアを積まれていたのですが、ロサンゼルスオリンピック以降は独立して『井村シンクロクラブ』を設立されていました。ただ、設立当初はなかなかプールを借りることが出来なかったという事情もあったそうで、あちこち探していた末に見つけた施設のひとつが、私が通っていた京都のプールだったと。そんなご縁があって井村先生という全日本の、しかも世界基準の目線を持ったコーチと出会うことになりました。私が通っていたスクールにたまたま来てくださった訳ですから、この巡り合わせはすごいと思います。

井村コーチは私に対して常に乗り越えるべき“壁”を設定し続けてくださいました。そのなかで「限界は誰が決めるものなのだ?」といった大切な問いもたくさんいただいています。「それは自分の心であって、自分の気持ちだよ」と。データもとったりはしますが、「あなたたちのなかで血尿出した子、誰かいるの?」みたいなことを言われる訳です(笑)。「大丈夫。ぜんぜん限界になんて達していないから。人間って強いから大丈夫」というような(会場笑)、そういった精神的な部分でも色々なことを教えてくだいました。当然ながら技術面でもたしかな目線をお持ちでいらしていた方です。日本人の持ち味などを本当に熟知されていました。合わせ方における手足の決め細やかさとか…、やはり海外との比較で“見た目勝負”でもある競技です。そこで日本人の手足を少しでも長く見せるような足の質とか、そういう領域を職人のように問われるコーチだったと思います。そんな先生との出会いがまずひとつありました。

あとは家庭環境ですね。特に母から大きな影響を受けたと思っています。父にも良い影響は受けていましたし二人とも健在ですが、父のほうは口下手で職人気質な人です。設備のほうのお仕事に関わっていて、練習から帰ってくると「おかえり」といった会話を交わすぐらいで先に寝てしまっていました。朝も早いですし。それで主に母との会話が多かったのですが、母には本当に感謝してもし尽くせないほどのものを提供して貰ったと思っています。

ほかのご家庭でも色々な会話をされると思いますが、私の母はとにかく感覚的な質問を投げかけてくれました。たとえば「1回目の注意と2回目の注意でコーチの声はどんな風に変わっていた?」とか「あなたと何秒間、目を合わせてくれた?」とか。恐らく母はコーチにきちんと目をかけて貰っているかどうかを私との会話から量っていたのだと思います。私のほうはそんな風に聞かれることで、一日の練習が終わってからすぐに自分を振り返るようになっていました。母が質問してきたことについて記憶を巻き戻して、頭のなかで情報を再生するような感覚です。それで子どもの頃から自分を客観的に見るようになっていきました。言葉で感覚を伝えるうち…、たとえばなんというか、水の重たさ、あるいは筋肉がどんな風に疲れていたかということが蘇っていく。

すると出来ないことについてもその理由が分かっていきました。図らずしもそういうコミュニケーションが感覚を敏感にさせて、自分の持ち味について考えさせた。限界を超える方法についても気づきを与えてくれました。家庭環境のおかげで、割と考えるタイプの選手になることが出来たのかなと思っています。

また、母との会話によって単純にシンクロを好きになれましたし、子どもの頃からビジョンが明確になっていったんです。小学校6年生のときからオリンピックに出ると言っていましたから。「私が出なかったら誰が出るの?」というぐらいの感じで(笑)。大人になってからもこれだけ自分のことを信じきることが出来る感覚と言うのは、なかなか持ち合わせることが出来ないものだと思っています。

たとえば私が6年生のとき、中学3年生の先輩が「受験もあるし、シンクロを続けるか続けないか」と迷っていたことがありました。そもそもシンクロは就職にも有利に働かないようなとてもマイナーなスポーツでしたし、競技特性として「芽が出ていないな」ということをすごく自覚しやすい部分もあります。ですから受験などを理由に途中で辞める選手はたくさんいました。私は、「あの先輩が辞めたあとは私が上のチームに上がるんやろ?」なんて考えていた。「スクール内で、今のランキング、今の技術となると…、大会が開催される時期までに、あの先輩が射程圏内に入る」とか、そんな野望的なことを(会場笑)家でしょっちゅう話していました。好きだから出来ることだとは思うのですが、母もそれを焚きつけるのがすごく上手でした。「そうやな。あんたはそうやな。出来るな」なんていう感じでしたね。そんな背景がありました。指導者と、そして家庭のバックアップ。それが私のアスリート人生を非常に良いものにしてくれたと思います。

問題提起についてもお話をさせてください。私も先ほど為末さんが仰っていたように、「選手として専心しないとどうなるか」についてよく考えるんですね。オリンピックに行ってメダルを獲りたいのならそればかり考えなければいけない。「引退してからのこういった道について少しぐらいは考えていたほうが良いのかな?」とか、「引退後のためにこの資格試験を受けておこうかな」とか、そんな考えはほぼすべて否定されていました。ですから正直に言って、私は現役を退いた28歳から白紙の状態で社会に放り出されました。でも、その心の準備さえしてはいけない雰囲気というか、風潮がありました。これは少し問題だなと思っています。

もちろん、所属するクラブによっても状況は違います。選手として活動をしていればお給料をいただけるような企業もあります。でも井村先生の方針は、「企業なら広告塔にならなければいけないから、時間がそこに取られてしまって良いトレーニングが積めない」と。だから「すねをかじり続けるのならそのまま延長線上で行きなさい」と言われました。それで私は大学卒業をして28まで続けましたから、最終的には6年間、稼いでいない状況ですねをかじっていた訳です。

もちろんスポーツ振興くじや国から出る予算もある程度、あります。たとえばオリンピックや世界選手権における入賞実績やメダル圏内に入ったという経歴を見て、AまたはBあるいはジュニア育成枠といった形でJOC(日本オリンピック委員会)から強化費なるものはいただけていました。それがAであれば個人として20万円ほどいただけます。ただ、はっきり言って企業でバックアップしているようなスポーツではなかったので持ち出しのほうが多いぐらいです。

月謝を払ってバレエのレッスンを受け、ダンスのレッスンを受け、ウェイトトレーニングではトレーナーについて貰っていました。体調や栄養のケアだって費用は発生します。そこまでやっていくと、もうまったく経済的にもたないような状況になっていました。それでも専心しないといけない。しかも「次のキャリアを構築するためにこんな準備をしておきましょう」というキャリアトランジションは…、今でこそ風潮として高まってきましたが、私が選手だった頃はまったくなされていませんでした。

つい最近、私はテレビで拝見して「ああ、分かるなあ」と思ったことがあります。巨人や西武でご活躍していた清原和博さんが、とある番組でこんなことを仰っていました。「たとえば高額な契約金で巨人に移籍したのに、何度も怪我をしてしまって打てない。それで野次を飛ばされたり卵を投げつけられたりという状況も生まれて本当に辛かった。それでも…、今の生活を考えるとそんな現役時代のほうがよほど生きていた感じがする」と。選手を辞めてからは何をしていても、「俺は何をやっているんだろう」という気持ちになっていらしたそうです。選手時代に体験した達成感、あるいは「少しぐらい命が削られたっていいんだ」という思いで続けていた野球人生で自分が貰った感動。そういったものと次の人生を、どうしても比較をしてしまう。それで何をやっても無気力というか、空虚に感じてしまうと。それでも、プロ野球はまだ整備されているほうかもしれません。しかしオリンピック競技ではそういう面も含めてセカンドキャリアについて考えるということがまったくなされていません。そこが現在、私自身が感じている問題です。

井上:ありがとうございました。それでは朝原さん、お願い致します。

風通しの良いクラブチームが生む可能性(朝原)

朝原宣治氏(以下、敬称略):朝原と申します。よろしくお願い致します。私は北京オリンピックのリレーで念願の銅メダルを獲ることが出来まして、そのあと2008年に陸上選手生活20年の終止符を打ちました。自分の経歴を振り返ってみると、私自身はエリート教育で育ったこともなく、早くから陸上に取り組んでいた訳でもありません。

ちなみに先ほど武田さんのお話を聞いていて「分かる、分かる」と思っていたのですが、私の妻は奥野史子という元シンクロ選手です。彼女の話からも「陸上とはまったく違う世界だな」というのは知っていました。妻は小さい頃に兄弟の影響で水泳をはじめていました。それでたまたまシンクロがあったスイミングスクールに通うことでその道を進むようになったということなのですが、まあ、それも非常に特殊な体験ですよね。

陸上競技はどうか。形式としては誰にでも出来るというか、普段からしているような体の動きですから、ある程度、基礎的なことが出来ればのちのちでも大成する人は結構出てきています。僕も小学生の頃は本当に何もしていませんでした。クラブにも入っていませんでしたし、誰かに何かのスポーツを教えて貰ったこともありません。習いごとと言ってもエレクトーンと習字ぐらいで(会場笑)、しかもエレクトーンのほうは途中で断念と(笑)。小学生の僕にとって運動というのはほとんど遊びでした。近所の子どもたちとありとあらゆる遊びをしまくった。その頃に養われていたものがもしあったとすれば…、まあなんと言うか、基礎的な体力やバランス感覚といった程度のものでした。うまく表現出来ませんが。

野球などもしてはいましたが、やはりこちらも遊びです。9人揃ってからやるような野球なんてほとんどしていませんでした。3人揃えばそれがピッチャーとバッターと守備ということで、空振りをするとバッターがボールを取りにいかなければいけない。それでほとんどヒットになるとか、そういうことはありました。ただ、とにかく誰でも出来る遊びですよね。サッカーだって草サッカーでしたし。子ども時代の僕にとって、すべてはスポーツではなく遊びの感覚でした。

ただ、中学に入ってからは「きちんと習いたい」ということでサッカー部に入りたいと思いました。当時、Jリーグはなかったのでプロ選手を目指していた訳ではなかったのですが、とにかくサッカーがしたいと思っていました。ところが僕が進んだ中学にはサッカー部がなかった。ですからその代わりとしてとにかく球技がしたかったので、「まあ、バスケットかバレーか」というぐらいのことを考えていました。ただ、「どうせやるなら強い部活がいい」ということでハンドボール部に入りました。その中学には、当時、ハンドボールに対してものすごく熱心な指導者がいらしたんですね。それについては僕も小学校の頃から色々と噂を聞いていました。「ハンドボール部は強くて、そして怖い先生がいる」と。ただ、もしかしたら全国大会に行けるかもしれないということも聞いていましたから、友だちと相談して「やってみる価値があるんじゃないか?」ということではじめたのがハンドボールです。結局、僕が最初に経験したスポーツと言われるものは陸上ではなくハンドボールになりました。

ちなみにハンドボールでは横の動きも入りますよね。僕はそれを「受動的な動き」と呼んでいます。陸上競技は能動的な動きです。自分から仕掛ける。自分から動き出さないといけないスポーツだと思っています。その一方で柔道や球技というのは…、たとえば柔道なら相手の出方に反応して動かないといけませんよね。野球も飛んできた球に対して体を反応させる。でも、陸上競技は「こうやってスタートしよう」とか「こうやって投げよう」と、自分から動き出すスポーツです。ですからハンドボールは、僕がのちのちに陸上競技でそのような能動的動きや感覚を身に付けることについて考えていく出発点になったと言う意味では、非常に大きな意味があったのではないかなと思います。

ただ、それにしても高校からはじめた陸上競技をずっと続けることが出来たのは、やはりそれまでの日常的な動きがあったからだと思います。それに対してシンクロというものを日常と同じような感覚でやるのは恐らく無理だと思います。普段の生活からあんな風に水中で回るといった感覚は身に付かないでしょう。以前、卓球選手だった松下浩二さんとお話をしたときに、「いつぐらいから卓球をはじめたら大成しますか?」と聞いたら、「小さい頃から球を打ちまくったもん勝ち」と仰っていました。そんな風に、身に付けた感覚がものを言う世界があります。ですから環境というのは重要で、競技性というのも非常に大切だと思います。石川遼君も陸上競技をはじめ色々とやっていた訳ですが、やはり小さい頃からきちんとゴルフでボールを打つ感覚を養っていた。イチロー選手も同じです。

ですから僕は、高校で陸上をはじめ、大学でも続けて、そしてオリンピックに行くまでそんな感覚をずっと大事にしてきました。同じコーチにマンツーマンでずっと教えて貰ったこともなく、為末君と同じように色々なところへ武者修行に行っていました。それでありとあらゆるコーチに教えて貰いながら、自分なりの感覚でエッセンスを“おいしいとこ取り”していた。そういう環境に恵まれていました。陸上競技は、たとえば優秀なひとりのコーチにずっと見ていただいてジャッジして貰うというものではありません。もう“勝ったもの勝ち”なんですよね。何をしようがタイムを出せば、記録を出せばいい。そういう競技です。学校も強豪校ではなかったということもあって、僕は外で何をしようがまったく構わないという立場でした。しかし日本のスポーツはそういった状況ではなくて、その多くが部活動として学校ごとに分けられていますよね。ですから、そういうところにも問題点というのは潜んでいるのではないかなと思っています。

僕はドイツに留学して陸上をやっていた時期もあったのですが、あちらでは皆がクラブチームでやっています。ドイツの選手は「あのコーチは私に合わないから新しいコーチに変える」なんていうことを平気で話したりします。日本ではコーチに対して情のようなものが芽生えることがありますよね。すると、「お世話になっているから」ということで、少しばかり自分に合わないコーチでも「変えたい」と言いにくい構図があります。ドイツでは結構若い選手が「コーチを変える」なんていうことをどんどん口にする。そんな風にオープンな環境で色々なクラブが存在しています。そういった風通しは異なる競技のあいだでも生きています。そういったオープンな環境がないということも、日本の縦割りスポーツ界の問題点ではないかなと思います。

現在、僕としては独自に色々と活動をしています。まずは日本のトップ選手…、特にリレー選手をサポートしていくという活動をしています。具体的にはJOCのアスリート専門委員会という形で選手の環境を整える活動ですね。そのほか、大阪ガスの社員として、会社と社会をスポーツで繋げるという活動をやらせて貰っています。

このほか、『ノビイ・トラックアンドフィールドクラブ』という自分の陸上クラブもつくりました。子どもたちに指導しています。ただ、子どもたちへの指導というのは「トップアスリートになってくれ」という気持ちではありません。「子どもたちに社会へと旅立ってまっとうに生きていく力を養わせていく」というのがクラブのモットーです。もちろんトップアスリートを目指すというのも嬉しいのですが、そこまで成長する選手の割合はものすごく低いですよね。本当に一握り。トップアスリートでなくとも社会で生きていけるように。そんな力を養えたらいいのではないかなということで、色々試行錯誤しつつも活動をしています。現状としてはそういったところになりますね。

井上:ありがとうございます。恐らくスポーツ好きな方ならば、出来ればワールドカップでもオリンピックでも日本の強い姿をもっともっと見せて欲しいという気持ちを多かれ少なかれお持ちではないかと思います。ですから日本を強くするためにどうすれば良いのかということもテーマになるとは思います。ただ、それを短期的に追求するのか、あるいは長期的にスポーツを育てていくのか。そのような捉え方によって強化や育成手法は違ってくるのではないかという議論がありますよね。御三方は海外事情にもお詳しいと思いますので、出来ればその辺の比較も絡めつつご意見をお伺いしたいと思います。単純に「金メダルさえ獲れたら良い」というのであれば、海外でそのような政策をとっているところもあるとは思いますが。武田さん、その辺はいかがでしょうか。

本気でメダル量産を狙う中国における“スポーツ”とは(武田)

武田:たとえばシンクロであれば、今までのオリンピックでは日本がずっとメダルを獲り続けていました。それでお家芸と言っていただけるような時期もありましたよね。しかし北京オリンピックを境にして、日本は現在、メダル圏外になっています。来年のロンドンオリンピックはもうチームで枠を取れないかもしれないというような、そういう状況にまで陥ってしまっています。それにはさまざまな要素が影響しています。私の恩師であった井村先生も中国の監督になりましたし、とにかく色々とありました。現在では時折、中国の事情を井村先生から聞くこともあるのですが…、要するに本気でメダルを量産しようとするとどうなるか。

まず現在の日本であればどの競技も同様だと思いますが、一応、窓口は誰にでも開かれていますよね。自分で「やりたい」と望む子がその競技の世界に入ってきて、一所懸命切磋琢磨し、鍛錬していく。そのうえで精神的にも肉体的にもある基準を超えた選手が日本代表になっていく訳です。それが自然でした。

ところが中国、あるいはかつてライバルだったロシアでは選手が競技を選べません。こういうエピソードがあります。現在、日本で飛込競技の指導をしていらっしゃる中国出身の馬淵崇英先生という方がいらっしゃるのですが、この方はもともと器械体操を子どものときにやっていました。でも、ある日突然、見ず知らずのおじさんが自分のところに来たと。そして理由も告げず「来い」と言われ、いきなり連れて行かれたのがプールでした。それで「階段を上れ」と。それで「どん」と押されて何がなんだか分からないまま、とにかく飛び込んで、もうあっぷあっぷになって水面に上がってきました。すると「ああ、溺れなかったね。今日から君は飛び込みの選手になるから」と(笑)。そんな状況です。今ではそこまでしていないかもしれませんが。

ここでシンクロに話を戻しますが、先ほども少し申しあげました通り、特に採点競技になりますとスタイルですとか元々の資質がどうしてもポイントになってしまう部分があります。スタイル次第では足を挙げただけで隙間が消えてぴたっと真っ直ぐに見えてしまうため、それだけで技術があると映ってしまう。で、中国は北京オリンピックの開催が決まった段階で、「今までメダルを獲ることが出来ていなかった競技をどのように鍛えていくか」と考えた。その結果、まずスタイルの良さでふるいにかけていった。で、十数億人のなかから「うちの娘を育ててください」と差しだしてくる人が出てくる訳です。結果としてふるいにかけられて全員が身長170センチ以上で、特にデュエットの選手候補には身長174cmの双子もいました。股下は90cmぐらいあって、もうシンクロをやるために生まれてきたような子がまずセレクションされていきました。そして候補とした数千人のなかから、最終的にトップの10人ぐらいを強化していきます。すべて14〜15歳の女の子ばかりでした。

そこに国も予算をどんどん投入しますから、もうすさまじい勢いで成長を遂げていきます。しかも海外からコーチを呼んだりすると。そういう予算は潤沢にある状況ですから。ロシアも同様です。小学校高学年ぐらいの少女で、元々クラシックバレエなどの学校に通っていた素養のある子ばかりを集める。そして骨格を測って成長点というのを見ていき、それが一致している選手同士をくっつける。しかも最初はチームに出さないでデュエットだけを組ませ続ける英才教育を施します。現在はそういう人たちがライバルになっている。そんな風に、もし本当にメダルを獲り続けることだけを考えるなら、共産圏や社会主義国で選手を選ぶようなシステムで日本も徹底しないと、もう立ち行かないような状況になっています。特に採点競技については、ですが。

井上:その点について、為末さんは遺伝子レベルの問題などについて指摘されておりましたよね。

人生を掛けなければ“スポーツ”ではないという日本の風潮(為末)

為末:そうですね。今仰っていただいたことをさらに進めると、もう生まれる段階でコントロールするところが絶対に出てくると思います。恐らくはもう始まっているのではないでしょうか。「かけ合わせてしまえばいい」と。たとえば「マイケル・ジョーダンとフローレンス・ジョイナーの子どもだったらどうか」とか。それを意図的にやっていけば絶対に強くなりますし、実際にやりかねない国、あるいはやっている国も出ていると思います。こうなると、結局はどこまでやるかの勝負になってきてしまいます。「じゃあスポーツって何なの?」と。そんな空気が今は恐らく世界中に広がっていると思います。

ただし、敢えて過激な言い方をしますと、そういったスポーツの政策には国家としてのコンプレックスが表れていると思います。世界に対して「私たちの国がこれだけすごいんだ」というのを、見せたい。スポーツが国家としてのコンプレックスを表すものになっていくのか、それとも国民がそれぞれ自分の人生を豊かにしていくためのひとつの手段となっていくのか。前者で言えば、確率的に考えても何万人か何十万人のなかのひとりしか世界と戦えない。これは効率がめちゃくちゃに悪いですよね。投資効率と言ったような意味ですが。そのひとりのために皆が人生を棒に振ることになる訳ですから。その人たちだってスポーツばかりやっていた訳ですから、すぐに別の産業で何かを生産出来る能力もあまりなかったりするのであって、最終的には国家経営としてもあまり効率が良くないのではないかと思います。

いずれにせよ、そんな国もあるなかで日本がこれからどの立ち位置を選ぶのかは、恐らくこれから選択しなければいけない問題になると思います。その点を改めて考えると、僕としては西洋におけるスポーツの捉え方に関して「すごく良いな」と思える部分があります。それは「ここまで来たら引退」という取捨選択でなく、人生とスポーツが共にあり続けるという社会のあり方です。もちろんある時期はスポーツが9割になってそれ以外が1割になることはあるでしょう。現役を引退したらその割合が変わることもあります。ただ、ゼロにはならない。たとえばスポーツとスポーツ以外で2対8にはなったりする。それは人生を豊かにするためのライフスタイルのようなものだと思います。

もちろん、なかにはそのスポーツに「わーっ」と突っ込む人間だっていると思います。大事なのは、人生を掛けなければならないという雰囲気ではないということですよね。「掛けたければ掛ければいい」と。日本の場合はどうしても「掛けなければいけない」になる。たとえば赤羽にあるオリンピックセンターには、もうそんな空気が充満しています。「君たち、ほかのことをやったりしたら…」みたいな(笑)。そこで日本のスポーツ選手がこれからどんな立ち位置を示していくのか。スポーツが日本に何をもたらしてくれるのかということも併せて問われていく時代が来るのではないかと思います。

スポーツをやり抜いてきたことによる強みとは何か(井上)

井上:国策でどこまで狙うのかということになってくると、私たちではなかなか手が届かない政策の世界になってくるのかなという気もします。しかしいずれにせよ、基本的に国のスポーツを強くしようと思うのならやはり裾野を広げなければいけない。そこに入ってくる人がまずは多くないことには、間違いなく強くならないだろうということですよね。ですからそこがひとつの具体的な課題にもなってくるのかなと思ったりします。

そのほか、今日のお話ではやはりスポーツ界の縦割りによって生まれる弊害という問題提起もございました。それとセカンドキャリアに関するご指摘もありましたね。縦割りの問題については選手間の交流…、それこそ『アスリートソサエティ』のなかで色々と出来ることはあるかと思いますが、セカンドキャリアという部分についてはやはり私たち企業側との絡みも出てくるかと思います。

ここら辺、スポーツ選手のセカンドキャリアについては御三方のほうからも「こういったことが出来るのではないか」とか「こういった部分を活かせばいいのではないか」とか、何か提案があればいただきたいと思っています。

あと、皆さんにもうひとつずつ質問を。スポーツをやり抜いてきたことによって持ち得た強みについても教えていただきたいと思っています。「小さい頃からやってきたのだから、私たち、これだけは持っているのではないか」という部分ですね。その力をどのように社会で役立てていくかという問いかけが出来ればと思っております。これはスポーツ選手全体でも良いですし、陸上やシンクロといったジャンル別でも結構です。どういったところが…、たとえば走りやシンクロ以外で、強みなのか、為末さんからお願い出来ますでしょうか。

為末:まず、ひとつの道をずっと歩み続けてきたこと自体が強みだと思います。よくアスリートの集まりなどに足を運んで皆の話を聞いていると、「僕は社会に出るのが不安です」と。「同じことを20年やってきただけから」なんて言う選手がいます。同じことを20年もやり続けてきた経験なんていうものがあれば、それはものすごい価値ですよね。でも選手自身がそれに気付いていない。それはある種、今の若者が自分に対して持っている自信のなさのようなものと共通しているように思います。「スポーツを取りあげられたら自分に価値がなくなるんじゃないか」とか、そんな風に思うのは問題です。僕はひとつのことをやり続けてきた人間が持つ執着心とか、何かに入り込んだときに徹底出来る能力…、それをなんという能力と表現すれば良いか分かりませんが、それはものすごいものがあると思っています。たとえば普段の生活で「ひとつの目的が決まったらそれを達成するまで食らいついて離さない」といった感じの方にご自身の来し方を尋ねると、過去にスポーツをなさっていた方が多かったりもします。それはスポーツが与えてくれる非常に大事な価値のひとつかなと思います。

武田:私はシンクロという競技をやっていて、まず自分が日本人であるということについてすごく考えることが出来ました。たとえば私たちがやっているプログラムのつくり方。テーマの音楽もつつみや尺八を使ったりする純邦楽であったりして、日本の文化を提案していくというものが多かったですね。ほかにも手足の短い日本人に似合うもの…、黒髪に似合うコスチュームやメイクとか、そういうところにまでこだわっていきました。

このほかにも、体型としては不利な筈である私たちが、それでもある時期はメダル圏内に留まることが出来た理由はあると思います。それはもう徹底的に…、たとえばすべての指先やつま先で神経を集中させることが出来ていた。それは日本人の強みだと思っています。そういった部分については本当に追求していましたし、実際、私が選手であった当時は井村コーチに欧米諸国のコーチたちから「どうやってトレーニングしているのか」という質問も来ていました。そういった表現の領域で不思議な空間をつくることが出来ていたからです。

曲のリズムだってカウントをとりやすいようなものではありませんでした。日本調の音楽には独特の間合いがあったりして…、しばらく笛が鳴り続けたあとに「ぽんっ」という音がランダムに入るとか…、もうまったくカウント出来ないようなリズムに対して、妙技のように動きを合わせることが出来るという能力。そんな領域を私たちは追及していました。ですから日本の文化や伝統芸能自体はもちろんですが、そういうところから自分自身も日本の良さとも言える部分を知ることが出来たのかなという思いはひとつありますね。

もうひとつ。これは為末さんのお話にも通じますが、相当に内省をしていました。「こういう状態に陥ると、自分のメンタルはどんな風に落ち込んでしまうのか」とか「落ち込むのを食い止めるにはどうすれば良いか」とか。日々の過ごし方や目標設定については、本当に考えて考え尽くしました。そして最終的には、もう「0.1mm、あるいは0.1秒、昨日より良くなっていたらよし」と。そんな風にメンタルな面からも自分自身をよく知ることが出来ましたし、自分の弱みもよくよく理解出来ました。もちろん、それをどのように克服するかという目標設定の仕方についても同じです。それはどの世界でも…、たとえば一から何かを新しくはじめなければならない状況でも発揮出来ると思っています。それが、私としてはスポーツをやっていて良かったと思える点ですね。

朝原:競技性もあると思いますし、僕は生まれつきかもしれませんが、非常に楽観的です。競技者にとって楽観的である、あるいはプラス思考であるというのは非常に大事なことです。くよくよする選手もなかにはいます。僕は打たれ強いというか失敗しても挫けない部分があったからこそ、常に向上心を持ちながら20年も陸上競技を続けることが出来たのだと自覚しています。その結果として最後には良い成績を出せた訳ですから、継続してモチベーションを保つことが出来るのがひとつの武器なのかなと思いますね。

あとは、武田さんが仰っていたような自分をコントロール出来るマネジメント能力でしょうか。陸上競技を含めた個人種目でも、それは本当に大切な能力になります。試合でいかに自分を良い状態に持っていくかというところに尽きますから、まずはしっかり自己分析をすると。うえで自分自身をうまく“舞台”に乗せていくという、そんな能力はあるのではないかなと思っています。

井上:もうひとつ、少し違った観点から質問させていただきたいのですが、皆さまはおよそ20年に渡ってひとつのことをやり続けてこられた訳ですよね。普通の人なら飽きてしまったりするところを、皆さまは継続して努力出来た訳です。その背景にはどんなマインドがあったのでしょうか。

「やりたいからやる」内発的動機が重要(為末)

為末:僕はそこについて外発的動機付けと内発的動機付けで分けて考えています。「あれがあるから」何かをするというのが前者であるのに対して、後者は何かをすることそのものが目的になっています。僕は外発と内発のあいだで子どもの頃から揺れていました。褒められるからやるというときもありますが、その一方で砂遊びは褒められるからやる訳でなく楽しいからやるという世界ですよね。同様に、オリンピックに出はじめた頃は、「期待されるからやるんだ」という世界でしたが、期待が重たくなったりしてくると、今度は「自分はそもそも何がしたかったんだ」と。そんな風に揺れます。

僕の個人的な印象ですが、「やりたいからやる」という内発的動機付けが途中で壊されてしまった選手は長く続かないと思います。何かのためにやるということですと、その何かの先がないときに動けなくなってしまう。あるいは「僕らはあの山の頂上まで頑張って登るぞ」と言って登ったら、もう次の山が延々と続くようなことになると。どの世界も同じですが、山を登ったらそこに楽園があることだけを頼みにして頑張る選手は、楽園で力尽きてしまう。次の山に登れなくなってしまう。そうならない選手は山を上る行為そのものが喜びになっているようなタイプです。そんな選手がどのようにして生まれるかと言うと、これはもう根本的な教育論になってくるとは思います。“夢中を止めない”ような環境が選手の周りでつくられていたかどうか。スポーツの場合はそれが比較的、壊されにくいのではないかなと思います。

得られなかったオリンピックでの達成感(武田)

武田:そうですね…。私自身はモチベーションを維持しようと思って続けていた訳ではなく、実は常に“やり残し感”がありました。3つのオリンピックに出場させて貰いましたが、最初のオリンピックはもう練習メニューを提示されてそれをただこなすという感覚です。実は「早く練習終わらないかな」ぐらいでした。国家を背負って出場するのですが、実際は「対コーチ」というか、先生に怒られないような練習をしようと。精神的にすごく未熟な状態ではじめてのオリンピックに出ました。そして当然ですが子どもの頃に描いていたオリンピックの達成感をまるで実感出来なかった。一応銅メダルを獲得してメダリストという肩書きにはなりましたが。でも、そのような「自分で掴んだ感覚のなさ」、あるいは「やらされていてシンクロ自体が嫌になっていた自分」とか…、本当に子どもじみていたのですが、そういった感情がありました。

だから「そうじゃないだろう」と。自分が今まで費やしてきた時間は何だったのか。そんな結末とするために努力していたのではなかったから、その答えを見つけようと思いました。そして「あんなにしんどい練習を、あと4年も続けるのか」というほど、もう気が遠くなるような練習をまた続けました。水中練習を毎日10時間以上したりしていました。

そして2回目のオリンピックでは空手などをテーマにした演目に挑戦して、結果としてどの国の選手よりも大きな反応を観客席から貰いました。独特の間合いでポーズをとったりした瞬間に、「わ、KARATEをするんだ」とか、そんな反応でした。シンクロでは異例となるテーマの選び方です。それでスタジアムが割れるほどの、「どーん」という…、もう爆発音のような歓声や拍手に包まれながら、「あたしはここで泳げるんだ」と感じた。夢に描いていた舞台というのがここにあると、2回目のオリンピックで体験出来ました。そうして泳いでいると本当に脳の指令通り体が動くんですね。そのコントロール感。「ああ、私はいい演技が出来ている」というのが分かる。見えていなくても足が揃っていることが分かるとか、とにかく体ですべてを感じることが出来るような、本当に異質な体験をしました。それがチーム種目での出来事です。

それがずっと続いていたら良かったのですが、私はデュエットにも出場していて、その決勝で大きなミスをしてしまいました。デュエットに関しては緊張に負けた。緊張に負けるときは嫌な予感が当たります。具体的にどうなったかというと、私は緊張している状態で水に飛び込むと、その瞬間に水温が異常に冷たいと感じる習性がありました。それで入った瞬間にもう…、もともと柔軟性がないと言われる選手だったところで、さらに縮こまったような演技になってしまいました。水が冷たいと横隔膜が「ハッ…、ハッ…」となって空気が入ってこない。ものすごく苦しくて、心地良さなんてまるでありませんでした。その状態で演技に入ってしまった。それで私は本来、距離感をとらなければいけない役割だったのに、自分の呼吸に、あるいは自分の気道確保にもう精一杯になってしまいました。ですから水のなかで二人の距離が縮まり過ぎていることに気が付かなかった。

その結果、デュエットをやっていた4年間で一度もしたことがないというミスを犯してしまいました。足と足がぶつかって回転が止まるというミスをオリンピックの決勝という舞台でやってしまった。もしもチーム種目での体験をデュエットでも再現出来ていたら、恐らくシドニーで現役を辞めていたと思います。ですから同じ大会で天国と地獄の両方を見ました。もうトラウマというか、実を言うと…、こうしてその話をしている今も…、“あのとき”の左足首が当たった感覚が蘇ってくるような状態になっている。ですから「これをどうにか自分のなかで帳消しにしないと」って。それで結局は28まで続けることになりました。結果として28で迎えたアテネでは合格点を与えることが出来たと思っています。すべてにおいて、一応、自分として「ここまで持っていきたいな」というところに悔いもなく持っていけました。

ただ、厳密に自分を見つめてみると、やる前は「ああ、これで本当に明日人生が終わっていてもいい」と思えるほどの達成感があるのだろうと信じていました。でもそこまでの達成感というのは、やはりオリンピック3大会を通じても貰うことが出来ませんでした。これが私の…、もしかしたらネガティブなのかもしれませんが、続けることでより一層の高みを追求出来るのであれば続けていきたかったという気持ちです。それが、本当にシンプルではありますが「やり残しを帳消しにしたい」という、私がシンクロを続けた理由です。

「感動」が継続につながっている(朝原)

朝原:僕もお二人と同じような感じで、やはり「感動」が継続に繋がっていました。感動して貰うのはもちろん大切ですし、評価して貰えるのもありがたいのですが、何より自分が自分に酔うというか、「こんな大舞台で活躍出来るんだ」と。どうもあの気持ち良さを味わってしまうと…、辛い練習であっても次のオリンピックに向けて頑張ることが出来てしまったという感じでした。

あともうひとつはプロセスです。はじめはライバルに勝つ、あるいは良いタイムが出るという部分で一喜一憂していたのですが、やはり為末君が言うように「プロセスをいかに楽しめるか」が大切になってきます。オリンピックでの目標もそれぞれの大会で違ってくるし、試合ごとにも違ってきます。ですから「今はなんのためにこの試合をしているのか」というモチベーションの持ち方と言えば良いのかもしれません。それも常に変わってきたというのが、飽きない理由のひとつとしてあったのかなと思います。プロセスに対するアプローチを変えて僕は臨んでいました。そこで毎年同じことをして同じ結果が出ていたとしたら、恐らくは面白くなかったのではないかと思います。だからいつでも「今日は」とか「今年は」という感じでやってきました。そこに自分自身で細かいプランを立てていったという感じです。そんな風に異なったアプローチを続けていくと、自分でも思ってもみなかった才能がまた外に出たりする。そんなところに自分自身でも感動していました。

アスリートが社会、ビジネスに還元できることは何か(会場)

井上:ありがとうございます。先ほどから皆さまを見ていますと「うん、うん」と頷きながらお聞きになっていらしたので、もうずっと聞いていたいぐらいなのですが、そろそろフロアのほうからご質問やご意見を募ってみましょう。たとえば「こういう部分をもっと共有したい」といったご意見などを含めて色々とあるかと思います。皆さまのほうからセカンドキャリアの形成にについて「これが役に立つのではないかな」といったご提案をいただく形でも結構ですので。

朝原:否定でも良いと思います。スポーツ選手には「こういうところが悪い」ということを受け止めない選手もたくさんいたりするので(笑)。

為末:スポーツが聖域化してしまっている。どうも「スポーツ選手を大事にしなきゃ」と思うこと自体、実はスポーツ選手から社会に出るチャンスを奪う一因にもなっているような気がします。社会が大事にしているからこそ使い物にならない存在になってしまうという、そんな感じがしますので。

楠本修二郎氏(カフェ・カンパニー 代表取締役社長):現在、代々木公園でカフェをやらせていただいています。私としては、一般の生活者とハイレベルでかつ非常にタフな精神的戦いをされている皆さまとのあいだで、どのようなコミュニティをつくっていけるかということをすごく考えていました。思い浮かんだことがあります。かつてはひとつの地域や会社単位で運動会のようなものはありましたが、最近ではずいぶん少なくなっていますよね。ですからそれが出来る場をつくり、体を動かすことでひとつの会社の研修に出来ないかと。そこから何かを感じて学び合えることが出来ればと思っています。「やれる」という環境をアスリートソサエティやアスリートの方々がお持ちになるのは、実はすごく良いことではないかと思いますし。

朝原:実際、僕は企業に勤めています。ですから出来るだけ社会に貢献していくというのと同時に、「社内に貢献しよう」ということで、社員のお子さまを集めて陸上教室を開いたりしています。「アスリートってすごいんだ」というところを教えてあげることが出来たらと。スポーツというのは恐らく突き詰めると非日常的な世界と言えるように思います。ただ、ワールドカップやオリンピックを観に行って「すごい」と感動してくれた方も、家に帰ってからは「明日会社やしなあ」という現実が待っている。そのギャップがね(会場笑)。そこを埋めていかないとスポーツというのがなかなか社会に浸透し得ないと思っています。ただ、そんな風に浸透させる具体的な手法が陸上であれば陸上だけというのもね…、これはスポーツ選手の弱みでもあるという気は少々しています。そうではないところでも何か社会にもっと還元出来るような手段はないかなという風には思っているのですが。もちろん現役選手が普及のために何らかの形で社会貢献をするというのは良いのですが、可能であれば現役を退いたあとであっても何らかの形で貢献したいとは思いますので。

井上:お誘いいただければ、アスリートの方々にもすぐに対応していただけるように考えていきます。

会場(楠本氏続き):あともうひとつ。企業の経営者とアスリートソサエティさんで「体を動かすことが会社の経営にとってこんなにいい」ということを伝えられるような、何らかのプログラムを一緒にやられたりするのもすごく良いのではないかなという気がします。

井上:G1運動会、やりましょうか?(会場笑)。私は『YEO』という若手経営者のネットワークに参加しているのですが、そこで毎年運動会のようなイベントをやっています。皆、肉離れを起こしながら真剣にやっているのですが(笑)、年に一度、非常に盛り上がる一大イベントになります。その意味ではG1で運動会というのもありかもしれないですね。来年あたりは…、まあ雪の降らないところで、前日ぐらいから考えても良いかもしれないですね。

会場:今日は素晴らしいお話をありがとうございました。現在、ゴルフ関係の仕事をしております。私からは提案と質問の両方なのですが、やはり井上さんが先ほど仰っていたようにスポーツ人口をいかに増やすかというのが大事ではないかと思います。そのためにも、とにかく裾野のほうでいかに草の根運動を行っていくかがスポーツ人口を増やす重要な鍵だと思っておりました。

あと、皆さまに対する質問なのですが、特にスポーツでは協会に近づけば近づくほど既得権益のような部分にぶつかるような印象を私としては持っております。そこで仮にそれぞれの協会や団体を変えていくことが必要になり、さらにそれを企業として支援しようとした場合にどのような形で支援すれば良いものなのか。協会と関わりを持つ手段として、企業としてはスポンサーになるということ以外になかなか道がないというように感じます。ですからそこについて何かしらアイディアまたはご提案があれば教えていただきたいと思いました。

井上:はい。では少し時間も迫っておりますので、何人かの方に続けてお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。

一色真司氏(代々木高等学校校長):通信制高校の校長を勤めております。私としては学校体育と社会体育というものをそろそろ分けていくべきというか、もうとっくに分けていかなければいけない時期なのに、未だにすべて学校側が担っていると感じています。このバランスの悪さが問題ではないかと。ヨーロッパあたりですと「地域で育む」という社会体育の思想が根付いていると思いますし、Jリーグは実際にそれを目指していこうとしています。地域で部活とは異なる社会体育の基盤整備を考えたとき、実はほとんど機能していないコミュニティスクールというのが行政には腐るほどありますよね。地域としての社会体育を育む拠点としていくと。ただ、我々がよく目の当たりにする高野連などはその典型的ですが、がちがちの既得権益で選手を縛っているような状態です。それを社会体育に移していきたい。そして地域ネットワークのようなところで自然発生的なボトムアップの仕組み構築していけたらと思っています。この辺についてのご見解をお聞かせいただけないでしょうか。

会場:今日はありがとうございました。2年ほどJリーグチームのユニフォームスポンサーをしたりしておりまして、企業とスポーツの関わりは特に関心のあるテーマのひとつでした。そこで問題提起したいのですが、私としては先ほど為末さんが仰っていた個人の喜びという部分がやはり根底になければいけないのではないかなと強く感じました。私も会社を経営しているので「スポンサー活動を通してどのようにビジネスへ繋げることが出来るか」とか「企業のなかでスポーツを社員の何かに利用出来ないか」と考えることはあります。それはそれでテーマとして良いのですが、まずはお金から離れて「スポーツと個人」というテーマが根本になければいけないと思います。

たとえば中国が国家方針としてオリンピックでメダルをたくさん獲ろうとして、そこで「日本も対抗しないといけない」というのもひとつの発想かもしれません。しかし、別に諦めても良いのではないのかなという気もします(会場笑)。「我々はスポーツをそういう風に捉えていないよ」と。今までの右肩上がりの大国主義で来ていましたが、国家政策として強化しなくてもすごく才能のある人がいたらもしかしたらオリンピックメダルも獲得出来るのではないのかなと。「スポーツというのは根本的に国家や企業にコントロールされないものなのではないか」という発想でも良いかと思っていました。

井上:スポーツ好きの皆さまだけにもう止まらない感じですが、非常にピンポイントで重要なご指摘を数多くいただいたように思います。これはぜひ今日のナイトセッションでも引き続き議論していきたいところです。皆さまもご興味がある方はぜひ我々のテーブルに来ていただいて、またゆっくり時間をかけてご提言に対するさらなる議論などもしていきたいと思います。

為末:最後にひとつ。恐らく3人とも、スポーツをやっていて本当に良かったなと思っています。やはり我々として得るものがあったから。ですからこれからもきちんと「こんなに幸せになるんだよ」ということを伝えていけるような選手たちがたくさん出ていくことが大事ではないかと今日は感じました。

井上:ありがとうございます。武田さん朝原さんも、よろしければ最後に一言ずつお願い致します。

武田:最初の議論に戻ってしまうのですが、専心しなければいけないという点について。これは…、かなり語弊があるかもしれませんが、どうしても日本が風潮的に“スポーツ馬鹿”をつくっているような部分にも繋がる問題だと思います。スポーツ選手は日本をより良くしていくためのスポークスマンにもなり得ると思うのですが、私は実は、アトランタで「ああ、私じゃなくて良かった」という恥ずかしいことを思ってしまった場面がありました。

それは競技が終わってから取材を受けるミックスゾーンという場所に入ったときで、いつもなら演技が終わったあと「今日はどうでしたか? 今の感想は?」なんて聞かれていたところです。ただ、当時はアトランタ・オリンピック記念公園のゴミ箱に爆発物が仕掛けられていたという事件がありました。国際紛争が他国であった時期でしたし。そこで日本のメディアの方々は競技に関する質問に集中するのですが、外国のメディアがびっくりする質問をしていました。「こういう紛争が昨日報道されていますが、それについてあなたはオリンピック代表のアスリートとしてどう思うか」と、見解を求めていました。その質問では、たまたま私ではない別の日本人選手にマイクが向けられていたのですが、その選手の方も質問には答えられなかった。

つまり「日本人としてどう思うか」ということですよね。実は私も、マイクこそ向けられなかったものの、質問に対して自分の意見を伝えることが出来るような言葉を頭のなかに用意出来ていませんでした。そのとき、「選手は専心して技術を磨くだけではだめなのだ」と感じました。出る場所によっては「そういうことに答えるのだ」という自覚もきちんと選手に教えておかなければいけないと、今ではそんな風に考えています。

また、たとえばアスリートがセカンドキャリアを考えたとき、もしその人が怪我をして苦労した経験から「引退後はトレーナーになりたい」と願ったとしますよね。そのとき、フランスやスペインのトレーニングセンターにはそのために資格を取得出来るような環境が国の施設として整備をされています。国内でも現在は味の素さんがそういったトレーニングセンターを運営されていまして、栄養面ではバックアップしていただけます。ですからほかにも、そういった部分について教えてくださったり、あるいはソフトの面で何かしら企業さまとの接点が出来たら素晴らしいなと今日は感じました。

朝原:「俺はアスリートだ」と言って偉そうにすることもなく、「いや、アスリートです。すみません」と小さくなるのでもなく、社会とそのアスリートが仲良くなって皆に愛される存在になれるような方法を探しながら、今後も積極的に活動していきたいなと思っています。

井上:ありがとうございました。少々時間をオーバーしてしまいましたが、昨年のG1では夜の部で「アスリートソサエティ」の発想が出て、そして実際に発足というところに至りましたよね。ですから今回もぜひ皆さまとともに、夜の部を含めこのG1を何かしらの成果に繋げる場と出来たら幸いです。今日は本当にありがとうございました(会場拍手)。

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