佐藤文昭氏×秋山咲恵氏×浜田宏氏「製造立国・日本の復権〜ものづくり神話の先にあるもの〜」 

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日本の社会構造に深く埋め込まれた“製造業”は本当に変われるのか(澤田)

澤田:昨年は、日本の閉塞感を打破するにはどうしたらいいか議論しました。閉塞感という言葉が象徴するように、日本の技術力やものづくり力にはまだまだ潜在力があります。これは国内外で認識されています。他方で、皆さんも認識されていると思いますが、世界シェアにおける日本のポジションは落ちています。これはなぜかというのが今回のテーマです。今回のセッションのテーマ「製造立国・日本の復権」についてパンフレットに解説文がありますので、読んでいただけますか。

司会:過去数十年間、製造業は日本の国際競争力の源泉であり続けた。卓越した技術や生産品質、職人の匠といった「ものづくり」に、日本ならではの強み、活路を見出す声は多い。一方で、サムスン電子の時価総額は国内企業を大幅に上回り、通信や環境技術のデファクト・スタンダードを巡る国際競争では、後塵を拝している。日本の「ものづくり」に競争力はあるのか。世界の産業構造が大きく変わる中、「ものづくり」の強みを再定義し、取るべき戦略を考える。

澤田:この解説文は、全体像をよく捉えていると思います。製造立国とは、基本的に技術力とものづくり力。日本の復権は、過去において世界シェアで良いポジションを取れていたのだから、それを取り返すということです。昔は良いものをつくり上げることによってポジションを取れたのかもしれませんが、実際には市場のルールが変わったり、ユーザー側からもう少し踏み込んでものづくりを考え直したりすれば、戦い方やルールは変わってきます。

高度な技術があっても、それをどういう形にすれば市場に対して最も適切な形で提供できるのか、あるいは最も適切なもののつくり方ができるかという部分の組み換えがあります。気がついてみると、こうした組み換えによって、最終製品としてはまだ日本の看板が残っているものの、デバイスとコンポーネントはサムソンがすべて押さえていたんですね。

その背景には、ものというのはもともと1つの完成形として受け入れられていたため、すり合わせの部分はブラックボックス化されていたという要因があります。しかしモジュール化が進んできたときに、そこには参入障壁がなくなってきた。そして気がつけば、サムソンが日本のメーカーに売るものはたくさんあります。ところが、パナソニックや東芝がサムソンに売るものは何もない。サムソンは、基本素材や原材料に近いものしか買いません。日本の最終製品をつくっている人たちが、サムソンに売るものがあるかというと、ありません。つまり、ゲームチェンジが起きているのです。

今日はこのあたりのところを見ていきます。私自身も、たとえば製造業であれば自動車、電器、機械といった企業が、こういう状況下でどう戦えばシェアが取れるのか、あるいは付加価値を生み出せるかという議論を散々しています。ですからここで議論をしても、最終的に「こうあるべきだ」という結論はおそらく出せないと思います。

まず佐藤さんは、もともとビクターで研究開発に取り組んでいらっしゃいました。ものづくりのエキスパートです。しかし一方で、自分のやってきた活動と経済活動との間にどのような関係性があるのかという問題意識から、金融業界に飛び込みました。そこでM&Aや再編をファイナンスの世界から見たときに、付加価値を生み出しやすいのは経験値でものをつくっていることだけではないと気づきます。付加価値を設計できる構造体に変革しないことには価値が出てこないのではないかという、強烈なショックを持ってアナリストとして活動をされています。

佐藤さんは日本を代表する電機産業のアナリストとして、日経金融新聞「人気アナリストランキング」の企業総合部門で、6年連続1位を獲得しました。そして2006年には、『日本の電機産業再編へのシナリオ』という本を書かれました。これは名著で、経済産業省の教科書にもなりました。経済産業省はその本を使って、頻繁に勉強会を開いていました。その頃から、日本の競争力を取り返すためには、最終製品について議論をしていても難しく、それぞれの種目別でナンバーワンを取っていかなければならないと主張されていました。

当時はまだ、事業部制を採用している日本企業が大半でした。事業部制は縦割りの組織ですから、その中でそれぞれ自己完結した最終製品を生産しています。けれども、世界に出てきた国々には横軸、いわば組織を串刺しして戦っている会社がたくさんあるわけです。あの頃は、縦軸と横軸をどう切り替えればいいのか、どう再定義すべきか、どのように自分たちの事業ドメインを切り拓くかといった議論が幾度となくされていました。おおよそ「あるべき論」で議論されていたわけですが、実際にはそれからほとんど動いていないですよね。なぜ動かないのか。ものをつくるという1つの事業環境として捉えたときに、その構造体がどうあるべきか。アナリストの目から見てそうした部分に踏み込んでもらいたいと思います。

次に浜田さんの経歴で興味深いのは、デルの日本法人社長、米国本社副社長を務めていたということです。日本のパソコンメーカーは、世界で高いシェアを誇っていました。ところがいつの間にか、デルにシェアを奪われていますよね。これはユーザー側に立ち返ってみると、パソコンという1つのものではなくても、そこで使われている機能性や用途を考え、ユーザーに適切な機能を適切な価格で提供すればいいということです。要はコンポーネントですから、組み立てればいいわけです。ものをつくり上げるという発想を根底からくつがえして、デルはあっという間に世界シェアを取っていきました。デルはルールを変えたんです。

その中で日本は取り残されたわけですが、浜田さんその後、HOYAのCOOを務めていらっしゃいます。HOYAという会社は、日本の企業といっていいのかわからないくらい国際化しています。こういう会社は日本には数少ないですね。最も強いコンポーネントをそれぞれのセグメントを切って、その中でナンバーワンを取っていく戦略、いうなれば世界のルールに適応した戦い方をしています。浜田さんは今、買収したペンタックスを担当しています。ご存知のように、ペンタックスという会社はオプトエレクトロニクス(光電子工学)の分野では最も優れた技術を持っていました。この技術の結晶として、小型一眼レフカメラを世の中に出し、圧倒的なシェアを取りました。オプトエレクトロニクスの象徴だったわけです。しかしペンタックスはこれを機に、オプトエレクトロニクス技術を活かしてその時点における最も市場にマッチしたものをつくり出す会社から、単なるカメラメーカーに変わってしまった。

一方、カメラの分野で後塵を拝していたオリンパスは、自分たちの持っているオプトエレクトロニクス技術はカメラでは太刀打ちできないけれども、横軸で発想を転換してみたら、もっといろいろなことができるのではないかと気がつきました。その結果、オリンパスは医療分野で圧倒的なシェアを取ることになったわけです。

このように1つの分野で市場シェアを取ってポジションを確立した途端、自分たちの活動領域を否定してしまったのがペンタックスです。そのペンタックスをHOYAの視点からどう立て直すべきか、浜田さんは取り組んでいますので、ものづくりだけではなくて、付加価値を生むためにオペレーションやビジネスモデルをどのように見直さなければならいのかという観点からお話を伺いたいと思っています。

秋山さんは、もともとシンクタンクの領域で活動されていました。そしてご主人は、研究開発の最先端で活動されていました。研究開発においては、自然科学の中でピュアに新しいものを生み出そうとしている。一方でそれが世の中に出てくると、売れるか売れないか、ニーズを満たしたかどうかがポイントになる。そういう観点で価値転換されていることが、ものをつくっている人に十分伝わっていない。その部分の橋渡しをしないと、全身全霊をかけて頑張っている研究者たちの力が活かされてこないのではないかという問題意識をお持ちでした。秋山さんは、日本では非常に数少ないものづくりのベンチャーとして成功された方です。そして特定のセグメントで圧倒的なシェアを取っています。自然科学の可能性とニーズやマーケットの関係によってビジネスモデルが出てきますので、そういう観点からお話ししていただきたいと思います。

今日の議論は3つです。1つ目は、マクロ的にとらえて、日本にとって製造業とは何だったのか、ということです。日本は戦後、資本のない中で国債を発行して、いわば擬似資本主義の中でやってきました、そして、ものづくりによって外貨を稼ぎ、成長力の高いところから低いところへそのお金を流していく。つまり所得分配です。通産省が主導した産業政策と所得分配が、日本の国家をつくるうえで重要だったわけです。その土台の中心になったのが、製造業です。製造業には雇用があり、日本全体の所得分配の源泉がありました。これがいま変わらなければならない状況にあります。新しいモデルに転換する、あるいはグローバルな競争に出ていく。とすると、製造業をどうするかというよりも、日本の社会構造の中に組み込まれた製造業そのものを動かすということになります。本当にスムーズに動けるのか。日本全体の産業の中に置かれた製造業は、本当にこのままで世界に十分対応できるような産業的特性を持っているのか。そうした観点から議論してみましょう。

2つ目は、個々の企業なり経営として捉えたとき、良いものつくっても売れない、売れるものをつくることが最終的には良いものづくりなのだと昔から言われています。ところが、そのようには変わらない。なぜ変われないのか。企業の経営から見てこの問題をどう打破するかというのがテーマです。そして3つ目は、我々の次の世代には、どのような意識や行動が求められるのか。これについて、皆さんの意見を伺います。では、いよいよパネルトークに入っていきましょう。最初に、このテーマ全体を捉えてどのような問題意識をお持ちなのか率直にお話をしていただくところから始めたいと思います。それでは佐藤さんからお願いします。

データに見る製造業の弱体化(佐藤)

佐藤:冒頭に読み上げていただいた「日本のものづくりに競争力はあるのか」について、結論的に申し上げると、競争力はあると思っています。なぜ弱くなったのかという原因を探ると、必ず解はあるはずです。その中で特に私のいた電機業界には、ものすごく優秀な方々がたくさんいます。従業員のクオリティもモチベーションも高い。しかし、どんどん競争力が、収益が弱まっている。なぜなのか。ここを紐とけば、必ず解はあるんじゃないか。特に優秀な人たちが相当数いるはずの電機業界が、弱くなっています。その辺りのデータをお見せしながら、お話しさせていただきたいと思います。

製造業の競争力を見るうえで一番分かりやすいのは、売上高に対する営業利益率です。国内の製造業を15の業種に分けて、営業利益率をランキングしました。上から電子材料、機械、精密、電子部品とありますが、これらは10%以上の利益率を達成しています。世界的にいっても、製造業で10%以上の利益があれば、かなり良くやっているほうです。真ん中ぐらいに売上高の大きい自動車があり、営業利益率は7.5%。電機業界はかなり低いところで、営業利益率は4.2%です。ちなみにこれは、リーマンショックの前年度の数字です。

過去30年のランキングの移り変わりです。電機業界のランキングは、1980年代には平均よりも高かった。90年代に徐々に下がり始めて、2000年以降は日本の製造業の中でも常に下から3番目ぐらいに位置しています。日本の電機業界の社長に聞くと、例えば為替が円高傾向にあるからとか、税金が高いとか、人件費が高いとか、そういうエクスキューズを使います。しかしその環境は、日本の製造業がほぼ共通して持っているはずです。業界にはとても優秀な人たちがいっぱいいて、しかも一生懸命働いている。なぜこうなってしまうのか。

これを利益率の推移で見ていただきます。電機業界の利益率と、電機業界以外の製造業の利益率は、どちらも上がったり下がったりします。円高によって85年に下がって、93年にまたさらに1ドル80円の円高によって製造業はみな下がります。問題は90年代半ば以降で、ギャップが広がっている。為替などの条件は一緒なのに、なぜこうなるのか。90年代以降、グローバライゼーションという言葉が多用される中で、日本の電機業界は国際優良企業と言われていましたが、実は数字だけ見るとまったくグローバライゼーションに乗っていない。

原因は3つです。まず1つは、同じようなことを各社がやっているからです。日本全体ではいい人材リソースがあるわけですが、結局10社ぐらいが同じことをやっているから、それが10等分されているということだと思います。2つ目に、じゃなぜこういう状態が続くのかというと、統合や売却をしようとすると、従業員も経営者も嫌がるからです。要は、リスクを取らないサラリーマンの集団になってしまっている。いわゆるアントレプレナー精神、起業家精神がなくなってしまったような集団になっているのではないか。3つ目は、他の業界に先駆けて電機業界に起こったことです。いわゆるデジタライゼーションによって、品質の差が小さくなる中で、日本企業は技術をどんどんアジアに出してしまいました。したがってアジアの企業が、加速的に日本企業をキャッチアップしてきました。要するに70年代、80年代までは、日本のライバルは欧米勢でした。そして実はそれを駆逐しまった。90年代に入ると、日本企業10社が価格を叩き合い、技術を流出させてしまいました。それによってアジア勢が台頭してきて、そのアジア企業がさらに価格を下げる。こういう構造だったわけです。ところが今日、儲かっている日本企業は、この業界構造ではありません。欧米勢が残っていて、日本勢が少なくなれば必ず勝ちます。例えば電子材料業界、自動車業界もこれまではそうでした。あるいは精密業界も、おそらくそういう構造になっています。ですから、自ら引き起こしてしまっている事態ではないか。このように原因がわかれば、解はあると思います。解については、また後で話します。

澤田:最後にありましたが、冒頭で私もお話ししたようにゲームが変わっているんですよね。欧米の製造業が残っている業界は昔のゲームをやっているわけで、日本はその中で戦っているということです。競争力の問題あるいはグローバル競争にどうキャッチアップするのかということについて、M&Aを含めて明確にメッセージを出し、それを動かしていく力が、銀行など資本の論理の側から働いていない。あれこれ議論しているうちは、構造的なものは動けない。しかも社会構造の中に製造業は組み込まれていますから、なかなか動きにくい状態です。続いて浜田さんはいかがですか。

そもそも日本の製造業は本当に強かったのか(浜田)

浜田:マクロ的な点から見ると、そもそも日本の製造業が本質的にそんなに強かったかというと、ちょっと疑問符が付きます。戦前から戦艦大和や零戦をつくる技術力はありましが、戦争に負けてアメリカに占領されて、反共の防衛ラインの国として、米軍基地がつくられて守ってもらった。結局、敗戦から立ち直るのに、地政学的に恵まれていたのだろうと思います。アメリカに守られながら、いっぱい輸出してきた。

ところが1985年のプラザ合意後の円高で、状況が一変した。それまでの間に資本の論理がきちっと構築されていなかった。経営者が会社を私物化する。終身雇用、年功序列の名のもとに、いろんな変わったシステムが出来上がっていた日本企業が、85年以降のグローバライゼーションの波に晒されたけれども、もう時遅しで変われないというところに問題がある。ですから、別に製造業だけの弱さじゃないと思います。サービス業がいまだに外に出て行けない。サービス業でグローバル化されている企業はほとんどない、というのが現状です。こちらのほうがかえって怖いんじゃないでしょうか。

しかし経営者だけがぬくぬくと育ってきたのかいえば、それだけではないはずです。例えば、この国のしがらみの中でバラマキをするから、大企業から税金を取らないといけないということで、実効税率40%以上でずっときていますが、こんな国はありません。産業の競争力を高めようという土壌がないから、税金が高い。だから逃げられてしまう。

一方で資本の論理そのものも働いていないから、ロールアップ(囲い込み)やインダストリーのコンソリデーション(統合)も起こらない。そして福利厚生で独身寮や社宅があり、先輩後輩が一緒に出社する。これでどうやって先輩のつくった技術をぶち壊せるというのか。やっぱり無理ですよ。悪い人たちではないけれど、日本の経営者は会社を私物化して、後継者には子飼いを据える。自分が社長を退いた後も、個室と秘書をつけてくれる人を選ぼうとする。こうして永遠不滅に家系のように続いていく形になっています。

それから、個人資産が1400兆円ある。日本のGDPの3倍近くのお金が眠っているわけです。自分も含めて皆さんの世代から上は、逃げ切り世代じゃないですか。はっきり言って。これでいくら危機感を持て、変われと言っても、それは変わる気にならないでしょう。

まとめると、失速しているのは別に製造業だけではない。かつて日本の製造業はとてつもなく強かったと言われるけれども、本当にそうなのか。助けてもらっていたからでしょう。恵まれていたからだ、という思いが私にはあります。

澤田:今のお話を伺って思い出すのは、私がボストンコンサルティングに入社した当時、義理の父のように私をかわいがってくれた創業者のジェームズ・アベグレンさんです。アベグレンさんは戦時中、海兵隊員でした。アメリカと日本が戦ったとき、日本人のすごさを感じたそうです。そして、日本が戦後復興の中で自信を失っていたときに、アベグレンさんは来日しました。日本に派遣されたのは、日本の産業をどういう形で復興できるか、そのテーマをまとめることが使命で、特に住友グループを中心に調べました。1950年代にまとめた本が『日本の経営』です。

この本で強調されているのは、日本の均一性、日本人の持っている勤勉性、教育レベルの高さで、その特性からものづくりには非常に適しているということです。そして日本の社会に根づいている文化として、年功序列、企業の中で人々を大切にして仕事をする企業内組合、それから終身雇用を挙げています。終身雇用には、lifetime employmentではなくlifetime commitmentという英語を使っていますので、正確には「一生涯を通じてその会社に貢献する」ということですね。この3つの要素が日本の社会文化と定義していますが、これはいわばムラ文化ですよね。

重ねて言いますが、日本人の持っている均一性、勤勉性、優秀さ、それに年功序列、人を大事にするムラ社会、それから終身雇用。この要素をもってすれば、日本には天然資源がないけれども、優れたものをつくって世界に提供していくうえで最も適した国だと主張しています。これは彼の提言です。

提言通りに一気にものづくりに走り、日本人は自信を取り戻しました。日本人の持っているそういった社会的な特性、あるいは民族的な特性というものが、日本のものづくりのバックボーンにあって、今日があります。浜田さんがおっしゃったように、その特性を無視して新しい時代の中でバリューチェーンを変えて、組織構造を変えて、働き方を変えて戦うといっても、そんなに簡単にできるものではありません。アベグレンさんが指摘した日本人の特性そのものをどのように変えればいいのか。じつは50年代に出版したその本の締め括りで、成長期にはこうした日本の特性は活かされるが、成熟社会になったときにはむしろ日本の足を引っ張るだろうと述べています。

アベグレンさんの晩年、私は「必ずもう1冊本を書いてほしい」と頼み込みました。それが、日本経済新聞社から出版された『新・日本の経営』です。半世紀を隔て出されたこの新しい本でアベグレンさんが提言しているのは、日本の良さというものを日本人自らが正しく再定義したときに初めて日本の新しい社会的な価値観が生まれるのであって、日本が再興するのはそれまで待たなければならないということです。それでは秋山さん、お願いします。

国内マーケットでの成功で満足してしまう感覚から脱却しなければ(秋山)

秋山:ダイナミックなグローバル経済で、製造業で起きてきた大きな変化の波頭の現場に身を置いて、この10年間、仕事をしてきました。ですから、どちらかというと私が感じてきたリアリティーという切り口で、問題意識を述べさせていただきます。その前提条件として、私自身のビジネスは、お客様が電子機器や通信機器のメーカーです、その生産ラインに入れていただく産業用ロボットの製造をしていて、90年代後半からそういった製品を市場に投入しています。そもそも製造業に縁のなかった私がこの世界に身を置いたきっかけは、私の創業パートナーであるエンジニアが、大手電機メーカーの中央研究所にいたことに始まります。そこには日本のトップ校から集められた500人ぐらいの優秀な技術者が、朝から晩まで一生懸命働いているわけです。何をやっているのかと興味を持って聞くと、非常にクリエイティブな仕事がそこにあるのは事実です。ところがそのプロジェクトの中で、1年、2年の研究を通じて製品になったものは、ほんの一握りしかない。これは一体どういうことなのか、と思いました。優秀な技術者という経営資源をこれだけ使いながら、社会価値に変換されている部分があまりにも少ないじゃないかと。実にもったいない。これをなんとかしたいということが、1つのスタートポイントでした。

そういうきっかけでこの仕事を始めて、もの凄くショックを受けて、ターニングポイントになった出来事が2つあります。1つが1999年のことです。私たちの製品を中国の工場で使っていただく機会が初めて巡ってきて、中国にも行っていくつかの工場を回ったときに、驚きました。まだその頃は「中国は世界の工場である」というような報道が、本格的にされる前でした。日本人はみんな、中国は人海戦術でやっていると想像するでしょう。実際にそういう工場もありました。当時の日本の技術雑誌には、そういう写真も載っていましたから、私もそのつもりで行ってみた。そうしたら、もともと私がつくっているロボットはオートメーションのラインのロボットだということもありますが、世界中のどこの工場よりも最新鋭の設備をずらっと並べて、人の数は日本の工場より少ないほどです。しかも、日本人の感覚からするとびっくりするくらい短期間で、工場がどんどんどんどん建っていく。ホンハイ(鴻海グループ)に代表される台湾のEMS(電子機器製造請負サービス)企業が、中国でビジネスを始めたスタートの時期で、大規模な資本投下をしました。今からほんの10年前のことです。

それから、2つ目は人材です。現場で働いている人たちは、中国の農村部から出てきたワーカーですが、生産ラインの現場でワーカーを管理するエンジニアは、中国の理系の大学を卒業した若手社員です。まず、英語が堪能です。それから、ロジカルだけれども、理屈だけではなく実務的な話が英語でできる。そういう若いエンジニアが現場にいたということに、私はショックを受けました。

日本のものづくりとは何ぞやというのは、その定義によりますが、安く早く大量にいいものをつくるという意味でのものづくりについては、これはもう早晩取って代わられるだろうと実感しました。それから10年ほど経って何が起きたか。その台湾系EMSの工場は、従業員5万人の工場になりました。一つの街を形成しています。この10年間、日本の企業は先程のグラフで出ていたように、収益率をどんどん落としながらじり貧になってきました。そして自社工場もしくは、国内の系列工場でつくっていたものづくりの仕事を、そういう台湾系EMSなどにアウトソーシングしていきました。昔の日本の製造業の元気の源泉は、ものをつくって利益を稼ぐことでしたが、それがどんどんシフトしてしまったわけです。

こういう流れの中で、特にものづくりはどんどんグローバル化が進んだということは、皆さんもご承知の通りです。リーマンショックが終わって、いま、新しいフェーズに入っています。1度マーケットがぐちゃぐちゃになってしまって、私のやっていたビジネスは市場が蒸発してなくなったような状態でしたが、そこから回復してきた今、新興国のマーケットが非常にホットになっています。世界中から集まってきます。10年前は日本のマーケット、アジアのマーケット、北米のマーケット、ヨーロッパのマーケット…というように、マーケットがいくつかあって、それぞれにビジネスをしていました。でも今は、マーケットが1つしかありません。つまり、グローバルマーケットという名の大きい市場が1つある、というのが私のリアリティーです。

この環境に適応していこうとするには、自分たちが「日本の企業だ」という枠組みでものを考えること自体が誤りではないかと思います。例えばリソースのポートフォリオを、グローバルベースで考えるということをしないと、環境には適用していけないだろうと感じています。そういう環境変化が起きている中で、非常に力をつけて伸ばしてきたのが、韓国のメーカーや台湾のEMSです。彼らの行動様式と日本のお客様の行動様式は、明らかに違います。決定的に違うのは、人口が少ないために国内マーケットが小さいことです。したがって、大きく成長していこうとなったときには、世界市場を狙うしかありません。戦略も、組織も、人材の育成も、キャリアパスも、世界市場でどうプレーするかということが、前提になっています。ところが日本企業は、割と大きな国内マーケットがあるので、そこでまず成功することが当面の目標であって、国内でうまくいけば海外に出ていけばいいという感覚から、いまだに脱却しきれていないのではないでしょうか。

この10年、トップアナリストが様々に警告を発して、いろんな方がいろんなことを言って、でも現状は何も変わっていない。これは見えていないとしか言いようがありません。「データを持っているし分かっている」と言うのであれば、それは目を開いているかもしれないけれど、ものは見ていない。見ていなければ見えてないのと一緒だ、というのが私の問題意識です。

澤田:一生懸命やっていようが、ビジネスはまた別です。技術は勝ってもビジネスでは負けていることがわかっていても、それができない。そこからもう少し踏み込んで、ではどうしたらいいのかという点について皆さんから意見を伺います。

人材が交流するシルクロードの交易点のような国へ(浜田)

浜田:正直言って、いま日本の製造業について偉そうに語っていますけれども、つい4、5年前までデルの幹部として、日本のメーカーをいかにせん滅させるかということを、私が先頭に立って考えていました(会場笑)。10年以上、マイケル・デルと一緒に。日本のパソコンメーカーは悪の帝国だと、我々は本気で信じていました。連中は悪の帝国であり、デススターだと、ダースベイダーをせん滅するんだと。そして“Crush!”、「潰せ!」と言っていました。

それはなぜかというと、彼らは良いものつくれば売れるという思想でやっている。その良いものというのは、技術者、メーカーの押し付けである。あんな余計なソフトウェアとか、いろんな機能をぶち込んで、高い値段にして、1次卸店、2次卸店、3次卸店という流通網を使って、それも自分の子会社だったり、資本が入っていたりして、互助会になっていて、最終製品がユーザーに届く頃には、不必要なもののせいで3倍、4倍の値段になる。これはコンピュータライゼーションの民主化にとって敵だ。民主化をせよ、潰せ、とやっていたんですね。

デルを離れましたけれども、私はいまだにその思想の持ち主で、HOYA、ペンタックスに行きながら、今もその話をして、「お前らやめろ。お前らが良いものと言っているのは、お前が良いと思っているだけで、最終製品の消費者が良いと思っているものじゃないかもしれない」と。それをいま説き続けている段階です。

ただし、そうは言っても先程の佐藤さんの表を見れば分かるように、技術者が良いと思うものをつくれば売れるという業界は、まだあります。あまりグローバルなトレンドやライフスタイルに左右されないもの、デバイスとか素材とか、本当に追い込んでいって追い込んでいって、客は2社、競合も2社というような世界では、マーケットがどうとかニーズがどうとか、言わなくても分かる。そういうところではエンジニアリング1本勝負なので、良いものをつくればいい。しかし電器だとか、自動車とか、ライフスタイルや人々の生活に密着しているところになると、ちょっと話が違います。製造業にもいろんな種類があります。十把一絡げにしたら間違いだと思います。

じゃあどうしたらいいのか。いきなり具体的なメッセージですが、私自身が若い頃、アメリカの大学院に行って、卒業して、バブルがはじけて、日本に帰ってきても職がないので、アメリカに残って就職活動し、アメリカ人として働いてきました。そしていろんな国の人間に揉まれた中で思ったのは、なぜアメリカが強いかというと、人が風のように行き来しているからということです。1990年頃、シリコンバレーにいましたが、オラクルの社食で食事をすると、まるで万国博覧会のようで、当時から中国人やインド人が多くいました。その後、デルに移りましたが、やはり同じ。とにかく世界中から優秀な人が来る。優秀な人がまた帰って起業する。アメリカ人もどんどん外に出ていく。要するに人がサラサラ、風のように流れている。日本人にもそうなってほしい。

どんどん外に出していって、知の流出はOK。なんでもいい。日本が本当に魅力的な国になれば、また帰ってきます。外国から優秀な人たちをどんどん呼んできて、シルクロードの交易点のような国にしないといけない。そのための具体的な提言は、まずバカ高い法人税率を下げること。英語を公用語にする。年功序列とかくだらないことはやめて、随時365日採用にして、根本から制度を変える。経営者はエクセルやパワーポイントばかり見ていないで、世界中を回って現場を徹底的に歩く。私はアメリカの企業を見てきて、いま日本にいてつくづく思うのは、トップマネジメントの行動量の違いです。私は年間2カ月、世界中を歩き回っていますけれども、どこに行っても驚かれます。「日本の企業のトップで、こんなところまで来る奴は聞いたこともない」と。インドの貧民病院の中のオペ室まで入っていいます。そこにこそニーズがあると思ってのことです。1人で行ってもつまらないので、エンジニアを連れて行きます。エンジニアも「いやあ、こんなところに連れてこられるとは思わなかった」と言いますが、それくらい中に入っていけば、見えてないところまで見られるようになります。しかし日本の経営者は旅もしないし、体力も弱いし、高齢者も多く、迫力に欠けるから、そこは直さなければならない。いわゆるアンメットニーズ、まだ満たされないニーズがいっぱい見られるようになります。

それから我々が実験的にやろうとしているのは、1つの事業でも、グローバル拠点を分けることです。例えばResearchはアメリカが進んでいるから、Rの拠点はアメリカ。Development、開発は日本。製造はアジア。それからGlobal headquarterは交通の便と税制面で有利なシンガポールにする。世界3極体制、4極体制で商売を回そうかと思っています。我々のやろうとしていることが成功するかどうか分かりませんが、実験が失敗しても元に戻せばいいので、皆さんもどんどん大胆なオペレーションの組み換えをやればいいと思います。

澤田:佐藤さんもトップアナリストの目で見て、製造業が復権するための提言、意識向上の観点からコメントをお願いします。

今なら間に合う 日本の技術でしかできないものがある リソースを統合せよ(佐藤)

佐藤:僕は本当に、日本の電機業界は復権できると思っています。例えばiPhone4のディスプレイは、日本製です。iPhone5、iPhone6と出てくるわけですが、アップルはこのディスプレイをどこにつくらせるか。ディスプレイなら台湾か韓国か日本です。でもアップルの選択は、サムスンとLGのある韓国ではなく台湾でもなく、新聞報道によると日本の東芝、シャープのようです。そしてしかもアップルはお金を出して、日本に工場を建てて、日本につくらせて、調達するんです。

これはなぜか。1つ目は、日本の技術じゃなければできないのだと思います。2つ目は、サムスンの弱みになってきているところですが、ギャラクシーを出してきて、アップルのライバルになってしまいました。アップルは競合相手から買いたくない。サムスンのディスプレイも半導体も買わない、という話になってきました。風向きが日本に来ている。そして台湾にはR&D(Research and Development)が弱いから、先端技術がない。台湾はこれまで日本から技術を得ていたのです。

日本から容易に技術が流出しないためにも日本勢がある程度、リソースを一緒にすることです。しかし単に統合するだけでは駄目です。例えば、フィフティ・フィフティのジョイントベンチャーというのではなくて、そこに新しい資本と新しいマネジメントを入れて、先程2番目の問題点として挙げたサラリーマン精神ではなくて、アントレプレナー精神を持った会社につくり替える。そこにはファンドなりなんなりのマネーが、入ることが必要です。お金は世界中にいくらでもある。例えばカーライルのようなプライベートエクイティファンドなど数多いです。そういうお金を使って、新しい会社をつくって、その会社を上場させる。マネジメント、従業員にはストックオプションを与える。こんな仕組みが出来たら良いのではと思います。今なら間に合います。技術の優位性が残っていて、日本の技術でなければ出来ないものが沢山あります。

澤田:国を挙げて、パブリックボイスでアクティビストになっていけ、ということですね。では秋山さん、お願います。

肌で世界と向き合うリアリティーを感じること(秋山)

秋山:今すでに起きている現実を、しっかり認識しようということを、メッセージとして言わせていただいたつもりです。ではどうするのかといえば、浜田さんがおっしゃったように、要は体を張れということで、私も大賛成です。これはトップマネジメントだけではなくて、技術を開発するエンジニアももっと現実の中に飛び込んでいくことが必要だと思います。私は少なくとも自分の会社ではそれをずっとやってきて、これからもやり続けようと思っています。

もっと現実を見ろと言ったときに、1点だけ付け加えさせていただきたいのは、決して厳しくて不利な現実を見ろということだけではありません。私は本当にゼロからスタートして、日本のメーカーとして海外に出て行って、ビジネスをやっていく中で、強く感じたのは、10年前も今でも、当社のような小さな会社が自社製品を持って海外に出て行っても、「ああ、日本のメーカーだ。さぞかし品質はいいんだろう。さぞかし先端の技術なんだろう」というところから、相手が入ってきてくれる。諸先輩方が営々と築いてくださったもののうえで、自分がビジネスをさせてもらっていると感じることが多くあります。このことに対する私自身の感謝の気持ちも、尊敬の気持ちもあります。受け継いだものを次の世代に継承しなければならないと思います。これは私自身が仕事をするうえで、日本を愛するモチベーションでもあります。

繰り返しになりますが、こういう非常に変化の大きい時代は、まず自分が動いて経験してリアリティーを獲得する。それに基づいて、できることをとにかくどんどんやっていこう。問題が沢山あることはみんな分かっているわけで、それは1つ1つ順番に解決していくしかありません。じゃあ自分が何をするのかと自問すれば、まず自分が動いて肌でリアリティーを感じて、これをしなければと思ったことを順番にやっていきましょう、というメッセージで終わらせていただきたいと思います。

日本人は個人戦に圧倒的に弱い 胆力を持て(浜田)

山脇岳志氏(朝日新聞社GLOBE編集長):私の質問は、浜田さんに対してのものです。昨日武田薬品工業の長谷川(閑史・代表取締役社長)さんは、「日本人の強みは何か」というお話で、選ぶより育てる文化、中長期的に物事を考える、チームワーク。この3点を日本企業の強みとして重視しなければならないということに挙げていらっしゃいました。浜田さんから見るとそれはまったく逆で、アメリカのように自由で風のように人が動く企業にならないと、日本は再生しない、というお考えと理解してよろしいでしょうか。

浜田:もっと交流があっていいはずだし、日本のメインストリームの経団連企業は、日本の国立大学と私立大学から人が来て、しかも体育会系の人脈がいまだにあったり、あまりにも閉塞的ですよね。経団連の企業から変わらないと駄目ですよ。別に長谷川さんの意見に反対ではなくて、挙げられている強みは私も賛成です。チームワークはやはり強みですね。世界中の人間と働いていた感覚からすると、不正を働く比率も、日本人がおそらく最低でしょう。例えばお金をちょろまかすような悪いことをするのは恥ずかしいとか、そんなことをしてはいけないとか、教育からあるでしょうし、犯罪率も低いですね。この2点は明らかに、日本人の強みか弱みかはともかくとして、特徴だとは思います。もう1つの特徴は、やはり個人戦に圧倒的に弱い。特に男は本当に気が弱い。恥ずかしいから発言できないとか、だからビジネススクールの現場でも、「お前、そこそこ英語が喋れるんじゃないか。発言しろ」と言っても、「間違ったこと言ったら、僕は…」と前に出ようとしない。ですから国際会議を成功させる秘訣は、いかにインド人を黙らせるかと、いかに日本人に喋らせるかの2つだと言われていますが、いまだにそうですからね。発言力、ディベート力、コミュニケーション力。「お前、いいから俺の意見を聞け」くらいの胆力を持っていないと駄目だと思います。

山脇氏:中長期的に人材を育てる企業文化よりも、柔軟な労働市場のほうが良いというお考えですか。

浜田:いやいや、選ぶし育てる。両立だと思います。実はアメリカ企業のほうが、研修に時間とお金を使っている。圧倒的に。日本企業が一生懸命育てているというのは幻想です。だから、バランスだと思います。育てて、その中のいい人を選ぶということです。

中西健治氏(参議院議員):佐藤さんの解として、日本勢のリソースの統合をする。そこで新しい会社をつくって、新しい資本、新しいマネジメントを入れるということでしたが、NECや日立など既存の10社はどうなっていくのでしょうか。

佐藤:それぞれが強みのある分野に特化して、残っていくでしょう。ただし、それぞれの会社はいろんなものを持っていますから、重なる部門を取り出して統合するという話です。単に日立と東芝を一緒にしても、富士通とNECを一緒にしても、総合電機メーカーが大総合電機メーカーになるだけなので、生き残りの道はそれではありません。それぞれのいろいろな事業を取り出して一緒にして、そこに新しい資本と新しいマネジメントを入れる。こういう仕組みが必要なのではないかと思っています。

川島昭彦氏(株式会社ビー・ユー・ジー代表取締役社長):私もずっと製造業に携わっていますが、過去振り返って思うのは、過剰品質に関することです。日本ほどバラエティに富んだ製品がある国というのは、あまりないでしょう。裏を返すと、メーカーがそれだけのものをいっぱいつくっていると、儲かるわけがありません。携帯ショップに行っても製品が山のように並んでいるし、車でも覚えられないくらいの種類がありますね。これも一番の根本は、「お客様は神様」という迷信に基づいて、お客のわがままに振り回されまくることです。ここを変えていかないと共通化も進まないし、全体としての効率を落としていく。そういう気がしているので、この点についてご意見を伺いたいと思います。

浜田:過剰品質ですが、20年前は皆さんの家にでっかいステレオがあったのではないかと思います。20年前、30年前のほうがいい音質で、我々は音楽を聴いていました。テクノロジーの進化に伴って、いい音、いい映像になっているかというと、必ずしもそうではありません。皆さんはYouTubeの粗い映像をよく見ているでしょう。見ているもの、聴いているものの質は、20年前、30年前よりも下がっている。そういったライフスタイルの変化があるということを、日本の技術者やエンジニアは考えずに、ひたすら「良いものを」と一方通行で追求していくからどんどん過剰になっています。これが原因だと考えています。

有泉池秋氏(日本銀行政策委員会室企画役):先程の秋山さんのお話にもありましたが、技術者の方々がとても素晴らしい技術を持って開発を進めているのに、商品化につながるものがほんのわずかしかないというところで、そのシーズがどうして世の中に出ていかないのか。例えば私のいる金融業界の銀行には、非常に成長力のある企業を探し出すという目利き力がない。なぜ日本にはいいものが沢山あるのに、どうして発掘出来ないのか。発掘できてもリスクマネーが入ってこなくて、世の中に送り出せないのか。そのあたりの対処法があれば、お聞かせいただきたいと思います。

秋山:実は冒頭に澤田さんがおっしゃったことに、私の答えは集約されています。私のパートナーを通じて見たある日本の大手メーカーの問題は、まさに縦割りの事業部制の時代の会社だったので、研究所で事業部の事業領域から外れた新しいことをやると、受け入れる事業部がなくて商品化できないという、馬鹿馬鹿しい現象が起きていました。そもそもなぜそんな馬鹿馬鹿しいことが起きるのか、そこに問題があります。

これを「戦略不在だよね」と言って片付けるのは簡単ですが、製造業が根深く社会構造に組み込まれて、いろんな面で身動きが出来ないことからくる部分が、とても大きいと思っています。例えば海外のメーカーと日本のメーカーは、どう動き方が違うかというと、新しい開発をしたいときに、「人がない」「金がない」という話になりますが、これがどこから出てくるかというと、今やっている事業を全部そのまま継続して新しいことをしようとするので、人もないしお金もないわけですよ。しかし海外の企業は、既存の事業を売って資金にする。例えば半導体を売って、次は医療へという話になる。そこにリソースをどんどん入れ替えてシフトしていくことで、新しいビジネスをクリエイトしていく。

ただこれは日本の企業が駄目でできないという部分を否定はしませんが、それ以上に、構造的な問題で足枷がかかっていて、動きづらいという面も非常に大きいのではないかと思っています。

澤田:時間が来ました。私も旧態依然とした企業から「生き残り戦略を考えたい」という相談を受けますが、「誰も生き残ってくれと頼んでないぞ」と思うわけですね(会場笑)。彼らは「将来のことを考えたときには、アジアに進出しなければいけない」とも言います。でも、「しなければいけない」で成功するわけがない。

ソニーがトランジスタを作ったときやホンダがバイクを作ったとき、「これなら絶対みんな喜ぶよ」とみんなエキサイトしていました。それがあって初めて製造業は変化していくことができる。今日提言していただいたことをまとめますと、世界と向き合うことのリアリティーを持てということ、そして身体を張って経験しろということ。この2点を重視していけば変わることができる、復権できるというお話だったと思います。有難うございました。

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