旭化成・蛭田史郎最高顧問「変化を恐れるな」 

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「女房子供を路頭に迷わさない範囲で、自分の生き様を追究したほうがいい」。蛭田史郎氏が壇上からそう語りかけると、会場は大きな拍手に包まれた。2003年から約7年間、旭化成の改革を進め、徹底的な選択と集中を進めた立役者。“蛭田改革”と名付けられた一連の施策は大きな成果を収め、売上げは1兆2000億から1兆7000億へ、営業利益は700億から1300億へと、旭化成を大きく躍進させた。

「妥協しない性格」として知られ、社長就任時には「改革派」「目線の位置高い勉強家」と評された蛭田氏。講演の中では、10年間にわたる改革の一端を紹介するとともに、自身の人生哲学に触れ、「自分がこの世に別れを告げるとき、納得して死ねる状態でいたかった」「私は名誉やポジションではなく、本当に必要な仕事を通じて自分が何をやっていくかということを優先していました」と語る。

質直な語り口でありながら、内容は大胆そのもの。自身が会社から“干された”経験も交えながら、「若くても言いたいことを言え」「会社なんてめったなことじゃクビにならない」と語りかけ、何度も会場を沸かせる一方、「人間は基本的にコンサバティブな生き物。何かしら答えに詰まったときは不安にもなるし、放っておけば、何とかして“変えないで済む部分”を探しがち」と警鐘を鳴らす。

誰もが明日の未来を想像できた高度成長期が終わり、一寸先も見えない混迷の時代。だからこそ、蛭田氏の言葉は胸に響くのかもしれない。

高度成長的企業経営の限界

こんな風に熱気ある会場でトップバッターとしてお話しをさせていただける栄誉に浴しまして、まずはご来場の皆さまや関係者の皆さまに心よりお礼を申しあげたいと思います。ただ、これだけ大勢の方が集まってくださったのに、話を聞いてみたら「何かつまらなかった」と、少々がっかりするかもしれません。ですから、これから1時間15分にわたって聴講される皆さまには、前もってお詫びもしておこうと思います(会場笑)。

演題については、今日になってプログラムを見たのですが、「混迷の時代を切り拓くリーダーの要件」とありましたので、私としては「参ったなあ」と思っていたところです。混迷の時代を切り拓くリーダーの要件について、とうとうと語る資格があるのかという気持ちがあります。

演題に沿った話をできるかというと、ちょっと自信はありません。しかしながら私自身は旭化成一筋でやってきまして、ちょうどこの3月に社長職を辞したところ。そのあいだにやってきたいくつかの事例を、今日は三つのカテゴリーに分けてお話ししたいと思っています。それが結果的に、皆さまにとって何かのきっかけになれば有り難いと思っています。

一つ目は、経営の仕組みという側面で何をやったか。二つ目は、混迷の時代を変革するため、どういう考え方で具体的なアクションを起こしたか。最新の具体的アクションは企業秘密に触れてしまう場合がありますので、若干古い例を中心にお話ししていきます。ここで重要なのは何をやったかというより、どういった考え方でやったかということです。三つ目は、今後に向けてどんな手を打っていったかという点について言及していきます。

私が社長に就任したのは2003年ですが、それ以前から経営計画の策定は担当しており、2000年には売上高や利益率の推移を改めてレビューしたことがあります。その際、私は自分が入社した1960年を起点に日本のGDP推移と比較する対数グラフをつくりました。

1960年のデータを100として、縦軸に対数をとったものです。キヤノンさんやトヨタさんは日本のGDP推移のかなり上方で売上を伸ばしていた。一方、紡績メーカーさんはほとんどがGDPの下方で推移していました。

そういう意味では当社の場合、幸か不幸か、日本のGDP推移に寄りそうような平均値を出していました。ただ、1960年を100として考えると、1975年に初めて下回るまでは、GDP推移のかなり上方で推移していたんです。これは営業利益でも売上高でもだいたい同じ。

最初の落ち込みに関しては皆さまご存知ないかもしれませんが、1975年前後のオイルショックですね。このときはストンと落ちました。で、そのあとは上がったり下がったりしていたのですが、1990年以降はほとんど日本のGDPにも追いついていけなかった。

私が社長に就任する直近の10年間は、売上高が1兆1000億〜1兆2000億ぎりぎりという売上高水準で、営業利益も300億〜700数十億をでこぼこと推移している状態でした。それが旭化成の実力というか、実体だったんです。

この状態から何をするべきか考えるにあたり、まずは課題を整理してみました。すると1960年からの15年間はGDP推移以上の速度で成長し、オイルショックではGDP以下の成長となった。

全体的には日本のGDP程度にしか成長していないという会社の体質がはっきりしてきたんです。新規事業を手掛けたりもしていましたが、古い事業が赤字になったりして新規事業の増加分も打ち消されていました。結局のところ、事業の再構築(リストラ)の速度をもっとあげなければいけなかったということなんですね。

さらに改めて全体像を見てみると、前半はトップダウンで強権を発揮していれば良い時代でした。皆、頭を空っぽにして上に言われたことを頑張ってやっていれば、何とかなる時代だったんです。そしてその次がリストラの時代。リストラというのはなかなか部下の立場からはできませんから、これもトップダウンですよね。

そうすると、およそ30年にわたってトップダウン型の事業を展開していたため、待ちの姿勢に伴う閉塞感が旭化成の大きな課題になっていたというのが、私の認識でした。

リストラの加速と方向性の明示

そこでどういった仕組み変更をしたか。二つあります。リストラの加速と、事業の拡大の方向性の明示です。

色々な事業を見ていますと、「我々も昔は稼いでいたんだ。今はその稼いだ金で事業を起こしているんだから問題ない」と言って、何年も赤字を垂れ流しているような事業がいくつかありました。これについては「止めろ」といってもなかなか止まらない。

そこで私は事業ごとに分社化し、リストラの速度をあげることにしました。分社化した事業はEVA(経済付加価値、収益性指標の一つ)で見て2年間赤字であれば再生計画を策定させる。そこでさらに1年間続けてもだめなら経営者を変えるという撤退のルールを、分社化によって明確化しました。また、各事業は事業会社ごとのキャッシュフローのなかで行わせるようにもしました。

こうしたリストラが終わったあと、事業拡大の方向性を明示しました。それまでの、皆がばらばらに「ここをやる。あそこをやる」という形ではなく、旭化成全体としてどちらを向くべきか決めました。大きく二つあります。

一つ目は、「グローバル型の事業はグローバルでやれ」ということです。高度成長期の日本企業は、おおむね国内でどう勝つかを中心に考えていました。そして多少余力が出る、あるいは事業が苦しくなると輸出をはじめるのが高度成長期のグローバル化だったんです。私はそれを「ドメスティックグローバル」と呼んでいましたが、そうではなく、「とにかくグローバルな市場を前提にして考え直せ」と言い続け、その流れに沿って事業を拡大させていきました。

二つ目は、国内産業構造の変化への対応です。放っておくと、日本のGDPは下がってしまうリスクがありますから、国内事業は産業構造の変化に応じて高度化させていく。そのうえで、「どうやっても対応困難」という事業があれば売却するか撤退するという方向で、全社にわたる経営の仕組みを変えていったんです。

今までの旭化成グループは全体でたった一つの会社でしたが、それを七つの事業会社(現在は九つ)に分けました。それぞれの事業会社に責任を持たせたうえで、グループ全体には社長が執行する全体的な戦略部門である経営戦略会議を設置しました。さらに、その社長を含めた執行部門を監督する組織として、取締役会があるという仕組みに変更していったわけです。

徹底した筋肉質の組織に変革する

成長戦略について説明します。1999年から2010年まで、三つのフェーズになります。まず1999年から2002年までは「ISHIN2000」。低迷の時代を乗り切ろうという意味で“維新”という言葉を選び、3カ年計画としたものです。この3年は、「選択と集中」がテーマで、特に負の遺産を整理することに注力しました。しかし、残念ながら分社化の前だったということもあり、なかなか選択と集中を実現できなかった。結果的には1年延長したうえで2003年に分社化しました。

そこから「ISHIN-05」というフェーズに入ります。ここでは、「選び抜かれた多角化」という標題のもと、戦略的に重点事業の拡大を図っていきました。併せてキャッシュフローを稼ぐ体質へと変化させ、自主自立の経営実現という目標も掲げました。こちらは2005年にほぼ計画以上の達成となりましたね。300億〜700数十億弱だった営業利益も1000億強までいったので、やっと日本のGDPに追いついたという状態です。しかし先程申しあげた通り、旭化成という企業はなかなかそれ以上の成長ができていなかった。

そこで「Growth Action-2010」という次のフェーズに入ります。グローバル型事業を拡大するとともに、国内型事業の高度化を目指していった。これが、それまで長く続いていた1兆1000億〜1兆2000億の売上高、そして300億〜700数十億の営業利益を超えるために実施した3番目のフェーズです。

結果的に、売上高はだいたい1兆7000億をキープするようになり、営業利益はおよそ1280億に跳ねあがりました。2008年にはリーマンショックによって売上高が1兆5000億、営業利益が350億まで落ちましたが、当時、ほとんどの日本企業が赤字になっていたなか、幸いにして旭化成は350億の営業利益を稼ぐことができました。

このような経営の仕組みにして最も良かったと思うのは、キャッシュフローが改善したこと。また、撤退のルールを明確化したことで、それまでは赤字となっていた2事業も含めて全7事業が黒字に転換したことです。1株あたりの配当も13円まであげることができました。残念ながらリーマンショックで10円まで落ちてしまいましたが、昔は、「6円あれば安定している」と言われていたものを大きく改善することができたということです。

さらに、グローバルNo.1事業の比率もあげることができました。以前はグローバルNo.1事業がほとんどありませんでしたから、あげるというよりゼロからNo.1事業を創出していったということになります。現在では営業利益の半分がグローバルNo.1またはNo.2の事業から生まれているという状況です。

要するに7年間…、事業によってはさらに長いあいだ続いていた、「赤字でもいいんだ」という風土を直すため、分社化したうえで撤退ルールを明確にしたこと。そしてキャッシュフローという経営指標を明確化することで、経営の仕組み全体を変えることができたということです。

国内型からグローバル型へ

ただ、仕組み変えるだけで会社が良くなるかというと、そうでもない。実際の構造転換にはかなり困難が伴います。ですから冒頭で触れた二番目のカテゴリーとして、どういった考え方で具体的なアクションを起こしたかが大切になってくるんですね。では、ここでまたいくつかの事例をご紹介させてください。

まず当時の7事業のポートフォリオ転換についてです。これまではどちらかというと成り行きで考えがちだったポートフォリオ転換について、明確な指針を設けていきました。古くてかつどうにもならない事業は撤退するか売却。収益の悪いものは時代に合わせて構造転換し、そして新しい事業をつくる。

足りない要素があれば提携や買収を行っていきます。ここでは、事例でご説明すると、分かりやすくなると思います。

私が担当した仕事を一つご紹介します。プリント基板のうえにレジストをつくるドライフィルムレジストという事業ですね。同事業は私が担当になる10年前に最後発で参入し、私が担当した頃には日本のトップ2に入ってシェアも約43%と、非常に良い成績をあげていた事業です。売上高の成長率も利益率もすでに10%以上でした。当時私が受けた報告は、「10年で我々はトップシェアになりました。あと10年したらさらにシェアを倍にします」というものでした。

私はそこで、「3年以内に赤字になるよ」と答えました。それを聞いた部下は「いきなり何を言うんだ」という顔をしていましたが、理由は二つあった。現在43%のシェアを倍に伸ばそうと思ったら、もう一つのトップメーカーを本当に潰せるのかという話になります。でも、その部下は「それは…、向こうのほうが強いから潰せません」と言う。それなら無理ですよね。そしてもう一つの理由は、国際価格と国内価格の差です。国内価格は高付加価値製品ということで国際価格のおよそ3割高なのですが、これをゼロとして計算するとあっという間に利益はマイナスになります。

この二つの理由で3年以内に赤字になると言ったんです。彼らはそこで、ようやく自分たちが置かれている状況や課題を理解はしました。そこからどうすれば良いかという話になりますが、それは簡単。当時、旭化成の世界シェアは8%ぐらいでしたから、それを20%にしろと言いました。そのためには、まずプリント基板の世界的な生産拠点がどこに移っていくかを考える必要があります。

「日本のプリント基板メーカーさんだって、いつまでも高いレジストを押しつけられていたら海外に逃げちゃうから所詮赤字になるよ」と、私は言いました。海外の生産基地を考えろという意味です。当時、上海近郊がマザーボード生産の一大拠点になっていくという情報を掴んでいましたから、当地の代理店を起用し、そこに工場もつくっていきました。

今では当社の上海工場は世界最大のドライフィルムレジスト工場になっています。世界シェアは30%強。売上高は国内だけでやっていたころから比べると、6〜7年間で4〜5倍になりながら、利益率は従来通りの10%以上をキープしています。要するに、国内1憶2000万人という市場のなかで勝つかどうかだけを考えるのではなく、世界市場のなかでどう立ち回るかを考えることで、新しい展開が見えてくるということです。こういった例が非常に多かったんですね。

結局、ポートフォリオ転換とか、構造改革とか、新規事業の創出とか、色々と言ってみても視点が従来の価値観のままで、悶々と苦悩している局面というのがかなりあった。その視点や価値観、あるいは見方を変えたら、まだまだ成長できる事業はあります。そしてそのキーワードが、国内型からグローバル型への展開ということだったんです。

マーケティングと技術を掛け合わせた開発部隊

経営の仕組みを変える、事業ポートフォリオの転換、という大きな戦略が実行できたその次は、三つめのカテゴリー、新事業の創出という課題が待っていました。私は、新しい研究所をつくりました。特に我々はメーカーですから、今までお話ししたような経営戦略や具体論だけでなく、技術が伴わなくてはいけません。しかし当時の技術開発には二つの課題があった。新しい研究所はそれを是正するためのものだったんです。

まず、それまでの旭化成は30年前につくった化学実験中心の研究所を使っていました。でもエレクトロニクス分野で出ていこうとすると、「クリーンルームをひとつ設置するのにも狭すぎる」とか「試作ラインが設置できない」など、数々の問題を抱えることになります。エレクトロニクス分野ではOKが出たら即テストセールスに入りますから、少量生産をしないといけないのに、その場所がない。これを解決するために、大きな試作ライン、あるいはウェハー(半導体素子の材料)ができるような設備も有した研究所をつくり、量産設備が完成するまでテストセールスや少量生産をできるようにしたかったというのがまず一つ。

それからもう一つは、企業内研究はどうしても内向きになりやすいので、外部との連携ができるような環境が必要だったという課題への対応です。外部の人に対するセキュリティ機能、あるいは外国の研究者とグローバルに共同研究するための同時通訳機能など、外部との連携に不都合ない研究所にする必要がありました。

だいたい企業の中央研究所は持ち株会社の組織だけでやるものですが、旭化成は違っていたんですね。どの事業会社でも使えます。研究所内は「こちらが事業部の所属、こちらが持ち株会社の所属」といったようになっていて、そこにはついたても何もありません。内部で交流しやすい研究所でもあるんです。そのうえで、技術とマーケティングをそれぞれ縦横の軸とした開発組織をつくり、マーケティングを主体にしながら技術開発の大きな方向を決めていくという体制に切り替えました。

生きている燕を育てよ

ここまでお話しした三つのカテゴリーが、1兆2000億ぐらいの売上げを1兆5000億〜1兆7000億に拡大させ、利益率を向上させ、そして次の拡大に向けたアクションを起こすための施策だったと言えます。

まとめます。一つの事業がそのまま永続することはありません。いつも社会や環境の変化に合わせて何かを仕掛けていく必要がある。そしてこのとき大事になるのが、「スピード重視」「事実立脚」「視点を変える」「変化はチャンス」という考え方です。

結局、市場の変化に対応が遅れたらその事業はもう撤退。撤退した事業でも「もう少しこれをやっておけば」という要素は結構あるものですが、残念ながら変化に遅れたという時点で“too late”ですから、止めるしかありません。あるいは他社がやれば何とかなるものは売却するわけです。

そして、実際のビジネスを根本的、多面的、そして長期的に見ていくこと。もちろんその視点は、国内だけでなくグローバルに向いていなければいけない。視点を変えた瞬間に物事が見えてきますから。そもそも、世の中が大きく変わるときこそチャンスなんですよ。古い事業は潰さなければいけませんが、世の中の変化にきちんと繋がる価値を創出していけば、新規事業は必ず上手く立ち上がるということです。

トップダウンでやっていた時代というのは、皆がくちばしの黄色い燕になって、いつまでも親のエサを待っている状態だった。しかしその巣から一歩出ようとするとなら、その経営を変革しないといけません。「そのときにどうすれば良いのですか?」と聞かれることはよくありますが、簡単です。巣を壊してしまえばいい。「すぐ壊したら死んでしまいます」と言われますが、それで死ぬ燕ならそれで結構でしょう。生きている燕を育てればいいんです。

「無為自然」で物事に当たれ

最後になりましたが、次代のリーダーに対して個人的に期待していることをお話しさせてください。たとえそれがどんな環境であっても、「自分が所属している組織を豊かにして成長させる」という強い使命感を持つことこそ、リーダーへのスタートラインになると信じています。

そのためには、まず自分をとりまく環境の大きな変化を冷徹に見つめなければいけない。そこから環境変化に対応できる、実現可能な戦略と実行計画をつくる。戦略だけを考えて「できた!」という人は結構多い。コンサルタントでも多い(会場笑)。でも大切なのは、戦略とともに実現可能な実行計画をつくることなんです。実行計画側から考えて戦略を修正するようなケースも多々あります。

そして、いざやろうとなったのならば、メンバーをその気にさせて、実行計画を最後まで遂行すること。繰り返しになりますが、そのベースには「どんな環境でも自分が所属する組織を豊かにし成長させる」という強い使命感がなければいけないと、私は思っています。

皆さまも会社や社会を変革していこうと願うのなら、何より強い意志と行動力を持つとともに、表面的な現象に囚われず、物事の本質を常に追求し続ける努力を怠らないでください。

環境や社会はとっくに変わっているのに、自分を変えたくないから、「変わった」と認めたくないという心理を取り払わないといけません。人間は基本的にコンサバティブな生き物ですから、何かしら答えに詰まったときは不安にもなるし、放っておけば、何とかして“変えないで済む部分”を探しがちになります。

だからこそ変革を実行し続ける強い意志と行動力を、リーダーこそ持たないといけない。そういった場面では結局、その人の人間性と生き様が反映してくるものなのだと、個人的には感じています。変革を実行することで自分が生きている証を追究し続けるということですね。

「それならお前はどうなんだ」と言われると、私も自信はありません。でも、こだわりを排除して無為自然の心境で物事に立ち向かえば、自ずと自分の役割は見えてくる。それが私の信念というか、想いです。座右の銘を聞かれたら、「無為自然」と答えているんですね。無為といっても無責任という意味ではありません。“為”というのは頭のなかで「変えたくない」と思ってしまったり、本質を見つめずに自分の解釈で物事を勝手に捉えてしまうことです。

「無為自然」とはそこから解き放たれ、しかるべき本質を追いかけることだと、私はある方から伺いました。その教訓が私のなかで生きているかどうかは別にして、常にその心境で物事にあたっていくというのが、皆さまに向けた最後の言葉になります。

蛭田氏×堀氏「女房子供を路頭に迷わさない範囲で、自分の生き様を追究せよ」

堀:蛭田さん、今日は本当にありがとうございます。恐らくあすか会議がはじまって以来、最も大きな会社でトップを務めていらっしゃる方が講演に来てくださったということで、改めて拍手をお送りしたいと思います(会場拍手)。

以前からグロービスの社外取締役でもあるブーズ・アンド・カンパニー代表の澤田宏之さんに、「旭化成の蛭田さんは本当に素晴らしい」と伺っておりまして、ついにある会合のときにお会いしたのですが…、実はたまたま私のおふくろと蛭田さんご夫妻のマンションが一緒でして(笑)。それで奥様同士仲が良くて…、まあ、そういった関係から(会場笑)お越しいただけることになりました。

本題に移りたいと思いますが、まず分社化をしたうえで事業拡大に向けた数々の施策を打つ。そして国内事業の高度化やキャッシュフローといった要素も交えながら本質を見極め、常に視線はグローバルに向けていく。また、実際の改革プロセスでは、様々なパターンのなかから絞り込んで事業の再定義を行っていく…。本当に今日は勉強になるお話をたくさん伺えました。

ぜひ質問させていただきたいのが、課題に対する解決策を実行に移す段階での難しさについてです。たとえばJALの再生も、恐らくやるべきことはシンプルだと思うのですが、それが出来ていない。蛭田さんが仰っていた使命感や人間性といった要素が深く関わってくる領域だと思うのですが、そこについて蛭田さんの哲学や価値観をさらに深くお聞かせ願えればと思っておりました。

蛭田:お答えになるかどうか分かりませんが、一つ恥ずかしい話をしますと、実は13年前、役員昇格という内示を受けたとき、女房に電話してあることを聞きました。それは「俺が役員にならなきゃいかんらしいけど、2年後にクビになったら、それからなんぼ稼げば食っていける?」という話です(会場笑)。

たとえば夜警さんをやると、ひと晩で1万円貰える。それなら「俺の体力なら月に10日は夜警ができるから、月10万にはなるなあ」なんていうことを考えていました。それで足りるかどうか聞いたんですよ。そうしたら「10万あれば大丈夫ですよ」と言う。

だから、「分かった。それなら俺は思った通りの仕事をするよ」と言って役員になりました。役員になるということは、決してサラリーマン社会におけるワンステップではなく、ひとつの事業の責任者になるということです。それなら任期の2年…、今は1年ですが、任期が終わってクビになるとしても、思ったことをやるんだという気持ちで私は仕事をしていました。

堀:今日集まっている学生たちは将来、「創造と変革の志士」になりたいという希望があります。しかし現時点ではまだ企業の中堅ポジジョンという方も結構いるんですね。そうすると、たとえば会社の方向性に関して「本来こうあるべきなんじゃないか」という気持ちがあってもそれがなかなか通らず、悩みの種になっている学生も多いのではないかと思っています。どうすればトップへの階段を上がっていきながらも、自分の考えを貫いていけるのか。何か知見がありましたらお聞かせ下さい。

蛭田:社長になったのはたまたまだと思っています。私としては社長になることを考えて仕事をしていたのではなく、その場その場で自分が抱えている課題を組織の長としてどうやって解決するか。それを優先していました。今だから申しあげますが、私もとんとん拍子で出世していた訳ではないんですね。

入社してしばらくは最も低い評価でしたし、役員になったのも同年代で最後でしたから。それでも私は名誉やポジションではなく、本当に必要な仕事を通じて自分が何をやっていくかということを優先していました。自分がこの世に別れを告げるとき、納得して死ねる状態でいたかったといいますか…。

若い方にも、「社長を目指す」というのではなく、今目の前にある仕事をどうやって実行していくかを考えて欲しい。私も社内的に降格ではないにせよ、蟄居されたりしたこともありましたが、給料は貰えるわけですからね(会場笑)。

だから社内でも若い人には「言いたいことを言え」と伝えています。「うちの会社はなんぼ言ってもクビにはならないから、女房子供を路頭に迷わせることはない。だから少々高い給料や高い職階に重点を置いて、自分がやりたいことを抑えるような真似はするな」と。女房子供を路頭に迷わさない範囲で、自分の生き様を追究したほうがいいというのが僕の考えなんです(会場拍手)。

堀:私も自分に嘘をつかないという点は強く意識しています。他者にすれば間違っているかもしれないけれど、自分で思ったことならばきちんと伝えたいという願望があるからなんですね。

その具体的な発信の段階ではTPOも踏まえつつ、場合によってはコミュニケーションスキルとして少々オブラートに包む…。といったようなことをしなくてはならないときがあるかもしれません。

ただ、自分が正しいと思ったことをきちんと伝えていくと、自分の考えがどんどん明確になっていきますよね。人のことを意識しすぎると影響を受けてしまった挙句、結局は自分の言いたいことも見えなくなってしまうことがありますから。

蛭田:おっしゃる通りです。先程も少し触れましたが、ときには実行段階の課題から遡って戦略を修正する必要もありますよと申しあげたのは、実はそのこととも重なるんです。

それともう一つ。上と喧嘩をするときには同じポジションで自分の考えを理解してくれる同士、あくまで会社の場合ですが、そういう人と意思を通じ合わせておくと、いざとなったときにサポートしてくれるという効能があります。これは少しずるいやり方ですから、若い人にあまり教えたくないのですが(笑)。

自分で起業されている方は、本当の志を理解してくれる友達や先輩を持つということ。これは自分の思想を曲げずにきちんと筋を通して生きていきたいと願う人にとって、実はかなり意味があることなんじゃないかと思っています。

堀:なるほど。ちなみに熱い話を伺っていると、学生の皆さんにも伝播して、「おれもやるんだ!」と立ちあがる人が多い。ただ、そのときに撃沈する可能性はあるわけですから、基本的には賢くなれということですよね。

「これをやりたい」という強い願望から立ちあがってみても、それで負けたら意味はない。それならば、どのタイミングでどんな風に立ちあがるか。願望が変わらないのなら、そのぶん賢くやらなければいけないと、グロービスでは話をしています。

使命感だけで直情的にやるのではなく、ネットワークをつくりながら、なおかつ純粋な気持ちも忘れず、変な形で躓かない。それが重要だということですよね。大変勉強になりました。色々と質問を続けたいのですが、ここからは会場との対話形式にしたいと思います。

私自身は皆さんよりもさらにどん底を、一度見ている

会場:上に対して言いたいことはあるけれどもなかなか通らないということについて、やはり人間は負けてしまえば意味がないと側面もどこかで感じてはいます。やりたいことを実現させていこうと考えた場合、どのようにアプローチしていったらよろしいのでしょうか。

蛭田:一番大事なことは、自分が本当にやりたいことが何なのか、きちんと見定め、これを変えないということに尽きると思います。想いを変えないということを前提にすれば、問題の解決策は二つです。

一つは時間ですね。たとえばじっくりと下準備するといった努力です。もう一つは同士を集めること。一人ではだめでも数が揃うと何とかなるケースがあります。

私は工場長をやっていたとき、三つの工場を一つにしなければいけないと考えました。「ぜんぶまとめてしまえ」などという提案が、一介の工場長から出たことはそれまでありませんでした。

でも2年後にはきちんと実現できました。色々な人に話をし続けていたからです。だから時間軸で考えることと、同士を集めていくことはとても大切だと思います。一人だけだと、たしかに撃沈の可能性は高いです。

会場:さきほどの奥様とお話しをされたエピソードには大変感動しました。うちの奥さんはたぶん「50万円ぐらい欲しい」なんて言っていますから(会場笑)。ところでお伺いしたいのは、左遷をされたときにはどんなお気持ちだったのかという点です。私は現在3回目の左遷中です。とある志を持った結果としての左遷でしたので、今は非常にじたばたと喘ぎ苦しんでおります。しかしそれでもどこかで再浮上をしたいと思っています。不遇の時期をどう過ごすかについてアドバイスをお願い致します。

蛭田:左遷ではないけれども蟄居は何度かありました。

一回目の蟄居は、ある事業を担当していたとき、「これはお前ではなくても、私でもやれる」と言われたので、「じゃ、どうぞ」と言って、給料を貰いながら翌日から出勤しなかったんですね。

当時はまだ30歳前後で、「仕事もないのに会社へ行ってもなあ」と思ったので、仕方がないから出張命令書を書いて1カ月間、海外出張に行ってきました(会場笑)。ただ、「あの仕事を任せた彼はいずれ失敗するだろう」と思っていたので、そのときに取り返しがつくよう、周りできちんとチームを立ち上げようと思っていました。だから、出張中もあちこち技術者に手紙を書いたりしていましたね。

仕事はないわけですから、会社的に差し支えが出るわけではないですよね。それで給料も貰えるわけだから(会場笑)、そのあいだは勉強もしていました。ですから、志をもった結果として左遷されているのであれば、それを実現するために貰った時間をどう活かすかという視点で考えてみたらいかがでしょうか(会場拍手)。

会場:現在は高齢化時代に入り、蛭田さんのような素晴らしい方々がどんどん会社を離れていく段階に入りました。社会のなかで活躍されてきた人々が会社を離れていくなかで、日本社会はどうなっていくべきなのか。本日は志というお話がありましたが、私もあと15〜20年後に会社を辞めるとき、どういう風になっていればいいものかと、いつも考えてしまいます。たとえば今後どのように生きていくか、あるいは社会にどう貢献していこうかといった部分で所見がございましたら、ぜひお聞かせいただきたいと思っています。

蛭田:分かりました。ご指摘の一方で…、これはあくまで一般論ですが、会社にいたほうが良い人は去っていき、いないほうが良い人は残っているという現状も、日本の停滞感の一つの要因になっていると思います。うちの会社のことではありません(会場笑)。だから最終的には年齢を意識せず、必要な人が必要な仕事をする社会にしていくべきだと思います。

年齢によって区切るのではなく、仕事で区切る。気力体力を含めたその人の力によって、仕事を続けるかどうかを決める価値観に切り替わっていくべきです。私の場合は幸いにして健康に恵まれていますので、会社を去ったあとは、社会貢献をしたいと思っています。たとえば森林インストラクターの試験を受けようとかね。収入等に関係なく自分の知見が社会に役立つのであれば、それを積極的に使っていきたいと思っています。新しい技能も取り入れながら。

堀:現在、社外取締役等は何かやっておられるのですか?

蛭田:今はないですね。

堀:ぜひうち(グロービス・キャピタル・パートナーズ)の投資先企業に(会場笑)。これほどの知見を持っていらっしゃる方は本当に貴重ですので、経験を生かして多くの若い企業をサポートしていただけたらどんなに素晴らしいだろうかと、私は思います。

会場:志や人間性が大切という点、よく理解できました。一方で、なぜ蛭田さんがそこまで強い人間性を持つに至ったのかをお伺いしたいと感じました。私はまだ自分の志に自信を持てないところがあります。なぜ蛭田さんは自分を信じ続けることができるのでしょうか。

蛭田:自分が強い志を持っているという自信は、私もありません。ただ、今日申しあげたことについてはたしかに死ぬ気でやってきたので、それが志だと言っていただける方にとっては志になるのかなと思います。

ご質問について考えてみると、ちょっと言いにくいのですが、どん底を見てから立ちあがっていった部分が大きいと思います。私自身は皆さんよりもさらにどん底を、一度見ているという自覚があるんですよ。だからいつでも「今はあのときより上なのに、さらに良い環境を望むのか?」と思えます。

それと、これは少し自慢話のように聞こえてしまうかもしれませんが、90代で亡くなった母親の生き様が、もう一つの自分に投影しているとは、今でも感じますね。

堀:お話しづらいことかもしれませんので、差し支えがなかったらで結構なのですが、そのどん底の経験というのはどのようなものだったのでしょうか。

蛭田:実は、私は中学を卒業したときに就職するつもりだったんです。実際、就職先も決まっていました。しかしある縁があって高校に入学でき、大学まで行ったということがあったんですね。

だから、ここまで来たこと自体に感謝する…、というと大袈裟かもしれませんが、とにかくどん底がベースになっているので、本当に考えていることだけを表に出せているのではないかなと感じます。

「60億人のなかの1億2000万人が持つ役割」という発想で物事を見つめる

堀:今日のお話を聞きながら蛭田さんのお人柄に触れていると、「あ、そうか」と思うところが多いです。本日頂戴した資料の最後にある「最後はその人の人間性であり生き様である」とか、「こだわりを排除し『無為自然』の心境で立ち向かう」といった言葉は、まさに蛭田さんのお人柄そのものでもあると思えます。

蛭田:一人の人間の考え方というのは一つの要素で決まるのではなく、今ご指摘のあったように、小さい頃の経験も含めた色々な要素からつくられていくのだと思います。私も昔は自分の我を張り過ぎて失敗したことがありますよ。それをあとで冷静に考えたら、我を張ることがむしろ障害になっていた。だからこそ、「はじめから枠を決めて発想するのをやめよう」という考え方に変わっていったというか、自分なりに納得していったんだと思います。

会場:あすか会議は初回から参加させていただいておりまして、毎回、ここで勇気をいただき、そして心を鬼にして帰っています。現在勤めている会社は5〜10年前に比べるとかなり赤字が広がっており、現在は再生を行っているところです。規模はまったく違うのですが、これだけの再生をやってこられた過程では、恐らく相当タフなご経験もあったのではないでしょうか。私自身は特に人事面がつらいと考えています。特に私が勤めている会社では、まだ若い創業社長にご勇退いただく必要が出てしまい、何とか身を引いていただくことになりました。ただ、こういうことをやった後、寝起きが非常に悪いです。そこで蛭田さんのご経験として、どのようにタフな局面を乗り越えられてきたのか、お聞かせ下さい。

蛭田:私は、上役に辞めてもらう経験はありません。ただ、人の問題に手を付けるということはたくさん経験しています。精一杯のことをするというしかないのですが、やはり一番は、辞めていただく方なり引いていただく方の経済的損失をできる範囲でミニマムに、できればゼロにすることですよね。

もちろん会社が持っているお金とのバランスにもよりますが、そういう意味では、旭化成はかなり大きなカバーをさせていただきました。やはり最後は現実的な問題が実行できるかどうかに尽きると思います。辛いところを和らげ、乗り切るための経済的サポートしてあげるということしかいないんです。

会場:若干幼稚な質問になってしまうかもしれないのですが、「こだわりを排除して無為自然で立ち向かう」という姿勢と「自分の志を貫く」という姿勢が、対立軸のように見えてしまうところがありました。蛭田さんはその二つをうまく共存させていらっしゃると思うのですが、その対立軸を超えるヒントのようなものがあれば、お聞かせ下さい。

蛭田:この二つは矛盾していないと思っています。無為自然であるべきなのは、自分の筋をつくる段階だからです。無為自然になると、自分のたしかな、変えられない役割が見えてきますよという意味なんです。恣意性が入ってしまうと筋道がブレてしまう。とにかくそこはピュアに。そして本当に雑念を取り去って軸ができたのであれば、次はそれにこだわるんです。変えない。それを実現するのに時間軸を使うか同士を募るかは別ですが、とにかく筋道ができたら変えない。

会場:大きな組織のかじ取りをされてきた蛭田さんにお伺いしたいと思います。混迷の時代に新規事業を立ちあげる、または事業を撤退するといった大きな変化は、トップダウンで行ったのでしょうか。それとも自ら考え、自ら行動する中堅の方々の意見を採り入れて行われたのでしょうか。

蛭田:リストラは独断です。リストラを下にさせてしまうのは可哀そうですから。一方、新規事業は、私みたいな年寄りが出してもあまりうまくいかない(会場笑)。だから基本的には下に出してもらいます。それが下から出やすい組織、あるいは出たものをきちんと処理できる組織にしていくのは、上の仕事だと思いますね。

個人的には好きというか興味があるので、色々な企画について若い連中に「これはどう? あれはどう?」と聞いたりしています。社長をやっている間も月に一度ぐらいは研究所に行って、朝から晩まで技術の方向性について話を聞いたりしていました。あまり知らないトップが「これやれ、あれやれ」とだけ言って失敗した例がうちにはありますが、これは問題だと思います。

会場:今日のお話では、技術とマーケティングを組み合わせた新しい価値観のもと、ものづくりを変えていらっしゃるという姿勢に大きな感銘を受けました。蛭田さんはバリューチェーンの企画、開発、設計、現場といった各フェーズのなかで、どこに強くポイントを置かれていたのでしょうか。

蛭田:ケースバイケースなのでどこが一番重要ということはありませんね。ただ全体的に考えると、ビジネスモデルを構築するところが一番難しいと思います。よくあるのは量を増やして設備投資をしたら、これだけコストが下がって儲かりますなんて嘘を書いたビジネスモデル(会場笑)。基本的には量を増やしたら値段は下がりますが固定費も抱えこんでしまいますから、私としてはそういった話はほぼ眉つばで聞いています。特に売上が年率10%以上伸びるような事業では、基本的な量の拡大とともにビジネスモデルの構築にシフトしていくことが大切。この視点が抜けた事業計画は、ほとんど眉つばだと思いますね。

会場:非常にキレのいいというか、何かこう、役員室で怒られているような印象を受けました(会場笑)。実は私、来週に常務会でのレポートが待っておりまして、ぜひヒントをいただきたいと思っておりました。非常に隙のない経営者である蛭田さんではありますが、そうは言っても何か部下の一言を受けて「ドキッ」とされたこともあるんじゃないかなと思っています。そういったご経験があれば、ぜひご披露いただけないでしょうか。

蛭田:それは一杯ありますが、一番参考になるのは「これだめですよ」と、素直に言ってくれたときです。それを言ってくれる相手は、課長であろうと部長であろうと、非常に貴重な存在として捉えています。

堀:「社長だめですよ」と言ってくるんですか? それはTPOや相手を考えて言わないと(会場笑)。それでは最後の質問にしましょう。

会場:本日は特に「戦後の成長から成熟に至るまではトップダウンで頭を空っぽにしてやっていればいい時代だった」というお話に強い印象を受けました。ボトムアップが重要という視点に立脚し、それこそ、「それはだめですよ」と言える人々を重視する文化は、トップダウンの時代なら有り得なかったことだと思います。今の日本は、間違いなくその価値観を転換しなければいけないところに来ており、恐らく蛭田さんはその部分での企業カルチャーの転換に成功されたのだと感じています。以前いた会社では、たしかに高度成長の余韻に浸っている人々が、改革を起こそうとする人々の重しになっている気はしていました。現在もトップダウンに浸りきっている他の企業において、「ボトムアップも大事なんだよ」というきっかけを与えるため、私たちのレベルで何か出来ることはあるのでしょうか。

蛭田:あると思いますね。ご質問には二つのお答えがあります。まずは教育体系から変えていくということ。教育は10年かかりますが、やはりやっていかなければいけないと思います。もう一つは分社化です。分社化することで、トップダウンの文化が残る会社と、そんなものはだめだという会社が明確に分かれていくようになります。

堀:大変ありがとうございます。最後に何かひとことあれば、お願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。

蛭田:堀さんも仰っているように、色々な意味で日本は大きな変革期にあります。最後の方のご質問にもありましたが、日本の置かれた状況を冷静に見ながら、国内で勝つ負けるではなく、「60億人のなかの1億2000万人が持つ役割」という発想で物事を見つめてみてください。

今年の2月、フランクフルトに行ったら、日本人が3000人ほどいるのですが、韓国人は6000人もいるんですね。韓国の人口が約4700万人だから、ひとり当たりのグローバル化比率を考えると、日本の6倍ということになります。

4700万でどれだけ勝ってもビジネスにならないから、彼らは仕組みも考え方も始めからグローバルなんですね。日本はたまたま高度成長期を通して1億2000万人がうまくいっていたので、余ったものを輸出するという発想から抜け出せない。これを切り替えるんです。

旭化成の場合は分社化したことで「もうその発想じゃいけない」と考え、状況を打破するようになりました。次は日本という国全体でこの状況を打破するため、本日お集まりの若い人たちに次代を担っていただきたい。直接担当する仕事に留まらず、日本全体の大きな変化の原動力になっていただければ有り難いと思っています。

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