文化庁長官・近藤誠一氏×兵庫県立美術館館長・蓑豊氏×編集工学研究所所長・松岡正剛氏「日本の文化政策〜美という文化資本の継承〜」 

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私が考える、文化の4つの役割(近藤)

松井:今回モデレーターを務めさせていただきます松井です。文化というものをどんな切り口から議論しようかと、昨日から我々の中でずいぶん議論していたのですが、結果的に、これは詰めても無駄だ、成りゆきでいこう、という結論に達しました(会場笑)。ただ、大きな軸としては、今回は「文化と経済」という切り口から捉えていきたいと考えております。

松岡先生と蓑先生についてはご紹介するまでもないと思いますが、今回は近藤長官にもお越しいただきました。昨年夏に文化庁長官となられた近藤さんですが、もともとは外交官でいらしたんですね。外交官としてグローバルにさまざまな広報・文化交流を手掛けられ、文字通りその世界における第一人者です。将来、ユネスコの事務局長には近藤さんのような方にぜひなって欲しいと、そう思わせるような方です。

私は政治家でありますから「文化と政治のかかわり」も含めて、文化を多面的に見ていきたいと思います。もちろん基本は、「文化にとっての経済」「経済にとっての文化」をテーマとして、話を進めていきたいと思います。

まずは、近藤長官からお願いしたいと思います。近藤長官は本当に色々な国々で駐在をされ、現在は文化庁長官として日本の文化政策および文化行政の責任を担われる立場になりました。まずは「文化」というものの意味というか、座標軸を定義していただき、のちの議論に繋げていきたいと思います。よろしくお願い致します。

近藤:ありがとうございます。私は40年近く外務省に籍を置いていたのですが、ちょうどその半分を海外で過ごし、外から日本を見る形となりました。また、前半20年は上り坂の日本、後半20年は停滞する日本を見ることにもなりました。そのあいだ、折に触れて日本には素晴らしい人材がいると感じてきました。そして本当に素晴らしい文化財があります。「それなのに、どうしてこんなに元気がなくなってしまったんだろう」、そんな疑問を持つようになっています。

日本に帰国してからは文化庁長官という職務をいただき、今のところ16の都府県を廻って現場の方々とお話をしております。市長や知事、若いアーティストやJETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme)で来日している外国人を含め、なるべく多くの方にお会いして話を聞いてきました。そこで私が改めて感じたのは、日本には素晴らしい人材と文化財があるということです。お寺などの有形文化財に加え、無形文化財もあります。さらに、統計を見ると、国民のあいだでは、物質的な豊かさだけではない心の豊かさを求める気持ちも非常に高まっています。つまり物質面以外の豊かさへの需要も、それを供給しうる人材や文化財もある。しかし、両者を繋ぐシステムがないのです。そこをなんとかしなくてはいけません。これは国や都道府県の責任でもありますし、NPOにも果たすべき役割はあるでしょう。

では、国として「文化」にお金を出していくにあたっては、どのような説明が必要となるのでしょうか。私は次の四つの役割が文化にはあると考えており、これらが国の支出を説明しうると思っています。一つ目は、一人ひとりへのエンパワーメント。文化は生きる力を与えるということです。二つ目は社会的な役割。ソーシャル・インテグレーション(社会的統合)と言いましょうか、たとえば、体が不自由な方々、移民の方々、あるいは算数や国語がよく出来なくて落ちこぼれてしまう生徒たちなど、社会で中心的役割を果たせないことが多くなりがちな才能が、文化芸術という分野で花開いていくことで、社会に力として取り込むことが出来るのです。三つ目は、経済効果や地域活性化です。新しい文化産業や創造産業が、地域に限らず経済全体を成長させていくきっかけを与えます。日本のように成熟した資本主義社会において新しい付加価値を提供出来るのは、文化や芸術の領域になるということです。そして、四つ目は、国のイメージを向上させるというブランド力です。私は、文化にはこうした四つの役割があると考えています。ただし、現在は地方も疲弊していますし、文化という領域の需要と供給を繋げるシステムもありません。ですから少なくとも好循環でものが廻るまでは、国が投資を行い、ある程度の援助をしていくべきだろうと思っているのです。

松井:ありがとうございました。では、次は松岡先生にお伺い致します。ただいま近藤長官から四つの機能というものが提示されましたが、それを踏まえつつ、文化の価値についてお伺いしたいと思っております。文化は地域や都市、さらには一つの国家にとってどのような役割を担っているのか。文化と社会、さらには都市や国家との関わりについても触れながら、松岡先生の文化論をご提示いただけますでしょうか。

情報はメディアによって、意味を変え、文化的な装いをする(松岡)

松岡:「文明」や「文化」といったものの定義は難しいのですが、おおざっぱに言えば、ライフスタイルや生活に関するもののすべて、ということでいいと思っています。ただ、「スタイル」という言葉には、「モード」や「ファッション」、「モデル」など、さまざまな言い方がありますよね。ですから国や企業が文化について何らかのシナリオを用意して戦略を組み立てる際、文化のどの側面をつかまえるのかが難しい問題になると思います。

文化が面白くてかつ扱いにくいのはなぜでしょうか。たとえば世の中には、生産の現場というものがありますね。田畑、水田、工場、あるいは牧場など、そこには牛がいて、肥料や農具もあります。漁業も同様のものがあるでしょう。それがある日収穫を経て、市場に行きます。当然市場には卸業者がいるので、「何か」を見せなければいけなくなります。つまり市場では収穫物を「欲望を喚起するもの」に換えているわけですね。そして、さらにはそれが購買者、ユーザーによって町や家庭に運ばれて、さまざまな形で消費されていくわけです。

「文化」というのは、そういった経済行為と別にあるものではなくて、農具にもあれば、船にもあるし、網打ちの小屋にも、店にも、市場へ商品を運搬するトラックにも、商品のラベルにもあります。そしてこれが「文化」というものを、総合的でありながら、いざ勘定項目で表そうとすると極めて扱いにくいものにしているのです。「文化」という項目さえあってくれれば、アートにしても、アニメにしても、音楽にしても、何かが組み立てられて、それが結局は音楽産業や化粧品産業になります。そして勘定項目すべてをあてはめたあとでなおきっと、そういった経済的な項目とは別に「文化」が残っているように思いがちだと思うんですね。これが、文化と経済を組み立てていくことを難しくしています。

こちらの会場は伺ったところによると、マイカルというスーパーマーケットを星野リゾートさんが建て替えたものだそうです。ではいったい、マイカルの文化はもうここにはなくて、星野リゾートがここの文化かと言えばそうではなく、ずっと繋がっているものがある時点で意味の変換をしているわけです。ですから、「文化」というものを改めて経済のすべての工程のなかで捉えて組み立て直すということをしないと「文化経済」あるいは「文化の資本力」といったものは生まれないと思います。

もう一つ。資本主義が出来あがったひとつの文化的きっかけは「プリンティング・キャピタリズム」と呼ばれる印刷文化です。産業革命以前のものですね。フィリス・ディーンやフェルナン・ブローデルが言い出した「13世紀に確立したキャピタリズム」というものが、もともとはあったということです。それはつまり、情報がメディアによって意味を変えて文化的な装いをとりうる、というもので、これを印刷物がやってのけたわけです。表紙、コピー、タイトルがついて、たとえば“贅沢”や“楽しみ”や“会話”や“暖炉”といったものに、いままで具体的な生活財が少し意味を変えてきました。その過程には、プリントメディアというものがあり、プリンティング・キャピタリズムがとても重要になったわけです。

ただ、今ではこれらがすべてIT化されてきました。「楽天」も「YAHOO!」も同様に、ネット上でモノを購入出来るようになった。そうなってくると、さきほどの話とは別のことを考えていかなければなりません。生産から廃棄までの全過程に文化があるのだとすれば、「楽天」や「YAHOO!」で処理された情報は一体どのような文化になるのだろうと。今後そのような文化経済論を考えていかなければなりません。私は最近、「松丸本舗」という書店を丸善本店につくったりして電子書籍という黒船が来たこの時代に、「本」がどのような形をとりなおさなければいけないのか、ずいぶん実験をしています。21世紀の電子社会、およびそのネットワーク時代における文化と経済は超難問だと思っているのです。

松井:ありがとうございました。このようにですね…、我々は迷路に放り込まれるという(会場笑)。

松岡:まだなんの仕掛けもしてないです(笑)。

「お金が文化を支える」のではなく、「文化が経済を支える」(蓑)

松井:では次に蓑先生にお話を伺いたいと思います。蓑先生は特に北米に長く滞在されていらっしゃいましたが、現在は金沢と神戸で美術館と都市との関わり、およびアートと経済との関わりという視点で現場と向き合っておられます。そのような視点から「文化と経済」、あるいは「文化と都市」といったテーマについて、お話をいただけますでしょうか。

蓑:お招きいただきありがとうございます。私は子どもの頃から美術に囲まれた環境で育ってきました。また、アメリカには30年間住んでおりまして、今でも仕事でよく行きます。こうした経験を通して、「文化」に対する捉え方は、日本とアメリカでは大きく違うと感じています。フランス人も同様ですが、我々日本人は長らく文化に囲まれていることで、つい文化についてよく知っているような気持ちになっています。しかし、実際はまったく知らないのです。日本人はたとえばアメリカに行っても、政治家や企業の方々を含め、自国の文化について一切説明出来ないことが多い。こんなに恥ずかしいことはない、と私は思っています。

これはおそらく小さいときから、自分が文化について知っているような雰囲気が自然と周りにつくられてしまうからでしょう。しかし実際は勉強していないためわかっていません。日本人は子どもの頃からもっと文化に親しむ必要があります。そのためには親が、子どもが小さいときから美術館や音楽会に連れて行く習慣をつくっていくべきだと思います。そうしないと人々の感性が養われないことになり、いずれ未来の日本は暗澹たるものになると思います。

感性というものは教科書では学べませんし暗記も出来ませんから、「どうしたら身につけることができるのか」と悩むものです。感性が人間にとって素晴らしいツールになるという意味では、言葉と一緒です。しかし言葉と違うのは、語学は、それだけ出来ても仕方がないですよね。どこかの国の言葉が扱えたらそれだけでスマートなんて思われがちですが、とんでもないです。生まれたての赤ん坊だって、しばらくすれば喋るようになるわけですから。語学力以前に、まず自分の何らかのフィールドを持っていて、そのうえで外国語が扱えたときに大きな力となります。

自分のフィールドをしっかりつくって自信を持つために必要なのが感性です。感性は習うものでもなく、自然にからだのなかへ入っていくものです。日本の将来を見据えるうえでも、小さいときからそのような感性を育てる環境をつくるべきだと思います。まずは、日本にはこれだけ素晴らしい建築技術があるわけですから、それを生かして感性を育てられるような幼稚園や小学校の校舎をつくるべきでしょう。コンペを通して優秀な設計を国が行って、あとは地方自治体が校舎をつくる。そういう計画から、本当にこれからの日本は変わっていくと思います。

今まではどうも経済が優先されていたというか、「お金が文化を支えている」というとんでもない錯覚がありました。しかしそうではない。「文化が経済を支える」という思いをすべての日本人に持って欲しいと思います。文化が栄えることで想像力が生まれる。その想像力が経済を支えていきます。生き物が水がなければ生きていけないのと同様に、美術館やコンサートを、それらがないと生きていけないというぐらい人の生活に欠かせないものにしていきたい。そうしないと日本の文化は本当に衰退していくと思っています。

私はアメリカの美術館で長らく働いていましたが、たとえばアメリカの美術館で展覧会を行うために3億円の予算が必要になったとします。この際、美術館は一銭もお金を払いません。運営費用は学芸員が集めるのです。たとえば、「3億円を使うけれども、この展覧会を3カ月やることで100億円の経済波及効果があります」と説得して、予算を集めてくるのです。これがアメリカでは当たり前になっています。一方の日本では国や地方自治体に元々の年間予算がついており、運営費用も賄われます。仮に3000万円の予算で展覧会を開催し、結果として人が入らなくても、誰の責任でもないし、別に関係ないということになりがちです。この仕組みや意識を変えないといけません。学芸員には、自分が企画した展覧会に責任を持たせるべきなのです。「この展覧会をどうしてもやりたい」のならば、なぜやりたいのかを市民にきちんと説明するべきです。その繰り返しによって人が集まり黒字になるわけです。そういうことをしていかないと、これから美術館は本当に大変な状況になると思います。

松井:ありがとうございました。それぞれに文化についてコメントをいただきました。蓑先生からは「文化が経済を支える」というお話がありましたね。近藤長官による人間へのエンパワーメントというお話とも共通する部分があったように思いますし、色々な共通点とともに議論の大まかな下地が出揃ってきたように思います。

ここからはさらに具体的事例を挙げつつ議論を深めていきたいと思いますが、たとえば松岡先生は京都洛中のお生まれですよね。実は私もご近所で育ったのですが、たとえば千利休による茶の湯の文化が日本文化、あるいは経済にどういった影響を与えたのか。そのあたりを少しお話いただけないでしょうか。

日本文化は半閉鎖的な環境で「価値」を上げてから、マーケットに出されてきた(松岡)

松岡:先ほどは一般的な文化の話をしました。文化は生産から消費、場合によっては廃棄に至るまでのすべてにかかっているというお話です。アートであれば、廃棄まで含めてもう一度元に戻して美術館に展示されるようなものもあり得る、これが文化です。

ただ、利休に限らず日本文化の場合、もちろん基本は同じなのですが、そのなかに“座の文化”が存在します。“一座建立”ともいいますが、結界をつくり、市場とは別にして閉じるわけです。独特と言えますが、これは奈良朝の長屋王の時代からありましたし、そのあとの平安朝に入っても、貴族文化として長らく座の文化はありました。

あるものがいきなり市場化されるのではなくて、いったんセミクローズドのメンバーシップが、好みや趣向といったお題、つまりそれはスタイルであり、モードであり、テイストなのですが、その趣向をわざと閉じられた場で先に出します。歌合せでは「秋のもみじの冬の」というところで止めておいて、「冬の」の先を皆がつくっていきますね。茶碗合せも同じ。前栽合せにしても同様で、植物を合わせてガーデニングを始めている。ロンドンなどヨーロッパで発達したピクトグラムやピクチャレスクとしてのガーデニングは、自然全体を加工しようというものでした。でも日本の場合はそれを一旦小さな座に区切って持ってきている。その小さく区切った自然を茶碗にしたり掛け軸にしたり生け花にして、その場だけでまずは価値を一回あげるのです。

この仕組みのうまみに気付いたのが、当時、国際文化およびグローバリズムが進んでいた堺の武野紹鴎(たけのじょうおう)と千利休です。武野紹鴎は利休の師であった人です。彼らは「閉じた状態から経済価値を生むためには何をすればいいか」ということを考えました。そして連歌の仕組みをすべて取り入れて、そこに宗匠(茶道などの師匠)、ディレクターを置いています。そして利休は、奈良ではじまった村田珠光という人の「侘び」という考え方を導入しました。

この「侘び」は、一言で説明すると、「今日はあいにくいいものを持ち合わせておりませんが、こんなものでどうですか」と詫びることです。「ベストセレクションをしておりませんが、今おいでになったので、とりあえず私の持ち合わせで済ませます。この場はそれで結構ですよね?」と。非常に日本的な考え方ですよね。「この場は結構ですね」の“場”が、奈良朝からずっとつくられていたということです。利休はそこにお茶という、何の役にたつか分からないような、ちょっと怪しいような、非常にスピリチュアルなような、実際にはかなり怪しいものが流行っていた時期もあるのですが、そういうものを使って、わずか2〜3時間、今では4時間ほどかかりますが、「侘茶」というものをとりあえず持ち合わせでやってみせたのです。

これはヨーロッパ的で経済学的な言葉で表現するとクラブ財だと思っています。要するに日本的ではありますけれど、クラブのメンバーシップにして、そのなかで何かお題を出してその価値をあげていく。たとえば楽茶碗なら利休は長次郎につくらせていたのですが、茶碗の値段は恐らく今で言うと100円。手間賃を入れても1000円止まりです。しかし、たとえば黒楽は年間2回しか見せませんでした。そこに呼ばれたのは赤座の大豪商や高山右近、もちろん信長や秀吉もいるのですが、年にたった2回、市場ではなくそうしたクラブの中でのみ見せる。楽茶碗は2回ぐらいの茶事を経て、1年半ほど経つとおよそ1万倍、場合によっては10万倍ぐらいに値付けされる。そしてそれが、当時は京都の三条にマーケットセンターがあり、そこへ一気に出ていきました。この様子を見ていた利休七哲の一人である古田織部は、朝鮮半島より伝わった登り窯という当時のハイテク窯を美濃まで持ってきて茶碗をつくり噂をたてて、茶事は年1〜2回とした。さらに“へうげもの”という歪んだ茶碗を使い、マーケットへ出すときは30分なら30分と限定などとして、ものすごく高い値段にしていきました。

お茶の世界は部分的にこのような歴史を背景にしながら、茶事を通して茶碗の価値をあげ、市場に出していきました。これはまたオークションとも異なります。セミクローズドなメンバーにお題を出し、物語ごと運んでいくという仕組みです。しかも最初は「私はこんなものしか持ち合わせがありません」というような、コンペティションではなく侘びの精神でつくっているという、大変に不思議なものが当時はあったのだと思います。

松井:ありがとうございます。ある種の文化を非常にクローズドな状況つくりあげ、海外からものを導入してしかもそれを高めて、経済的には1万倍の価値にしてしまうと。これは当時、ある種のプロデューサー的役割を彼らが担っていたということでしょうか?

松岡:はい。よく皆さんも日本の文化として、歌舞伎、能、お茶、あるいはお花などを思い浮かべると思いますが、だいたい今の話に近いと思います。大相撲も「場所」という結界で年に限定回数開催することにより、価値をあげています。ただ実際のところ、たとえばお茶にも付属物がたくさんあります。着物や扇子などの品があります。歌舞伎や能でも同じですよね。非常に限定している。ですから日本の文化を売っていこうとするとき、この仕組みを止めてグローバル・ルールに切り替えていくのかという点は、非常に難しい課題になります。

柔道はグローバル・ルールに切り替えました。「体重制」「教育的指導」、あるいは「効果」、それまで講道館柔道にまったく存在しなかった価値観をすべて受け入れてグローバル・ルールに切り替えたのです。これよってたしかに柔道人口は世界的マーケットのなかで伸びていきました。その代わり日本はとても弱くなっています(笑)。そこを割り切っていくのかどうか。仮に日本文化、あるいは「クールジャパン」というようなものに限ってみると、私としては利休が考えたようなやり方をそのまま一度、グローバルにやってみるべきだと思っています。ただし、そこに国や経済産業省として何らか経済的仕組みを加えていく。そのうえでセミメンバーシップによって閉じられた不思議なものを世界へ持ち出すのが良いのではないかなと思っています。

松井:ありがとうございます。では、蓑さん、どうぞ。

蓑:松岡先生のお話に関わることでひとつ。お茶もお能もそうですが、色々な面で波及効果があると思います。たとえば「お茶会に呼ばれたから新しい着物をつくらないといけない」など。ヨーロッパも同様で、オペラでシアターにいくときは「新しい洋服を買いたい」となります。そんな風にして需要が増えていくわけですから、その意味でも色々な職業に結びついて、文化は経済に繋がっているのではないかなと、今感じました。

文化に触れることで、救われる人、才能がある(近藤)

松井:非常に興味深いお話でした。では、次に少しモードを変えて近藤長官にお伺い致します。たとえば松岡先生はご実家が呉服屋さんというか悉皆屋(しっかいや:衣服の染色をする)さんでしたが、呉服だけではなくある種の食文化も提供していたわけですね。食器をどう取り合わせるか、軸をどうするか、お饅頭はどこから取り寄せるか、お料理はどうするか…。まさにすべてを統合しながらプロデュースして、もてなす空間を設計する機能を、かつての京都呉服屋さんは持っておられたと思います。

近藤長官は、行政の立場としては事業仕分けで色々苦労されたと思います。統合されプロデュースされた全体像としての文化ではなく、文化のある側面のみで経済効果を判断せよといったことを言われたと思います。実際、日本の行政組織で色々と予算配分をするには苦労が多いと思います。そういった状況において今後の文化政策はどうあるべきか、今の文化論を踏まえてご所見をお伺い出来ますでしょうか。

近藤:仕分けの話が出ましたが、これは今まで“なあなあ”でやってきた既得権益に基づく公共支出のカットという意味ではとても重要だと思います。ただ文化は費用対効果などの考え方が当てはめづらい分野ではありますよね。私がそれ以前に務めてきた外交分野も同様です。何をするにしても、翌日すぐに成果が表れるものではありません。総合的に全体をカバーする話であって、個別の因果関係を確立しにくいのです。そういった分野にまで仕分けが及んでいくことについては、疑問を感じております。

私が松岡先生のお話を伺って一番感じたのは、今の日本に欠けているのは広い意味でのアートマネジメントではないかということです。先ほど利休のお話が出ましたが、要するにプロデューサーがいない。文化を担う人材はたくさんいます。無形・有形文化財は能や工芸品を含んで素晴らしいものを千年以上にもわたって継続していますよね。さらに文化を求める国民の需要もあります。高度成長期は物質的なものと精神的なものを求める気持ちが半々でしたが、次第に心の豊かさを求める声のほうが大きくなってきました。こうした文化への需要と文化財を繋ぐものがアートマネジメントであり、プロデュースなのです。

アートマネジメントは美術館のキュレーションなどにとどまらず、芸術が持つ「4つの力」を国の力へと換えていく仕組みをつくることです。私としては、そこで中央省庁や地方自治体行政の役割が出てくるのだと思っています。経済効果だけで判断するのは誤りであって、中長期的に20〜30年のオーダーが必要になるでしょう。また、文化芸術の社会的波及効果、個人のエンパワーメント、国際的ブランドイメージの向上、それらすべてを含めて、効果を判断しなければなりません。

そこで具体的提案としてひとつ申しあげます。文化庁が今後やっていきたいのは、このマネジメントの部分です。文化という素晴らしい素材を、いかに消費者または潜在的需要に届けていくかに力を注ぎたいと思っています。一方で需要を喚起するという意味では、子どもたちの鑑賞力を養うことも肝要です。先ほど蓑さんが仰っていたように、まだ感性が豊かで可能性を秘めた子どもたちに、本物の芸術を見せていくのです。学校の先生にそれを今すぐやってほしいと言っても無理でしょうから、劇団や企画会社の方々にどんどん小学校へ行ってもらいます。

私も実際、そのような現場を2回ほど見てきました。東久留米と船橋ですが、劇団が出向いて子どもたちと一緒に演劇をやりながら「君はどう思う?」などと聞くわけです。で、「こういう風にやってみたい」と子どもが言えば、「あ、それいいね」と。そうすると、子どもの目が本当に輝いてきます。「あ、これでいいんだ」と。「僕は算数が出来ないけれど、演劇なら結構いける。あいつより褒められたんだ」となるのです。そんな風に楽しみや自信、生きがいを見出していくことで、子どもの感性や人間力が磨かれていくと思っています。

こうした活動を今はNPOが始めていますが、まだ小さな動きであり、国として支援していきたいと思っています。というのも学校側も、教育内容が今のままでは問題があると思っているからです。不登校が多く、学校に来ても一日中保健室にいたりする子がいます。そんな子どもたちも、劇団が来ている時間だけは保健室から出てくるそうです。文化にはこのような教育効果があるのです。ただ、そういったことをする意思のある劇団と学校はそれぞれ必要なネットワークを持っていません。ですから、国がその需給を繋いでいきたいと思います。経済的に苦しいNPOも多いため、実施にかかる費用を国で支援し、円滑に繋がっていくようにしていく必要もあるでしょう。ほかにも文化の教育効果事例はたくさんあるのですが、まずは一つを紹介しました。

松井:考えてみると文化と民主主義、もっと言えば文化と事業仕分けというのはなかなか難しい取り合わせでもありますよね。私は事業仕分けはとても重要な行政手法だと思っています。ただ、皆がそれぞれ「これが良い」と言うのではなく、総合的に判断するプロデューサー的立場が必要という気が致します。

それを国の政策として誰がやるのか。そんなセンスを持っている人間がどこにいるのか、という問題もあるでしょう。また、文化予算も少なく事業仕分けがあるなかでどのようにやりくりしていくのかということまで考えると、これは本当に難しいなと思います。しかし蓑先生が先ほど仰っていたように、アメリカはそれほど歴史的なバックグラウンドを持っていなくても、というか持っていないがゆえに文化の大切さを強く意識しているように思います。子どもたちに文化的素養を根付かせる努力を非常によくしていると思います。

美術館は、地元の人が“毎週遊びに来る場所”になるべき(蓑)

松井:今、近藤長官からも子どもたちに芸術や文化を体験させていくというお話がありました。都市、地域、あるいは国として、具体的にどのようなアクションをとっていくべきなのか、今度は蓑さんのお話をお聞きしたいと思います。特に蓑さんは金沢、そして現在は兵庫で館長として現場に関わっておられますよね。そこで文化を軸にしながらどのように地域や都市の魅力を高め、発展させてこられたのか、ご自身のご経験や具体的なご提案などがあれば、お伺いしたいと思っています。

蓑:まず美術館というと、美術だけを学べるところだと思われていますよね。でもそれは違います。たとえばアメリカでは、あらゆる授業で美術館を使っています。語学の授業も美術館でやります。フランス語の授業で印象派の絵を見せ、お昼もフランス料理をリーズナブルに食べて文化を知る。そのうえで印象派の絵画について、レポートを提出させます。当然、歴史の授業でも使えますね。あらゆる授業で学生や子どもたちを美術館に連れてきます。そういうことを日本でもぜひやって欲しいと思います。これだけたくさんの美術館があるのにぜんぜん使っていない。「やろう」と言っても、数館しか手を挙げてくれません。

金沢のときは、近隣のすべての学校生徒が来られるように5000万円の予算を取りました。全校を連れてきても4万人です。ですがこれが金沢21世紀美術館の、今でも年間150万人という驚異的な入場者を誇る原動力にもなっています。人口46万人の都市で年間来館者150万人なんて、外国でも考えられません。シカゴ市のように人口260万人もいて、かつあれだけ印象派の絵を保有しているところで年間150万人から200万人の入場者です。アメリカは火曜日を無料にしているため入場者は多いのですが、金沢と同じ条件下でかつ金沢ほどの入場者を誇っているところは世界でも珍しいのです。

結局、人口に対する入場者の多さは、子どもが親を連れてくるためです。子どもが楽しめる場所だから、人がたくさん来るようになる。今までの美術館は子どもが入りにくい場所でした。そこで、子どもたちが自然に入って溶け込めるようなシステムをつくったのです。5000万円の投資はしましたが、今はそれが還元されてきています。美術館を活性化するためには、それぐらいのことをしないといけない。年間数校を見学に連れてきたぐらいでは、まったく足りないのです。

それともうひとつ、金沢21世紀美術館では毎週さまざまなイベントを開催しています。外国でも同様ですが、とにかくイベントを継続的にやることは非常に大事です。イベントについて公立の美術館に色々とお話を聞くと、「ああ、それならうちでもやっていますよ」と、たいていの方は言います。そこで、「どのぐらいの頻度でやっているのですか?」と聞くと、「だいたい年に3〜4回」と言うんですね。それでは町の人が親しむような場所にはなりません。毎週やることで、近所の人の方々、たとえば、おばあさんやおじいさんが自然に孫を連れてくるような場所になるのです。そしてそれが、将来の日本の文化の受け手を育てていくのです。やれば出来ることなのに誰もやらない。私がやると「金沢とこちらでは色々と事情が違うんです」と言う。でも皆が子どもたちのことを一所懸命思いながら実現していけたら、どれだけ素晴らしいことかと思います。

それともう一つだけ。これはジョン・ミラーという下院議員が議会に対して「もっと文化予算をつけてほしい」と主張したときに提出したデータです。2007年のアメリカ芸術協会による調査結果です。こちらのデータによると、驚くべきことに毎年1660億ドル、日本円で13兆7614億円ものお金が芸術文化による経済活動で生み出されています。交響楽団、バレエ、オペラ、博物館、美術館、あるいは水族館などでこれだけのお金が使われるのです。これにより、政府はおよそ300億ドルの収入を得ています。日本円なら2兆4900億円のお金が入ってくる。さらにこれらの分野では570万人の雇用を生んでいるというデータが出ています。「だから国はもっと文化にお金を出すべきである」と議会で主張できたのです。さらに、寄附も集まっています。

外国ではこのぐらいのことが行われています。日本はお金がなく借金で困っていると言いますが、それでも寄付したい人はたくさんいます。ところが、寄付に税金がかかってしまうのです。この税制だけは変えて、本当に心のこもった寄付が実現されるような仕組みにしていただきたいと思います。

松井:ありがとうございます。金沢という町が文化をベースにブランド力を高めているというお話でした。なかなか定量化しにくい事例ですが、たとえば美術館だけでなく小規模な室内のオーケストラなど、恐らくは小さな活動の一つひとつがすべて繋がって、ブランドを高めているのだと思います。

「最も重要なのは働くこと」という発想を捨てよう(近藤)

松井:では改めて近藤長官にお話を伺いたいと思います。たとえばフランスのナントをはじめとした文化を地域活性化に使った成功事例をご紹介いただきつつ、どのようにして文化を軸にした町や住民のエンパワーメント、活性化を図るべきかをお聞かせください。文化がひとつの町で大きな発展要因になっている事例には、どのようなものがあるのでしょうか。口で言うのは簡単ですが、現実的に日本ではほとんど実現していないという現状もあるわけです。都市経営として、どのような活性化が文化で可能となるのか。先ほどプロデュース機能というお話を伺いましたが、その点を含めて何かお話をいただければと思います。

近藤: 1985年、当時すでに成熟した市場経済となり「これからは新興国に追いつかれるだけだ」という危機感を持ったヨーロッパが始めた「欧州文化首都」という制度があります。ヨーロッパのなかで毎年どこかの都市を「欧州文化首都」として選び、その年は選ばれた都市でさまざまな文化行事が行われるというものです。成功例として特に有名なのが1990年のスコットランドのグラスゴーです。産業革命時代には栄えていましたが、80年代にはもう廃れてしまっていた都市です。それが文化を中心にして思い切った振興策をとってみたところ、大成功しました。今ではイギリスで最も訪れたい都市の一つとして再生しています。

もうひとつ有名なのがフランスのナントの例です。こちらでは『ラ・フォル・ジュルネ』、日本語にすると『熱狂の日々音楽祭』というフェスティバルを開催しています。東京でも6年前から似たような音楽祭をやっていますし、金沢や新潟でも始まっています。ナントもかつては奴隷貿易、そのあとは造船で栄えた都市でした。しかしその後は廃れていく一方で、一時は廃墟と化した街になりました。そこにジャン・マルク・エローという市長が登場して、元々工場であったところを文化施設にしました。そして音楽祭を始めたところ大成功を収めました。10年後にはフランスの『Le Point』という雑誌で「住んで見たい都市」の1位に4回選出されています。なぜかと言えば、素晴らしく文化的な雰囲気がある町だからです。「家族が文化的な生活を送ることが出来るのなら、ナントで暮らしたい」と考える人が増えた結果、減っていた人口が増え始めました。若い人が戻ってきて、町が活性化し始めると、企業もオフィスをつくるようになりました。

ここで大事なポイントがあります。まだ日本の社会全体では、「レジャーというのは悪いことで、最も重要なのは働くことだ」という意識や雰囲気が強く残っているという現実があります。特にこんな不況ですから、「早く帰るなんてとんでもない。6時に帰社するなんて」と。これでは、いくら文化的に素晴らしい都市が出来たとしても何も変わらない。「その町に引越しをしよう。子どもの受験勉強だけが人生ではない。精神的に豊かな生活が出来ればいいな」という風に親が思わないと、たとえば金沢が文化的に成功した町だとしても、引っ越していきませんよね。やはり東京にいようとなってしまう。

ですから意識を変えていかないといけません。たとえば金沢以外でも群馬県の中之条町という小さい町では、町長がイニシアティブをとって文化推進政策を行っています。そういう町は出はじめているので、良い兆候ではあります。ただ、それが本当に地域全体の力へと結びつき、若い人が増え、人口が増え、目に見えるような経済効果あげるところまで到達するためにはどうするべきか。やはり町全体のマネジメント、そして人々の意識改革にもっと手を付けていかなければいけないと思っています。

松井:ありがとうございます。ではあと5分ぐらいでフロアの皆さんにマイクをお渡ししたいと思いますが、その前に締めとして松岡先生にお伺い致します。先ほど、民主主義やグローバル市場における文化を考えるのは難しいというようなお話がありました。また、本日は寄付のお話が出てきましたが、昔は王様やお殿様がスポンサーになって文化を育んできたという面がありますよね。ただ今は、やはりアカウンタビリティ(説明責任)が求められます。

そうしたなかで自民党や公明党でも、寄付税制をなんとか導入したいという話があります。実は現在、私どもは税法として寄付の50%にあたる税額控除を導入するという案を用意して議論しております。これは「エンジン01文化戦略会議」の方々もずっとご提言されてきたことですから、現政権の成果というより皆さんが努力してきた成果ですが。

従来は、色々な方々が省庁のトップに「補助金を出してください」とお願いしていました。事業仕分けで厳しくなった面もあると思いますが、「この映画に芸術文化振興基金から5000万円の補助金をください」という感じです。これからは陳情という形ではなく、どなたでも寄付をしていただけるようにしたい。アメリカでも美術館やオペラハウスでやっていますが、とにかく気軽に寄付していただけるようにしたいのです。さらに、「これはボストン美術館に」とか「これはシカゴシンフォニーに」と、寄付者が対象を選ぶことが出来るような税制がよいと思います。アメリカの場合は所得控除ですが、今回、日本で議論しているのは税額控除です。10万円の寄付をしたら自分の税金から5万円控除される。そして寄付先は自分で選べるというものです。

この制度については「なかなか難しいのではないか」という意見もあります。しかし、寄付の文化をどうやって日本に根付かせていくのか、文化の消費者に対して何を訴えていくのか、我々もまだ慣れていない状態ですから、今後は政策上でも正念場を迎えていくでしょう。そうした日本の寄附税制の前提を踏まえつつ、諸外国とも比較した文化と経済の関わりについてお伺いしたいと思っております。最終的に日本が文化的な発信力を高め、それによって経済も廻っていくようにするためのシステムづくりにおいて何が必要でしょうか。

目利きを活用したスコアリング制度を(松岡)

松岡:税制の問題もありますし、プロデューサーやディレクター、教育。すべてについて考える必要はあるでしょう。それから“目利き”。文化には目利きが必要で、その目利きが選んだものをスコアリングするシステムも不可欠だと思っています。欧米は美術館同士でポートフォリオをインタースコア、つまり互いにレビューしたり評価したりしているからこそ、バスキアについてもセザンヌについても次の価格を決めていけるのですが、今の日本はそれを踏襲しているだけですよね。

たとえば室町時代には、将軍が同朋衆という連中を使って、中国から入ってきた唐物などすべての価格を決めていました。たとえば当時まったく値段が付いていなかった国焼きと呼ばれるものについて、中国の唐物のスコアと対応させていたのです。そのあとに先ほどお話しした武野紹鴎や利休の時代になっていくのですが、こうした目利きを活用したスコアリングを日本でももう一度やらなければいけないなと思います。

それからもう一つ。日本にはデポジットというのがありますよね。たとえばどこかの部屋を借りるときに敷金を払って、出ていくときにそれが戻ってくる。もちろん傷んだ箇所があればその修理費を引かれます。あれは非常に変な仕組みだと思う反面、アートや文化の領域ではひょっとしたら大切になる仕組みなのかなと思っています。つまり、才能に対して寄付をするのではなくデポジットをして、その才能と10年かけてつきあうのです。10年後にお金が戻ってくるというのは少し現実的ではないですから、エイジングマネーのような考え方を入れていってもいいでしょう。ただ、とにかくそういう仕組みを何か考えいくと良いのではないかと。

さらに、文化というものは先ほど申しあげたように、生産、消費、あるいは廃棄まで、ぐるぐる廻っているものすべてにかかっているからアートが成立するわけです。ごみだけでもアートは出来ますし、村上隆君のようにベルサイユ宮殿におたくのアイコンだけを持っていくことも可能です。しかしそうであるゆえに「組み合わせ」を行う何らかの仕組みが必要になります。アーティストが頑張ることは出来ますが、それとは別に文化経済政策としては何をしたら良いのかを考える必要がある。寿司屋で「トロひとつ握って」と注文する形ではなく、最初からぐるぐる回っているお皿の上に乗せられる回転寿司のような仕組みです。お皿に値段がついていて、その上に乗る組み合わせが文化になっているような、そういう形で文化と経済を合わせる仕組みがあってもいいのかなと考えています。

そして最後にひとつ。コーチが必要でしょう。今では三味線などの伝統的邦楽を小中学校でも教えるようになりましたし、今年からは剣道も体育で選択出来るようになりました。しかし現状ではそれを教えるコーチがほとんどいません。剣道を体育に採り入れるといったこと自体は非常に良いと思います。しかし、小学校などに具体的科目として導入されたときに、体育の先生にそれが教えられるかというと少しあやしくなります。文化はそれ以上にまったくコーチを出来る人がいませんよね。もし文化を学校の授業に取り入れようとするならば、三味線を五線譜に切り替えなければいけなくなる。今はそれをどうするかという瀬戸際に立たされている状態だと思うのです。文化をもう少しコーチしていこうとしたときに、どんなツールが必要となるのか。今後、文化と経済が相並ぶためには重要な課題になるのかなという気が致します。

移民政策は日本文化の発展につながるのか(会場)

松井:はい、ありがとうございました。では、ただいまご指摘いただいたことを含めて、フロアからご質問またはご意見を募る時間にしたいと思います。

梅澤高明氏(A.T. カーニー株式会社 日本代表):移民と文化政策の関係についてお伺いしたいと思っております。昨日の別セッションでは主に経済力を高めていくための人口政策として、移民という論点を挙げさせていただきました。経済あるいは日本企業の国際競争力という観点では、移民政策が不可欠であると私は確信しています。ただ、それを行うときに日本文化の発展にも繋がるのかどうか。これについて私は「YESである」という仮説を持っておりますが、この点についてご意見をお聞かせいただけないでしょうか。

松井:移民が増えることは日本文化にとってプラスだと思います。文化というものは多様な価値観が混ざり合えば混ざり合うほど伸びるものですから。どんどん外国から人を連れてくれば良いと思いますし、彼らは日本のファンになってくれると思います。また、それによって日本人が良い刺激を受けます。「ああ、そういう価値観もあったのだ」と。「自国文化の価値がこのようなところにあったのだ」ということも外の人に触れて初めてわかります。ですから、移民受け入れはプラスであると私も確信しております。それに加えて冒頭で申しあげましたように、彼らの文化活動を支援することで、社会的統合を進めることも出来る。そういった二重の意味で移民は文化にプラス作用を与えると思っています。

蓑:たとえば世界でも大変有名になった葵國強さんも、韓国の李禹煥さんもそうですね。彼らは日本に来て花が咲いた。そして世界に出て行って、これだけ著名にもなる。母国に止まっていてはそうはならなかったでしょう。日本はそういう国だと思うんですね。それで日本の作家も大きな刺激を受けとれば、大変意味のあることだと私も思っています。

寄附税制、過剰な著作権保護は文化の普及の足かせに(会場)

会場:今日は素晴らしいお話をありがとうございました。私は銀座で画廊をやっておりまして、現場で仕事をしている人間としての質問と提言が3つございます。一つ目は寄付について。私どもにもお客さまが美術館への寄付を前提にした寄託というものをしてくださいますが、問題がたくさんあります。まず寄託しているあいだに亡くなられたとして、そのまま寄贈出来るかどうかが分からない。贈与税がかかるという問題です。また、寄託して名前が出るとすぐに税務署の方が来ます(会場笑)。お客さまとしてはもっと寄付をしたいと思うのですが、税務署が来てとられたうえに、痛くもない腹を探られ家宅捜査もされて嫌になってしまう。これが現実にあるお話ですので、この辺についてどのようにお考えになっているかをお聞かせください。

二つ目は政策サイドと現場とのあいだの意識のギャップについてです。私も鑑賞教育が非常に大切だと思っております。それでつい先日も、杉並区にある小学校の鑑賞教育として竹橋の国立近代美術館へ行ってきました。そのとき、私が大人向けの鑑賞教育を企画しているということもあって、担当の学芸員さんに「大人も来たときに説明していただけますか?」とお聞きしたところ、「画商の方でしょ? 商売を応援することになるから出来ません」と言われてしまいました。蓑さんがいらしたらそういったことは言わせないと思うのですが、現場はそのようなこともあります。この辺のギャップについてご意見をお伺いしたいと思います。

そして三つ目は著作権の問題です。具体的な例を一つ挙げさせてください。先日、あるテレビ番組で銀座の画廊めぐりツアーを1時間やっていただきました。そのとき画廊にかかっていた作品はシャガールやユトリロ、あるいはピカソのものだったのですが、これについてフランスの著作権協会が1点4万9,000円という金額をチャージしてきた。実は日本でもここ数年、作家の著作権連盟が大きな圧力を持ち出しております。私の画廊でも先般、たとえばすでに亡くなられた著名な先生のご遺族に確認したところ、「本当はご縁があるから良いのですが、他に言われちゃうから(著作権料を)取らないといけない」ということでお支払いすることになりました。故平山郁夫先生についても同様です。先生が亡くなられたあと、テレビ局が先生の作品を収蔵する美術館を取材しようとご遺族に著作権について伺ったら、何百万円と言われてしまったと。それで「番組は恐らく中止せざるを得ない」と言うんですね。もちろん作家の権利を守ることはすごく大事ですが、まだマーケットが出来ていない段階から権利保護のみを優先すると、アートを応援する活動そのものにも支障が出てくる場合があると考えておりまして、このあたりについてもご意見をお聞かせください。

松井:わかりました。少し実務的な課題を含めたご質問やご提案をいただきましたので、ここは近藤長官のほうからお願い出来ますでしょうか。

近藤:まず寄付のお話ですが、これは税制の問題であり、私としては芸術に対する税制をもっと優遇すべきだと思います。美術品を寄託した方が亡くなられた場合の相続税に関する話もよく聞きます。この辺は適切な処置をとるべきだと考えております。他方、今の税制のもとでは、寄託する方が課税されて、税務署の方が来る。税務署としては、現在の法律に従って脱税をなくそうとするのは当然なので、問題は税制そのものが適切かどうか、というところに絞られると思います。

二つ目の鑑賞教育というお話について。鑑賞ももちろん必要ですが、私は鑑賞以上にワークショップ、つまり子供が芸術作品をつくるプロセスに参加することが大きい効果を持つと思います。また、「商売を応援出来ない」という点ですが、これは恐らく学芸員の個人の問題かなという印象を受けました。強いていえば、自分には芸術作品をきちんと消費者へ届ける役割があるとわかっていれば、官民に関係なく、活動へリスペクトや評価も生まれると思います。ですからまさに今のお話は、アートマネジメントが強く求められていることの証左でもあると感じました。

三つ目の著作権ですが、実はこれは、私どもも悩んでいる領域です。作家の権利に加えてそれを普及させるレコード会社や美術館、あるいは図書館の権利と、その一方にある最終消費者の権利をどのようにバランスさせていくのか。メディア等々も発達していていますので、思わぬ形でコンテンツが普及することがあります。芸術を普及させたいという意味では、なるべく権利についても柔軟に対応していきたいと思います。ただ、守らなければいけない作家側の権利も当然あるわけですから、実際、コンセンサス形成に苦労しているところであります。今の段階では「適切なバランスを求めていく」といったお答えしか出来ません。

自分たちのお金で作家に制作依頼、美術館へ寄附するスキーム(会場)

遠山正道氏(株式会社スマイルズ代表取締役社長):質問ではなくご案内になりますが、私どもは現在、仲間と一緒に「オープン・ミュージアム・プロジェクト」というNPOの一歩手前の団体を運営しております。美術が少々高尚になり過ぎているような気がして、もっと身近にしたいと思っております。私たちの活動は、自分たちでお金を集めて作家に作品を描いていただき、美術館へ勝手に寄附してしまおうというもので、現在は東京都現代美術館のキュレーターの方と一緒にやっております。しかしお金を集めるのは大変で、今回は100万円ほど会社から出しました。始めは、「若い作家を」という意見もあったのですが、「むしろおじさんのほうが、光があたっていない」という結論になりまして、今回はある著名な先生に100万円で作品をつくっていただくことになりました。税制などが面倒であれば、私たちの活動のように、皆さんも機会があれば、まずは100万円ぐらいからやってみてはいかがかなと思っております。

松井:ご提案ですね。ありがとうございます。では次に田嶋さんのほうから。

田嶋要氏(衆議院議員):ところどころで仕分け話がちらっと出てきまして、そのたびに皆さんの視線が集中する感じでした(会場笑)。蓮舫さんはじめ、民間仕分け人の方々の名誉のために申しあげますが(笑)、実は仕分けの際にとてもユニークなことが起きました。基本的に仕分けとは削る仕事です。しかし対象が美術であったとき、「今の予算のあり方だと日本の文化がおかしくなる」という切実なお話がありまして、ほぼ全員一致で増額の仕分け結果になったことがありました。恐らくそのときだけだったのではないかと思います。特に「現在のような細切れの予算では良い美術品を日本に持ってくることが出来ない」という話もあり、ほぼ全員の仕分け人が共鳴したのです。私もそのときは「普段は切っているのに、増やすことも出来るんだ」ととても嬉しく思いましたので、ぜひ皆さまにもご報告しつつ、ご理解をいただきたいと思いました。

また、本日は「文化が経済を支える」というご指摘もありましたが、まったくその通りだと思います。日本がGDPで中国に抜かれたまさにこの時期だからこそ、「文化が経済を支えるんだ」ということを、経済産業省がまず先頭に立って言わなければいけないと思います。G1サミットではクールジャパンというテーマについても議論がなされておりますが、文化と経済はそのように繋がっていくのかなという印象を持っております。

松井:ありがとうございます。ほかに「これを言っておきたい」という方がいらっしゃいましたら、いかがでしょう。それをお請けしましたうえで、御三方に最後は一言ずつコメントをいただきたいと思います。

日本の工芸作家は“デザイン”を学ぶ必要がある(蓑)

岡部泉氏(株式会社太極舎代表取締役社長):私は現在、生活アートとしての工芸を守ろうと思い、場合によっては自腹を切りつつ必死で企画等行っているのですが、工芸は本当に大変な世界です。たとえば輪島でも沈金(漆器の装飾技法。漆塗面に模様を線彫りし、その刻み目に金箔を埋めたもの)の技術から何から何までなくなりかけているんですね。今後、文化をどのようにプロパガンダしていけば良いのか、どのように人々の心に沁みていく消費に結びつけていけば良いのか、教えていただきたいと思っております。

松井:ありがとうございます。では今のご質問を踏まえて、最後のコメントを伺っていきましょう。ここでは近藤さんと蓑さんには、先ほど松岡先生が言及されたお題についても併せてお伺いしたいと思います。要は誰がスコアリングするのか。あるいは誰がどのようなデポジットのシステムをつくっていくのか。コーチはどのようにして輩出すればよいのか。そして、生産から廃棄に至る循環において、組み合わせの仕組みをどのように捉えていくのか。これらすべてにお答えいただくのは無理かもしれませんが、ご感想を踏まえてのコメントをまずは蓑さん、そして近藤長官の順でお聞かせください。そして最後は、さらにそれらを踏まえて松岡先生から締めのお話をいただきたいと思っています。

蓑:まずアートにせよ工芸にせよ、私は日本の作家自身にも問題を感じています。技術は本当にすごいですよ。世界でも1位というレベルです。技術は外国も皆、認めています。ただ、デザイン力がない。それが世界に羽ばたけない要因にもなっているのではないかと感じています。人間国宝の方ですら、あんまり言えませんがデザインはひどくて(会場笑)。あるとき才能豊かなイギリス人アーティストに輪島塗をやらせたら、もうもうめちゃくちゃに売れたことがありました。数億で売れました。ですから、デザインの部分について小さいときから勉強することが大事なのかなと思います。だからこそ、小さいころから美術や音楽や文学に親しむ積み重ねを通し、素晴らしいセンスやデザイン力を磨いていっていただきたいと思っています。それを続ければ、もっと素晴らしい工芸が出来ます。これについてはもっと言いたいことがあるのですが……。

松井:そこは次のセッションで(笑)。では近藤長官、お願い致します。

日本版“アーツ・カウンシル”の設立を(近藤)

近藤:最後のご質問に関連することですが、日本の社会全体で文化芸術の地位を高めることが大事だと思います。生活、政府の予算構成、そして企業のメセナ活動のなかで、文化芸術の地位を高める。それによってアートマネジメントもさらに構築しやすくなると思います。私はレストランとシェフの例をよく出すのですが、素晴らしいシェフがいて、建物があってもワークしません。それを繋ぐ人が必ず必要になる。どんなインテリアデザインにして、どういったメニューにして、どういう戦略をとるかというマネジメントがなければ、どれほど腕の良いシェフの料理でも消費者には届きません。ですから全体で取り組むべきというのが第一点ですね。

第二点は、どのようにスコアするかという点について。これを文化芸術に必要な資金調達の手法と考えると、政府の予算も民間の寄付もどちらも必要です。ところが今の日本ではどちらも少ない。そこで今、我々がやろうとしているのは中立的な識者を集めた「アーツ・カウンシル」という機関づくりです(イギリスではアーツ・カウンシルという独立機関が文化行政の政策立案、予算配分、効果測定を行っている)。この機関では、どのように政府の資金を文化に配分するかという議論を行い、配分して使ったあとにどのような成果があったのかということを検証します。来年度からそのシステムをつくっていきます。

そして三つ目。G1サミットには「次代のリーダーとしての自覚を醸成する」という精神がありますよね。ですからぜひ今までの議論、特に社会で文化芸術の地位を高めるという議論を、皆さま自身が家庭や職場で続けていただきたいと思います。「文化芸術は大事なんだ」と。お金持ちになってから、あるいはリタイアしてから楽しむものではない。日々の生活で問題を解決する能力を養うのに文化芸術が必要なんだということを、ぜひ部下の方々にも伝えていただきたいと考えています。

日本の文化はある意味で、ほとんどがポップカルチャー(松岡)

松岡:まず、先ほど梅澤さんが仰っていた移民の件ですが、私としても大賛成です。大賛成という言い方も変ですが、実のところ、日本の文化芸術史はほとんど移民によって支えられてきたと言ってもよいと思っています。

そして工芸についてですが、蓑さんも仰っているように、私もたしかにデザイン力はかなりひどいと思っています。ただ、これに関しては今日お話ししなかった課題なのですが、「家」と「地域」という問題について考えなければいけないと思います。たとえば工芸と「家」について今後どのように考えていくか。家元のあり方を含めて議論していくべきだと思います。こうしたものについては、国も自治体もほとんど手を打つことができません。せいぜい無形文化財化するという程度でしょう。ですから、たとえば一閑張り(漆器の素地製法の一種)なんて千家十職がなかったらほとんどあり得なくなるような職業だと思いますから。まず家をどうするかということを考えるべきです。

それからこれも今日触れていなかったことですが、本来アートや文化というのは、悪とか負とか、壊れやすいもの、世間的に体裁が悪いもの、あるいは蔑まれるようなもの、そういうものと一緒になってきたと思うんですよね。実際、こうしたものが悪場所や自由狼藉といったものにつながってきましたし、この前亡くなった忌野清志郎さんなど、まさにそうだと思います。自分がどこまでストレンジャーとして「異様視」されているかを意識し、「そういうものはアートにならざるを得ないはずだ」というようなことを、彼はずっと言っていました。亡くなってから彼のことをメディアが多く取りあげるようになりましたが、これは少し遅いだろうと思っています。

さらに言えば、アートや文化、さらにスポーツもあえて含めるとしたら、日本の文化というのは、貴族のお手合わせからはじまってほとんどがポップカルチャーでした。堂上連歌(宮廷で行われた連歌)に対して地下連歌(じげれんが:宮廷貴族でなく地下の作者たちが詠み興じた連歌)が出来たなどというのは、完全にポップカルチャーですよね。それがのちに俳諧になって芭蕉にたどり着くわけです。

ですからポップカルチャーというものを根本的に問わないとなりません。村上隆君ばかりに任せていられないといいますか(笑)。たとえば井上陽水や椎名林檎のような、そういう工芸が日本にあるか、といったらないですよね。工芸作家たちだってカラオケに行ったら彼らの曲を歌う人もたくさんいるのに、それが工芸には結びついていない。だからこそ、アニメやカラオケに経済文化の芽がなんとなく行ってしまうんですよ。アニメやカラオケ自体は良いのですが、日本の文化を総体としてもう一度根本的に問い直すことが必要ではないかと思います。悪、そしてポップカルチャーのようなものをもう一度持ち出した文化と経済の合算、さらには掛け算をしていただきたいなと私は思います。

松井:ありがとうございました。時間をオーバーしてしまいましたが、最後は合算掛け算と。どうやって合算掛け算をやるかというと、これはなかなか政治行政には荷が重い話かもしれませんが、とにかくそれをどうやってつくり出していくか。長官のほうからはアーツ・カウンシルというお話もありましたが、そういったことが今後に向けた大きな課題なのかなと思いました。それではこの辺で本セッションを締めくくりたいと思います。三人のパネリストの皆さまに暖かい拍手をお願い致します。本日は誠にありがとうございました(会場拍手)。

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