じつは、経済学は常識はずれのサイエンス!? 

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「あのー、素朴な質問なんですけど・・・」

ケンジはいまさらながらなのですがというように、申し訳なさそうに言った。

「こう言うとなんですが、叔父さんと末席さん、お二人ってなんとなく変わった人ですよね」

叔父の嶋野主任は、ユニークだといわれることが研究者として誇らしい、といった表情をしている*1。一方、末席研究員は、いたいけな大学生に「変人」だと言われたことに、ショックを隠し切れないでいる。

ケンジは末席に申し訳なさそうにしながら、自身の質問を続ける。
「たとえば、『自由』と『平等』って、両方大事だと思うんですが、なぜお二人はそれぞれを極端にした意見を2つ作って、対立させようとするんですか。それってなんか、現実的ではない気もします」

この指摘には叔父の嶋野は大いに喜んだが、ケンジはなぜ叔父が喜んでいるのかわからない。やはり叔父はユニークすぎる、と思いながら、ケンジはショックから立ち直ろうともがいている末席に立ち直りの機会を提供すべく、返答を求めた。

「なるほど。フランスの三色旗にも謳われる『自由』『平等』『博愛』*2を引き合いに出すまでもなく、自由と平等はどちらもなくてはならないものですね。それをなぜ極端に先鋭化させて論じるのか、ということですね」

立ち直り気味の末席を見て、ケンジは嬉しそうにうなずいた。末席はなんとか先を続ける。

「ケンジくん、それはね、じつは、現実がフクザツすぎるからなんですよ」

ケンジのアタマのなかは、「?」でいっぱいになっている。末席は解説を続ける。

「『自由と平等が大事じゃない!』という人は、近代国家以降*3ではまあ、そうとうの少数派だと思います」
そりゃそうだ、中世の宗教国家でもあるまいし。高校で世界史を履修したケンジは、それは当然だという顔をしているが、納得をしている気配はない。その気配を察知しつつ末席は続ける。

「現実には、両方大事だとして、では、どのくらいのバランスがいいのか。これは非常に難しい問題です」

ケンジは、末席の意図がすこしわかった気がするが、簡単にショックから立ち直られてもツマラナイ気がして、表情を変えず、あえて質問をする。
「両方大事にしましょうじゃ、なぜだめなんでしょうか」

末席は「変人」のレッテルからの名誉挽回のために、必死で説得を試みる。
「じつは、『自由』と『平等』って、両立しない場合が多いんですよ」*4

ケンジは、意外だな、という顔を作りつつ、末席の解説を待っている。

「といいますか、たとえば、近代に移行する過程では、『自由』と『平等』はどちらもそれまでにない新しい概念だったので、それを獲得しようということで済んでいました。その時点では、『自由』と『平等』の関係に対して、大して問題なかったわけです」

期せずして、掛け言葉*5を使ってしまった末席に乗じて、嶋野が即応する。
「で、革命が起こる、と。まあ、話は簡単だよね」

たぶんフランス革命あたりのことを言ってるんだろうけど、「革命が簡単」とかってなに言ってるんだろうこの人は・・・。世界史履修者のケンジはドラクロワの絵を思い出しながら呆気にとられている。
嶋野の援護を受けつつ、末席は話を承ける。

「そうですね、王政を倒して近代(市民)革命が成功に終わると、それでメデタシメデタシかというとそうでもなくて、じつはそれからが大変なのでした。『自由』と『平等』は必要だし重要なので勝ち取ったのはいいとして、でも手に入れてみると、その両立はかなり難しいものだったのです」

ケンジは頷きながらも、経済学の説明のはずなのに、なぜ世界史と社会学の話になっているのか、見当がつかないでいる。末席はそれを見越して、復習を促すように言った。

*1: 一般に、研究者の論文にはユニークさが求められる。新規的であればあるほど、そしてそれがきちんと論証されていればいるほど、その評価は高い。
*2: 諸説あるなかの一説で、仏語のLiberté, Égalité, Fraternitéの日本語訳。
*3: 近代国家への移行を論じる際に、歴史的に象徴的な出来事として、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争、いわゆる「三十年戦争」の講和条約であり、近代国際法の元祖とも言われるウエストファリア条約(1648年)が挙げられることが多い。ウエストファリア条約以降は、教皇や皇帝といった中世的な権力をもって欧州を秩序づけようとする試みは事実上断念された。
*4: 柄谷行人「自由・平等・友愛」『<戦前>の思考』所収などを参照。
*5: 「対して」と「大して」。念のため。

葛藤のモデルが必要なワケ

「絶対的な宗教家や封建領主による支配を脱してヤレヤレと思ったとして、こんどは市民同士が『自由』尊重派と『平等』重視派に分かれてしまう。自由に任せると、強い人と弱い人の差が出てくる(自由競争の帰結)。でもそうなると、こんどは『自由』の行使の幅が人によって異なってきてしまう(強者による支配の可能性)。それを修正(富の再分配などで)したほうがいいのではないか、あるいはどのくらいしたほうがいいのか。自己責任によるべきなのか、不平等をかなり是正するべきなのか。これが、第9回の『リバティvs.リベラル』の構図につながってくるわけですね!」*6

ケンジはあわてて第9回を読みなおして言った。

「なるほど、リバティ=自由主義=自己責任論と、リベラル=社民主義=社会構造論の天秤だというわけですね」

末席は、すでにショックを乗り越え、自信を持って応える。

「まさにそうですね。さらにいえば『天秤だ』ということも実際、そのとおり。天秤の関係を専門的には『葛藤』、あるいは『ジレンマ』と言ったりします。どちらかが増すと、どちらかが少なくなる」

今回は出番が少ないな、と危惧をしていた嶋野がここぞとばかりに補足した。

「葛藤やジレンマは、数式で表すと、たとえばa=x+yあるいはa=xyのようになる。aは定数で、ある定量の数です。xとyは変数で(ヴァリアブル、ファクターとも)、ここでは 、x=リバティ、y=リベラル、と置いてみましょう。どちらの数式でも、xが増えればyが減り、xが減ればyが増えるのを確認してください」

ケンジは、数式が出てきたことに面を食らっている。末席は嶋野の数学的暴走を目で制しながら、フォローを試みる。

「たとえば、世の中が『自由』と『平等』の天秤で成り立っているとして、それでは、どのくらいのバランスがいいのかを論じるときに、純粋なxと純粋なyがはっきりしていたほうが、分析しやすいですよね。『それぞれの要素がこれくらいで入っている塩梅です』というふうに説明もしやすい。このときの純粋なxやyを『理念型』や『モデル』と呼んだりもします」

ケンジは、パッチリと目が開いた、というふうに清々しく答える。
「だからお二人は、極端な例を持ち出すんですね!」

ケンジの素朴な質問への満額回答を確信した末席は、まんざらでもない表情で続ける。

「理念型xと理念型yを組み合わせて、より大きなモデル、たとえば葛藤のモデル(a=x+yなど)を作っていったりもします。このように、モデルを構築していくことで、フクザツな現実社会のなかで見えにくくなっている両者の関係性を、非常にスッキリと見えやすくしていくわけですね。また、こうすることによって、変数のバランスを自由に変えてみたり、そうするとどうなるかを想像してみる、という『思考実験』(頭の中での仮想実験)ができるようになります。たとえば、最近のものでわかりやすい例を挙げると、『白熱教室』で知られるマイケル・サンデルの正義論がいいかもしれませんね。彼の問う、『コミュニティの最大の利益の追求』(=x)か、『個人の尊厳の尊重』(=y)か、というのも典型的な葛藤モデルの議論*7なんですね」

嶋野も、理論経済学者として黙ってはおれない、というふうに話を承ける。
「これを『モデル構築』あるいは『モデルビルディング』と言ったりするんだけど*8、経済学では、このモデルビルディングによって、現実の複雑怪奇な経済現象を、メカニズムとして(どう動くか)説明しようとする。そしてより良いモデルでより上手に説明できた人がエライとされる学問なんだよね」

「なるほど。だから、叔父さんの話は極端で常識はずれなことが多いんだ。二人で漫才してるのも、キャラを作って、葛藤のモデルを説明するためなんですね!」*8

*9いわゆる一般理論的には、キャラを作ることは「理念型を作ること」、漫才の掛け合いは「モデルビルディングによる思考実験」に相当する。一般理論については、ベルタランフィ著『一般システム理論――その基礎・発展・応用』などを参照。

やっぱりなんだか、今回はケンジくんに一本取られたようだ。末席は、ナポレオンに逆転負けを喫したブルジョアたちはこんな気分だったのだろうか、と、勝ち負けとは無縁の境地にいる嶋野を尻目に落ち込んだ。

*6: フランス革命(1789年)で、絶対王政に基づいた旧体制(アンシャン・レジーム)は打ち破られ、市民(といういわゆる「ブルジョア」)たちによる共和制が実現したが、わずか10年後にはナポレオンの帝政(1799年)に取って代わられ、短命に終わる。これは、革命を成功させた仏貴族たちがこの難問に手こずったことが(たとえばジロンド派(=穏健派)とジャコバン派(=急進派、議会の左翼に陣取ったことから「左翼(左派)」の語源に)の抗争などを参照)、のちにナポレオン皇帝の独裁を招いたという見方がある。
*7: たとえば、5人で遭難した時に、4人が助かるために1人を犠牲にしてよいか(正当化され得るか)、という議論などが典型。
*8: たとえば葛藤モデルによる問いは、現実的にはどっちかしかありないという答えにはならず、そのバランスが含蓄深い「永遠の(普遍的な)テーマ」となることも多い。サンデル氏のクラスがよく「白熱」するのは、このようなモデルビルディングの巧みさに大きく起因する。

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