じつは、金利はゼロ以下に下げられる!? ―金融政策の拡張可能性 

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「金融政策は経済学的に結構公平でスマートな方法だけど*1、景気対策としてはちょっとヨワいところもある。景気後退が深刻なときには、多少不公平になるかもしれないけど実行力を伴う財政政策がやっぱり必要になる*2、ということはわかりましたが」

経済学部に進学する新入生のケンジは、前回までの研究員たちの議論を頭のなかで整理しながら疑問を投げかける。

「政策金利を下げられるだけ下げちゃったら*3、じゃあもう、金融政策の出番はないんでしょうか?」

ケンジのスポンジのような吸収力に感心しながら、レクチャー役を主任から押し付けられている末席研究員は答える。

「ないといえばないかもしれないし、あるといえばあるといえる」

おお、まるで仏教の「空」の概念のようじゃないか。甥に嫌われたくないばかりにレクチャー役を末席に押し付けた主任研究員の嶋野は、末席の問答にしきりに感心しているが、肝心のケンジはといえば、煙にまかれたような表情で、納得のいかなさを隠しきれていない。

両者を気にせずに、末席は続ける。

「それだと答えになっていないんじゃないの?とケンジくんは思ったかもしれませんね。ただ、現在進行形で実際に研究者の間で繰り広げられていることを要約すると、ほんとにこんな感じなんですよ*4」

えーっ、ただでさえ面倒そうな経済学をこれから4年もかけて学んだとして、得られる結論がそれって、なんだかすごいモチベーション下がるんですけど、と言いたげなケンジの表情を見て、束の間の瞑想の境地から復帰した嶋野がすかさずフォローする。

「つまり、その意味で、その要約はある種の現実を物語っているといえなくもない。ただ、それにはそれぞれの立場からのそれなりの理由もあるんだよ・・・」

モヤモヤした言い方に、オトナの事情を嗅ぎとったジェームス・ディーンのような気持ちになりながら、ケンジは訊ねる。

「それぞれの立場ってどういう人で、どういう理由があるっていうんですか。だって、(金融政策を行う)中央銀行はひとつしかないわけですよね」

甥をこれ以上、不機嫌にしたくない嶋野は、深入りを避けたいというように末席をチラチラと見ている。浮世離れしている主任にも煩悩があることに逆に安堵を覚えながら、末席はその期待に応えるべく口を開く。

「じゃあ、ケンジくん。自身が中央銀行のエラい人だとして、政策金利をゼロにしました、経済の調子が戻りません、となったときに、ケンジくんはどうしますか?」

「えーっ・・・。どうしよう・・・。たしかに、景気の調子が悪いときには、世の中的にお金を借りやすくすることが必要で、そのもとになる金利をほとんどゼロにしても借りる人が多くならないっていうんだったら、前回の話と重なりますけど、財政政策でやってもらうしかないんじゃないですか」

「じゃあ、ケンジ審議委員*5の意見は、金融当局として、我々はもうなんにも打つ手ない、という結論でよろしいでしょうか?」
末席はニヤニヤしながらも決断を迫る。

芝居がかったアプローチが気になりながらも、ケンジはさらに考える。

「うーん、ボクだって、景気が元気ないのを見て、手をこまぬいているしかないのは心苦しいですよ。でも、もう選択肢がないのであれば、黙って見ているしかないじゃないですか」

頷きながら末席は再度、小括する。
「ケンジくんのせいではないし、ケンジくんがサボっているわけでもないし、ケンジくんも何も出来ないことが心苦しい、ということでよろしいでしょうか?」

もうゆっくりと頷くしかないケンジに、ケンジ対検事のような緊迫感だな、などと邪念を想起しながら、嶋野はゴクリと喉を鳴らしながら二人のやりとりを見守っている。

末席は、一気に緊張をゆるめるように、笑顔で言う。
「いまのケンジくんの意見が、『ないといえばない』という立場なんですよ!」

ケンジはホッとしながら、末席の次の言葉を待った。

「ただ、もしやれることはもっとあるとしたら、ケンジくんはどうします?」

「やりますよ、やりたいです。それでもしみんながハッピーになるのなら、それはそうです」
ケンジは乾いた雑巾を絞るような気持ちで、必死の表情で応える。

「おお、これはずいぶんと進歩的な審議委員ですこと。では、ここで断言しますが、経済学的な処方箋はあります。そして、それを選択しますか?」

もちろんじゃないですか、と言いたげなケンジは、すっかり中央銀行のエラい人のような気分になっている。
「はい。でもそれって、難しいんですか?」

待ってましたとばかりに、末席は応える。

「いや、そうでもないですよ。金利をもっと下げればいいだけなので」

「えーっ、でももう、金利、ゼロにまでしちゃってますよね・・・」
それをどうやって下げるの?と狼狽するケンジを見ながら、嶋野が口を開く。

「金利をマイナスにすればいい」

叔父とはいえ、大丈夫かな、この人は。ケンジは嶋野主任と距離をとりながら、途方に暮れている。

ケンジの様子を見ていた末席が笑いながら言う。
「金利をマイナスにする。そうですね。そして、その世界では、お金を借りたら、利息を払うどころか、お金が余分にもらえるわけです」

この人たち、ドラえもんの「もしもボックス」かなんかの見過ぎなんじゃないか。ケンジはすでに麹町経済研究所自体に疑いを持ち始めている。

悪ノリする意図はない嶋野が、素で末席の言に乗っかる。
「まあ、二乗すればマイナスになる数字もあるくらいだから、それにくらべればそんなに不思議でもない」

複素数の話を持ちだして、よけい話がややこしくなってしまっているな。これまでのやりとりを楽しみながらも、そろそろケンジくんからの疑惑の目も気になってきていた末席は、タネ明かしをはじめる。

「じつは、金利には『名目金利』*6と『実質金利』*7とがあるんですよ。名目金利はその名のとおり、いつもみんなが使っているそのまんまのレートです。実質金利は、インフレ率(一般物価)の影響を除いたものです」

「名目金利には、一般物価(インフレ率)の影響が入っちゃってる、ともいえる」

「通常、政策金利で言及されるのは、名目金利の水準です。これはマイナスにはなれない*8」

「ただ、実際の経済活動は、実質金利のほうに大きく影響を受ける、と言われています」

「実質金利は、インフレ率の影響を除いたものですね。これを数式で書くと[実質金利]=[名目金利]-[インフレ率]です」

「この実質金利のほうは、じつはマイナスにだってできるんです。さて、どうすればいいでしょうか?」

「金融当局が、名目金利をゼロ近くとかの低い水準にしておいて、インフレ率のほうをすこーし上げてあげればいいんですね!*9」

「これまで、『インフレ率を上げる』という方法論、アレルギーがあったんです。それにも理由があって、歴史上、中央銀行の大きな仕事のひとつが『インフレの抑制』だったからです。往時はそれ、たいへん手を焼いたようで、中央銀行からしたらもう『インフレ=天敵』という勢いだったんだと思います。実際、そう思ってしまっても無理もない経緯もありましたし*10」

「ただ、その軛(くびき)から解き放たれて、インフレ率アップ、ちょっとやってみてもいいんじゃないか、という一派が出てきたんですね*11」

「彼らは、それまで主流だった『名目金利をゼロまで下げても無理ならどうしようもない』という意見に対して、実質金利を下げる施策を打ったほうがいい、と主張したわけですね」

「名目金利がゼロ近辺になっても、金融緩和を続ける。あるいは一定水準の物価になるまで絶対にやると強く宣言して実行する。そうすると、ジワジワと一般物価が上がってきたりして*12、名目金利がたとえ変わらなくても実質金利の低下を感じ取った企業家や個人がおカネを借りて使うようになるかもしれない」

「それが、いわゆるQE(量的緩和による金融拡張)の基本的な考え方なんですね!」

ケンジはなぜか、治療薬が発見されていない感染症の防止に、その病原でもある血清(ワクチン)を身体に取り入れるという方法論があることを思い出していた。

*1:財政政策にくらべて、金融政策は経済主体に中立的に作用する。詳しくは第21回を参照
*2:金融政策にくらべて、財政政策は需要を直接的に喚起することができる。詳しくは第21回を参照
*3:政策金利の決定は中央銀行が行うが(日本銀行では政策委員会)、景気刺激対策としては一般的に金利を下げる。詳しくは第22回を参照。
*4:金融政策の効果をより限定的に見る立場と、より積極的にできることはある、という立場がある
*5:日本銀行の政策委員会は、正副総裁の3名に審議委員6名、計9名で構成される
*6:名目金利は、一般的にみんなが政策金利として使っているもの
*7:実質金利は、名目金利から物価水準の変動を除いたもの
*8:もしマイナス金利にできるとすれば、おカネを借りれば逆に利子をもらえることになってしまう
*9:名目金利が0近くで、物価水準がそれ以上のプラスの数字であれば、実質金利は0以下になる
*10:たとえば、1955年から1990年まで消費者物価の上昇幅は約5倍になったという計算もある。cf.三和総合研究所編 『30語でわかる日本経済』 日本経済新聞社
*11:これが、積極的な金融政策を支持する立場
*12:財の総量に対して、マネーサプライが相対的に大きくなっている状態。貨幣数量理論などを参照

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