じつは近代経済学は自由への偏愛から始まった!? ―古典派自由主義陣営の誕生 

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「モデルって、ただの単純化のようでいて、じつは奥深いものだったんですね」
甥のケンジはモデル(理念型)を使った考察というものに触れたのは初めてで、しきりに感心している。

「モデルっていうのは、本当に奥深いものなんだよ。現実社会というのは、ただそのまま眺めるだけでは何が因果関係となっているのかが非常にわかりにくい。というか特定するのには途方もない検証が必要とされるか、ほぼ絶望的だったりする。しかし、モデルを上手に作って因果関係を説明できれば、そのモデルのなかでは、原因と結果のメカニズムは明白に関連付けできる」

叔父の嶋野は、木製の飛行機のモデルをいじりながら続ける。
「あとは、それを現実のデータに当てはめて、だいたいそれっぽいのか、モデルに反する例が出てくるのかを検証していく。だいたいそれっぽいということがずっと続けば、そのモデルはいい線をいっているかもしれない(≒真実かもしれない)し、反例が出てくるようであれば、モデルをもう一度練り直すか、根本的にそのモデルを捨てなければならないかもしれない」*1

 

末席もフォローをする。
「モデルビルディングは、物理学や医学などで先行して使われだしました。ニュートン力学では、物体は点(質点)で体積がなく、また摩擦などは捨象する、と前提を置いて物体の運動の法則を説明したわけです。一見、乱暴ですよね、物体には体積がなく、空気抵抗といった摩擦を考えないなんて、逆になに考えてんだか!と思われたと思います」*2

ちょっとスベったかな、摩擦がないだけに、などと末席は余計なことを考えつつ続ける。
「医学においては、たとえば脚気(かっけ)はビタミンの不足で起こる症状だったのですが、過去には細菌、ウィルスなどを原因とする感染症と仮説を立て、延々とその原因菌を探していた人もいました。まあ、細菌が原因だとすると発症のプロセスが上手く説明ができたんでしょうね。ただ、やはり見つからなかったわけです、そのせいで脚気の患者さんは増え続けたとすれば、この仮説はできれば早めに捨て去るべきだったといえるでしょう」*3

ケンジは、今日の二人は一回分の説明がいつもより長いな、よっぽど経済学にとって重要なのかもしれないが、じつは、たんに相方につられているだけなのかもしれない、と仮説をいろいろ立てながら聞いている。

末席は、そんなシンキングタイム中のケンジに問いかける。
「ケンジくんは、経済学のモデルの中で、最も中心にある重要なモデルって、なんだと思いますか?」

*1: cf. 『論理の方法-社会科学のためのモデル』(小室直樹著)
*2: ニュートンは、ガリレオやケプラーなど先行する物理学者の洞察に数学的な表現を与えたと評価されている。’Principia Mathematica’,Isaac Newton,1687
*3: 軍医で医学博士でもあった文豪、森林太郎(鴎外)は、脚気は病原菌による感染症だという自説を曲げなかったという

「自由市場はハンパなく最高!」の自由主義、「アレってときもある」ケインズ主義

ケンジは突然のフリに驚いた。これが麹町経済研究所名物のムチャぶりというやつか。戸惑いながらも懸命に答える。
「えーと。。。やっぱり自由市場なんでしょうか。原理主義(市場原理主義)というものもあるみたいですので、なんとなく強そうですし・・・」*4
甥の活躍に感激を隠し切れない嶋野を気にせず、末席は続ける。
「なるほど。じつはそうなんですよ!自由市場はスゴい、というのが経済学の主流派のモデルです」*5

ケンジは疑い深そうに聞いてみる。
「それだけですか・・・?」

末席は待ってましたとばかりにそれに応じる。
「自由市場はスゴい、というところまでは、まあコンセンサスと言ってもいいでしょうね。しかも歴史的に十分実証に耐えているといっていいでしょう」*6

ソ連崩壊とかそういうことかな、とケンジは生まれる前の歴史的重大事件をぼんやりとアタマのなかで参照してみる。末席は続ける。

「ただ、『自由市場はハンパないくらい最高!』なのか、『自由市場はスゴいけど、アレってときもある』という感じなのか、立場が分かれる、ということはありますね」*7

ケンジは、その違いがどこまで重要なのかがいまいちわかっていない。嶋野は助け舟を出すように説明をはじめる。
「『自由市場は素晴らしい』ということを現実的にもそうだと完全に信じる一派を、さっきケンジくんが言ってた市場原理主義と呼んだりもするんだよ。逆に『自由市場は素晴らしいけど、現実はもう少し複雑だから慎重に』という立場もある。ただ使っているモデルはほとんど一緒で、現実に適用して考えるときにその解釈が違ってくるということは往々にしてある」*8

ケンジは自分の解釈で質問を返してみる。
「原理主義者は、モデルのことが好きすぎるってこと?」

嶋野は笑って答える。
「現実がモデルのようであってほしいと思っているかもしれないね。まるでレゴ好きが、レゴで作った街並みに住んでみたいとうっとりしてしまうように」*9

末席は嶋野がレゴで遊んでいる姿を思い浮かべながら、笑いをこらえて応じる。
「そうかもしれませんね。ただ、そのモデルの適用によって、経済学が発展してきたことには疑いの余地はないでしょうね。多くの人はとてもハッピーになりました」*10

ハッピーエンドのストーリーが好きなケンジは、続きを楽しそうに待っている。

*4: 「原理主義」の定義に関しては、『日本人のための宗教原論-あなたを宗教はどう助けてくれるのか』(小室直樹著)を参照。ちなみにいわゆる「過激派」との意味の違いがわかります
*5: アダム・スミスから始まる英国古典派経済学を源流とする系譜
*6: たとえばマルクス経済学は近代経済学の克服を目指したが、実証的にも(旧東欧経済圏の顛末など)、理論的にも(森嶋通夫博士によるマルクス経済学の数理モデル化)、結局はそれを凌ぐことはできなかった
*7: ざっくりと言えば、前者は「自由主義((新)古典派)」、後者は「(新)ケインズ主義」という立場となる
*8: いわゆる一般均衡理論やDSGE(動学的確率的一般均衡理論)など。ただ、ケインズやヴィクセルはそもそも一般均衡理論を否定しているという意見もある
*9: レゴは、組み合わせることで多様なモデルを作ることができる玩具的な樹脂製ブロック
*10: 資本主義経済は始まって300年にも満たないが、人類史上で蓄積された量をはるかにしのぐ富を産出したといわれている

消しゴム付き鉛筆を100円で買えるのもじつは「神の見えざる手の恩恵」だった

「まず、ケンジくんが暮らしていくときに、市場でモノを買わないで、自給自足で暮らすとしたら、どうなるでしょうか」*11

「えー、僕は服も作れないし、靴も作れない・・・。どうしよう・・・」

末席は思考実験が上手く行っていることを確認しながら続ける。
「それは私もそうですよ。ここに持っている消しゴム付きの鉛筆一本だって、芯はブラジル産、木の軸はアメリカ産、金属はオーストラリア産、消しゴムはインドネシア産です、これ一本作るだけでも途方もない労力がいりますよね」*12

「それはさっき、そこの文具屋さんで100円で買ってきたヤツだね」
嶋野は合いの手を入れることを忘れない。

「そうです。市場による交換がない自給自足の世界から見たら、これが100円で手に入るって奇跡的なことじゃないですか?ケンジくんがアルバイトを10分もすれば買えるのですから」

「うーん・・・、たしかに、そうかも」
ケンジは、なんかワルい人に引っかかってしまった人のように、ぎこちなく頷く。

「それが奇跡だと思えるならば、市場の交換のパワーによる恩寵なんですよ。得意な人が自由に得意なことをやって、その材料を必要な分だけ取引して、さらにそれを組み合わせて商品として売って、マネーを持っている人に届く。それは、奇跡的なぐらいリーズナブルなプライスで実現する。これがざっくり言うところの自由市場のパワーの全貌です」*13

これは納得せざるをえないかな、ケンジは同意して答える。
「じゃあ、たとえば、クルマは3万点くらいの部品が組み合わせられているらしいですが、それが200万円ぽっちというのは、破格なんですね!」

数日前まで甥にクルマをねだられていた嶋野は動揺して、思わず末席を見る。末席は、まあまあ見てなさいよ、というように続ける。
「まさに奇跡ですよね、どれだけの人が関わっているかわからないほどの集大成ですよ。ただ、やはりそれだけ複雑な完成物は、それに関わった人たちレベルの仕事をした人が一生懸命働いて得られた収入から、なんとか出せる程度には高価になるんでしょうかね。そうでなければ、クルマ関連のお仕事の人たちは食べていけないかもしれない。食べていける程度の市場価格になる傾向にある、というのはやはり自由市場のスゴいところなわけです!」

ケンジは、なんとなく“言い得”を期待しただけだったので、あきらめも早い。
「もちろん、なんの取り柄もない僕には、高価すぎますね。こういうことも市場の働きで納得できてしまうんですね」

末席は良い生徒を持った先生というのはこのような気持ちなのだろうか、と思いながら言った。
「自由市場を経由した市場価格というのは、かなり真っ当なプライスになります。なぜなら、高すぎると(代替品に流れたりして)売れないですし、安すぎるとライバルが多くなり、結局、より高めに落ち着きます。それで関係者がとてもやっていけない商品であれば、早晩、市場からなくなるでしょう。でも、彼らだって、こんどは市場で有望そうな商品に取り組むことで、今まで以上に上手くやっていけるかもしれませんし、それは消費者にとってもいいものである可能性は高いでしょう、プライスが高くてもほしいものなのですから」*14
ケンジは念を押して言った。
「自由市場でなければ、それはやっぱり上手くいかないんですか?」

末席は、一呼吸を置いて、ニッコリと答えた。
「友人たち何人かで一緒に、無人島に行って暮らしてみるとわかるかもしれませんよ!」*15

そういえばそんなTV番組、あった気がする。あれは経済実験の番組だったのか。それはともかく、自分はサバイバルしていく自信もないよ・・・。そう嘆息するケンジを見ながら、経済学のパワーを自身も再確認する末席であった。(つづく)

*11: 市場がない状況のモデルケース
*12: 産地が多様なのは、世界的な分業が自由市場によって可能になっていることを示す
*13: アダム・スミス的に言うところの、いわゆる「神の見えざる手」による恩恵
*14: アダム・スミスの「自然価格」、アルフレッド・マーシャルの「正常価格」の考え方などを参照。cf. 『経済学原理』(アルフレッド・マーシャル著)
*15: 貨幣の機能が失われた、少数者による物々交換のモデルケースで、市場はなくはないけれど、自由で効率的とは必ずしもいえない状態

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