内藤由治・前ポッカコーポレーション社長「本当の経営は失敗の連続」 

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どんな経営者でも失敗している

田久保:始めに内藤さんの経歴を簡単に紹介させて頂くと、新卒でソニーに入社し、スイス、フランスで計8年間の海外勤務を経験。帰国後、義兄でポッカコーポレーション創業者、谷田利景氏の要請を受けて、ソニーを退社しポッカに入社。98年に社長に就任し、執行役員制度、カンパニー制、キャッシュフロー重視経営、TPM(Total Productive Maintenance=全員参加の生産保全)導入など経営改革を断行。05年8月には、プライベート・エクイティファンドのアドバンテッジパートナーズと組んでMBOを実行し、今年3月でポッカ関係の仕事からは退かれました。ポッカは現在、再上場に向けて動いています。内藤さんは現在、名古屋地区のベンチャー企業を支援する経営コンサルティング会社セレンディップ・コンサルティングの最高顧問を務められてらっしゃいます。

今日のタイトルは、「失敗から学ぶ経営」。「失敗」を生の声で聞ける機会は貴重です。そもそも、なぜ人前でご自身の失敗について語る気持ちになったのでしょうか。

内藤:普通はあまり話したくないものです(会場笑)。日本経済新聞の「私の履歴書」に知人も出ていますが、出来レースのようなストーリー展開で全く面白くない。成功の裏には苦渋があったはず。どんな経営者でも失敗はしているものです。途中から失敗を成功にしていったケースや、会社に影響しない程度の失敗は数知れないでしょう。

私ももう62歳。我々のようなシニアが今すべきことは、自分の過去を取り繕って格好つけることではなく、「こんな風にすると失敗する」という実体験を若いビジネスパーソンに伝授することではないでしょうか。それが皆さんの役に立てばうれしい。

田久保:まずはソニー時代の仕事と、ポッカに入社した経緯について伺います。

内藤:1970年、ソニーに入社しました。当時はトリニトロンのカラーテレビの製造を始めたころで、まだほんの小さな会社でした。外国に行きたいという目的を手っ取り早く達成できる会社だと思ったので入ったわけです。法学部だったので、最初の配属は法務部門でした。

77年に欧州の法務担当者になり、欧州本社のスイスで2年、フランスで6年を過ごしました。スイスで勤務していたとき、途中で法務以外の仕事を希望したところ、現地法人のフランス人社長に社内リクルートされました。当時のソニーでは、海外での社内リクルートは初めてのケースだったと思います。ミッテラン大統領の時代で、ガタガタになっていた現地法人のコーポレートプランニングを担当しました。数年で状況が回復したので、その後を任せられる現地社長をリクルートして帰国しました。

海外在住の8年間、義兄が毎年訪ねてきては、ポッカ入社の件を打診されていました。僕は聞きたくもないのに(会場笑)。人から8年間好きだと言われ続けたら、心が動いてしまうでしょう。帰国するころには、「そろそろ」というモードになってしまいました。上司になかなか言い出しにくかったのですが、ポッカが上場を目前に控えていたので、意を決してソニーに辞表を出しました。

「この会社は明日にも潰れる」。それがポッカ入社時の第一印象でした。普通IPOの準備をしている企業は、社内システムを整備し、公開企業として気を引き締めているものです。当時のポッカは全く違いました。売上高は800億円程度でしたが、指示はトップからしか出ない。10数名いる役員は、トップが出張すると会社に来ない始末。逆に社長がやれということには滅私奉公、たとえ火の中、水の中。まさにワンマン社長の会社ですね。

田久保:ポッカで最初の仕事はどのようなものでしたか。

内藤:中間管理職として経営企画と海外事業部を担当しました。入社の際には、「社長になる」などという約束はありません。そのころの会社の業績は、毎年何十%アップという成長率。缶コーヒー主体で非常に伸びていました。51歳で社長に就任したころは、缶コーヒー市場が飽和状態になり、徐々にシェアが落ちて競争力を失っていった時期です。

田久保:事前の打ち合わせの中で、「今から考えると、重要なことを何でも相談できる人がいなかった」という言葉が印象に残っています。

メンターは一世代上の社内の人がベスト

内藤:就任当時は、業績にかげりが出ていた上に、連結決算が義務化されていなかったので、赤字は子会社に転嫁していました。子会社50社中、利益が出ていたのはたったの2社。本体は何とか黒字でも、連結にすれば赤字という状況でした。そういう状況で社長になると、いきがって、「こんなもの、蹴散らしてやる」と思うわけです。まず何もしない取締役が嫌で仕方なかった。早々に執行役員制度を導入して、役員をリストラしました。

私は短気で、思い立ったらすぐやらないと気が済まない。早急すぎて社内をザワつかせてしまった。間違いではなかったと思いますが、大勢が納得できる方法はあったはず。その辺の按配は年配の人の方がよく分かっているものです。もしその時、「目的は同じでも、こういう方法がある」ということを助言してくれる人がいれば、聞いていたでしょう。トップは孤独なものです。責任と決断の重みで、病気にすらなる。社員の中に、人格者で私利私欲のない人がいてくれたら、相談できて、やり方も違っていたと思います。

田久保:どういう人がメンターとしていいのでしょうか?

内藤:例えば40歳で社長になったとしたら、60歳位の人。一世代ほど違う人がベストでしょう。もし社内にいなければ、社外に求めるしかない。「竹馬の友」でもいい。なんでも話せる友人などでしょうか。

田久保:組織を短期間で向上させるために、外部から積極的に人を採用したと聞きました。

生え抜きで潜在能力の高い人材を「10年の計」で育成すること

内藤:1985年にソニーを退社しましたが、ポッカの組織がその当時のソニーのレベルになったのが2年前。MBOを断行して、PEファンドのアドバンテッジパートナーズのコンサルタントと社員がチームを組んで改革を行いました。食品関係は、商品も値段も大差がなく、売上のアップダウンも少ない業界。例えば今年は厳しいと言っても、売上げの上下はせいぜい5%。しゃかりきになって考えなくても済んでしまう業界でした。

業界がそういう体質だったので、幹部に中期計画の作成を頼んでも作れない。社長が自ら中期計画を作っているようでは、会社は成り立たないですよね。仕方なく、血を変える、組織を根底から変えるつもりで、どんどん外部から採用しました。しかし能力、スキルの高い人が入社しても、定着率は10%未満。なぜかというと、社風が合わずに能力が発揮できず、不満が溜まって退職していくんです。

社員教育や人材の配置、人事評価は大変重要で、みなを満足させるのは中々難しい。正直に言って、一番間違っていたと思うのは、外部から大量に採用して会社を変えるという発想は、本来短期的にやるべきことであって、長期的な戦略としてとるべきではなかったということです。日本企業は社内に忠誠心の高い人材が大勢いて、そういう人たちは会社に愛情を持ってコミットしています。最も注力すべきは、生え抜きの中で潜在能力の高い人材を「10年の計」でしっかりと育成すること。それが会社のレベルを上げる最短の道であると、今は思います。

田久保:業績が芳しくない、目の前で火が燃えているのに、そこで10年先の話をしても誰もついてきてくれない。短期と長期、両方のスパンで見るということは、教科書的に言えば正しいことですが……。今の内藤さんならどう対処しますか。

内藤:赤字の状態で長期的な視野に立つことはできません。だから業績が良い時こそ、どんどん改革すべきです。業績が良ければ誰も文句を言わない。ところが3年連続赤字でボーナスも出ないような会社で、「改革」を掲げても誰もついてこない。

これからリーダーになる皆さん、良い時ほどシビアになって下さい。その後には必ず悪い時がくる。その時に対処する方法を考えておかなければならない。残念ながらポッカは良い時に何もしていなかったので、私が社長になった頃には悪くなる一方でした。

田久保:とはいっても、良い時の改革もまた難しそうですよね。難しいテーマです。例えばトヨタ自動車は、少なくても最近までは、改革の必要ない企業と言われてきました。毎年少しずつカイゼンを実行しているうち、数年後には大改革を行ったような状態になっているそうです。絶え間ない小さな変化を推し進めることが大切なのでしょうか。

内藤:先ほどTPMの話が出ましたが、現場の改善改革は、「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」という活動で、無駄や無理、ムラをなくして利益に貢献する。三河のほとんどの企業は、この活動を行っています。製造業においては、TPMや5S活動をシステムとして、またトップ自ら実践することが重要です。トヨタ9代目社長の張富士夫(現トヨタ自動車会長)さんは、常に現場に足を運び、改革改善する社員を叱咤激励していました。そういうことをトップは常に語らなければダメなのです。

その他にIT関連設備は早々に導入しましたが、これも反省の一つ。決済手段としては効率的でしたが、コミュニケーション手段としては新たな問題を生みました。トップマネジメントは出張から戻って、机の上に山積みになっている決済書を見ると、「二度と出張なんか行くものか」とさえ思う。社内LANを導入したことで、その問題は解消しました。1996年ごろでしたか。出張から帰ってきても雑誌しか残っていない。その代わりどこへ出張しても、メールが飛んでくる。「トップは24時間働け」ということになってしまいました。

メールの書き方は人によっていろいろですが、特に命令の場合、単刀直入に書くと、受け取った人は全然良い気がしない。人間のコミュニケーションの中で、言葉で伝えられることは35%だけ。面と向かって話しているなら、言葉で怒っていても、顔がニコニコしていれば、怒っていないことがわかる。同じ内容でもメールで伝えると、単に「やれ!」という命令に見えてしまう。効率を重んじても、動くのは人間だし、お互いの意思が疎通しないといけない。常にフォローしていかなければ、ぎくしゃくした関係を生み、会社は回っていかなくなります。

田久保:IT関連の話ですと、「内藤’sアイ」という社内メルマガを配信していたと伺いました。

内藤:社長就任直後に、現場との繋がりを考え、年1回、社員全員と話す機会を作りましたが、さらにサポート手段としてメルマガの配信を始めました。PC の支給率は社員の65%(1998年に100%化)、その他の社員はIDでログインできたので、全員がアクセス可能な状況でした。

プロ野球の中日ドラゴンズに関する解説をすると、ものすごい反響があり、映画やアニメの話も反応が良かった。ところが人事異動や組織改編などの意図を説明しても、反応は薄い。面白いものには食いついても、つまらないものは見もしない。時間はかかっても、やはり1対1のコミュニケーションに勝るものはないと悟りました。

田久保:コミュニケーションが「とれているつもり」と、本当に「とれている」ことの違いはなんでしょう。

内藤:故・盛田昭夫(ソニー創業者)さんが素晴らしかったのは、一つの業務を遂行しようする時、同じ人に何回も言う。周囲の人にも話す。それはポッカの谷田さんも全く同じ。性格がくどいのかと思いましたが、それは違いました。意識して何度も言わないと伝わらない。書面で一度送ったぐらいで伝わっていると思ったら大間違いです。私がそのことに気づいたのは、ずっと後になってから。もっと早く知っておくべきでした。

田久保:今の話で、HBR(ハーバード・ビジネス・レビュー)の記事の一説を思い出しました。「あなたがリーダーとしてビジョンを何回語ったかは問題ではない。あなたの部下があなたの言ったことを同じ言葉で言えるかが唯一リトマス試験紙になる」とありました。話は戻りますが、女性の活用について、後悔の念があるとのことですが。

内藤:私は女性の能力をできるだけ登用したいと考えていました。食品業界初の女性支店長誕生を目指していましたが、できませんでした。理由は私が軟弱だったからです。ものすごい抵抗を受けるんです。現場の営業マン、特に優秀な営業マンは「食品は心で売るもの。女に何ができる」という感覚があり、体育会的、軍隊的なカルチャーが強かった。この悪い社風をブレイクスルーしたくて、女性に期待をしました。「営業をしたい」と入ってくる女性はたくさんいます。女性の管理職も外から連れてきました。でも全く駄目でした。その方は2年で潰れてしまった。ものすごく責任を感じました。

私の中に最適な方法論はありませんが、その女性たちをサポートする影のチームを作っておくべきだった。女性を蔑視する部・課長がいたら、影のチームから情報を入れてもらい、何かあればトップが動く。そういうリスク管理が必要だったのでしょう。今後はますます女性の力が必要になります。女性が5割いないと会社は潰れるくらいの気持ちでやってほしい。

人材育成で一番重要なことは、リーダーが部下を信じること

田久保:最後に、人材の育成についてお願いします。

内藤:ポッカの組織を今のレベルにするまで、20年かかってしまったのは、教育システムが十分でなかったことが一つ。もう一つは、もっと部下を信頼すべきだったということです。特にポッカは名古屋の会社。名古屋の人はあまり浮気をしないし、まじめ。ただ自分から旗を振る人は少ない。みんなあんまり自分の本心を言わないんですね。そういう人たちを、もっと信頼すべきだった。

信頼することはリーダーが飛躍する要素であり、会社が伸びる力にもなるでしょう。教育システムは必要ですが、勉強しない人たちにシステムだけ作っても機能しない。人材育成で一番重要なことは、リーダーが部下を信じることです。トップがそういう姿勢を示せば、部下は何倍にもして返してくれる。それが私の結論です。皆さんが今後、重責に就いた時、部下は信頼してほしい。たとえ裏切られたとしても、騙されたとしても、「何か理由があったのだろう」と思えばいい。「受け入れること」が一番重要なことです。

田久保:質問があれば、どうぞ。

会場:グロービスの受講生の多くは、「会社を変革したい」と、もがいています。ただ、2年、3年ではなかなか変わらない。会社を変えるには「10年の計」が最短との考えに至ったのは、何か哲学や歴史書などの影響がありますか。

内藤:生まれ育った性格、DNAでしょう。私は愛知県豊橋市の出身。三河人は大体ロングレンジで考えるんです。「自分ができなかったことは次の世代へ託す」という土地柄。絶対にあきらめない。執着するんです。

田久保:ちなみに内藤さんは雑誌のインタビューで、吉田松陰の本を愛読書として挙げていましたね。

内藤:吉田松陰の素晴らしいところは革新性。「死んでもいいから海外に行きたい」という、あのすさまじい気性は尊敬に値しますよね。

会場:創業者との関係はどうでしたか。

内藤:正直、それが一番困ったことでした。血縁ではないので、双方とも少々遠慮がありました。有難かったのは、ある程度説明すればわかってくれる人だったこと。ただカリスマ創業者は、社長や役員に言うべきことを、現場の平社員にまで直接言ってしまうので、「文句は私か、せめて役員に言って下さい」と申し上げた。

一番恐れたのは、二頭政治になることです。社長と創業者のどちらの言うことを聞くべきか、信用すべきか、社員が困ってしまう。そこで、「あなたがやるなら、私は別の人生を取ります」と切り出しました。

会場:経営企画のスタッフとして、中期計画を立てています。今のところ自分の想いをトップや周囲に訴えるために、繰り返しプレゼンをしているところです。社内改革に貢献するためにはどのような行動が必要でしょうか。

内藤:ソニー時代の上司が先進的な人で、盛田さん、大賀典雄さんの知恵袋的な存在でした。一つの案件があると、自分でまとめて、まず全役員に回す。次に盛田さん、大賀さんに直接相談した後、経営会議にかけていました。それでソニーの戦略が動いていったと言えます。要するにキーパーソンを抑えなければいけないということ。きちんと理解してくれるマネジメント層がいれば頼りになるし、また反対に回りそうな役員にも考え方だけは知らせておく。「知らなかった」ということになると火種になってしまうので。

会場:社長が交代する時は、先代がカリスマであればあるほど、人望を集めるのは難しいと思います。そのときの失敗やコツは。

内藤:するどいですね。カリスマ創業者がいる会社の社員は、次もカリスマ性のあるトップを望むものです。自分はただ付いていくほうが楽だからです。カリスマ性のない僕の場合は、誰でも参画でき、組織として機能する会社を目指しました。従って、常に目線と姿勢を現場社員と同じレベルに合わせることに努めました。飲み会に参加する。出来るだけ多くの人との懇談の機会を設ける。常に自由に意見を言えるような雰囲気をつくる等々です。

人望というものは人工的に創り上げるものではありません。これは、その人の「ぶれない経営哲学」とか会社にすべてをコミットしているという「その人の覚悟」というものが必然的に醸し出すものだと思っています。

会場:中々経営理念が浸透しない。社員が冷笑する風潮がある中、どう伝えていけば良いのでしょうか。もう一つ、中間管理職が外部から採用されて、現場は生え抜きの若手ばかりのため、妙な断絶が生じています。この状況で、プレイヤーとしてどう動くべきでしょうか。

内藤:難しそうな会社ですね(会場笑)。経営理念というのは、会社が古くなると忘れ去られていくもの。年に1度は経営理念について話し合う場を作るべきでしょう。研修の度に、社長が出て行って、経営理念について再考する時間をとるべきです。断絶が起きているのは、中間管理層が現場に下りて行って、もっと若手の話を聞かなければいけないのではないでしょうか。

田久保:最後にメッセージをお願いします。

内藤:このままでは沈没しそうな日本社会の中で、皆さんにお願いしたいのは、会社を出ようか悩んでいるなら、思い切って出る。会社を改革すべきだと思うなら、どんどんやりなさい。日本を出たいなら、出てください。迷っている時間はない。行動に移すことです。

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