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夏野剛氏×丹羽多聞アンドリウ氏×藤代裕之氏「インターネットが変えるメディア」

投稿日:2011/03/08更新日:2019/04/09

2010年、インターネットはメディアの一角になった(夏野)

國領:このセッションは、なるべくインタラクティブにやりたいと思っています。最初に2種類の3択質問をします。まずはウィキリークスに関して。

ウィキリークスの創始者、ジュリアン・アサンジは言論の自由を守り、コミュニケーションを活性化し、不都合な真実を世の中に晒し、素晴らしいことをしているので、まあノーベル平和賞とまではいかなくても、褒めてあげるべきだと思う人、手を挙げてください(会場の1/2程度手を挙げる)。

世の中は秘密裏の交渉があって成り立っているのであって、アサンジは至る所で努力している人を危険に晒してはいけないし、国家機密を暴露してはいけないから、逮捕すべきであると思う人は手を挙げてください(会場の1/3程度手を挙げる)。

ほかの人はどっちつかずということですね。続いて2問目。このG1サミットについて聞きます。1つ目は、G1サミットを完全に公開すべきと思う方(会場の1/10程度手を挙げる)。では、本音でとことん議論をしたいので、完全に秘密にするほうがいい(会場の1/5程度手を挙げる)。広報的に情報をコントロールしたうえで流していくべき(会場の3/4程度手を挙げる)。

夏野:広報的でなくとも、オーサライズされないチラ見せというのもありでしょう。

國領:それはどうやるんですか?

夏野:適度なオン、オフのスイッチはあってもいいと思います。

國領:オン、オフのスイッチは誰が持つんですか?

夏野:登壇者です。スイッチをオフにすれば、音声が消える。視聴者はわからない。参加者はわかる。ニコニコ動画(以下、ニコ動)でよくやるんですよ。僕はラジオとニコニコ動画の同時オンエアの番組を持っているんですが、CM中には映像だけ流してすごく盛り上がっているという雰囲気だけ見せる。編集するのは良くないですよ。

國領:でもそれをスタジオの中でやっているなら、誰かがTwitterや携帯端末に流してしまうことを想定しないといけないじゃないですか。

夏野:オーディエンスがいても、「喋らないで」と言えばいいことです。あ、もう喋ってもいいでしょうか。

國領:すでにセッションは始まっているんですが、ここからが公式ディベートといきましょう。冒頭はメディアの現状について。インターネットが普及して、誰でも情報を発信できる状況が出てきました。ワイヤレスで、いつなんどき発信されるかわかりません。以前は発信する人と受信する人がはっきり分かれていたのが、いまやカオス状態になって、情報の流し方、ビジネスモデルも随分変わってきたようなところもあります。その中で何が良質な情報なのか(良質の定義は様々あれど)、やっぱりある程度情報のコントロールが欲しいと思っている気もします。一方で、「情報を誰が編集するか問題」があるし、守るべき権利というものもある。そのあたりをどう認識されているのか、いったんそこから話を始めて、後は場外乱闘にしましょう。

夏野:2010年は、インターネットにとって、大きな転機だったと思っています。今日のテーマは「インターネットが変えるメディア」ですが、そもそもインターネットはメディアなのかということについて長らく議論されてきました。新聞社の人たちには、「ふざけるな。メディアを名乗るんじゃない」という気持ちが強いようです。ある新聞社の論説委員は、「俺がデスクだったら、若い記者がインターネットで情報を集めて書いた記事なんか絶対に載せない」と言っていました。信じられないですよね。

例えば政治家が自分のブログに書いたこともでも引用してはいけないのか。「何を言っているんだ。足で稼げ」となる。「インターネットはメディアなんかじゃない」というのが通説になっていて、インターネット上で何らかの情報や映像が流れたときに、既存のテレビ局や新聞社は、それを間接的に伝えることさえも、ものすごく躊躇していたんですね。しかし、それも2010年まで。

2010年11月の第1週は、メディアにとってとてつもなく大きな出来事がありました。11月3日、あれだけメディアに出なかった小沢一郎さんがニコ動に出演して、1時間半にわたってニコニコと笑顔で喋った(会場笑)。僕も最近、テレビに出る機会が多いのでわかるんですが、別にテレビ局は意図的に偏った編集をやっているわけじゃないんです。例えば小沢さんの映像をチラッと3秒だけ見せる場合、気難しい顔をしている小沢さんが視聴者の持つイメージだと推測して編集しているんですよ。小沢さん貶めようという悪意はない。つまり、マスメディアはイメージ増幅装置になっているわけです。

ところが1時間半、ジャーナリストの江川紹子さんや上杉隆さんの鋭い質問にニコニコと小沢さんが答えました。編集はありません。このニコニコ動画の放送は約30万人が見たので、小沢さんのイメージが変わった人は少なくないでしょう。そしてテレビ局はあの映像を使いたくなったわけです。これがまず一つ転機になっています。

もう一つは同じ週の11月4日、YouTubeに尖閣諸島中国漁船衝突のビデオが出ましたね。するとNHKが先陣を切って、「YouTubeより」と字幕の入った映像を地上波でバンバン流し、民法各局が続いて、最後まで抵抗したTBSも仕方なく流すことになった。

それ以降、与謝野馨さんと小沢一郎さんが囲碁で対戦(ニコ動で中継)しているという、なんのニュース性もない映像までが地上波で流れたりしました。最近では、騒乱のあったエジプトのカイロの地下鉄と思わしき場所の映像が、上部に「YouTubeより」と字幕付きで地上波に流れました。テレビ局の人たちは、インターネット映像を情報ソースとして使うことにまったく抵抗がなくなってしまった。これは大きな変化ですよ。

40年ほど前の話ですが、佐藤栄作首相が辞任会見の際、「新聞の諸君は帰れ、テレビの諸君としか話をしない」と、新聞記者を会見場から追い出しました。さんざん新聞に揶揄されてきた佐藤栄作は、エンターテイメントメディアとして出てきたテレビが報道に注力し始めたことに目をつけて、ブラウン管を通じて国民に語りかけたんです。これはテレビが新聞と同格のメディアとして認知された瞬間だったとよく言われますが、僕は11月の第1週にインターネットが確実にメディアの一角に位置付けられたと思っています。

ただし、それはテレビの地位を揺るがすことではありません。新聞とテレビは結果的に両立しました。編集して論評を加えた新聞と、即時性の高いテレビ。そこに編集を極力しないインターネットが入ってきた。インターネットは信憑性の低い情報もあるけれども、誰でも発信できる。3者に相互補完関係ができたと思います。ですから2011年以降は非常に面白い時代になるでしょう。

ただ冒頭の話にもあったように、情報を全部公開していいのかという問題があります。全員に知られるようにしていいのかということに関して、僕はそうは思いません。編集されるのはあまり良くないですが、選びながら情報を出していく必要はあります。というのも、ここに来場しているような人は最先端の状況にいくらでもついていけるでしょうが、オールドメディアの中には、インターネットリテラシーの若干低い人たちがいるんですね。

先程、マスメディアにはネガティブイメージの増幅装置効果があるという話をしましたが、いくらまともなことを言っても聞いてもらえなくなってしまう。例えば昨日基調講演をした竹中平蔵先生の議論は、僕はとてもまともだと思うんだけれど、某新聞社の論説陣などは、「小泉・竹中路線が世の中を悪くした」と主張します。もう何年も前の話だし、しかもさまざまな解釈があるものを、現状に当てはめようとする。メディアリテラシーの低い人たちは、間違った解釈をして、さらに2次情報、3次情報として伝えてしまう恐れがある。

國領:有り難うございます。では丹羽さん、お願いします。別にオールドメディアを代表していただく必要はまったくないですけれど(会場笑)。

「沈みゆくタイタニック号の船員」かもしれないとは思っている(丹羽)

丹羽:オールドメディアというか、昨日から既得権益の代表みたいに言われちゃって(会場笑)。確かに、「沈みゆくタイタニック号の船員」かもしれないとは思っています。まず、夏野さんがおっしゃった「インターネットがメディアかどうか」という議論ですが、ネタを足で稼いできた人たちからすると、インターネットは自分たちで1次情報を収集していないという思いが強いでしょう。

ニュースやドラマ、映画などに携わる人間は、自分たちでコンテンツをつくって流すというようなビジネスをずっとやっています。ニコ動のように自分たちのサイトで一生懸命やっていらっしゃるネットメディアもありますが、基本的にインターネットは、自分たちでモノをつくらず流しているということを、年配のデスクの人は言っていると思うんです。

少し過去を振り返ってみます。60年以上前に映画隆盛の時代があって、映画というものは娯楽の王様であった。その娯楽の王様である映画がテレビに取って代わったときに、映画に携わる人たちにとって、テレビのスキームはまるで異質のものだった。映画をつくって公開されると、客が映画館に来て入場料を払うことで稼ぐことができるメディアであったわけですよね。しかし電波が全国に届くことによって、テレビを無料で見られるということで、時間とお金の掛け方が変わりました。テレビ局は、映画のビジネスモデルを崩壊させました。それと同じことが、今、テレビとインターネットの間で起こっているのだと思います。

我々テレビメディアというのは、インターネットに侵されているという認識がすごくあります。テレビ局というのはどういうビジネスモデルか。実は私の父親がフジテレビにいて、TBSに入った時にとても喜ばれました。「いい会社に入ったな。TBSは絶対に潰れないよ。日本には免許に守られているいい業界が2つあって、それが航空業界とテレビ局だ」と。航空業界がいまどうなっているかは言わずもがなですが、テレビ業界も危機に瀕しています。それでも、なくなることはないと思います。映画だって斜陽だと言われて60年経ちますが、まだあります。なくなることはないが、広告収入が激減して、インターネットというメディアに広告収入を奪われていく。

これは日本だけの現象ではなく、アメリカでもテレビの広告収入が下がっています。そういう中で我々テレビ局は、インターネットとどう付き合っていかなければならないのか、いろいろ模索しているところです。アメリカのほうが日本より進んでいて、インターネットとどう向き合っていくか、もしくはインターネットを越そうという動きが活発です。日本では今年の7月に地デジ化しますが、アメリカはもう2009年に地デジ化していて、その後どうなっているかということをアメリカの例を見ながら、いろいろ研究しているという状況です。

國領:「メディアって何か」という夏野さんの出した議題に加えて、「モノをつくる」という丹羽さんの言葉が出てきて、生情報を生のまま流しているだけではメディアではない、そしてメディアという以上継続して儲けることが出来るビジネスモデルがあるべきだ、という認識があったような気がします。

丹羽:古い人たちはそう思っているでしょうね。ただ、インターネットは、人がつくったものを無料で流したりできる。過去にあった構造を破壊するような、すごいメディアが現れてしまったと、我々は認識しています。

國領:そうすると、メディアというものの定義そのものも変わる局面に来ているんですか。

丹羽:そう思っています。意外とテレビ局の人たちは認識が甘くてあまり焦っていない人も多かったんですが、自分たちの給料が下がってきて焦り始めています。相当な危機です。僕はいま会社から、5年後10年後の放送業界をどうするかという仕事を託されていますが、海外の事例を見ていると、「本当にのんびりしている場合じゃないぞ」というふうに思いますね。

國領:わかりました。では次はG1サミットのジュリアン・アサンジ、ではなく藤代さん。

メディアやジャーナリズムも近代国家の枠組みを飛び越えていく(藤代)

藤代:私はもともと、まさにタイタニックの乗船者でした。徳島新聞という地方新聞社に勤めて、そこを5年前に退社しました。いまは、サラリーマンとしてネット企業に勤め、R&Dや新サービス開発を担当し、休日などを利用して兼業ジャーナリストとして活動しています。そして最近、ジャーナリストを教育する団体をつくりました。

「兼業」というのが重要だと思います。メディアは専業でお金を稼ぐのがこれまでの常識ですが、例えば皆さんの会社でもブログや ツイッターをやっていたりするケースがあるでしょう。それも1つのメディアです。メディアはメディアしかやっちゃいけないのか、と私は問い掛けたいと思います。メディア企業が、不動産で儲けていたりしますよね。それなら個人でも、ラーメンを打ちながら、兼業でジャーナリストやってはいけないのか。それが新しい形だと思うんですね。いままさに新しいことがメディアで起こっているということなんです。

(インターネットが)理解できないし、腹立たしいし、なんかイライラするという感情が、オールドメディアの人たちの間で起きているとすれば、それは世の中が新しくなっている証拠です。もし皆さんがこのG1サミットに来て、「居心地がいい」と感じているなら、もはやこのイベントはイノベーティブではないということです。イノベーションとは、「何かおかしいな。こいつら違うな」というところから突然やってくるんです。

僕は新聞やテレビをどうにかするという考えは捨てました。変化は何か全然違うところからやってきて、潜水艦のように突然ボンと浮上します。それは夏野さんがいうように、並走することはできる。どちらかが沈むということはない。浮上して並走する。その浮上するところがどこなのかというのは、非連続なので、残念ながらメディアの人たちにはわからないし、私たちの常識からもわからない。僕はそこが見たいと思って、ソーシャルメディアを追いかけるジャーナリズムの活動をしているというわけです。

國領:メディアとジャーナリズムの関係というのが今まで割と安住していたんだけど、ラーメン屋がジャーナリスト、あるいはサラリーマンがジャーナリストという時代になってきていている。それが先程の丹羽さんの話と関係してきます。つまり、職業として安定的にジャーナリズムに取り組むことが大事ではないか。何か気まぐれに時間が空いているときに伝えてもらうだけでは不十分だろうと。そのあたりをどう担保していくのか。ジャーナリズムとメディアの関係をどうしたいんですか?

藤代:どうしたいというよりも、「変わる」ということだけは確信しています。未来は予測不可能です。新しい時代を見るときには、歴史を振り返ることが大事だと思っています。その昔、夏目漱石は新聞記者だったんですね。しかしそれだけで食えなかった。石川啄木も新聞記者で、「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり」と詠んでいます。ジャーナリズムはもともと安定的なビジネスではなかったし、言論機関が安定的な経営をした時代は歴史を振り返ってみるとごく短い期間なんです。

新聞などが安定的なメディアとして存在しているというのは、近代の枠組みに捉われた見方です。

近代国家の枠組みを維持するために神経系としてメディアが存在して、そこに乗っているジャーナリズムだからこそ、「反権力」という言葉で象徴されるわけですよね。神経系だからこそ、反権力というカウンターがないと適切な関係が守れないから、ジャーナリズムは反権力というふうにいうわけです。

一方で、いまエジプトで起こっている騒乱は、チュニジアから国境を越えて飛び火したものです。アサンジの機密暴露も、国境を越えてやっているわけですよね。皆さんの会社も国境を越えてビジネスを展開していきましょうという話をしている。今までのメディアとかジャーナリズムも近代の枠組みを飛び越えていくとなれば、正直どうなるかわかりません。エジプト騒乱もそうですが、二項対立じゃないんです。冷戦時代のような「資本主義VS共産主義」というものではなくて、先はどうなるんだろうかとみんな心配している。そういう時代の中で、じゃあどうやって情報の質を担保するんですかと言ったら、最終的に情報の受け手が判断していくしかないと思います。

丹羽:これまでのテレビ局では、1000倍ぐらいの倍率で入社した人が記者にやっとなれた。新聞社にも、相当な倍率を勝ち抜いた人が記者になった。それでテレビ局は免許事業という特権的なものを持って、情報を発信することができた。新聞社も販売店を持っていいて、そこの記者しか発信できなかった。ところがインターネットの登場によって、誰でもブログやツイッターで発信できる。免許事業ではなく規制・参入障壁のないところに発信地をつくれたのは、インターネットの功績でもあり、一方では、情報の裏どりがない状況を膨らませてしまったということなんです。そういう意味で、インターネットはすごいメディアだと思います。

國領:誰でも編集や加工ができ得る時代において、つくることの付加価値をどう考えるか。それから、いままで意図的にセンセーショナルにつくっていたものの裏が出されてしまうような時代になってきたときに、つくる、編集する、見せるという行為が、どのようなものになっていくのか。これだけ生情報がガンガン出る時代のジャーナリズムは、やっぱりよほどの付加価値をつけないといけないでしょうね。

今までの“ジャーナリズム”が引き続き競争力を保てるのか(夏野)

夏野:ジャーナリズムとメディアが一体だと考えているのが、もう古いと思うんです。新聞社だってテレビ局だってインターネットは使えるわけです。二つ問題があります。まず、インターネットは単なるツールなんですよ。だからすべての企業のインフラになっていて、いまどきBtoBであれBtoCであれ、インターネットを使わずに仕事なんてできないじゃないですか。そういう時代において既存のメディアが、例えば顧客とどういうリレーションシップをとるかとか、ビジネスモデルをどのように変えていくのか。ここが決定的に遅れていることが、一つの問題としてある。

そしてもう一つの問題点は、あらゆる人がいろんな情報を出してくる中で、今までの編集スタイルとかジャーナリズムと言われていた、いわゆる情報を集めてきて解釈して深めていくという手法が、引き続き競争力を持つことができるのか。この2つは決定的に違う議論だと思うんですね。

前者に関して言えば、本来ならもっとやれることがいっぱいあるはずです。テレビ局には、インターネットでタイムシフト視聴をやらない理由がまったく思い当たりません。テレビ局の人に聞くと「権利者が云々」とか、権利者に聞くと「テレビ局が動かない」とか、挙げ句の果てに電通のせいにする人たちがいたりするんですね。みんな人のせいにして自分が決定したくないだけなので、話がまとまらない。これはいくらなんでも何年かすれば解決するだろうと見ています。

むしろ問題は、いろんな人がもう情報を出せるようになったこと。エジプト騒乱の情報がfacebookで流れてきて拡散されていて、深い洞察がブログに上がったりする時代に、どれだけ記者やジャーナリストのレベルアップを図るか。

ところがデスクなどの年長世代があまりにもインターネットに疎いというか、拒否しているものだから、競争力が上がっていない。あり得ないような記事が新聞に出たり、ありえないような報道がテレビで流れたりしているのは、意識的ではなくて、単に時代についてきていないように見えます。

丹羽:インターネットとどうコンテンツが結びつくかお話したい。実は僕は夏野さんと昨年、「ニコニコドラマ」を手掛けました。普通ならドラマはテレビ局で放送された後、それが違法にYouTubeなどにアップロードされます。この実験では、まずニコ動にドラマを上げます。すると落書きのようなコメントがつくわけです。我々は放送局なので放送禁止用語をすべて編集で削除し、それをBS放送で流したら異常な高視聴率を取りました。

テレビ局がインターネットとどう向き合うかなど色々なことを考える中で、インターネットを含む新しい技術をどう使っていくかという試みは、とくにBS-TBSは他局に先駆けて相当やっています。3Dファンションショーも我が社がアジアで初めて行いました。

しかし夏野さんがおっしゃったタイムシフトの問題があります。アメリカではすでに、検索して放送を見ることが可能です。例えばネットでキーワードを打つと、それに関連したものが検索されて見ることができるわけです。ユーザーにとっては、放送局が流したものであろうが、ほかの会社がつくったコンテンツであろうが関係ない。放送と通信の融合によって、自分の好きな時に好きなものを見られる環境が整っています。このようなことは、時代の流れで、いずれ日本でも起きてくると思います。

アメリカではHuluという動画配信サービスが提供されていますが、これはテレビ局が流したものを翌日、パソコンで無料視聴できるものです。放送を見逃した人が、好きなときに見ることができる。NHKも似たようなサービスを始めていますが、Huluにはアメリカの4大テレビ局のうち、NBC、FOX、ABCの3局が参画しています。そして去年の6月から有料化しました。広告収入で儲けていたものを、視聴者に料金をお支払いいただくことで収益を挙げるビジネスモデルに変えた。有料化するにあたっては、付加価値を付けなければいけないということで、テレビドラマの先出しであるとか、深く掘り下げて見られるような特典を付けています。このように、YouTubeなどに対抗してテレビ局が始めた事例が、アメリカには相当あります。

藤代:インターネット時代の競争の源泉は、時間だと思っています。基本的にはみな同じです。ネット上にはものすごい情報量があるので、とにかく時間がないと読みきれません。二つの方向性があります。一つは、知っておくべきようなことをざっと知らせてくれるようなもの。そしてもう一つは興味・関心を惹いて深堀りするものです。後者はおそらく、丹羽さんがつくられているコンテンツの方向性ですね。テレビはそのラインナップを並べることによってなんとかしようと動いているように思います。ニコニコ動画もまさに後者で、1つ1つの小さい番組にファンがついていて、それが集まることで巨大になる。その一方でYahoo!ニュースのようなサービスがあって、みんなの知りたいことを即座に見せてくれる。これが前者にあたります。その真ん中は多分なくなるでしょう。

メディア産業の構造の変化は防ぎようがありませんが、個別の新聞社やテレビ局がなくなっても、マスメディアという存在はなくならないでしょう。しかし、時間というパイの奪い合いになります。ネットではグーグルやアマゾンのように一人勝ちの状況が起きやすいですが、PCではYahoo!ニュースがあるし、テレビではNHKが前者に近い存在。それ以外のメディアは、深堀りのコンテンツで勝負していくことになる。二極化が訪れているように思います。

夏野:最近、僕のツイッターやテレビでの発言が、右傾化しているという噂があります。右寄りでも左寄りでもないと思っているんですが、ある日、なぜそう言われるのか気付いたんです。iPadを買ってから毎日、産経新聞を読むようになっちゃったんですね(会場笑)。朝日新聞も早く同じようなサービスを始めてほしいところです。

新聞というフォーマットは素晴らしいと思います。見出しを見ると、上段に「ムバラク大統領退陣」ですよ。中段に「自立応援年金創設」があって、「北方領土溝埋まらず」とくる。この一覧性。新聞は1日に夕刊を入れて2回、夕刊を入れなければ1回に情報をまとめている。Yahoo!ニュースはそれができません。刻々と変わりすぎます。

ここが戦いどころだと思うんですよ。インターネットという新しい媒体に、通信社や新聞社やテレビ局がこぞって同じように速報を流している。みんな似通っていて、むしろ差別化をしない方向にいっているのは、能がない。新聞記事をそのまま出しているのも能がないんだけれども、これも1つの戦い方です。1日に1回のまとめをこの限られた紙面の中でレイアウトして出すというのは、素晴らしい形態だと思っています、僕は新聞の紙面をそのままiPadに出すことが一番気に入っていいて、毎月1500円の月額料金を払い続けて産経新聞を読んでいます。で、右傾化しているんです(会場笑)。

小口日出彦氏(パースペクティブ・メディア社長):雑誌メディアで、ずっと事業開発と雑誌開発と編集長を務めてきました。「マスコミが悪い」と批判に晒されますが、そもそもそんな高級なものではありません。東大の浜野保樹教授が『メディアの世紀—アメリカ神話の創造者たち』(岩波書店)という本を90年代初頭に出していますけれども、アメリカで最も権威のあるピューリッツアー賞の生みの親であるジョセフ・ピュリッツァーが、どのようにして新聞をビジネス化したのかということがよく書かれています。基本的には、人の不幸とスキャンダルをネタにするんです。その構造はいまも変わっていません。この2つにもう1つ加えれば、セックスなんです。エロ記事もビジネス記事も、効用を期待して読みますよね。所詮それくらいのものです。

逆に情報を送り出す立場からすると、基本的に自分でやっていることが面白いから、情報を出すんです。それが根源的な動機です。ウィキリークスのアサンジの件に関して言えば、彼はこれはとっても面白い、ワクワクすると思ってやったと見えるわけです。まさに人の不幸とスキャンダルに絡む一番おいしいところを、ポンと出してきたわけでしょ。それが世の中でどう受け入れられるかというのはまた別問題ですが、私の立場からすると「あっぱれ、よくやった、もっとやってくれ。どんどんやれば面白いじゃないか」と。

もうこればっかりだよ、この国は…。やることが遅い。(会場)

村井純氏(慶應義塾大学環境情報学部教授):長年にわたってインターネットを研究してきた大学教授です。私は2つ言いたいことがあります。1つは、このセッションの「インターネットが変えるメディア」というテーマについて。先程から何度か話に出てくる通り、インターネットは基本的にはプラットフォームなので、どんどんクオリティーが上がるようになっていく。ビデオストリームも流して、世界中どこでも誰でも繋がるようになる。レイテンシーが短くなって、情報が行って返ってくるまでの速度が光に追いつくようにと、日々進化している。

ポイントは、本当に自由になんでもつくれるようになっているということ。デジタル情報を交換できますが、一昔前は「1対1」だった。それがようやく、USTREAMやニコ動など「1対n」でかなりのクオリティーの情報が世界中に出せるようになったんです。どんなメディアをつくるかというイノベーションの可能性は、無限に広がっているわけです。

これまでのテレビのモデルでは、受信者個人をすべて特定できませんでしたよね。ところが、インターネットの発達によってできるようになったんです。こんな面白い年はない。これほど面白い時期にイノベーションをやらずに、いつやるのか。

インターネットでラジオ放送を行うradikoが、2010年にサービスを開始しました。電波にとらわれなくなった途端に、まったく新しい足回りが生まれた。携帯電話で受信すればいい。そして聴取者をすべて特定することが可能です。ビジネスもマーケットもやり放題じゃないかと素人の僕は思いますが、誰も何もやらないというのはどういうことか。それが一点目の問題です。

二つ目。『文藝春秋』が2011年3月号より、電子版の配信をスタートさせました。海外在留邦人だけを対象にしたサービスです。僕たちは入れてもらえないんですよ。もうこればっかりだよ、この国は…。やることが遅い。いつの間にかきっとできる、いつかきっと変わる、という気でいる。「遅かれ早かれできる」とみんな言うんですが、遅かれじゃダメなんですよ。遅くなったらイノベーションの新しいアイディアも、新しい文化も、新しい教育も、何もできないんだよ、というのが2点目の問題です。

國領:1点目も2点目も同じですね。要は「早くやれよ」ということですよね。

夏野:これは本質的な問題で、日本社会全体にいえる話ですよね。つまり問題の先送りなんです。問題を先送りする理由は、いまの経営者や意思決定者が決定の責任を負いたくない、あるいは決定するだけの判断材料を持ち合わせいないということですね。後者のほうが僕は大きいと思います。悪気が合って経営しているわけではなく、ただ知らないだけなんですよ。

すべての日本社会に共通して欠けているのは、多様性だと思うんです。つまり同じ会社で20年30年過ごして、同じようなキャリアを持った人たちだけで構成されている役員会が元凶です。資本市場が警鐘を鳴らすべきだと思うんです。とても危ない。本当に共倒れしますよ。これが罷り通ってしまっている。しかもベンチャーキャピタルまでそうなんですよ。金融出身者、しかも間接金融の銀行出身者に、エクイティの投資なんてできるわけがない。あるいはコンサルティング出身者にできるわけがないですよ。自分で事業を起こせないので、コンサルティングやってきたんですからね。なんかおかしいんですよ。「蛸壷が悪いんじゃなくて蛸が悪いんだ」というのはまさにその通りです。

同業者で協会をつくって現状に安住していれば、とりあえずいいという風潮もある。先程のイノベーションの話にも繋がるんだけれど、新しいことを始めたり予想外のことが始まるのは、不快なんですよ。それで新しく覚えていかなければならないことが出てくるんだから、チャレンジ精神が要る。しかしチャレンジするからこそ給料が貰えるし、成功したときにより充実感が得られるわけじゃないですか。安住志向の最たるものが、免許事業に守られ比較的競争環境が厳しくない業界です。

丹羽:おっしゃる通りで、大手の会社とか免許事業に守られている会社というのは、ビジネスモデルがなかなか変えられないんですよね。また、新しい技術を導入しようとしても、上層部がその技術についてまったくわからない。それで「儲かるのかと」と聞かれれば、十中八九は儲からないものでも、「儲かります」と答えるわけですよね。そういう意味では楽だと思う反面、既存のビジネスモデルに捉われてしまって、夏野さんがおっしゃったように、上層部に新しいことがわからないという人が多いということが、大きな問題だと思います。

國領:考え方は2つあって、『文藝春秋』のような媒体の変革を加速させることを考えるか、もうそれは放っておいて同志で新しい新聞社や雑誌社を作るのか、どちらを目指したほうがいいのでしょうか。

ダメだと言われている会社ほど、ネットを使って新しいことにチャレンジすべき(夏野)

丹羽:いまの質問にはなかなか答えにくいですが、先程の話のテレビや新聞、映画はなくならないということからすると、費用対効果に尽きると思うんですよね。例えば1000人にリーチするメディアでいま一番何が効果的かというと、やはりまだテレビなんです。例えばチラシ1枚刷ると印刷代が2.5円。テレビは単価にすると1円台で安いんです。インターネットにテレビの収益が奪われるようになってきて、テレビ局が気付き始めて、いま多くの広告代理店はクロスメディアを盛んに喧伝しています。クロスメディアは、戦争でいえば戦車だけで戦うのではなく、戦車と歩兵の組み合わせで戦うようなことです。

広告は絶対になくならないし、広告に頼っている我々のビジネスもなくなりはしないんだけれど、モノが売れないとお客様であるスポンサー様はお金をくださらないので、どういうふうにやっていくかが知恵の出しどころです。メディアは内需産業という側面が強いですが、文藝春秋が海外に向けてビジネスを展開するのは、とても興味深い。当然英字版もあるわけですよね?

村井氏:ありません。

丹羽:ないんですか…。収益性を高めるためには、国内市場でDVDなどをつくり2次利用で売るか、海外へ輸出するか。我々TBSは海外輸出がとてもうまくいっています。私が新入社員で入ってきたときにADで参加した「風雲!たけし城」が世界各国で放送されて莫大な利益を得ていたんですが、フォーマット販売という方法もあって、ノウハウを教えるわけです。それが実はものすごく利益を上げています。例えば「東京フレンドパーク」のトルコ版があって、トルコの司会者は席に寄りかかる独特のポーズまで関口宏さんにそっくりなんです。

夏野:既存のメディア企業が非効率的なビジネス展開をしているなかで、新しい会社を立ち上げたほうがいいんじゃないかと、いろんなところで言われます。そのほうが早いのかどうかというのは、いつも悩んでいます。まだその結論は出ていません。大きいのは、社会的コストの問題です。既存メディアには、これだけの論説委員がいて、企業ブランドがあって、読者がなにがしかの期待値を持っている。

この人たちがきちんと世の中のスピードに追いついて、インターネットでプラットフォームを使いこなしていったほうが、転換コストを抑えることができる。一から新しいブランドを立ち上げて、そちらにもともと文藝春秋を読んでいたような人たちが移ってくるということもカンフル剤としてあっていいんです。しかし、それだけだと、社会的コストの大きな無駄があるような気がします。そういう意味で、ダメだと言われている会社ほど、ネットを使って新しいことにチャレンジすべきだと思います。

僕はいつもいろんなところで「IT革命はいったい何だったのか」とお話するときに、「技術を知らないとITが使えない、という時代が終わったのがIT革命だ」と言っています。デバイスを使いこなすことが得意とか詳しいということよりも、見識があるとか、洞察力があるとか、論理的思考ができるとか、あるいは経験があるとか、そういう人間力や能力が重要になってきます。

何らかの能力がある人がインターネットを使ったときに、社会に対して多大な貢献ができるし、ビジネスアイテムも広がって、影響力も増していく。いまの50代後半〜60代の経験豊富な人がきちんとインターネットを使うのが、一番社会改革を最も早めるんじゃないかなと本気で思うんですよ。もちろん20代で成功する経営者もいますが、人生経験もなく情報が氾濫するなかで、すべての情報にアクセスしたら、訳がわからなくなります。解釈のしようがないですよね。

だから、インターネットを使いこなせていない既存の企業で、何らかの新しい血を入れると同時に、蓄積してきたノウハウを活かすというのが、「スピードが遅い」という状況を解決できるのかなと思っています。55歳以上の人は外出時にiPadを必携にするとか、それぐらい徹底してほしい。

國領:先程、売れるから発信するのではなくて、面白いから発信するのだというロジックがありました。その詳しい話を含めて、藤代さんご発言ください。

藤代:楽しいことを発信しているというのはその通りだと思います。どのような事象も意味付けするのは周囲の人やメディアであり、本人は余り深く考えていないということもあります。個人的にアサンジを見て思ったのは、彼はハッカーだということです。彼の経歴を見てもそうですね。ハッカーとして世の中が壊れていくのが最高に面白い。だからあの仕組みをつくっているだけだと思います。ハッカーとはそういうものです。

アメリカのウォールストリートジャーナルは社説で、爆弾テロリストのユナ・ボマーと比較し、アサンジの行為を正当化して正義だと評するのは留保すべきだという記事を掲載しました。それがジャーナリズムの見識だと思います。それが当たっているか外れているか別として、彼の行為を正義と持ち上げるのは簡単だけれども、慎んだほうがいいときもある。何にワクワクしているのかよく見極め、判断や態度を留保しておくのも、ジャーナリズムの見識だと思います。

夏野さんの話に被せると、私が地方新聞社にいて、いうなればタイタニックに乗っていたときは、このタイタニックの方向を曲げないと絶対に氷河にぶつかってしまうと本気で思っていたんです。でもそこから離れてみると、意外とそうでもないと感じました。条件が合えば急展開することもあると、ポジティブに考えています。明治維新では、感覚の新しい人と知恵や権力を持った人たちがうまく融合して、「よし曲がるぞ」と言った瞬間に一気に急展開した。そうやってこれまで危機を乗り越えてきたのが、日本だと思っています。僕も38歳になってしまったんですけれども。まだ僕より年上の人が多いので、もっと違和感を受け止めてほしいと願っています。

私が日本ジャーナリスト教育センターというスクールをつくった理由もそこにあります。明治維新で急展開できたのは教育が行われていたからだし、新しい教育の仕組みも積極的に取り入れました。変化の時代には人間の基礎力が必要不可欠です。それがなければ、急展開して行くと決めても動けないでしょう。

國領:ジャーナリスト教育センターでは、どんな活動をしてるんですか?

藤代:新聞社にいる人たちにネット向けの記事を書いてもらい、読者から意見や批判を受けて、レベルを思い知らせるようなことをやります。

例えば、サッカーのサポーターは毎日のように練習場に足を運び、ブログなどでレポートをしています。夏野選手はちょっと調子が悪いとか、最近太ってきたんじゃないのとか、ずっと見ているんですよ。だから今日ここの動きがおかしかったとか、的確に解説するんですよね。戦術やサッカー先進地での動向に詳しいファンもいます。でも一部の記者は、今日の藤代選手は根性が足りなくて、ボールに対する最後の一足が出なかったというように、精神論で誤魔化してしまう。そうすると記事はネットで批判を浴びることになる。多くの人が情報発信するようになって、記者のレベルもあからさまに分かるようになってきました。これは一部の新聞社の幹部も気付いていて、危機感を持っています。

ジャーナリスト教育センターのイベントには、企業の広報担当者や研究者、大学や大学院生、代理店やPRエージェンシーに勤める人も参加してもらっています。「伝える」ことに携わっている者同士で学びあいながら、切磋琢磨していく。同じ事象でも立場によって目的や手法が違います、その際に生まれる違い「なぜ」、心に生まれる違和感が成長の原動力になります。

ボランティアでやっているので小さい規模でしかできていませんが、これまで学生を80人を送り出し、既存のメディアの人たちなど40人が合宿型の研修に全国から参加しています。

権威を信じながら、マスメディア批判をするのは無責任(藤代)

会場:民主主義とメディアという、ちょっと大それたテーマについてです。国民のメディア信頼度調査の国際比較があって、オーストラリア人やイギリス人はメディアをすんなりと信じない。信じている人は11%か12%くらいしかいない。ところが日本人は断トツで高くて、73%ぐらいがメディアを信じているという結果が出ていたんですね。要するに日本は、マスメディアを世論形成にすごく利用しやすい国なんだ、ということをまずポイントとおさえたいと思います。

もう一つは、ネット上でA層B層という言葉が流通しています。B層というのは、テレビや新聞の論調を鵜呑みにして、インターネットで政治に深くかかわるような情報を収集しない人。A層はテレビや新聞の論調を鵜呑みにせず、インターネットで政治に深くかかわるような情報を収集する人ということです。実感としては、B層が95%を占めて、まだまだA層は非常に少ないと思います。マスメディアを非常に信じやすい国民性の中で、世論をつくりやすい。ですから、マスメディアがどうなっていくのかということは、日本がどうなっていくかということに直結してくると思っているんですね。

じゃあどうしたらいのか。僕にはちょっとわからないんですけれど、ライブドアがフジテレビを買収しようとした件と、楽天がTBSの筆頭株主になった件で、何かすごく変わるんじゃないかと期待しました。しかし先程、夏野さんがおっしゃったように、いまの経営者層にはまったくそういうビジョンがない、というのが非常に歯痒いんです。本当にそこのところがわかっている経営者を待望しています。

質問としては、楽天が筆頭株主になったときに、オーナーの三木谷さんからTBS側にどういう働きかけがあって、インターネット側からどう既存メディアを変えようという提案があったか。差し支えない範囲で教えていただければ幸いです。

夏野:世代論はあまり好きじゃないんですが、上のほうの世代が圧倒的にインターネットに接していないのは事実です。インターネットから出てくる情報のハンドリングに慣れていないから、日本の場合はマスメディアの影響力がまだ強いのかなと思います。しかしこの状況はでどんどん変わっていくでしょう。インターネットに慣れた世代が年を追うごとに上の世代になっていくわけですから。とはいえ、インターネットを取り込むスピードはいまのままでは遅いので、打開策としてやはりiPadを全員に持たせるというようなことをやったほうがいいと思うんです。

丹羽:楽天との事は係争中なのでコメントを差し控えさせてください。

藤代:私たちが何か新しいものをつくろうとするんだったら、メディアに対する信頼というのもある意味担保するべき立場にあると思います。既存のマスメディア批判は結構ありますが、それは信頼の裏返しでもあります。個を大事にするのであれば、権威を信じていたり、信じたいと思う気持ちのほうがおかしいと思います。マスメディアが何かを誘導していることに対して「おかしいよね」というふうに声を上げて、我々から変えていかなければならない。

そのためには相対的にメディアを見ることができる個人をつくっていかなければならないと考えています。いまは、既存メディアと我々国民が共存関係にある。「ネットにあった情報が朝日新聞に載った、あ、やっぱり正しかったんだ」と考えてしまうのは、既存の権威を信じているから。権威を信じながら、マスメディア批判をするのは無責任ではないでしょうか。それを変えていかない限り、新しい時代はなかなか来ないでしょう。一人ひとりが問われている時代だと思いますし、そのために私は、いろいろチャレンジしていきます。

内藤裕紀氏(ドリコム社長):テレビとラジオは無料で視聴できる。雑誌と新聞はお金を払うと読める。メディアがインターネットに対応していく中で、雑誌も新聞もどのように無料でインターネットに参加していくかということで、割と無料でネット記事を配信しています。しかし一方では、インターネットは無料から課金のほうに向かっています。ニコ動さんもそうですし、Huluもそうですし、食べログさんもそうです。スポンサーを見てメディアをつくっているのか、ユーザーからお金を払ってもらってメディアをつくっているのかというところです。まったく根底から違ってきますが、メディアはスポンサーからお金を貰う形であるべきなのか、ユーザーからお金を貰う形でメディアがあるべきなのか、ぜひご意見を聞いてみたいと思います。

夏野:有料かを無料かということに関しては、完全にビジネスモデルの問題です。同じ商品なのに、無料で広告ベースでやったり、有料でやったりというケースというのは、そこらじゅうにある。雑誌のフリーペーパーもそうでしょう。最終読者に対して、いかに快適なやり方を提供するかだけの問題だと思っていて、僕はあまりこだわっていないんですね。ユーザーに受け入れられるような形であれば、どちらでもいい。

いまのテレビ局がまったく視聴者のことを見ていないかというと、決してそうではありません。どちらかというと、制作側というのは視聴率をとても気にしているから、視聴者に見てもらうために仕事をしています。それに対して、経営側はスポンサー側を大事にしている。同じ仕組みが長く続きすぎて、新鮮さが失われてしまっているので、人材の多様化が必要だと、既存メディアに対してはとくに思います。インターネットのメディアでも2000年代前半に出てきたベンチャー系の企業は、ほとんどビジネスモデルが破綻しているでしょう。それは起業当時のビジネスモデルにこだわって、新しいビジネスモデルを捉えていないからです。既存のマスメディアも参入してくるインターネットも、同じように新しいビジネスモデルにトライすべきです。

丹羽:テレビ局は主に広告収入に頼っていますが、新聞も4割が広告収入で成り立っています。我々の場合は2重にお客さんがいます。1つはスポンサーで、もう1つは視聴者です。2重のお客さんによるせめぎ合いの中で、これまではとりあえず一般視聴者を取れば、何でも許されるという状況がありましたが、それも微妙に変わってきたというところだと認識しています。

國領:時間も来ましたので、これぐらいで終わりますが、来年のG1サミットは是非口パク機能付きニコ動でダダ漏れでやってほしいですね。みなさん、有難うございました。

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