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「文化芸術」“日本らしさ”と陽明学

投稿日:2008/07/11更新日:2019/04/09

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現代に生きるビジネスパーソンは、今あらためて“日本人らしさ”や東洋哲学の本質的価値を基盤に大局観を持って行動することが求められている――。あすか会議2008「文化芸術」セッションは、「“日本らしさ”と陽明学」と題し、陽明学を実践哲学として復活させた作家・陽明学研究家の林田明大氏が登壇。幕末の財政家・山田方谷など、多くの変革の志士の精神的支柱となった儒学・陽明学を紐解きながら、いかにして自らの心を陶冶すべきか、また、なぜ心の鍛錬が企業経営に欠かせないのか、その真髄に迫った。(文中敬称略、写真提供:フォトクリエイト)

林田:講演は30分ということですから、今日は超特急でお話します。まずご紹介したいのは、私が『財務の教科書―「財政の巨人」山田方谷の原動力』という本で書いた、山田方谷という備中松山藩(岡山県)の陽明学者です。その人が、「貧乏板倉」と陰口を叩かれるくらい極貧だった藩(城主が板倉家)の財政を3~4年で立て直し、黒字の藩に持って行ってしまう話です。

山田方谷は「農商」といって、農民と商人の両方をやっている家の出身で、学問で身を立てて武士になって、次の藩主の家庭教師兼補佐役になりました。ですから、藩主は自分の教え子です。その藩主と二人三脚で藩政改革していきます。

元々農商ですから、改革を始めた時に、彼は命を狙われてしまいます。既得権益を持っているお偉方からは、「こいつは許せない」「こいつさえいなければ権益は脅かされない」といった理由で嫌われるんですね。で、命を狙われながらも、お偉方の役職には一切手をつけないが、お偉方の息子達、つまり自分の学問所の弟子たちに動いてもらって改革をする。お偉方のクビを切ったりすると逆風が吹いてくるので、それは一切やらなかった。自分の給料もほとんど取らない。取ると「あいつは自分のためにやっている」と言われますから。江戸時代の藩政改革家として非常に有名な上杉鷹山の10倍はすごいという人です。山田方谷は、陽明学を経営にどう生かしたのかという一番のモデルケースといっていいでしょう。興味のある方は、本で詳しく読んでいただければと思います。

それから、山田方谷のお殿様、板倉勝静(かつきよ)は、幕末最後の老中になります。ですから、将軍・徳川慶喜の片腕として活躍しますが、この人が勝海舟をヘッドハンティングするんです。そしてご存じのとおり、勝海舟には幕府方として、対薩摩藩・長州藩の交渉の矢面に立ってもらった。勝海舟が必死で頑張った結果、徳川家が残った。徳川家の方々は勝海舟に足を向けて寝られないだろうと、そういう話も出ております。

陽明学のエッセンスを感得する二つのエピソード

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今日は山田方谷の話を中心に講演をと言われていたのですが、今回は特別に陽明学の特質をよくあらわす二つのエピソードをご紹介することにしましょう。一つめは王陽明の山登りの話、二つめは陽明学者・細野燕台の団扇あおぎの話です。

二つのエピソードを紹介するにあたり、まずは、中国の王陽明とオーストリアのルドルフ・シュタイナーの両氏がどんな人かを簡単に話します。

王陽明は、20代で結核になってしまい、57歳で死ぬまでの間、寝込んだり起きたりの繰り返しの人生でした。健康体ではないにも関わらず、健康な人でもできないような仕事をして死んでいく。スーパーマンとしか言いようがありません。

私はもともと、陽明学に取り組む以前は、シュタイナーの研究をずっとやっていました。シュタイナーといえば特に教育学が有名ですが、王陽明同様に、彼も人類史にこういう人は滅多にいないであろうという人で、もう、調べれば調べるほどびっくりします。医学から農業、社会学、建築から演劇まで、ありとあらゆるジャンルに大変な影響力を残して死んだ方です。この人の建築学を勉強するだけでおそらく一生かかります。農業を勉強するだけでも一生かかります。ただ、この人も生身の人間で、唯一の欠点は語学能力がなかった。いろいろチャレンジしたけど、英語もフランス語もできず、ドイツ語しか喋れない。これだけが人間らしいところでした。私なんか足元にも及ばないけれども、こつこつと、いまだに研究は続けています。

そのシュタイナーの思想が、王陽明と通じているんですね。東洋思想だから独特、ということではなくて、洋の東西という入り口が違うだけで、本質を突き詰めていけば、同じところに達するということなのです。

経営の世界でもそれは言えるでしょう。経営を極めた人は、同じ境地に到達します。けれども経営において危ないのは、欲望を刺激される世界なので、そこで足を取られる可能性が大きい。お金のもうけ方ももちろん関係しますが、お金がいくら入ってきても、結局はお金の使い方でその人は評価されます。お金の使い方がよくないと、いくらお金を持っていても政財界で相手にされなくなります。上手なお金の使い方は、実はそれなりに学問で身に付けるしかないのです。

さて、エピソードの方に話を戻しますと、王陽明はお話ししたとおりの病気持ちで、最後は結核で亡くなるのですが、この人は山が好きでよく山登りをするんですね。陽明が死ぬ2年くらい前のことになりますが、香炉峰というところに弟子たちと行き、それぞれが、自分はここまでしか登れない、というところまで登りました。しかし結局、王陽明と董蘿石ら数人だけが頂上まで登ったのです。

陽明は、そこで詩を詠わせたのですが、みんな息がつげなかった。このとき陽明は55歳です。他の人たちは若いですよ。だいたい20代、30代、上のほうでも40代。そのうちの董蘿石は一句しか詠えず、王惟中は一章を詠った。そこで陽明先生は自分で漢詩をうたう。いつもと変わらぬご様子だった。息も切れていない。蘿石が理由を尋ねた。すると、「私は山登りをするとき、どんな高さでも目の前の一歩を登るだけだが、諸君はどうか」。王惟中が「ふもとに着いたときにはもう頂上のことを考えています」と答えると、陽明先生は「それがよくないんだよ」と言ったといいます。

もう1つのエピソードは、北大路魯山人の先生でスポンサーでもあった細野燕台という人の話です。金沢出身で、鎌倉にて活躍した人です。電力の鬼といわれる松永安左ェ門が私淑していました。また、日本画家の伊東深水が燕台の最後の弟子として知られます。鈴木大拙なんかも講演を聴きにいっているくらいの人です。今は知る人が少ないのですが、燕台の娘の玉映さんという方が、いらっしゃるんですね。私も何度かお会いましたが、『知られざる魯山人』という文芸春秋から出ている本にインタビューが載っています。

「父が食事をしている時は、みんなが周りに座って、うちわで扇いでいるんです。それでいて扇いでいるという感覚を起こしてはいけない、なんて言うんです」。これがエピソードの二つめです。

逆境によって鍛えられ、武器を捨て永らえた徳川

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私に対し、よくいただく質問として、「著書を読んだのだが、よく分からなかった」というものがあります。私も、そうだろうと思います(会場笑)。ただ実は、それはそれで仕方がないのです。読んですんなり分かる人なら、苦労はないわけです。

と言うのも、人は自身の琴線に触れるところだけを共感しながら読むという性質を持っています。自身の理解や共感の範疇にない内容は、無意識のうちに読み飛ばしていくんです。だから、読んだつもりで、実は読んでいなかった、ということは、とても多い。

私の著書を読んで、ブログに感想を書いてくださった方がいます。「あぁ、面白かった」と。ところが、その方は、「知行合一が言行一致であることが、よく分かった」と書いているんです。こちらとしては、著書の中で、「誤解される方は多いが、実はそうではないんだ」と一所懸命、説明しているんですよ。ただ、その方は、最初から頭の中に知行合一は言行一致だと、そうインプットして読んでいるからなのでしょう。最後までそういう理解に基づいて読んでいる。でも、それはそれで仕方がないんですね。

それでも分かりやすいようにと、5月に出した新しい本『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学―眠っている能力を引き出す極意』の中で、「シンデレラマン」という映画について書いています。アメリカに実在したジム・ブラドックというボクサーが、大恐慌の時代にヘビー級チャンピオンになった。この人の苦労話を素材にして知行合一の説明をしています。講演調で読みやすくなっていますので、興味があったら読んでみてください。

さて、みなさんがご存じの徳川家康に話を移します。家康が現れなかったら、日本はずーっと戦国時代の延長だったでしょう。家康は武士ですね、そして徳川軍団は、全ての戦国大名が「お前は強い」と評価したから大名の中のトップになるわけです。それくらい徳川軍団は強かった。それで征夷大将軍になるんですが、彼がやったことで一番すごいのはそこからです。

徳川幕府は世界史的にいえば軍事政権です。軍事政権は普通、強権的な政治をするんですね。そして一般庶民からどんどん富を収奪していくんです。北朝鮮みたいにですね。政権担当者は武装して、徹底的に国民から物品を奪うのが普通の姿です。ところが徳川幕府はそれを一切しませんでした。その証拠に、銃・大砲を放棄しています。独占しても良かったんですよ、「俺が没収する」とか言って、改良を重ねて持っていれば幕末にも武装で苦労しなかったんです。しかし改良もせず、火縄銃をずーっと持っていたんですね、最後まで。

要するに徳川幕府は、銃と大砲を放棄したんです。「これがあると、また戦争が起きるだろう」「もう持つのやめよう」と。こんな軍事政権、見たことがないでしょう。ここの凄さです。普通はありえないです。それを率先垂範するわけです。「俺も放棄するから、お前らも放棄せえ」と。そうすると他の大名もいやおうなしです。

それと家康は約14年間、人質生活をしていますね。織田のところで2年間、今川で12年。岡崎城にはその間、進駐軍しかいないんです。今川の進駐軍が岡崎城に詰めていて、家来は三河で百姓をするしかなかった。三河の侍は給料を没収され、無給になるんです。家康には生活の心配はないが、家来はタダ働きです。必死になって新たに田畑を開拓するんですが、餓えとの戦いが始まるわけです。戦後の日本みたいなもんでしょうね。食べ物がない。それを領民から横取りするわけにはいかないからと、一切してはいません。とにかく極貧生活です。

今川と織田は毎年3度から5度、戦争をするんですが、それが12年間続く。その戦争も鉄砲玉、弾除けとして出て行くのは三河の兵隊です。給料はもらえない。最前線に毎回出される。なおかつ戦場で手柄を立てても、どれだけ頑張っても褒美は一切なし。これを12年間続けます。

普通は「家来を辞めます」「織田にいきます」となります。家族を養えないから。でも家来は家康についていく。お殿様が帰ってきて、自分たちの岡崎で生活できる日が来るだろうと夢を見て待ち続ける。その間、親兄弟はどんどん戦争で死んでいきます。逆境なんてものではありません。しかし彼らは、12年間、耐えてやっていくうちに実は、とんでもなく強い軍団になっていくんです。

気が付いたら桶狭間の戦いです。今川義元の軍勢2万5000~4万が京都に行くために桶狭間を通るわけです。織田を蹴散らせと。織田の兵隊は当時3000です。数では話にならない。ところが織田が勝つ。なぜか。織田と徳川は毎年3回から5回戦争をしているんです。今川は戦争をしていなかった。徳川に代わりにやらせていますから。12年間、戦うことを忘れた侍なので、気が付いたときには使いものにならなかったんです。今川義元が亡くなるまでの記録が残っていますが、側近達はお殿様を差し置いて逃げてしまって、その後どうなったか誰も知らない。それぐらい慌てふためいて、武士としてもっとも恥ずかしいところまでいってしまいました。

さて、今川から正しい情報が入ってこないから、家康も動けません。いくら噂が飛んでも信頼できる情報じゃないわけです。そのうち織田方にいた親戚から情報が来る。三河衆は織田方と今川方に別れて戦っていますから、織田方にも親戚はいるんです。時代背景として、織田に近いところにいる一族は織田につかざるを得ないわけですね。今川が滅んで徳川は織田と同盟を結びます。その相手方の親戚と大変に濃い付き合いが始まる。結果的に織田方に親戚がいた事が同盟を結んだときに物凄く生きるわけです。

生即死。生も死も、自分も他者も一つのものとして考える

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「逆境の中の逆境」にいたからこそ徳川軍団は強くなりました。逆境から逃げなかった。逆境から逃げる人は、自分を鍛えるチャンスを自分から放棄しているんです。ものすごく儲かっている会社は、陽明学の話を聞きになんか来ないですよ(笑)。今川と同じで左うちわですから、聞く必要性を感じない。逆境にあるからこそ、自己啓発に励む。そうですよね、みなさん(会場笑)。

「『真剣』という境地になれ」と言って聞かせても、左うちわの人は、なかなか真剣にはなれません。もし修行をしようと思ったら、親の会社から離れてベンチャーやってみるとかしないと修行にはならない。余裕があったら、本当の意味での自己啓発にはならない。しかし、逆境に身を置いたら真剣という境地になれるんです。徳川は逆境から逃げなかった。ひたすら耐えに耐えて真剣という境地で頑張った。

ただ、頑張りすぎはダメです。よくスポーツマンにいますが、頑張りすぎると体を壊して一巻の終わりです。頑張ることが善ではない。頑張りすぎも、頑張らないのも悪。では何がいいのかというと、「中庸」が一番です。頑張り過ぎない程度に頑張る。このさじ加減がすごく大事なんです。頑張りすぎる人が問題なのは、「やったー」という充実感だけ求めているからです。じゃあ、その充実感がプラスになっているかどうか。それは別ものでしょう。

よく苦と楽、勝ち組・負け組という風に二元論的に考える人がいますが、そういう風に分けることには、実は意味がないんです。当時、徳川軍団は逆境ですから「負け組」ですが、しかし逆境があったから徳川幕府ができた。さて、これは負けでしょうか、勝ちでしょうか。

生と死も同様です。別々のものではないのです。死体を目の前にし、自分自身と引き比べて、生を感じることがあるかもしれませんが、それは見た目だけのことです。

死は生まれた瞬間から始まっている。生と死は切り離せない。生即死なんです。生と死は元来、一つのもの。「俺は生きたい」「死にたくない」といった思いはムダなものです。そのムダな思いによって、疲労困憊してしまうのです。

死にたくなくても死ぬときは死ぬ。そういうことに心を煩わされずに今日やるべきことに心を全力投球すべきだと、私は思います。

そこで最初のエピソード。王陽明の登山も、目の前の一歩だけを考えるものだった。ふもとのことも頂上のことも考えてはいない。考え過ぎたり、意識し過ぎてはいない。

まだ来てもいない未来や、人生で過ぎ去った過去に心を煩わされることほど無駄なことはありません。大事なことは今にしかない。生きているのは、今というこの瞬間だけなのです。だから、目の前のことに全力を尽くせばいい。

もう一つのエピソード。うちわで扇いでいるという感覚もなくすというエピソードについて、『知られざる魯山人』の著者はこう書いています。「食膳を前にした細野燕台の関白振りを伝えている」と。なんてわがままなんだろう、とそういう評価なんですね、このエピソードを聞いた著者は。

でもこれは、私のデビュー作『真説「陽明学」入門』よりも、もっと深い話なんです。簡単に言いますと、扇いでいるという気持ちがあって扇いでいるときは、苦しいんですよね。いろんなことを考えながらやっているわけです。

例えばトイレ掃除などもそうです。いろいろ考えているうちは身が入っていない。「うわ、汚いな」とか。でもそのうち2時間くらい経つと、忘れてやっている。掃除を忘れている状態になる。あるいは無我夢中という境地です。掃除をしている私と掃除道具が一体になっている状態。雑巾を持っていても、最初は雑巾があるなとか、便器があるな、とか、分離している。しかし、それがない世界がある。夢中になっている。

それと同じで、扇いでいることすら忘れて扇いでいることが、最も理想的な境地なんです。仕事も同じ。仕事をやっていることを忘れて仕事をしているのが美しい境地。家庭でも同じ。無心という言葉がありますが、無心になるための練習は、生活の中にたくさんある。無心で洗濯物たたむ、とか(笑)。

私の場合、これはやる、これはやらないといった区別は一切、しません。全てのことをします。掃除も、料理も。デスクワークだけ、とかいう姿勢は不健康なんです。ずっと座ったままの同じ動作ですから。洗濯物を干すときには背伸びをしますね。床を拭くときには四つんばいになる。普段、使わない体の使い方をするから健康にいい。気分転換にもいい。極力リモコンも使わない方がいいですね。体が動くから。動かないと脂肪人間みたいになってしまいますから(笑)。

朱子学から発ち、良知に出会う

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中村:お話の中に、いくつか陽明学的な考え方の真髄がありました。王陽明の山登りの話における「一歩」と「頂上」とか、細野燕台の「扇ぐことをすら忘れている」境地の話ですとか。そこでお伺いしたいのは、なぜ陽明学が日本の明治や幕末に影響を与えてきたのか、ということです。

林田:日本で陽明学を始めたのは中江藤樹ですね。あの人の凄さは、当時、浪人が溢れている状況の中で、武士を辞めたところにあります。これは考えられないことです。田舎に帰って近隣の一般庶民に儒学を教える。武士を辞めるということは、当時では考えられないことなんです。みんな職を探しているわけですから。しかし、この人のおかげで陽明学が日本に定着していきました。

幕末は日本にとっての、まさに逆境でした。当時の若者からしてみれば、朱子学では話にならなかった。本当に人間力を使えないといけないのは幕末です。坂本龍馬が育った土佐藩の学問は陽明学でした。坂本龍馬の周りは陽明学。彼のブレーンには陽明学を究めた人が沢山います。

幕末期に雄藩といわれた藩、佐賀も薩摩・長州も会津も敵味方関係なく、元気な藩は全部、陽明学です。そのくらい、人材育成においてこれほどいいツールはないんです。

その他、陽明学で鍛えた犬養毅とか広田弘毅とか。あとNTT初代社長の真藤恒さんもそうですね。

中村:学者と呼んでいいかは分からないのですが、西郷隆盛や吉田松陰も陽明学の影響を受けていますね。朱子学と陽明学の話が出ましたが、同じ儒学でも何がどう違うのでしょうか。

林田:一口に言うなら、朱子学は教条主義。外側に守るべき規範があって、その規範を一歩も破っちゃいけない。その規範に当てはめるのが教条主義です。リゴリズムといってもいいでしょう。

朱子学は窮屈だ。そう感じた人がその次のステップに行く。中江藤樹も王陽明も次のステップに行った。朱子学で間に合う人はいいんです。必ずいます。誰かに依存した方がいい人はいるんです。この地上に足を着けて歩きたくない人もいる。それでもいい、幸せだったら。

「それでは嫌だ」という人は次に行って、自分の心の中にある良心を自覚することを学びます。日常生活の中でもどんどん「良知」に対する信頼が高まっていけば、確実に変わる。私の家族の間では、よく良知様という遊びをします。失くしたものを探すときも「良知様にお願いしよう」などと言いながら探す。どれくらい良知を信用しているかがそこに影響すると言っていいでしょう。そうすると探しものが出てきたりする。

初めて行く場所でも、列車の中で目が覚めて起きたところが、「あ、降りる駅だ」ということがありますね。日常生活の自分は明らかに寝ている。では起こしたのは誰なのでしょうか。起こしてくれている、もう1人の自分がどこかにいる。それが「良知」なのです。そこに気が付いていくときに人間としてのプライドにも気が付いていく。欲望の塊となって生きることの恥ずかしさなどを。

中村:朱子学の堅苦しさを感じていた人たちが、自分の心の奥にある良知に気が付いていった、そのことが下級武士たちに物凄く力を与えていったというのですね。

林田:そうです。上級武士は現状維持でよいと思っている。これに対して下級武士はふざけるな、と。変革を望む下級武士にとって学ぶことが第一だったのです。

中村:「中国は文と武が離れていた」と、ご著書に書かれていますね。他方、日本は文武両道。中江藤樹も山田方谷も自ら農作業もしたと聞きます。このあたりの日本文化の特徴に関しては?

林田:さすがに急所を突いてきますね(笑)。「崇文軽武(文を崇い、武を軽んじること)」が儒教では当たり前の価値観です。文人が上で武人が下という考え方。今風に言うとホワイトカラーは偉くてブルーカラーはその下という考え方です。けれど、この考え方は日本には、ほとんど入って来ませんでした。日本の政権担当者は武士ですから、それは受け入れがたい。かたや中国や韓国では文人が政権担当者なんです。要するに武人は脳みそが筋肉だろう、という発想にあるわけです(苦笑)。

一方で、江戸時代は「文武不岐(文と武は分かれていない)」、あるいは「文武合一(文と武は元々、一つである)」。「文武両道」という言葉は、文と武が別々のものという認識に立脚しているので、江戸時代には実は使われてはいません。

文人にとって怖いのは軍事クーデターです。だから武人の頭を押さえておきたいという考えが中国にも韓国にもありました。それは今だにあります。例えば日本のトップ企業の社長さんが現場で机でも並べていようものなら、軽く見られて取引やめます、となりかねない。社長は肉体労働をしてはいけないというところまで極まっています。肉体労働を蔑視するんです。額に汗することを蔑視する。

これは欧米でも一緒でしょう。だから貴族がある。掃除もそうで、一番下の階級の人がやる仕事、となる。韓国では、クリーニング業が蔑視されていると聞きます。人様の汚れ物を扱っている労働だから。崇文軽武が行き着くと、そこまでになるのです。職人を重んじる日本人の気質は、こうしたところから発したと言えるのではないでしょうか。

日常を律することから強さが生まれる

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中村:ご著書で、王陽明に近い生き方をしている人として挙げていらっしゃる、麻雀で20年間、負けたことないという桜井章一さんの生き方と王陽明についてお話をお伺いしたいのですが。

林田:はい、漫画にもなっているのですが、これは実話なんです。かつて『心が技術に勝った』という本に書いたのですが、公立中学校に青山先生(当時33歳)という人がいて、桜井章一さんの雀鬼流麻雀の教えをそのまま自分の学校の剣道部の生徒に教えていった。

普通の剣道部であれば、めいっぱい実技をやるし、それで強くなると思っています。ところが青山先生のところでは、1時間の稽古時間のうち40分から50分間は講話だけです。桜井章一さんの哲学を教える。

しかも、この中学校は剣道の名門でも何でもなくて、集まったのは中学校で初めて竹刀を握ったという生徒たちばかりです。ところが、ここの2年生が名門中学の3年生に圧勝するんです。考えられないでしょう? 小学校1年から竹刀を握ってきた生徒が負けてしまうのですよ。

なぜかというと、青山先生のところでは、日常生活の中で自分を鍛えることをやったからです。実技より何より、まず、自分を律するということをやった。

桜井章一さんの言葉に、こうあります。「日常生活がチャランポランな奴は、どんなに麻雀修行をしても、決して強くはならない」と。この言葉に私なども大きな影響を受けました。

日常生活と、仕事の時間と、座禅。そのなかで座禅をする修行の時間だけをどこかで特別なものと思っている。あるいは自己啓発セミナーなどにいけばいいだとか。それではダメなのです。

いくら修行の2時間だけを頑張ったって、日常生活でチャランポランだったらプラスマイナスでゼロかマイナスになる。修行した意味が相殺されてしまうのです。ところが人は、なかなかそこに気が付かない。私もかつてそこにいました。気が付かなかった。日常生活の中で自分を律するということで初めて強くなりました。挨拶をするとか、嘘をつかないとか、そうした当たり前のことの積み重ねです。

武術家・甲野善紀先生のかつてのお弟子さんですごい人がいるのですが、この方も、ある日突然、強くなったんです。甲野先生が「どうしたんだい?」と聞いたら、この人が桜井さんの話をぽろっとしたんですね。「桜井章一というすごい人がいて、漫画を読んだ。漫画の教えに日常生活を律する、陰徳を積みなさいと書いてあった。人の眼にみえないところで人の喜ぶことをやった」と。そして、途端に強くなったんです。

中村:これは、経営においても同じことが言えるのでしょうか。陽明学の心構えが出来てくると、経営学の心構えも変わってくるとお思いですか。

林田:この青山先生はヘッドハンティングにあって、最悪と言われるような中学に送り込まれてしまうんです。当時600人のマンモス中学。最も荒れた中学で、先生方も諦めている。それを1年半くらいで立て直すんですね。

まず先生達を立て直します。40代から50代の先生を指導する。30代の先生が、です。「遅刻したらいけない」とか、「書類提出の締め切りを守りなさい」とか。一方で、一番落ちこぼれの生徒たちを指導しました。すべての先生が見放した生徒たちを。また、まともに活動していない剣道部に行って剣道の指導をする。その結果、落ちこぼれと言われていた生徒たちは、高校、大学へと歩を進めていきました。そこまでいけるんです、たった一人の先生が頑張っただけで。

余談ですが、こういう話を会社の社長などが聞くと、「ようし、これは良い話を聞いた。明日の朝礼で話そう」とかなるのですが、それは「口耳の学問」というんです。耳から聞いたことをすぐ口から言っちゃう。本当は話をしてくれたその専門の先生を呼んで、喋ってもらうほうがいいのです。

会場:今、「口耳の学問」という言葉を言われましたが、例えばこういうのはいかがでしょうか。良い話を社長が聞いた。それによって、社長自身が模範になるように努力する。良いソリューションは、専門の先生を呼んで話をしていただくということでしたが、社長が模範になるということはどうでしょう。

林田:模範になれればいいのですが、形だけではダメですね。どう模範になるかというのは、それは体得実践するしかない。今日、私はホテルに泊まっていますが、例えばイエローハットの創業者・鍵山秀三郎さんなら、「これは、本当に部屋を使ったのか」と思うほど、きれいな状態にして使われます。カネを払ったのだから備品を持って帰るとか、汚し放しにするだとか、そういうことは一切ない。目の前には見えないが、これから掃除をする人の気持ちが荒まないようにという思いやりなのです。

例えば、宅配便を運んでくる人に対して邪険な対応をすると、対応を受けた人の心は荒みます。そうしたことが、秋葉原の事件のようなことを引き起こすのです。あるいは家に帰って女房や子供につらくあたる。部下にあたる。いなければゴミ箱やスナックの看板にあたる、とかね。そういう人を1人でも減らすという考えで生きている人が鍵山さんなんです。

ですから私も妻も、郵便屋さんに対しても電話でセールスに来た人にも一切、邪険にしません。電話やセールスの相手の気分が悪くならないように電話を切る。そうすると心が荒まない。そういう生き方をすることが陰徳を積むということです。

私は、駅や居酒屋のトイレに入って汚なかったら拭きます。うんこが付いていたら拭きます。自分のじゃなくても。自分のすぐ後に入ってくる人が、「こいつがやったのか」と思うでしょう、それも嫌じゃないですか(会場笑)。次に入る人への、見えない人に対する思いやりです。

仏教とは異なる、陽明学の死生観

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会場:生即死、大変共鳴しました。どうしたら生即死に至るのか。堀学長は四つの価値観という。その一つが死生観。私も含めて、自分が死ぬということを分かっていない人が多い。我々の世代というのは、死を意識していない。戦争もない。死ぬときは病院で死んでいきますし。私の仮説としては、人が死ぬことを見ることで死生観を持つことができると思うのですが、いかがでしょうか。

林田:『論語』を読んだら分かりますが、儒教では死は語りません。死んだ後のことも語りません。そこが仏教と違うところです。来てもいないことに心を煩わせないことが儒教のスタンス。もう少しで自分の命は危ないな、というのであれば、少しは死というものを勉強した方がいいのでしょうが。

僕も目の前で死んでいく人に対峙したことはありますが、それよりも、日常生活で自分を律することで自分を鍛える。それが死生観につながっていくと考えています。経験主義に基づけば、たくさんの死を見ることにつながっていくのかもしれないが、一方で、知的好奇心から死を考えることもできる。しかし、この二つは両極端の考え方なんです。陽明学的においては、両方とも意味のないことです。求めるべきは真ん中のスタンス。これが善でこれが悪、というものは陽明学にない。お風呂の、良い湯加減、これが人にとって善。熱すぎる湯、冷たすぎる水が悪です。過ぎたものは悪。人生にとっても同じ。これはシュタイナーの思想とまったく同じです。儒学や仏教、神道、そしてシュタイナーも「中庸」を重んじるのです。

会場:70歳で父を亡くしました。以来、私自身も70歳で死ぬと思ってカウントダウンしています。今51歳なのであと10数年。それまでに何をするか。死を思うことが生きることだと思っているのですが・・・。

林田:私の場合は、ほとんど思わないですね。目の前の仕事、目の前にいる人とのことを思う。目の前に人がいるにもかかわらず他の事を考えることは、今を生きていないことで、失礼にもなると思っています。前にいる人にしゃべることに全力になることだと思います。今を充実する事です。その連続が人生です。今が充実していれば、おのずと結果はついてきます。

会場:陽明学を学んだことはないのですが、本日は、間違いなく学ぶきっかけになりました。先ほど、荒れた中学を立て直す話がありましたが、これは経営不振になった会社を立て直す話にもつながると思います。私は今、企業再生に関わっているのですが、「こんな状態になるまでなぜ放っておくんだろう」ということを、強く感じています。「ここまで落ち込む前に、なぜ行動を起こさなかったのだろう」と。どうして人間はそれができないのか、或いは、そこまで落ち込んでからしか、逆に回復させようとする機運がでてこないものなのか。陽明学的にはどうなのでしょうか。

林田:人間ですから誰であれ逆境は嫌なんですね。しかし、逆境の中でしか自分の人格向上のチャンスはない、というのは歴然とした事実です。

私が中学のときに医者の息子の友人がいて、その家に遊びに行ったら、ないものはないというほどオモチャがいっぱいあって羨ましい限りでした。でも今は、そんなふうには思いません。あの環境にいたらダメになっていたと思う。「普通のサラリーマンの家庭でよかったなあ」「親が何も残してくれなくてよかったなあ」と。

色んな事件が起きていますが、こればかりは、なぜといっても始まりません。江戸時代は飢饉とか天災とかたくさんあって。多分、あれがあって日本人は鍛えられた。天明の大飢饉は最大級の飢饉。飢饉というのは不可抗力で、誰のせいでもない。飢えから領民を救おうとする藩主もいれば、そうしなかった藩主もいたんですね。これは・・・仕方がないのでしょうね。気が付く人しか気が付かないのでしょうし、そうとしか言いようがない。「なんでこんなに理不尽なのか」と、私も昔、随分と悩みましたけれど、これは、その中で目覚める人は目覚めるとしか言いようがない。参考までに、シュタイナーの考え方を述べますと、シュタイナーは悪も含めて、人生に生じる問題に取り組むことで、人間は霊的に成長し強くなると言っています。

会場:過ぎ去ったこと、これから来る未来について心を煩わせないこと、同感です。では、どのようにして心の平静を取り戻して集中するのでしょう。その方法があったら教えていただきたい。

林田:私も教えて欲しいです(笑)。ちょうど今、中国武術の韓氏意拳というのをやっているのですが、出会ってびっくりしたのが、これが陽明学とまるで同じ世界観なのです。陽明、老子、荘子、孔子、孟子の言葉を引用しながら稽古する。普通の武道は実技をやってから、スポーツマンシップを高める意味で付け足しみたいに道徳論を展開します。ところが韓氏意拳は異なる。

結論から言うと、「伸びやかな気持ち」になったときに初めて自然な動きが出てくるんです。これはこれで理屈にあっているんですよ。例えば、伸びやかな心を持てば周囲も伸びやかになる。暗い人の周りには行きたくないでしょう。そういう伸びやかな心の人を世の中に増やすことが世の中を良くすることにつながる。

「修己治人」という言葉があります。朱子学ではまずは自分を修めて次に他人を治める。分けるんです。陽明学は「修己即治人」なんです。自分を高めることが自然に周りの人を良くして社会を良くする。これはイコールなんですね。自分の心が豊かになったら、家庭も明るく良くなる。社長の人格が良くなれば社風が良くなる。社風が良くなれば業績も上がる。

自然な動きをしようとすると無理してしまう。上がっちゃいけないと思えば思うほど上がるものです。抑えようとすると葛藤が激しくなる。陽明学の場合は、上がっているぞ、とか、怒っているぞ、とか教えてくれる「良知」がいる。おまえ上がっているぞ、というようなサジェスチョンがある。喧嘩をしている最中でも、良知が働いていることに目を向ければ、自然に怒りも収まってくる。ああ、良知が働いていると思うだけで、いいんです。

私の場合は音楽を使います。音楽をかけるとガラっと気分が変わる。気分に合わせてCDをかけながら仕事をする。あとは映画ですね。休憩のときにさっき言った「シンデレラマン」とかを見る。そうやってリフレッシュして気分を切り替えて、また仕事に頑張る。そういう風に「伸びやかな気持ち」というのを日々持とうと自分に言い聞かせるのも手かな、と思っています。

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