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「哲学」リーダーとしての自己成長~自らに問う、自らをプッシュする~

投稿日:2008/07/11更新日:2019/04/09

「ゴツゴツした志を丸く精製していくことで、実現につなげる」――。あすか会議2008「哲学」セッションでは、地方企業の再生ファンドとして存在感を増すジェイ・ウィル・パートナーズの佐藤雅典氏が、リーダーとして、ビジネスパーソンとして、志を育み、成長を重ねてきた自らの体験を振り返る。(文中敬称略、写真提供:フォトクリエイト)

リーダーにとって成長は使命

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鎌田:本セッションでは主に佐藤雅典さんのお話を伺いながら、「リーダーとしての自己成長」について皆さんとご一緒に考えていきたいと思います。私は佐藤さんとは日本長期信用銀行(以下、長銀)で一緒にお仕事をしていた時期がありました。ふたりはほぼ同世代ということもありますから、今日はぜひ、ざっくばらんに議論を交わしていきたいと思っています。そのなかから、皆さんも成長について自分なりのヒントを見つけてみてください。そもそも組織のリーダーには、組織の外側へ働きかける力や結果を生み出す力が問われることは言うまでもないと思います。ただ今回は、それらの力を育むためにも、自分との向き合い方をはじめとした、内面的な部分に照準を合わせていきましょう。佐藤さんがご自身の企業を起こすにいたる道のりのなかで、どのような想いを抱いてきたかという観点でお話が聞ければと思っています。

まずは議論を深めていく前に、成長という概念について皆さんにいくつかの問いかけを行ってみましょう。皆さんは成長したいですか? したくないですか?考えてみてください。どちらでもないというのは無しにして、成長したいという方は手を挙げてください。(来場者ほぼ全員が手を挙げる)…素晴らしいですね。

では、成長とはどうなることなのでしょうか。また、なぜ成長が必要なのでしょうか。「What」と「Why」のうち、まずは「What」について考えてみます。たとえば目の前に小学生の子供がいるとして、まだ語いが乏しいその小学生から、「成長って何?」と訊かれたら、皆さんは何と答えますか? 一言で簡単に表現してみてください。

会場:昨日の自分から良い方向へ変わることだと思います。

鎌田:いいですね。本質的な答えの一つだと思います。成長とはおそらく、“変わる”という点に集約されるようです。『バカの壁』の著者としても有名な養老孟司さんが、以前「成長とは変化だ」と仰っていたことがあります。成長という言葉を端的に言い表していると思い、私自身大きな感銘を受けたことがあるのですが、どうやら成長とはいかに変化していくかということである点は間違いなさそうです。

となると、「Why」の部分はどうでしょう。人はなぜ変わる必要があるのでしょうか。簡単に言ってしまえば、それは周囲の環境が刻一刻と変化していくからにほかならないと思います。ダーウインの進化論ではありませんが、周囲の変化に合わせて自らも変化していかなければ、ビジネスの世界で結果を出し続けていくことはできません。ときには生存すらあやうくなってしまいます。

もちろん他にもいろいろ解釈はあるかと思いますが、ここではシンプルに変化という言葉に焦点を絞ってみました。もちろん成長することは簡単ではなく、変化し続ける過程において数々の困難が発生するものですよね。では、変化の過程で生まれる難所とは一体どういったものなのでしょうか。

会場:同じことを続けているうち、「楽をしたい」という心理が人間を支配するようになるというところだと思います。

鎌田:その通りですね。人間の本質は楽を求めてしまうもの。ほかにはいかがでしょう。

会場:成長とは変化だとすると、昨日の自分を否定するのが難しいという側面があると思います。

鎌田:確かに。成長は脱皮にも似ていて、いわば自己否定を伴う作業でもあります。全てではないにせよ、人は自分の何かを否定していくことで変化していきます。ところが人間は易きに流れるもの。どうやら自己否定の継続の難しさが、成長にまつわる難所の一つでもあるようです。

では、「リーダーの成長」とはどういう意味でしょうか。リーダーが成長しないというのであれば、恐らく組織自体が成り立たちませんよね。そういった意味では、リーダーの成長は願望の領域を超えた使命。成長したくないのであればリーダーたり得ません。人の上に立つリーダーはそれだけ重い責任を背負うということです。部下は常にリーダーに目を凝らしていますから、リーダーの奢りや自己否定の拒絶は組織の衰退にも繋がります。したがってリーダーに必要な要素とは、誰かに強制されずとも自らのミッションを定め、強い気構えを持って成長と挑戦を楽しむメンタリティーでもあるということです。

次に、成長を「志」という側面から掘り下げていくといかがでしょうか。他のセッションでテーマにもなっている陽明学では、「立志」という言葉が頻繁に使われます。その志は見つかるようでなかなか容易には見つからない。先日もグロービス経営大学院の卒業式に参加したのですが、卒業生のコメントのなかに、「志が最初は見つからなかった」とか、「どう探して良いのか分からなかった」という言葉がありました。そもそも志とは何でしょうか。「大志を抱け」とはしばしば言われますが、志には大きさの概念があるのでしょうか。あるとすれば何を基準にするものなのでしょうか。また、志とは心の奥底から湧き上がってくるものなのか、あるいはある日突然天から降ってくるものなのか。

もちろん、ビジネスの世界ではあちこちにイレギュラーが待ち受けています。「困難に出くわしてもひるまずに折れない心はどのように育まれるのか」という点も大切ですね。折れない心を育むため、私たちは人生の節目で何をどう自問すべきか。それらの答えは人によって異なり、確固たる正解があるわけではないのかもしれません。ですから本セッションでは、佐藤さんご自身の体験を通して、その志の根本にある気構えや姿勢を浮き彫りにしていければと思います。

おそらく佐藤さんがこれまで歩んできた道のりには、まず志を探す、あるいは見つけるといったフェーズが存在していたのではないでしょうか。次にその志を自分のものとして消化していく段階があって、さらにその想いを純化し、磨いていく…。そのようにしていくつかの段階を踏んでいらしたのではないかと思います。その節々で悩みや問いかけが生まれていたのだと思いますが、現在にいたるまでの流れをお話しいただくに前に、まず佐藤さんから簡単な自己紹介をお願いできますか。

志に出会う NYで体験した米金融業の先進性

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佐藤:かいつまんで申し上げますと、私は十数年長銀に勤めた後に外資系の投資銀行に移り、そこで5年間を過ごしました。そして5年前にジェイ・ウィル・パートナーズ(以下、ジェイ・ウィル)というファンドの運営会社を立ち上げて、現在にいたります。

ファンドという言葉自体は今やマスコミに出ない日がないほど、あちこちで耳にするようになりました。ファンドというと、「海外からのお金で運用されるもの」というイメージが強いのではないでしょうか。実は私がジェイ・ウィルを立ち上げたのは、そういった海外からお金で運用されるばかりのファンドに大きな疑問を感じていたためです。ジェイ・ウィルは国内の資金のみで運用します。これは金融業界の視点では、ともすれば“ナンセンス”と受け取られる可能性はありますよね。「お金に色はついていないのだから、運用したいという人のお金を受け取ればいいじゃないか」という考え方こそ、金融業界では一般的だからです。

しかしその一方で、ジェイ・ウィルの方針に賛同してくれる国内の投資家は数多くいらっしゃいます。運用額はこの5年間で急速に増えていきました。地方企業の再生という、どちらかというと投資家にとっては取り組みにくいと言われていたファンドを現在までに4本設立。その総額はおよそ2,000億円におよびます。10数年前、5年前では考えられなかった状況ですよね。

鎌田:「ジェイ・ウィル」という社名には、日本の心や意志を託したという意味が込められていますよね。佐藤さんは長銀時代にNYの支店へ赴任して、そのあと長銀から投資銀行へ移り、同社でMD(Managing Director)まで務めたのちに、現在のジェイ・ウィルを起業しています。日本のお金を国内で還流させながら、何かをしたいという思いはNYへ移った当時から抱いていたのですか?

佐藤:そうですね。NYへ渡ったのが1994年。海外支店の勤務というとずいぶん忙しく働いていたように思われますが、実際のところ当時の私は自由に使える時間をかなり持っていたんです。比較的自由な時間を使い、たくさんの人々と、金融について自由な議論を交わしていきました。その環境自体は志というより運が良かったということなのだと思いますが。そこから国籍や人種を超えて、金融業界で活躍する数多くのキーパーソンと出会い、親交を深めていったんです。その経験が日本という国を軸に据えたジェイ・ウィルという会社の源流になっていったのは間違いありません。

当時、少し青臭いのですが、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』(文藝春秋)をNYで改めて読んでいた影響もあって、「自国のことを考えよう」という気持ち自体が強くなっていたという背景もありました。アメリカの金融は、運用機関及び手法が多岐に亘っている。金融というのは、歴史的に国富を形成する大きな要素になっていると思います。ところが我が国の金融業界はどうかと言えば、資金は豊富なのにその運用手法が米国とかなり違う。「日本の金融はかなり差がある」との想いが募りました。

渡米していた5年間、そんな気持ちをたくさんの人に伝えていく中で、私の考えに興味を持ってくれる人々も少しずつ現れました。そのひとつが投資銀行です。当時の投資銀行は日本の金融市場では不良債権、企業再生ビジネスは未だスタートしておりませんでしたが、アジアに対する戦略を考えてはいたんです。

それで彼らと色々と話をするようになっていったあるとき、「5年たったらどうしたい?」と聞かれたことがあります。そのとき私は、言葉にすると乱暴ですが、「5年間あなた達のビジネスを徹底的に勉強して、そこで学んだことを日本の金融業界で生かしたい」という類の話をしました。普通、そんなことを言われたら、“嫌な人間”と感じるところでしょうが、彼らは「君は面白い。当社に来ないか」と言うんです。この辺りが彼らの面白さというか、したたかなところですよね。いずれにせよ、日本という国に関わろうという志を、具体的な行動に移していったのには、そんな経緯がありました。

鎌田:もともとご自身が日本という国の枠組み自体を強く意識していたところに、考える時間と自由が作用して志が育まれていったということでしょうか。

佐藤:そうですね。金融をいわば国策としてしたたかに捉えるアメリカと、日本との差は残念ながら大きいと感じた。ネットで700~800兆円という純資産を抱える日本ですから、金融の大前提になるお金自体はたくさん持っているわけです。でもその力を国力へ反映させるシステムとして金融を利用する点では違いがあると、当時の私は感じました。日々それを目の当たりにするなかで、「日本はどうなっていくのか」という問題意識が、今風に言えば「どげんかせんといかん」という強い気持ちが、行動に繋がったというところでしょうか。

鎌田:問題意識が高まっていったことは良く分かったんですが、国という軸でかんがえるようになった、大きなきっかけはあったのですか。

佐藤:投資銀行の考え方には大きな影響を受けました。私が日本の銀行で10数年経験したこととかなりの違いがありました。アジア及び日本について、自分にとって非常に新しい視点での考え方を聞き、議論をしました。その会話を通じて「他の国や地域に対して金融というツールを使って、こういう考え方で行動するんだ」と、当時はショックを受けました。まだ2~3回しか会っていない私にそんなことを話すのも驚きでしたが。あえていえば、そういう気づきの経験があったと思います。

志を磨く 自分の主張をぶつける

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鎌田:当時の “気づき”には、今のジェイ・ウィルのような具体的な姿が思い浮かんだり、「将来自分で会社作ってやろう」という予感はあったんですか。

佐藤:今振り返ってみると、それはベースにはありました。このままずっと投資銀行にいるつもりはなかったですね。

鎌田:気づきが段々と確信に変わっていくプロセスというのは、たまたま偶然なのか、それとも明確な意図を持ってやっていったんでしょうか。

佐藤:明確に意図を持って準備に入った、ということですね。ジェイ・ウィルの源流になった「国内のお金を地方の企業に」という問いかけ自体は、投資銀行時代にすでに始まっていましたが、その志の純化、志をきれいに精製していくフェーズがはじまったということです。

当初、長銀から投資銀行へ移った時点では、自分の志は荒削りな状態で、そのゴツゴツした志を丸くする作業は毎日続けなければいけません。私の場合は、多くの人と話をすることで純化していきました。「国内資金の更なる活用」とか、「地方にお金を回していくべきです」とか。そんな議論をあちこちで重ねていくなかで、自分の考えが研磨されていくんですね。

志が正しいのかどうか、常に他者に伝え、問いかけ、確認しないといけません。ベースは不変でも他者と関わることで純化されていく余地が必ずあります。相手に意見をぶつけ、場合によっては否定されるといった段階を踏む必要があると、私は考えています。

鎌田:他者に意見をぶつけながら、ときには否定され、ときには賛同され、さらに志を磨いていく。この作業ができるようでなかなか出来ないという人は、実のところ多いのではないかと思います。批判されたり反対されたりすることへの恐れや、意見をぶつけることに対する遠慮など、心に規制が働きやすい側面があるかと思います。佐藤さんの場合、あえてご自身を焚きつけていこうという意思を明確にお持ちになっていたのですか?

佐藤:ややもすれば恥ずかしい結果になるという恐れは誰にでもありますし、私自身、理解を得られずにコテンパンにやっつけられるという経験を度々しています。ただ、私自身は好きでそういう場面に出て行っていましたね。意見を発信して、ときには褒められたいという感覚は多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思いますし。

日本に帰ってからも、長銀国有化などで日本の金融が混乱していた時期、私はとある政治家に手紙を書いたりしていました。「ちょっと会って話をしたい」とね。それで会ってくださる方もいました。「日本の金融機関の弱体化を避けるには・・・」とか、色々と話をしました。「お前はアホか」と言われたこともありますが、その一方で認めていただけたこともあったんです。躊躇せずに行動できたのは、「気付いてしまった自分が、伝えていかないと」という思いを抱えていたからだと思います。

鎌田:折れない心にも繋がる「国」というキーワードですが、 NYに行っていなかったとしたらどうなっていたと思われますか。

佐藤:今のようになっていた可能性は低いかもしれませんね。NYへ行ったことは私自身も幸運だったと思っていますから。「探す」とか「つかみとる」という観点からすれば、そういう目的を持っていったわけではなかった。可能性の高低についてはなかなか断言できないところですが。

志を実現する 負けないビジネスモデルを創る

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鎌田:お話を聞いているうち、ある経営者が言っていた、「今日があるから明日が来る」という言葉を思い出しました。つまり「実現したい“明日”は、偶然やってくるのではなく、やるべきことを積み重ねている結果であり、ある種の必然なのだ」と。いずれにせよ、志が純化して拡大していくなかで、今度はいよいよ「ジェイ・ウィル設立」というフェーズに入っていきますね。ここでお伺いしたい点があります。当時はかりにも投資銀行のMDであったわけですから、当然ハードな毎日ではあったかと思いますが、それなりの報酬や仕事に対する満足感というのはあったんじゃないかなと思うんです。それらを捨て去るリスクを感じなかったのですか。

佐藤:投資銀行時代の報酬は、リスクもある反面、日本の金融機関よりは良いものでしたし、当時のビジネスもおかげさまで順調に拡大することができました。投資銀行は年齢や国籍、あるいは在籍期間など一切問わずに登用する会社でしたから、本当にフェアだったと今でも思っていますよ。条件面を考えれば残った方が良いという選択肢は確かにありました。それを全部捨てるというのは大きな決断でしたが、正直言って迷いはありませんでしたね。投資銀行に入ったこと自体、「ウォールストリートの流儀を徹底的に学び、そのあと国内の資金を使ったファンド運営会社を設立する」という志から生まれたものですから。「志を持ってしまった」という運命、宿命のままに突っ走ったという感覚です。

鎌田:間違いなく使命感から生まれた行動だとは思いますが、その一方で新しいビジネスに関する勝算もあったのではないですか。

佐藤:そこは非常に大切なところですね。金融、政治、産業…、あらゆる分野で、「この国をどうするか」という議論は行われていると思います。大切なのはそれをメッセージとして伝えるために、ビジネスとして実績を示さないといけない。金融というフィールドでは、「リスクに見合うリターンを得る」というのがそのひとつですよね。そういったマーケットに認められるビジネスモデル抜きで、「日本の金融を何とかすべき」などと思っていても意味はないんです。

そういう面で、私としては地方の中堅企業を中心としてのビジネスモデルをスタートに考えました。大きなファンドは大抵都市圏の大企業をビジネス相手に選びますよね。それに対してジェイ・ウィルは地方の企業に国内の資金を投入する。それが大きなブランド力に結びつくと確信していました。負けないビジネスモデルを創ることによってこそ、ジェイ・ウィルのメッセージを世の中に発信していけるのだと、考えていました。

鎌田:収益性がついてこなければ志も形を成さないということですね。では、実際に勝てるビジネスモデルを構築できた背景には何があったと、ご自身でお考えになりますか。

佐藤:ひとつには投資銀行の5年間でビジネスを学んだというのがあると思います。その経験無しではスタートは無理でした。銀行を辞めて、日本に何かの貢献をしたいと考え始め、そして投資銀行に入って経験を積もうと。そして投資ビジネスを経験したうえで、ビジネスモデルを選んでいこうという流れですから。

鎌田:投資銀行の大本丸の中に入って、そのモデルをつまびらかにしたうえで、さらに手が付けられていないスペースを見つけたというのは、まさに合理性と志の両立ですね。そして現在は2,000億円の支持を集めるまでになり、ジェイ・ウィルの事業は自律的な回転を始めました。これは、佐藤さんご自身から見ても、「志を達成した」という解釈になるのですか?

佐藤:それが最大の課題なんです。「次はどうしようか」というところですよね。次の課題を見つけることが今は大切だと思っています。自分自身にとって、この5年間はとにかく走り、色々な意見を聞きながら志を純化してきました。現時点の事業成果に満足というわけではないですが、今までやろうと思っていたことはそれなりに昇華されてきたという自覚があるんです。もちろん、5年程度で完全なビジネスが完成するわけではありません。金融の世界では数十年という歴史が必要でしょう。ただ、単純にその方向性というか、レールのなかで私自身までそのまま齢を重ねるというのは、ちょっと違うんじゃないかと。新しいミッションを作っていなかいといけない。それが一経営者として、現時点で最も大きな課題ですね。

鎌田:常に自分の次元を高め続けるということですね。NY、投資銀行、そしてジェイ・ウィル。一連の道のりのなかで志が生まれ、そして純化されていったあらすじがずいぶん整理されてきました。ではここでお話を一段落させつつ、今度は会場の皆さんから何かご質問があれば受け付けたいと思います。いかがでしょうか?

夢を持ちながら、「強み」を磨く

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会場:ご自身の強みである金融という世界から国に対して働きかけたという志については、大変深く理解できました。ただ「強みがそのものがない」という人も少なくないと思います。この辺についてはどのようにお考えですか?

佐藤:そこは順番が違うかなと思いますね。「今さらなんだ」と感じるかもしれませんが、私としては金融が得意分野かどうかという点については、未だに迷いはあります。強みについて考える前に、「夢や志は自由」という点をまず考えるべきだと思います。夢を見ることに制限は受けませんよね。夢→志→実現という順番がもしあるとすれば、最初に描くものは夢。「格好良くなりたい」とか「大きな仕事をやって新聞や雑誌に載りたい」とか、その程度からはじめても良いでしょう。強みはその後でもいいかなと。ただ、そうはいっても毎日食べていかないといけませんから、左手に夢は必ず持ちながら、右手の毎日の仕事では120%の結果を出していくこと。結局はその積み重ねが大切になるんだと思います。「毎日やっている仕事と夢が違う」という話はよく聞きますが、自分の強みはどんどん変化していくものです。「夢とは違うから、今の仕事は6~7割の力で済ませていれば」と言った瞬間、実は両方とも実現できなくなると思います。目の前のことに全力で取り組んでいればいるほど、夢や志に繋がる強みも、広がるものだと思います。

会場:「投資銀行で積み上げてきた生活を捨てることに対して迷わなかった」というくだりがありましたが、それは実際には難しいと考える人も多いと思います。選択したものを元に戻すことはできませんし。それを考えても捨てることができた佐藤さんご自身の中では、決断にあたってどんな作用が働いていたのでしょうか。

佐藤:元々、志が定まっていたという点に尽きると思います。もちろん投資銀行は本当に良い企業でしたから、満足感はありました。けれど収入や仕事の満足感を得られたというのは、5年間ぐらいのこと。このままやっていくのか、丸裸になって、自分の考えを世の中に伝えていくのか。どっちがいいのかということになったら、後者の方を迷わずとりました。

会場:「志を探す」という命題について感じるのは、「自分に何ができるのか」というドキドキワクワクするような感覚です。個人的には自分が楽しんでいる姿を考えたりもします。たとえば佐藤さんがドキドキワクワクするようなことがあるとすれば、それはどういったことになるのでしょうか。

佐藤:逆に、「ガッカリしていることがあるか」という話をさせてください。これまで、「国に対して何ができるか」ということについて、いろいろな方と様々なお話をしてきました。そのかいあってか、最近は事業が形になってくるとともに、様々な方などからお呼びがかかることも増えてきたんです。会って話せる機会が増えること自体は良いのですが、「同じ話をしていたのにあまり変化が無い」という感情を持ってしまう事が多いんです。当初は、それがまだ分からなかったのですが、最近は若干近しい存在になってしまっただけに、逆に自分の無力を痛感することもあるというわけなんです。

会場:その幻滅感がエネルギーになったりはしないのですか?

佐藤:そろそろ芸風は変えないとだめですね(笑)。相変わらず同じことをするのではなくて、ジェイ・ウィルというツールをつかって更にどう働きかけていくか。

会場:「ゴツゴツした志を磨いていくことが役に立った」というお話について、具体的な事例をお聞かせ下さい。

佐藤:志をビジネスに落とし込もうと考える以上、それが何であれ世の中の意見や言葉に耳を澄ませ、志を研磨するというのは絶対に欠かせない作業だと思います。様々な問題ある世の中かもしれませんが、「正論」と「世の中に認められる」ということは同義ではないと思います。正論であっても、ゴツゴツしたものを丸くしないと、物事が前に進まない部分というのはあるんですね。あとは、志を研磨する過程で議論を深めていった人々の多くは、現在の会社を作るうえで良き支援者になってくれたという面があります。これは非常に大きいと思います。

会場:例えば、「社会的意義は(比較的)大きいが実行するのは難しい」という事業と、その逆に「社会的意義は(比較的)小さいが、実行するのは容易」といった案件あった場合に、どういった判断基準で投資をされているのでしょうか。

佐藤:「投資家にとって最適な行動をとる」というのが最終的な答えになると思います。「投資家がリスクに応じたリターンを得る」という部分に私情を挟んではいけません。ビジネスとしてきちんと勝ち、ファンドとして成り立っているということが、究極的には社会や経済にも役立っていくわけですから。

会場:人と話しながら志を純化していく場面で、アプローチする人を選ぶ基準などは何かありましたか。

佐藤:こういう人でなければいけないという形はありません。基本的には、出来るだけたくさんの人と話をしました。カテゴリーが金融である以上、金融や企業再生に関わる人々には当然重点的にアプローチしましたし、マスコミの人ともたくさん話しました。ただ、それ以外に基準があるとすれば、「この人は対等の視点で辛口の話をしてくれるか」といった、どちらかというと人間としての基準が大きかったですね。「押してもちゃんと反応してくれる」とか、そんな人間性は気にかけていました。

会場:志を持って国にアプローチをしようとお考えになったとき、それがなぜ「自分でないといけない」と思われたのでしょうか。

佐藤:うーん。難しい質問ですね。

鎌田:ゴツゴツした志についてたくさんの人に話すというのは、いわば言いふらすということでもありますよね。たくさんの人に話すことで、後ろに引けない状態に自分を追い込んでいっていたようなところはありませんでしたか?

佐藤:自分を追い込んでいったところがあるとしても、それはなぜか分かりません。もう「そういう風に感じてしまったから」といったお答えになってしまいます。ただ突然出てきたというよりは昔から、それこそ学生時代から何か「国」というものに対する意識はあったんだと思います。この世界で自分の実力を発揮してみたいと思っていた部分も当然あったでしょう。それが金融危機の時代にたまたま海外に行くという条件がそろって、宿命的なように感じたというところでしょうか。

会場:投資銀行を去ったときのお話についてもう少しお聞かせください。国の金融については佐藤さん以外にも多くの人が問題意識を感じていたとは思います。ただ、どれほど強い志を抱いても、不安な点が完全になくならなるということはないのではないかと思います。佐藤さんはそういった不安をどうやって乗り越えて、実際のアクションにまで結び付けたのですか?

佐藤:起業に完璧なものはないですよね。こういう順番でやればうまくいくという法則は存在しません。今から考えれば、完全ではなかった点もあったと、私自身も思っています。ただ、それを志で埋めたというつもりはありませんでした。100%絶対に負けないという勝利の方程式を書かないといけません。それは起業しようとする人間、あるいはそれによって人を集めようと想っている人間の、最大の責務なんだと思っています。加えて、スタート時期に、信頼できる人間がいたということが、大きな財産になっていたのは間違いありません。

鎌田:今日はありがとうございます。佐藤さんの言葉から、皆さんも自分を見つめ直す数多くの指針を得られたのではないかと思います。佐藤さんの考え方や心構えは、「自分で考え抜く」、「自ら機会を作る」、さらには「人に依存しない」という三つに集約できるのではないでしょうか。陽明学には「自得」という言葉があります。その意味は、「人は学ぶもの。だけど最終的には自分で決めろ」ということです。今日の佐藤さんの話を自分なりにまとめると、そういうことではないかと思います。

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