モーターサイクル・ダイアリーズ —キャリアを考える 

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キャリアとは

こんにちは。林恭子です。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

先日、電車の中で、スーツ姿のビジネスパーソンが「キャリアセミナー」と書かれたパンフレットを熱心に読んでいました。ふと目を上げると、雑誌の吊り広告にも、「キャリア」という文字が。

今日は、そんな「キャリア」について、考えてみたいと思います。

キャリア。何気なく、良く口にする言葉ですよね。では、キャリアとは、一体何でしょうか?

「私のキャリアは……」とか、よく使いますよね。その場合は、どうも職業のことを指しているようです。また、キャリア官僚とか、ノンキャリ、なんて言いますが、この時は、何か威信の高い特定の役割を呼んでいるようです。大学のキャリアオフィスは、進路相談をする場所。キャリアアップといえば(こういう英語はないそうですが)、出世すること。……色々な使われ方をしているようですね。

キャリアの語源をさかのぼると、ラテン語のcurrus、「馬車」や、curraria、「馬車道」という言葉にたどり着きます。現在のような、雇用と結びついた使い方がなされるようになったのは19世紀になってからですが、careerを動詞にすると、「突っ走る、疾走する」という意味にもなります。

馬車は、そこに乗って手綱を引く人がいないと、どこかへ向かって疾走することはできません。乗る人が、まっすぐ行ったり、右へ曲がったり、何らかの理由で方向を選んで馬車道を進んでいく。ふと後ろを振り返った時、遠くからずっと続いている車輪の跡が見える——。キャリアとは、馬車の手綱を引いてきた人にとっての、車輪の軌跡のようなものだと例えられたりします。

つまり大きく捉えると、キャリアは職業や役割という意味を示しながら、人生に重なるものとも考えられますね。MIT(マサチューセッツ工科大学)の大御所、E.シャイン教授も、キャリアを「生涯を通じての人間の生き方、表現の仕方」であるとしています。また、心理学者のA.G.ワッツも「これからのキャリアは仕事と学習を通して、生涯に渡って個人が前進していくこと」だと述べています。

そして人生の意味合いは、どこか旅とも通じていますね。

世界を見て、人と出会い、様々なものを味わい、感じ、経験し、その中でだんだんと、自分というものが分かってくる。そして自分が成長していく。今日、ご紹介する映画は、そんな、旅する人の物語です。

エルネストの旅

映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、2004年の作品です。製作総指揮は、優れた作品を世に送り出すことで定評のあるロバート・レッドフォード。主役を演じたガエル・ガルシア・ベルナルにとっては、その存在感を世界に示す素晴らしい作品となりました。

期末試験が終わるのを待ちわびて旅支度をしているのは、ブエノスアイレスに住む大学生、エルネスト。喘息もちだけれど、趣味はラグビー。負けず嫌いで生真面目な彼を友達はフーセル(激しい心)と呼びます。でも、良家のお嬢様、チチ—ナという恋人にはメロメロ。4人の兄弟と両親に愛されている、どこにでもいるような青年でした。

彼は、若さゆえに許されるこの時間を精一杯味わおうと、中古のおんぼろバイク、ポデローサ号を駆り、文字通り体一つで、友人アルベルトと旅に出ることにしたのです。

方法:行き当たりばったり。
目的:本でしか知らない、南米大陸を見ること。
最終到着地:1万キロ先の南米大陸の北端、ベネズエラのグアヒラ半島

それこそ、どこにでもある、23歳の大学生の青春のひとコマです。しかも、彼の目下の夢は、医大を卒業して医者になること。

一体誰が、そしてエルネスト自身が、想像できたでしょうか。

彼が、数年後に「チェ・ゲバラ」になり、伝説の革命家というキャリアを歩もうとは。一体どうして、彼は、そんな道を歩むことになったのでしょうか。

計画された偶発性

思えば、私たちは良く、「さあ、しっかり計画を立ててキャリアを考えなさい」とか、「あなたの適性を早く見極めて、進むべき進路を決めなさい」と言われて大人になってきたような気がします。小さな頃から譲れない夢や目標がある人には何の問題もないかも知れませんが、そうでない大方の人にとっては、真面目に考え始めると、「一体、自分は何がしたいんだろう。自分の天職って何なのだろう…」と、悩みの迷路に入り込んでいく、そんな経験に繋がったことでしょう。就職してからも、心のどこかで悩み続けいく、そんな人も少なくないはずです。

そんな私達に、スタンフォード大学の心理学者、J.D.クランボルツは、大胆なことを提案します。「わからないなら、早くから、キャリアに対する大きな意思決定をするのはおよしなさい。それよりも、心をオープンにして、良き偶然の出会いを捕まえて行きなさい」。その考えをPlanned Happenstance(プランド・ハップンスタンス)理論といいます。訳すと、「計画された偶発性」。え?どうして偶発性・偶然が計画されているの?そんなの、変じゃない?そう思う人も少なくないでしょう。

悶々と考え続けていても、性格テストを受けても、占いに頼っても、人には本当のところ、自分が何をしたいのかは、なかなか分からないものです。自分自身も変わります。周囲も変わっていきます。答えなんて、そもそも、ないのかもしれません。

でも、ある偶然の出会いや、偶然の出来事により、何か大事なものが私たちの人生にもたらされることが多いのも、事実です。

一つだけ確かなことは、じっとしていては、その偶然に出会う可能性さえ生まれないということです。また、同じような人生を歩んでいても、目をつぶっていては、耳をふさいでいては、心を閉ざしていては、素晴らしい偶然の出会いが今目の前にあるのに、それに気付くことすらできない。つまり、その人の生きるスタンスこそが、偶発性との遭遇の頻度や質を決めているのです。

「計画された偶発性」とは、様々な人、もの、出来事との良き出会いに自分が気付け、沢山の出会いを呼び込め、自分の人生に結び付けて行けるような、そういう生き方をしようということです。だからこそ、偶然は必然なのであり、魔法でも何でもありません。

クランボルツによると、そうした、良き偶発性を人生に呼び込むには、以下の五つが大切だとされます。それは、

「好奇心」:心に壁を作らず、自分の好奇心を広げていく
「持続性」:すぐにはあきらめず、ある程度納得するまでやってみる
「楽観性」:意に沿わないことが起こったとしても、好機と考える
「リスク・テイキング」:失敗はするものだと考え、何かを失う可能性より、新しく得られるものがあると考える
「柔軟性」:状況変化に伴い、一度意思決定したことでも、変えても良いと考える

つまりは、「自分の人生に積極的に関わろう」と行動する姿勢と、偶発性を前向きに見つけられる、オープンマインドを持つことを心がけなくてはならない、ということです。

では、エルネストはどうしていたのでしょう。彼の行動を振り返ってみましょう。

まず、彼は医者になるという目標に向けしっかり勉強をしていました。が、そのことに盲目的に取り組むのでなく、若き日に与えられた時間を使い、本の中でしか知らない南米の地をこの目で見ようという「好奇心」を大切にしました。また、「大好きな恋人を置いて旅にでると、もしかしたら彼女は待っていてくれないかも知れない」(結局そうなってしまう訳ですが)、という不安を抱きつつも、大学を休学し、恋人と離れるという「リスク」をとって、彼は、旅に出るという行動を起こします。

旅の途中、喘息の症状が悪化したり、テントが吹き飛ばされたり、ポデローサ号が故障したりと、思わぬ事態が続きます。それでもあきらめず、何とか旅を「持続」させるエルネスト。旅の計画はどんどんと遅れていきますが、それでもよしとする「柔軟性」も持っています。

とうとう動かなくなるポデローサ号を見ても、彼は「いいんだ、歩くほうが人々に出会えるよ」と、意に沿わないことも好機と考える「楽観性」を保っています。その言葉通り、修理を頼むための作戦をひねり出し、人々に助けられたり、叱られたり。バイクを鉄くずとして売ってからも、車の荷台に乗せてもらったり、泊まるところを世話してもらったりと、人との触れ合いのなかで様々な経験を重ねていくのです。

旅が与えてくれた、出会い

道中で出会う、様々な人と言葉を交わし、興味深く彼らの話を聞くエルネスト。

チリの銅山では、さすらう疲れきった夫婦と出会います。聞けば、彼らは共産主義者ゆえ、土地を取り上げられ、仕事を求め放浪を余儀なくされていると。「あなた達は、何のために旅をしているの?」。そう問われて、言葉につまるエルネスト。「…旅をするためです」「そう、幸運を祈るわ」。親しくなった彼らが、銅山の採掘所で、労働力として虫けらのように扱われる様子を見て、エルネストの胸に、何かがくすぶり始めます。

アンデスを進み、たどり着いた古都クスコでは、いにしえのインカ帝国の文化や、心優しい先住民との触れ合いを経験します。心を開いて彼らの話に耳を傾けると、またしても、占領者である地主に搾取されたり、買収された警察の横暴で土地や仕事を奪い取られたという話が続きます。

天空の都市遺跡、マチュピチュの姿に目を奪われた日、エルネストは思いを馳せます。このように素晴らしい文明は、一体、どこに消えてしまったのだろう。そして、なぜ、この国々が今、全く違う文化に覆い尽くされようとしているのだろう……。

沢山の出会いを通して、エルネストの中には、南米大陸という地、文明への畏敬、そこに住む人々への愛、そして支配や搾取、貧困という不条理への憤りという火が静かに燃え始めていました。

出会いがもたらす、気付き

エルネストは、この旅でまた一つ重要な出会いを呼び寄せます。リマにて訪ねた、ハンセン病の権威、ペッシェ博士を起点とする出会いです。

故郷ブエノスアイレスの医大で、エルネストはハンセン病について学んでおり、旅に出る前に、ペッシェ博士に訪問を願い出るという、積極的な行動をとります。

その結果、博士は2人を歓迎し、食べ物、着るもの、寝る所の他に、重要なものを与えてくれました。それは、思想です。「君達のように、高い理想と疑念を抱いている若者に、必要なものだよ」と、博士が渡してくれたのは、20世紀ペルーの政治思想家、「ラテン・アメリカ最初のマルクス主義者」と称されるマリアテギの本でした。「先住民の復権なくして、社会主義の実現はない。先住民達は、少数だからこそ、団結しなければならない」という思想との出会いが、この後、エルネストの人生に大きな方向性を与えていきます。

そして、もう一つの出会いは、博士の紹介で経験することとなる、ハンセン病の隔離施設でのボランティア生活でした。患者たちは、故郷や家族と引き離され、アマゾンの川沿いの地でひっそりと暮らしています。しかし、そこには、現実を受け入れ、穏やかに慎ましやかに暮らす人々、そして彼らを支える医師や看護士たちの、静かで温かなコミュニティがありました。

手術を拒む若い女性患者との会話を通じ、エルネストは自分の想いに気付いていきます。
「僕は、生まれつき肺が悪くてね、最初に憶えた言葉は、注射なんだ」
「だから医者になりたいと思ったの?」
「うん、そうかもしれない。人の役に立ちたい、と思ったんだね」
「そんなの無駄よ。」
「…人生は辛いよね…。でも、生きるために、闘い続けなければならないと思うんだ」
結局、彼女はエルネストに付き添われながら、辛い手術に立ち向かう決意をします。

世の中に見捨てられ、病と闘いながらも、小さな喜びを分かち合う患者たち。エルネストもアルベルトも、素手で彼らの手を握り、共に暮らし、サッカーを楽しんだりして、心を通わせていきます。社会的弱者である彼らも、ここで必死に、命の灯をともしているのです。だれがその尊い灯を踏みにじることができるでしょう。

健常者と患者たちの住まいを隔てる、大きなアマゾン河。エルネストは、無謀にも、誰も泳ぎ切ったことのないその河に飛び込み、死をとした必死の形相で、泳ぎます。その脳裏には、虐げられ、社会から隔離された先住民、患者たちの顔が浮かんでいたのだと思います。溺れかけながらも、患者たちの待つ岸へとたどり着いたエネルストには、その大きな河が、人々を様々に分断し、強いものが弱いものを虐げる、超えなくてはいけない「何か」に見えたのでしょう。

先住民か占領者か、患者か健常者か、どこの国の人かに関係なく、このコミュニティで一体となって生きるという経験に、エルネストは出会ったのです。

24歳の誕生日を祝ってもらった翌日、皆と抱きあい、別れを惜しみ、ボランティアへのお礼に進呈されたいかだに乗る、エルネストと親友。別れの寂しさに潤みながらも、診療所の人々に微笑み返すエルネストの瞳には、これまでにない、強い光が溢れていました。

後日、旅の到着地であり、盟友アルベルトとの別れの地ベネズエラで、エルネストはこう言います。「医者になって君と一緒に働けるかどうか、わからなくなった。旅の途中で、何かが変わったんだ。
今は、その答えを見つけたい。人々のために…」

ペッシェ博士に会いに行くというエルネストの一つの行動が、こうして、人生を変える重要な思想との出会いと、診療所の人々との出会いを呼びました。そして、ここまでの沢山の出会いが、「弱者を救いたい、搾取に苦しむこの南米の人々を一つに団結させたい、この世の中を変えたい」という、強い想いへと昇華していくことになったのです。

この5年後、29歳の時、エルネストは、チェ・ゲバラとしてキューバ革命を導くことになります。

心を開いて、自分の人生に積極的に関わる

しかし、それもこれも、彼が23歳のあの日、未知の世界への好奇心の赴くまま、バイクにまたがって旅に出なければ、無かったかも知れません。あの日、彼が心の声に耳を傾けなければ、普通に医師になってチチ—ナと結婚し、今、私達はチェ・ゲバラを知ることもなかったかもしれないのです。

エルネストがこの旅について綴った言葉をご紹介しましょう。

「これは、偉業の物語ではない。同じ大志と夢を持った二つの人生が、しばし併走した物語である。
僕らの視野は狭く、偏りすぎていただろうか。僕らの結論は頑なすぎただろうか。
そうかもしれない。
南米放浪の旅は、想像以上に僕を変えた。僕は、少なくとも、もう昔の僕ではなくなっていた」

あなたは今、何かを躊躇していませんか?

それがどこに通じているのか、はっきりわからなかったとしてもいいのです。何か一つの些細なこともでもいい、始めてみましょう。もたらされた機会に、乗ってみましょう。行動を起こすことによって、何かに出会い、何かを見つける可能性が生まれる。新しいあなたと出会えるかもしれません。

こだわりを持つことは、素晴らしいことです。でも、「天職」を考えすぎたり、何かに固執し過ぎて、かえって動けなくなってしまうこともあるのではないでしょうか。自分のまだ見ぬ才能や、新しい自分との出会いの門を閉ざしてしまうのは、とても勿体無いことです。

キャリアのゴールは、唯一無二の答えを見つけることではありません。人生という旅を通じ、生涯、学習し、発達し、成長し続けていくことなのです。

深呼吸をして、肩の力を抜いて、心を開いてください。そして、あなたに訪れる様々な機会に、そして自分自身に、イエスと言ってみてください。きっと素晴らしい、味わい深いキャリアが、あなたの馬車の後ろに続いているはずです。

次回は、ニコラス・ケイジ扮するウォール街のエリートがもう一つの人生を体験するファンタジー「天使のくれた時間」を題材に、「ワークライフバランス」を考えます。

※著者の林氏や岩瀬大輔氏が計画された偶発性キャリアのススメについて語りあった模様はこちら
→計画された偶発性キャリアのススメ(あすか会議)

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