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「ニッチ戦略」から考える -中堅フィットネスクラブのマーケティング担当・石川の悩み

投稿日:2013/02/22更新日:2019/07/25

本連載「ストーリーで学ぶ経営戦略シリーズ」では様々な立場の現場のマネジャーのストーリーを基点に、古今東西の優れた戦略論から彼・彼女らの仕事をより良くするヒントが得られるかを具体的に考えていきます。

ストーリー概要:

「こんなはずじゃなかった・・・」

毎月減少傾向にある顧客数を見るたびに、石川真奈美のため息の数は増えていった。石川は中堅フィットネスクラブ「ボディ・マネジメント」のマーケティング担当者である。

数年前に国内で義務付けられた健康保険組合による“メタボ検診”(特定健康診査・特定保健指導)の義務化の影響で、フィットネスクラブ業界には大きな追い風が吹いた。「メタボ」という言葉は一躍世の中に浸透し、メタボの該当者、およびその候補群はフィットネスクラブへの入会を急いだ。

そんな中において、ボディ・マネジメントは時流を見越した積極的な店舗展開を行い、顧客数の増加、およびシェア拡大に成功した。店舗拡大施策をマーケティング担当という立場で牽引した石川の評価は一気に上がり、社内においては「マーケティングの石川」という名前が知れ渡るようになっていた。

しかし、その勢いもつかの間のことだった。メタボ検診義務化の追い風はすぐに終わり、集まった顧客は波を引くように消えていった。ボディ・マネジメントでもかつてないペースで脱会者が相次いだ。この中で、大手プレイヤーは黙っていなかった。すぐさま危うくなった中小クラブに買収を仕掛けるとともに、インストラクターの強化やスタジオプログラムのラインナップ増強などを加速的に行っていた。そうした大手の大規模化の一方で、今までは当然だったジム、スタジオ、プールという“3種の神器”を持たないで参入する新しいタイプの競合も台頭してきた。彼らは、身軽さを武器に、小規模の店舗開発をローカルな立地に次々に行い、専業主婦や高齢者などの地元志向・コミュニティ欲求の強い顧客を奪っていった。

一連の環境変化の中において、気付けばボディ・マネジメントの顧客は減り続ける一方だった。

「マーケティングの石川」の異名を取った立場としては、この状況を看過できるはずはなかった。もちろん、彼女には策がないわけではない。ボディ・マネジメントとしての課題は、方向が絞りきれていないことであった。この中で大規模化を加速するリーダー企業と戦っても勝ち目はない。であるならば、「ニッチ戦略」を志すべきだというのが石川の出した結論だった。つまり、総花的に全てを相手にすることは諦め、これからは徹底的に顧客を絞り込み、ターゲットを明確にすることから始めるべきだと考えていた。

メタボ検診の結果、基準に達することが出来なかった健康保険組合に対して罰則が加わる、というのは、一つの材料だった。石川の頭には、「メタボ傾向にある中年男性」に顧客を絞りサービスを展開するべきだ、ということがイメージとして固まりつつあった。

理論の概説:戦略の4類型について

「ニッチ戦略」「ニッチャー」という言葉は、ビジネスをしている中でよく聞かれる言葉ではないでしょうか。

ニッチという言葉の意味が「すきま」ということにあるように、多くの場合、「特定のセグメントに絞った戦い方」という文脈で使われています。当然それは一面として正しいのですが、ニッチ戦略というものを真剣に考えるためには、もう一段、セオリーに対する理解が必要となります。

そこで、まずニッチ戦略を理解するために、今回は、それ以外の戦略も含めた全体像から紐解いていきましょう。

コトラーのマーケティング戦略の4類型

まず、ニッチ戦略ということを理解する上で大事なコンセプトは、コトラーの『マーケティング・マネジメント』に書かれている「マーケティング戦略の4類型」になります。ニッチ戦略というのは、その中の1つとして位置付けられています。

具体的には、コトラーは、市場の中における立ち位置に応じて企業を大きくリーダー、チャレンジャー、ニッチャー、フォロワーという4つのカテゴリーに分け、それぞれの立ち位置に応じた戦略の定石がある、と定義しました。同書では、それぞれの立ち位置の定義を以下のように記しています。

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また、この定義を概念的に表現すると、以下のような整理となります。

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ではこれを具体的な事例で考えてみましょう。たとえば、国内コンビニエンス業界で考えてみると、リーダーは業界内でシェア1位であるセブン-イレブンになります。そして、チャレンジャーはローソン、ファミリーマートなどが該当するものと思われます。ニッチャーに位置付けられるのはたとえば北海道中心に店舗を出すセイコーマートや、女性や健康というコンセプトに特化したナチュラルローソンなどが該当し、フォロワーはそれ以外の多くのコンビニになるでしょう。

慶大・嶋口充輝氏の4類型

また、慶應義塾大学名誉教授の嶋口充輝氏は、企業の有する経営資源に着目し、経営資源の「量(例えば人材の数、供給力、資金力等)」と「質(ブランドイメージ、品質、ノウハウ、技術水準)」の2軸のマトリクスで、以下のように4類型を表現しています。

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この嶋口氏の4類型は、コトラーの類型の前提にあるのがマーケットシェアという「ポジション」であるのに対し、経営資源という「リソース」を前提にしているという違いがあります。ただ、何に着目するのか、という点での相違はあるものの、本質的には同じことを述べています。

それぞれの戦い方の定石

さて、この4類型については、ここからが本番です。この言葉の定義までで理解が止まってしまっている方も多いのですが、残念ながらこのような分類方法を知っていたところでほとんど実務的な意味はなしません。他の業界をこのような類型で当てはめてみるのは確かに分かりやすいし腹落ちもしますが、日々の我々のビジネスを目の前に考えると、「だからどうした?」となってしまうでしょう。

大事なのは、ポジションに応じて、それぞれ戦い方の定石がある、ということです。つまり、それぞれのポジションには、「一般的にはこういう戦い方をした方がいい」、もしくは「こういう戦い方をする傾向にある」というパターンが存在します。以下が、その定石になります。

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ここに書かれていることは、一見すると分かりにくく思えるかもしれませんが、本質的には至極当たり前のことしか言っていません。

たとえば「リーダー」の戦略定石を見てみましょう。既存市場が拡大すれば、一番その恩恵を受けるのは、リソースを豊富に抱えるリーダー企業になります。逆に、市場全体が縮小すれば、その縮小のインパクトを大きく受けるのもリーダー企業です。したがって、リーダー企業はまずはいかに市場を維持し、そして拡大する、ということに着目する必要があります。日本の自動車市場においては、若者のクルマ離れと言われて久しいですが、数多くの自動車メーカーの中で最も若者のクルマへのニーズを開拓しようとしているのが国内リーダーであるトヨタであるというのも、定石に沿った戦略であると言えるでしょう。

「チャレンジャー」も、リーダーにチャレンジする以上は、リーダーが真似できない、もしくは真似したくないことをしない限りは、リーダーの定石である「同質化」戦略によって簡単にその果実を奪われてしまいます。大塚製薬が開拓した「ポカリスエット」というスポーツ飲料市場に対して、リーダー企業であるコカ・コーラが「アクエリアス」という商品によって同質化を図り、一気にシェア1位を奪ったのは有名な話です。したがって、リーダーに対して攻撃を仕掛けるのであれば、同質化を前提において、それ以上の差別化を考えなくてはなりません。このあたりの議論は『逆転の競争戦略―競合企業の強みを弱みに変える』(山田英夫・著)に詳しいので、基礎的な知識として押さえておいていただければと思います(ここでは紙面の関係で割愛します)。

理論の概説:ニッチ戦略(ニッチャー)の作り方について

さて、ここまではいわゆる戦略の4類型を簡単に振り返ってきましたが、その上でここからは今回の主題である「ニッチ戦略」にフォーカスをおいて考えてみましょう。

まず、ニッチ戦略とは、上記の通り、大手が入れない、もしくは大手にとってあまり魅力的には思えないほどの狭い市場で戦う戦略です。そして、狭いながらも深く掘り下げることで、特定のセグメントの顧客からは圧倒的な支持を得て、高い利益率の実現を目指します。

ただ、気付けば素晴らしいニッチ戦略が出来上がっていた、ということは起きえません。意図を持って組み立てていくことが重要です。そこで、ここからは、どうやったらニッチ戦略が組み立てられるのか、ということについて考えを深めていきたいと思います。

ニッチ戦略の組み立て方は、大きく分けて、以下3つのステップから構成されます。

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ステップごとに見ていきましょう。

1.土俵の可能性を洗い出す

まずはどの“土俵”で戦うのか、ということを考えるにあたり、戦うべき土俵そのものの可能性を考え抜くことが重要です。その可能性を考える上で必要な視点をご紹介したいと思います。それは、「誰に」「何を」「どこで」「いつ」「どのように」という5つのポイントから土俵の可能性を探るというアプローチです。

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(1) 「顧客属性」に基づき土俵を絞る ―「誰に」の視点から考える
ここは一番イメージしやすいオーソドックスな絞り方だと思います。マーケティングの基本的なアプローチである「セグメンテーション」(顧客の層別)→「ターゲティング」(顧客の絞り込み)という概念と同じです。我々の身の回りを見渡しても、「誰に」を意識したニッチなプロダクト、サービスはたくさんあります。

独身男性をターゲットに絞った家電品、左利き専用の通販サイト、金融機関勤務者限定の転職支援サービス、工事現場従事者に絞った工事現場用デジタルカメラなど、考えればきりがありません。まずはこの「誰に」という観点から絞り込みを考える、というのは一つの王道です。

(2) 「提供価値」に基づき土俵を絞る ―「何を」の視点から考える
先ほど視点を「誰を」をという顧客軸に起いて考えたのに対し、「何を」というのは、提供価値を限定することによって土俵を定義するものです。「これしかやらない」が、「そこであれば誰にも負けない」というフィールドを作る、ということです。

たとえば、普通に書店をやっていては負けてしまうので、アート系しか扱わないことで存在意義を出すものや、手広くコンサルティングをするのではなく、企業・事業再生だけに特化したコンサルティングサービスなどの例があがるでしょう。

(3) 「提供範囲」に基づき土俵を絞る ―「どこで」の視点から考える
提供範囲、すなわち提供する場所を限定することで土俵を定義する考え方です。 たとえば、高速道路のパーキングエリア内で人気のベーカリーなどはその典型例でしょう。商店街など通常の場所に展開してしまうと競争力を維持するのは難しいですが、高速道路内、という限られた範囲ではニッチ市場として圧倒的な競争力を持つことができます。それ以外にも、大抵の観光地でのサービスは、現地以外の範囲では経験ができない、ということで、提供範囲限定型のニッチ戦略と言えるでしょう。

(4) 「タイミング」に基づき土俵を絞る ―「いつ」の視点から考える
提供するタイミングや使用するタイミングに着目して、土俵を定義する考え方です。 たとえば、一時期ヒットした朝専用の缶コーヒーなどはこれに該当するでしょう。いつでも飲むことを前提としたコーヒーではなく、敢えてタイミングを限定した形で打ち出すことにより、競争を限定的にした事例です。もしくは、ライブの際にしか販売しない限定グッズなども、タイミングを限定することによって競争力を発揮する商品の典型例でしょう。

(5) 「提供方法」に基づき土俵を絞る ―「どのように」の視点から考える
様々な提供方法がある中でも、敢えて限定的な提供方法に絞る、というアプローチです。 たとえば有機野菜をネットで販売する、というオイシックスのビジネスは、野菜販売全体を考えた時、その提供方法においても土俵を絞って戦っている例になります。

ということで、いくつか「絞る」ための軸を見てきましたが、大事なことは、市場を限定的にすることによって競争のルールを意図的に“ずらす”ということです。我々はどうしても、市場を大きくざっくりと固定的な概念に基づいて括る傾向があります。ただ、固定概念に基づいた市場というのは、普通はその競争ルールを作った本人である大手企業が幅を利かせている訳です。その仕切りに乗ってニッチャーが勝てることはありません。

もしくは、「絞る」と言っても、メディアでよく聞くようなキーワードに基づくのであれば、それも怪しいと見た方がいいでしょう。例えば、「高齢者市場」というようなキーワードはもはやニッチャーが戦うフィールドではなくなってきています。絞るための切り口は無限にあります。まずは自らの可能性を開拓すべく、このフェーズで頭を使ってみましょう。

※なお、上記の5つの視点は、厳密にはそれぞれ重なり合う部分があります。たとえば、提供価値を絞り込むということは、それに反応する顧客を絞り込む、ということと同義になる場合もあります。この視点はあくまでも可能性を広げるためのツールになりますので、重複などを気にすることなく考えていただければと思います。

※参考までに、かのドラッカーは『イノベーションと企業家精神』
において、ニッチ戦略には「関所戦略」「専門技術戦略」「専門市場戦略」の3つの戦い方があると整理しています。これも、上記の5つの視点で分析した結果の戦い方と類似しています。紙面の関係で紹介はできませんが、気になる方はご一読ください。

2.軸をもとに土俵を絞り込む

さて、最初のステップ(1.土俵の可能性を洗い出す)では視点を広げ、可能性を考えてみましたが、もっと重要なのは、それをどういう観点で絞り込むか、という点です。ここでは、土俵を定義する上で重要な視点をご紹介したいと思います。

(1) 市場の魅力度×競争優位性の2軸で見る
まず、非常にオーソドックスでありながら、実用性の高いツールをご紹介します。それは、「市場の魅力度」と「競争優位性構築の可能性」という2つの視点で判断する、というものです。

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つまり、おいしそうな市場であり、勝てそうな市場を選べ、ということです。冷静に考えれば当たり前の話ですが、この視点が現場で威力を発揮する理由は、実際の意思決定の場面ではどちらか片方の軸の引力に強力に引っ張られてしまうからです。市場の魅力度に目がくらんで自社が勝てない土俵で無謀にも勝負してしまうようなケースや、自社のリソースが使えそうという観点だけに引っ張られて、まったく伸びない土俵に飛び込んでいってしまうケースは少なからずあります。だからこそ、まず土俵の定義の際は、この2軸を頭の中に入れて考えるのがいいでしょう。

(2) ビジョナリー・カンパニー2の「ハリネズミの概念」から考える

米国の経営学者ジェームズ・C・コリンズは、偉大な業績へと飛躍し、その業績を15年以上も維持し続けられた企業の調査から、共通する7つの経営定石を抽出し、『ビジョナリー・カンパニー2-飛躍の法則』に著しました。

そのうちの1つの原理として、「ハリネズミの概念」というものがあります。この書籍における「ハリネズミの概念」の本質は、「物事をシンプルに捉えて、一点に絞る」ということです。そして、その絞り方として重要なのは、「情熱を持って取り組めるか」「経済的原動力になるか」そして「自社が世界一になれるか」という3つの視点です。偉大な企業は、例に漏れることなく、その3つの視点が重なるところにフォーカスを定めている、とコリンズは述べています。

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お気づきの通り、この整理も、先ほどの「市場の魅力度×競争優位性」の視点と本質的なところで似たようなことを言っています。ただし、先ほどのよりも、もっとストレートかつ具体的にその概念を表現しています。

特に、「自社が世界一になれるか」という点は、ニッチャーにとって極めて重要な問いになります。この意味は、「今儲かっているか?」とか「今勝てそうか?」というレベルではなく、「その分野を突き詰めれば、果たして本当に世界一になれる可能性が見いだせるのか?」という問いです。裏を返せば、今短期的に収益を上げていたとしても、もしその分野で1位になる見込みがないのだとすれば、見切りをつけるべき、という厳しい覚悟が必要だということを示しています。我々は目に見える短期的成果に引っ張られる傾向があります。それが業績評価や人事異動に関係してくれば尚更です。敢えて「自社が世界一になる」という視点を無視して、目の前の果実を取りに行きがちです。そして、結果的にはその判断がニッチャーとしての可能性を摘んでしまうことは多いのです。だからこそ、この3つの視点は意識しておくべきなのではないかと思います。

そして、この「ハリネズミの概念」はもう1つ大事なことを示しています。「世界一になる」というのはあくまでも比喩、もしくは心意気ではありますが、本当のニッチャーになるためには、「狭い商圏で、それなりに高い利益率をあげて細々と生き残る」、という目線では成立しません。なぜならば、この手のニッチャーは、すぐに成長限界の壁にたどりついた結果、成長意欲がなくなり、停滞状態になるからです。先の嶋口氏のフレームワークで言えば、もはやそれはニッチャーと呼ぶのはふさわしくなく、「リソース量は小さく、質は低い」、という観点で、単に狭い商圏で生き残るフォロワーでしかなくなります。

以上のとおり、土俵の絞り方として、「市場の魅力度×競争優位性」と「ハリネズミの概念」の2つの視点をご紹介しましたが、これらの視点を通じて、自ら土俵を絞り込んでみてください。

3. 実行体制を作る

「1.土俵の可能性を洗い出す」「2.軸をもとに土俵を絞り込む」に続き、最後に大事なのが、実行体制を整える、ということです。どの戦略においてもそうですが、この土俵で絞る、ということに決めても、実行体制が整わない限りは、全ては絵に描いた餅になってしまいます。

では、実行体制というものをどのように判断したらよいのでしょうか?ここでは、ハーバード・ビジネス・スクール教授のクレイトン・クリステンセンが『イノベーションのジレンマ-技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』において示した、組織能力を見極めるための3つの軸である「資源」「プロセス」「価値基準」という3点から、ニッチ戦略に即した実行体制のあり方を考えてみたいと思います。

※クリステンセンは『イノベーションのジレンマ-技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』において、「組織に出来ることと出来ないことは、資源(人材・設備・技術・ブランド力等)、プロセス(コミュニケーション方法、商品開発プロセス、生産プロセス等)、価値基準(ビジネスの優先順位を決める基準)の3つの要因によって決まる」と定義しています。裏を返せば、この3つが戦略と連携していれば、戦略の実現につながる可能性は高まる、ということでもあります。なお本書については、本コラム第2回「クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』で読み解く法人向け英会話スクールの営業担当・安田の悩み」に詳しく記載していますので、ご参照ください。

(1) 資源:一点集中でリソース配分を行う
どの土俵に絞り込むか、ということを決めたら、それに合わせたリソース配分をしなくてはなりません。簡単にいえば、「余計なところにリソースは張らない」ということです。「そんなことはニッチだから当たり前」と思われるかもしれませんが、現実的にはそれほど簡単なことではありません。それ以外にリソースを張らない、ということは、他の可能性を捨てる、ということでもあります。絞った先には実際にやってみたら市場がないかもしれません。

そして、絞った場所以外のところに宝が眠っている可能性もあるのです。絞り込もうとしたその瞬間に「アート系だけではなく、一般的な書籍もそろえてほしい」というようなニーズをささやいてくる顧客もいます。売上拡大を考えるならば、「普通の書籍も仕入れてもいいのではないのか」という思いに駆られるでしょう。しかし、そのように他にもリスクヘッジをすることによって、組織が複雑になります。ニッチが勝つためには、組織をシンプルにしなくては勝てません。シンプルな組織は、ニッチ戦略の大前提です。いろいろ可能性がある中でも、覚悟を決めたリソース配分ができるかが問われます。

(2) プロセス:スピードを高める
当然ながら、リソースの張り方を絞れば絞るほど、リスクが高まります。そのリスクヘッジのためにも、リソースをある程度分散させておいた方がいいのではないか、という考え方もあるでしょう。しかし、そのために、ニッチャーが心がけるべきことは、リソースを分散させることではなく、業務プロセスのスピードを高めることによって、リスクを回避する、ということしかありません。では、そのスピードということが意味することは何か?それを2つの側面に分けて説明します。

1つは、絞るべき市場や技術に対して、いかに素早く目利きをするか、という判断のスピードです。ダメならばさっさと見切りをつける。行けると見たら、すぐにリソースを集中させる。この判断のスピードがまずは重要になります。

もう1つは、絞った市場や技術の中で、いかに素早く学習を積んでいくか、というスピードです。絞った市場が魅力的であれば、当然ながら大手を含めた競合が参入してくる可能性が高まります。その前に、いかにしてその顧客や技術に対する理解を深めることができ、新たな製品やサービスを開発できるかが重要になります。そのためには、未知数の段階でもまずはスピードを優先して商品・サービスを市場に出し、そして顧客からの反応の中から本質を見抜き、そして必要な部分を新たな商品・サービスに反映させる、というサイクルを競合よりも早いスピードで回す必要があります。

電動バイク市場で国内1位のシェアを持つテラモーターズの徳重徹社長は自著『世界へ挑め!』に「どんなに情報を集め、計画の精度を上げたところで、社会の変化が激しい現代においては、それがその通りに行くかは実際にやってみなければわからない。それゆえ、6割でスタートして、それから状況を見ながら軌道修正していく方が理にかなっている。それに、人より一歩でも二歩でも早く始めれば、それだけ先に情報を手にすることができる」と書かれましたが、まさにそのとおりでしょう。リソースが限られるニッチャーが戦うためには、徹底的にスピードを上げない限りにおいては、体力やリソースを誇るリーダーやチャレンジャー企業と伍していくことはできないのです。

(3) 価値基準:判断基準をニッチ市場に合わせる
価値基準とは、組織内において、ビジネスの良し悪しを判断するためのモノサシです。たとえば、売上、粗利、販売数量、ROIなど、組織によって様々なモノサシがあると思います。ニッチ戦略を取るに当たって重要なのは、ニッチの事業を判断するのに即したモノサシで図るべき、ということです。

たとえば、大企業の中の一部門でニッチ戦略を取ろうと思っても、そのサイズの小ささによってネガティブな評価をされることは少なくありません。マス市場を相手に億円単位のビジネスをやる場合と、ニッチ相手に数百万円のビジネスをやる場合とでは、その判断基準となる単位は違って然るべきです。当然ながら規模で図っても意味がありませんので、一定範囲内の市場シェアや前年度成長率など適切なモノサシで判断すべきでしょう。しかし、全社戦略ベースではニッチの開拓を志しつつも、モノサシ自体がおろそかになってしまうこと、もしくは、その規模の小ささにもどかしくなってしまい、意図的にモノサシを統一して進めてしまうことが少なからずあります。

たとえば、以前、ユニクロの親会社であるファーストリテイリングが高品質な生鮮野菜を販売する事業に参入したことがありましたが、半年で撤退するという結果に終わったことがあります。その事業の失敗理由を、当時の同事業の責任者であった柚木氏(現ジーユー代表取締役社長)は、以下のよう振り返っています。「ファーストリテイリングには新規事業は5年で売上規模1000億円にする、というような、途方もない基準があって、SKIPを始めた際にも、良くも悪くも立派な会社となることを前提に大きな本部を作ってしまったり、投資をしていった、というところがありました。商材が1個100円のトマトというような規模感であったにも関わらず、です。」(柚木氏の発言より引用

これはまさに価値基準が事業サイズに合わせられなかった事例の一つかもしれません。ニッチ戦略を貫けば成長したビジネスも、マネジメントを意識するがあまりに無理に市場の拡大を試み、結果的に足を踏み外してしまうことはよく見られることです。もし、新規事業としてのニッチ戦略を考えるのであれば、どのモノサシで図るべきか、ということも併せて考えておくべきでしょう。

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解説:石川さんは何をすべきだったのか?

さて、ストーリーに戻りましょう。では、石川さんは何をすべきだったのでしょうか?

まずは改めて現状の課題を考えてみましょう。石川さんの発想は、敢えて厳しい言葉で評するならば、「ニッチ戦略ごっこ」、「エセ・ニッチ戦略」となる可能性が高いでしょう。お題目だけは「ニッチ戦略」ということを掲げているものの、ニッチの大前提となる「絞る」ということに対する覚悟が全くない、という状態です。

もちろん、彼女は「メタボ傾向にある中年男性に絞った」ということなのだと思いますし、このように「セグメンテーションを絞り、ターゲティングをしっかりしよう」という石川さんの投げかけ自体は決して悪いものではありません。しかし、そうであるならば、まずはリーダーが入って来るのを躊躇するくらいに絞らなくてはなりません。今の「メタボ傾向にある中年男性」というターゲットは、先述の「高齢者市場」と同等のバズワードに過ぎないでしょうし、この程度の市場の絞り方で言えば、大手は喜んで参入してくるでしょう。

さらに言うならば、セグメントを絞ったものを「ニッチ戦略」まで昇華させるためには、本当に「その市場は魅力的であり、勝てるのか?」という問いや、「その絞ったところで本当に1位になれるのか、その覚悟があるのか」、という問いに答えきらなくてはなりません。当然、その問いに答えるということは、実行体制も含めてより綿密な検討が必要になってくるでしょう。具体的には、いくつか細分化した問いに対する答えを考えておく必要があるでしょう。たとえば、

そのターゲットに向けて今までのリソースの延長線上で戦えるのか?
もし難しいとするならば、どのようなリソースが必要になってくるのか?
余ったリソースは活用していくのか、していかないのか?
そのマーケットで1位になるためには、誰がどのような情報を得て、どんなサイクルでサービス開発を進めていくべきなのか?
そしてその判断はどのような期間、スピード感でやるべきなのか?
ビジネスの評価は売上でやるのか、会員数でやるのか、それとも他の軸を定めるべきなのか?

少なくともそこまでのイメージをもって考えなくてはならないでしょう。単に「絞る」ということだけではなく、このような具体的な問いに対するイメージをもって、初めてニッチ戦略に対する議論が深まっていくのだと思います。

ちなみに、この事例のような「ニッチ戦略ごっこ」の話は規模の大きい企業の事業戦略でよくみられるパターンです。なぜならば、事業部レベルではニッチ戦略を目指すとは言え、根本のメンタリティは大企業であるために、リソースは潤沢にあると思っている。そして、絞るということの「リスク」に対しては敏感であるために、究極のところでは絞ることをためらう。結局、それなりにリソースを張り、中途半端な戦い方になってしまうのです。

ミドルリーダーへの示唆

さて、ここまで戦略の類型とニッチ戦略のあり方についてみてきましたが、ニッチ戦略を志す企業にとってのミドルリーダーは何を心がけるべきなのでしょうか。

まず、繰り返しになりますが、ニッチ戦略を取る以上は、「絞り込む」ということのリスクを十分認識しなくてはなりません。トップがそれを認識していなければ話になりませんが、多くの場合、現場を束ねるミドルリーダーがどれくらいその覚悟を持ってビジネスをやっているかが勝負を分けるポイントになります。

では、覚悟を持つということはどういうことでしょうか。それは、自分たちが定義した業界について、誰よりも理解を深め、その市場や顧客の変化の兆しには人一倍敏感となり、その市場にいる顧客のニーズを満たすためにとことんまで自分の能力を高めていく、ということです。もしイギリス英語の英会話で勝負するならば、イギリスやイギリス英語圏の国々についての周辺情報は誰よりも多く獲得していなければならず、そしてそのような国々が日本において今どのような立ち位置におり、今後それがどういう変化を見せようとしているのか、ということに対して目を光らせていないとならないでしょう。そして、自分自身もさることながら、現場の社員の意識、時間配分が、全て自分たちがターゲットとしている顧客に向いているか、余計なことに時間を割いていないか、ということを絶えず確認しておく必要もあります。それくらい、末端まで意識研ぎ澄まされて、能力レベルが尖っていないとならないのです。

そんな観点で考えると、ニッチャーを志している企業の真の実力を知るためには、ミドルリーダーの意識の向き方を確認するのが手っ取り早いです。トップは、その戦略を立案した当人として、その絞るべき方向や目的を熟知しているのは当たり前なのですが、ミドルリーダーがどれくらい「トップと同じレベルで語れるか」ということが重要になります。リーダーやチャレンジャー企業は、多少それがブレていても死活問題にはなりません。しかし、リソースの限られたニッチャーにとっては、その多少のブレが事業の生死を決めることにもなってくるのです。もし自社がニッチ戦略を取っているのであれば、ミドルリーダー自身の目線の高さや意識が戦略の成否を決める、という認識を強く持っておくべきでしょう。

そして、最後に申し上げたいのは、日本企業という視点での話です。

徐々にグローバル化していく市場の中で、グローバルレベルでリーダーというポジションを取っている日本企業はどれくらいいるのでしょうか?限られた日本市場の中のシェア争いで「リーダーだ」とか「チャレンジャーだ」といったところで、市場の垣根がなくなった瞬間、多くの企業は日本というグローバルに見ればシェア数%の超限定的市場で生存するニッチャーであることが少なくないのです。このことをもっとも極端に表す事例は、「ガラパゴス」と揶揄された日本の携帯電話メーカーの戦いになるでしょう。携帯電話市場では、日本企業は、全て限られた日本の顧客だけを相手にするニッチャーの中での順位争いに過ぎないのです。

そう考えるとするならば、ここで述べている全ての話は、多くの日本企業が考えなくてはならない戦い方でもあるのです。「うちはリーダーだから」と考えている方、それは本当でしょうか?全ては市場の定義次第でポジションは変わるのです。フリードマンの『フラット化する世界』を引用するまでもなく、市場定義自体は国境という垣根が下がりつつあります。

その土俵軸で考えた時、自分たちのポジションはどこに位置付けられるのか、という視点を常に持ち、ニッチャーとしての戦い方も正しく理解しておくべきタイミングではないかと思います。

■参考文献:
コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版
現代マーケティング (有斐閣Sシリーズ)
イノベーションと企業家精神―実践と原理
世界へ挑め!
逆転の競争戦略―競合企業の強みを弱みに変えるフレームワーク
ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき
フラット化する世界〔普及版〕上

■連載一覧はこちら
#ストーリーで学ぶ経営戦略シリーズ

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