「もう辞めてやる!」と思っている方へ 

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4110 Photo: Stuart Jenner / shutterstock

もう、こんな会社辞めてやる――。

長い仕事人生の中で、そんな気持ちになったことがある方は少なくないのではないか。もしかしたら、今のあなたの気持ちそのものかもしれない。自分はベストを尽くしていると思っていればいるほど、この負のエネルギーは大きくなる。その不満が解消されず会社を去ってゆくケースも多いだろう。だが、少し立ち止まって考えてみてほしい。

本当にベストを尽くしているのか?
正しく問題に向き合っているのか?

筆者の専門は、人/組織系領域で、グロービス経営大学院で講師を務めるほか、企業向けコンサルティングにも長く携わってきた。その経験からすると、組織や会社に対する不満が生じる原因は、置かれた環境(組織や上司など)ではなく、むしろ、不満を持っている本人にあることが多い。だから、不満を解消するためには自分自身を変えなければならないのだが、自己変革というのはなかなか難しい。特に、自分ひとりでは問題の所在が自分にあることに気づくことさえできないのが現実。だからこそ、経営大学院で学ぶこと、仲間と共に学ぶことに大きな意義があるのだ。

そこで本連載では、私が講師として担当しているクラスの1つである「パワーと影響力」で実際にあった受講生の行動変容ストーリーを全6回にわたって再現・追跡し、そこから学びのポイントを抽出していく。

主人公は、押川さん。会社の改革を提言したところ経営トップに拒絶され、半ば左遷のような扱いを受けてしまった。会社を辞めることも考えたが、踏みとどまって自己変革に挑み、大きく行動変容を遂げ、ついに経営トップから再び重要なポジションを与えられることになった。

その物語は2014年初にさかのぼる。

エリート商社マンの転身、初めての挫折

主な登場人物

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※文中に出てくる姓名は全て仮名・仮称です。

押川は、2000年に総合商社に入社。支店勤務の後、希望したシンガポールに派遣された。8年間で幅広い実務実績を積み重ね、社内でも高く評価されるエリート商社マンだった。帰国後、本社企画部門に異動となったが、海外でのダイナミックな働き方と比べ、縦割り組織の中で次第に閉塞感を感じるようになっていく。そのような時期に、学生時代のアルバイト経験を通じて面識があったボーダーレス社の会長と再会した。押川は、グローバル化を目指す会長の熱い思いに共感。ボーダーレス社のグローバル経営管理を担うヘッドとして入社してほしいというオファーを受け、その場で受諾した。

新天地でスタートを切った押川は、期待に胸を膨らませていた。社長の小林からは特に職務に対する指示はなく、「必要と思ったことをどんどんやってください」と言われていた。

■会社の課題発見とトップへの提言
ボーダーレス社は、海外製プログラマー教育ソフトウェアの日本語版の輸入・販売会社である。同社の強みは、顧客に対する細かいサポート力にあり、日本で優位な地位を築いていた。

小林社長は、自社の売れ筋商品の開発を推進するため、数年前に米国の開発元企業A社を買収した。これにより従来までの日本販社としてのビジネスモデルと、先進的なソフトウェア開発というビジネスモデルが併存することになった。

押川はさっそくA社の海外拠点を周り、現場の声を聞いて歩いた。コンテンツ開発力や独創性、ハングリー精神においてはA社の方が日本本社より優っていた。だが、A社は製品数も多く、幅広い顧客にサービスを提供しているがゆえ資源が分散していた。また、日本本社とA社とも買収前の組織形態(国別・機能別)をそのまま踏襲していたため、双方の壁が厚くうまく機能していなかった。さらに、A社の製品ライン現場には権限がなく、日本本社の発言権は大きいものの戦略が不明確で、米国の優秀人材の離職が進んでいた。

こうした現場の実態を踏まえ、押川は以下2つをトップに提言した。

(1) 米国の買収先企業A社の収益が悪化している。幅広い製品ラインのうち、不採算製品に関しては開発投資を見送り、不採算分野からの撤退を検討すべきである。
押川はボーダーレス社の規模から考えてA社の買収には納得がいかなかった。また、A社からは不採算ラインに関する中長期計画さえ提出されず、当事者意識が低く、改善の見込みは薄いと判断した。

(2) A社を機能別組織から製品別の事業部制にして収益責任を担わせるべきである。当該部門のリーダーは、日本本社から派遣するのではなく、イノベーションをリードできる米国人を指名すべきである。
押川は、ボーダーレス社が創造的かつ挑戦的な企業として自己変革していくためには、米国人材をリーダーとしてもっと抜擢していくべきだと感じていた。

■改革提案を社長は言下に否定、押川の権限を剥奪
ところがである。押川の改革提案に対して社長が下した判断は「NO」。問答無用の完全否定だった。そして、押川の権限を大幅に縮小することを命じたのだ。

なぜこんな結果になってしまったのか…。押川には全く理解できなかった。会社の状況を客観的に分析し、会社がグローバルに発展していくために打つべき施策を具体的に提言したというのに…。訳も分からず、突然、奈落の底に突き落とされたようだった。そして、社長に対する激しい怒りの気持ちがこみ上げてきた。「退職」の2文字が押川の脳裏をよぎった。

ちょうどそんな時、グロービス経営大学院の受講生仲間から、「Day 7開催」の誘いが舞い込んできた。グロービスのクラスは「3カ月間、1回3時間の授業を計6回」(DAY 1~DAY 6)で構成されている。「DAY 7」というのは、6回の授業が完了した後に、たまたま同じクラスを選択した社会人学生たちが集まって勉強会や懇親会を重ねて学びを深める“延長戦”のことである。

押川は藁にもすがる思いでメールを書いた。「皆さんにぜひ相談したいこともあるので、なるべく早くやりたいです!」。自分が置かれた危機的な状況、なぜそんなことになったのか分からないこと、この先どうしたら良いのか自分で判断がつかず困っていることについて、包み隠さず、クラスメートたちに打ち明けるつもりだった。

学生時代から商社時代まで、押川は自分自身に自信を持ち、強気を貫き、競争という競争に勝ち続けてきた。悩むことはあったが、決して本音を他人に打ち明けたりすることはない。自分の弱みを他人に見せること、すなわち、自分を丸裸にすることなど、絶対に許せなかった。

だが、今回は人生で初めて経験する大きな挫折だった。そんなことは言っていられないくらい追い詰められていた。会社の同僚には相談できない。家族にも言いたくない。経営大学院のクラスメートに気持ちを打ち明けようとしたのは、仕事の面でも、プライベートの面でも全く利害関係がないニュートラルな存在でありながら、マネジメントやリーダーシップを学ぶ仲間であるという気安さからだった。

押川は、その時の気持ちをこう振り返っている。

「自分の悩みを聞いてくれた塩浜(第2回で登場)さんは、破天荒なキャリアの持ち主で、クラスでの発言内容もユニークで、尊敬できる人物だと思っていました。その塩浜さんが“そういう悩みは誰かに相談しなきゃ。DAY 7で相談に乗るよ”と言ってくれて本当に嬉しかった」

押川は、自分の悩みを打ち明けることは、自分の弱さをさらけ出しているようで“恥ずかしい”と考えていた。その心の固い扉を、メンター的存在となる塩浜が開いたのである。

(第2回に続く)

< 講師解説 > 利害を超えて裸になれる「メンター」を持て

仕事のあり方を客観的に振り返らせることを可能にする「内省支援」や精神的なサポートをする「精神支援」は、通常、同じ会社内の上司・先輩・同僚によって担われることが多い(中原淳、2012)。そして、そうした協力行動や協調行動の成立には相互の信頼関係や互酬性規範(もしAがBを助けたら、AはBに限らず他の人から返報されるだろうという社会的期待)が大きな影響を与えると言われている(Ahn&Ostrom、2008)。

ところが、筆者の経験では少し様相が異なる。「利害関係のある同じ会社内だとどうしても本音で悩みを吐露することが難しい」と感じているビジネスパーソンは実に多いのだ。事実、様々な業界・企業のビジネスパーソンが“生徒”として集まる「非日常的な場」において、誰にも言えない本音が、何かのきっかけで堰を切ったように吐露されていくという現象を、講師として何度も目撃してきた。

この物語の主人公、押川の場合、常に自分が1番であるという強固な自信、自分が中心でありたいという強い自己顕示欲を持った人物であった。それ故に、組織内のメンバーとの信頼関係や互酬性規範はなどについては、ほとんど意識してこなかった。そのため、初めての大きな挫折にどう対処してよいのか、自分で解を見つけることができず、相談できる同僚もなく、ひとりで悩んでいたのである。

そんな彼に救いの手を差し伸べてくれたのがクラスメートの塩浜だった。押川は後に、「塩浜さんというメンターは、あの時の自分にとって、何物にも代えがたい極めて重要な存在だった」と振り返っている。

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