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地元自治体の協力を引き出すネゴシエーション

投稿日:2013/01/17更新日:2019/04/09

スポーツとネゴシエーション

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スポーツはネゴシエーション(交渉)の題材としてもよく取り上げられるテーマである。最もわかりやすいのは選手と球団の年俸交渉だろう。最近は日本のスポーツ界でも交渉代理人を用いるケースが増えてきたが、代理人や選手と、球団側の交渉は、決してそのプロセスや実際の場面などは表には出てこないものの、ストーブリーグの格好の話題の1つである。球団としては、人件費は下げたいものの、かといってあまりにケチってしまっては、選手のやる気や、球団に対するロイヤルティ(忠誠心)を削いでしまいかねない。他選手とのバランスも重要だ。不公平感は、チームに不要な緊張をもたらすことになる。通常の企業であれば、他の従業員の給与などは分からないものだが、幸か不幸か、プロスポーツではそれが(日本ではマスコミの推定が多いとはいえ)ほぼ白日にさらされる。人件費の抑制とやる気やロイヤルティの維持――この難しいバランスをどうとっていくか、球団側としては頭の痛いところである。

さて、こうした交渉もあるが、今回はそれとは違う交渉、地元自治体と球団の交渉にスポットライトを当てる(選手と球団の交渉については、「選手の適正価格」等のテーマで後日扱いたい)。

スポーツビジネスにはさまざまな特徴があるが、ステークホルダーとしての「地元自治体」との関係構築の重要性もその1つに挙げられる。地元との関係を無視しうるビジネスは稀だが、スポーツビジネスではその傾向がさらに強くなる。地元自治体との関係が悪ければ、スポーツ独自の「おらが町のチーム」という情緒的価値を生みだすための支援が得にくく、キャッシュの源泉である入場料も伸びないし、補助金などの金銭的な支援も期待できないからだ。

かつてJリーグ勃興期にナンバー1の人気を誇った川崎ヴェルディ(現在は東京ヴェルディ1969)などは、残念ながら地元との関係構築に失敗した例と言えよう。三浦知良やラモス瑠偉といったスター選手を抱え、なまじ全国区の人気があったゆえに、発足当時の地元であった川崎市や等々力競技場周辺のコミュニティとの関係構築を疎かにしてしまった。これは、親会社を同じくするプロ野球の読売ジャイアンツの成功パターンがそのまま当てはまるという錯覚によるところが大きかったとも言える。

また、Jリーグスタートに当たって、もともと東京を本拠にしたいにもかかわらず、当時東京都には適切なサーカー場がなく、やむなく川崎を地元とし、最初から東京移転を視野に入れていたという事情も、川崎市との関係構築に熱心でなかった理由とされる。

結局、ヴェルディは2001年に本拠地を東京都調布市の東京スタジアム(現在の呼称は味の素スタジアム)に移すのだが、元の地元であった川崎市とヴェルディの関係は完全に冷え切っており、いまだに等々力競技場で試合を主催することはできない。プロ野球の北海道日本ハムファイターズがときおり東京ドームで主催試合を行うようなことができないのだ。チームもJ2が定位置となってしまったことで、観客動員は伸び悩み、残念ながら熱心なファンも少ない。一部の川崎市民からは、愛着よりもむしろ白い目で見られる状況だ。かつての地元ファンからは敵視され、今の地元ファンは必ずしも多くない。まさに踏んだり蹴ったりの状況といえよう。

「球団がなくなってもいいんですか?」

一方、地元との関係構築をうまく行うことでチームの活性化に成功した例としては、2005年以降のプロ野球・千葉ロッテマリーンズの事例がある。

マリーンズの前身となるロッテオリオンズは千葉への移転前、川崎球場を本拠地としていた。もともと川崎球場は大洋ホエールズ(当時)の本拠地であったが、ホエールズが横浜スタジアムに移転したことで、その後釜に滑り込んだのである。

その前には、宮城球場を半フランチャイズとしたことや、荒川区の東京スタジアムを本拠地としたこともある。余談ながら、この東京スタジアム跡は筆者の自宅から自転車で十数分の距離にあるのだが、「こんな狭いところに野球場が入るのか」と思うような下町の住宅街である。このように次々と本拠地を移転することからロッテ球団を一時期「ジプシー球団」と呼ぶ向きもあった(ここでは文脈上「ジプシー」という言葉を用いたが、現在「ジプシー」は差別用語であるとして一般には「ロマ」と呼ばれること断わっておく)。

現在の千葉マリンスタジアム(現在の呼称はQVCマリンフィールド。便宜上、以下マリンスタジアムとする)を本拠地とし始めたのは1992年からである。マリンスタジアムは千葉市幕張の海浜地帯に位置し、バブル真っ盛りの1990年に完成した。このタイムラグから分かるように、プロ野球球団の誘致は見据えていたものの、当初から当てがあるわけではなく、もともと千葉市や県が市・県のスポーツ振興に使うために設立した球場である。所有も市・県であり、運営も基本的に行政が行う。そのため、球団が球場運営にも関与する(多くは保有もする)海外のメジャーなプロチームのスタジアムに比較すると、いかにも殺風景かつ、「お役所的」な運営の施設であった。

マリンスタジアムには、最寄駅から遠いこと(徒歩15分程度と、関東の球団では最も遠い)、そして強い海風、時には霧がかかるという物理的、地理的な弱点もあった。チームも決して強いわけではなかったことから、2000年代の前半までは、一部の熱心なファンを除けば、必ずしも「マリーンズの試合を見に行こう」という人間は多くなかった。筆者もこの時期に試合を見に行ったことがあるのだが、閑古鳥が鳴いていた往時の川崎球場ほどではないものの、新しい球場の割にはうら寂れた印象を持った記憶がある。

それが大きく変わったのは新しい球団社長が着任した2004、2005年頃である。ちょうど2004年にはあの世間を騒がせた球界再編問題があった。近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併交渉を機に、他球団の合併も持ち上がったのである。その中心にいたのがマリーンズであった。ホークス、ライオンズ、ファイターズなどとの合併が取りざたされた。特に、ちょうど経営難にあったダイエー傘下のホークスとの合併については、「福岡ロッテホークス」実現手前までいったとの噂もある。いずれにせよ、せっかくやって来たプロ野球団が、十数年で消えてしまう可能性が生まれたのである。

ロッテ球団は、この困難な時期にあって、「球団が千葉から消えてしまっていいのか」ということを市・県との交渉の材料とした。プロ野球チームを失ってしまうことは、市や県のステータスにも絡んでくるし、選挙を抱える首長にとってもバツのいい話ではない。結果、すでにある程度のサポートは引き出していたのだが、敷地の利用や売店の出店、周辺施設との連携などで、さらに大幅な譲歩を勝ち取ったのである。そして、球場周りのスペースを活用して毎日楽しいイベントを開催するなど、ファンサービスを強化した。これらのサービスは、他球団が視察に来て参考にするほどであった。2006年には球団が千葉マリンスタジアムの指定管理者となって運営を行うなど、ロッテはより地元密着、ファンサービス充実に努めていく。

2005年はちょうど戦力も充実していた。春のセ・パ交流戦で優勝、その勢いをかって、プレーオフでホークスを下して日本シリーズに進出し、阪神タイガースを4連勝(4試合の総得点は33-4の圧勝)で撃破し、日本一の座についたのである。ファンサービスも実力も日本一となった瞬間であった。

筆者もちょうどこの年、マリンスタジアムに試合を見に行ったのだが、「これがあのマリンスタジアムか?」とその変容ぶりに驚いた記憶がある。球場の外のあちこちでパーティらしきものが開かれ、多くの人で賑わっていたのだ。つい数年前までは行政側の所有で全く球団が有効活用できなかったことを考えれば雲泥の差であった。地元自治体の協力の取り付けに加え、球団の営業努力がうまく組み合わさった結果といえよう。

球団移転を交渉の武器にする米国メジャースポーツ

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この「球団がなくなってもいいんですか?」は、千葉ロッテマリーンズの場合は比較的交渉の武器として効果を上げたが、それがいつも有効だというわけではない。たとえば1988年に南海ホークスが福岡にダイエーホークスとして移転する際に大阪市や府が強くひきとめたという話は聞かないし、2003年の日本ハムファイターズの東京から札幌への移転の際も同様である。これは、それぞれ阪神タイガース、読売ジャイアンツという、同じ地元の(厳密に言えばタイガースは兵庫県だが)大人気球団があるがゆえに、球団側が交渉力を持てなかったから、という理由が大きいだろう。

欧州サッカーなどではこうした「移転の可能性を交渉の武器」にという話はあまり聞かないが、アメリカのメジャースポーツでは最近、こうした話は枚挙にいとまがない。移転をチラつかせて自治体から補助金を得たり、逆にそうしたサポートが得られないのなら本拠地を移転するということが日常的に行われているのだ。

これにはいくつかの理由がある。第一に、アメリカの場合、日本の東名阪ほど一部の都市部への人口集中が高くはなく、また国土が広いことから、各地方の中核都市にとって、住民に魅力あるよう、プロスポーツチームを持つことの重要性が高いということがある。事実、昨年のある調査で「全米で最も住みやすい街」に選ばれたピッツバーグ市は、その理由の1つとして「強豪プロスポーツチームが多い」ということが挙げられていた。NFLのスティーラーズ、NHLのペンギンズといった、国際的にも人気のある球団のことを指すと思われる(MLBのパイレーツは弱くて不人気だが)。

東京などに住んでいるとなかなか気がつきにくいが、アメリカでも地方都市に行けばそれほど娯楽が充実しているわけではない。その街にプロスポーツチームがあることは、住民にとって誇りでもあり、政治家にとっても関心事項なのだ。それゆえに交渉材料になりやすいと言える。

第二に、プロスポーツ球団の保有が以前に比べてよりビジネスライクになったことが挙げられる。昔は鷹揚な大金持ちがパトロンとして球団を持つというパターンが多かったが、最近では富豪でもよりビジネスマインドを持った人物や、投資グループなどが球団を保有し、まさにValue Addしてより高値で売る、ということが増えている。球団の魅力を上げるために、自治体の協力を得るための交渉などが当たり前のことになりつつあるのだ。

その典型例が、現在、MLBマイアミ・マーリンズのオーナーのジェフリー・ロリア氏だ。彼はかつて不人気球団のモントリオール・エキスポス(現在は移転してワシントン・ナショナルズ)を安い価格で買収し、その後MLBに同球団を高値で売ることに成功した。そして今度はマーリンズ(買収当時の名称はフロリダ・マーリンズ)に目を付け、これを買収し、新スタジアム建設を画策する。新スタジアムの建設は、入場者増にもつながることから、付加価値アップの常套手段である。彼は、マイアミからの移転をチラつかせながら行政当局と交渉し、およそ5億ドルの補助金を引き出すことに成功したと言われている。マーリンズの買収価格が2億ドル未満と言われているから、その数倍の補助金を交渉により得たのである。おそらく数年内に行われるであろう売却時にいくらの値がつくか、今から予想はできないものの、数倍のリターンは得られるのではないだろうか。

ミネアポリスに本拠を置くNFLのミネソタ・バイキングスも、移転を交渉材料に、新球場の建設を地元の議会に認めさせることに成功した例だ。現在バイキングスの本拠地のメトロドーム(正式名称はモール・オブ・ザ・アメリカ・フィールド・アット・ハーバート・H・ハンフリー・メトロドーム)は、東京ドームのモデルとしても有名だが、「フィールドが見にくい」「使いにくい」「音がうるさい」「危険(実際に屋根が積雪で破れる事故があった)」「収容能力が小さい」と、新球場建設は長年の懸念となっていた。バイキングスの粘り腰についに行政側も折れた格好である。

もちろん、その背景には、バイキングスを絶対に失いたくないという市民・州民の思いがあった。ミネアポリスのような地方都市にとっては、先の理由からプロスポーツチームの位置づけは大きい。その中で、スーパーボウル制覇こそないものの、バイキングスはNFLの中でも名門チームであり、幾多の名選手を輩出してきた。失ってはいけない存在なのだ。また、ミネアポリスには、かつてNBAを代表する人気チーム、レイカーズに逃げられたという苦い記憶もあることも微妙に作用したであろう(レイカーズと言えばロサンゼルスというファンが圧倒的に多いだろうが、レイカーズ(湖畔の人々)という名前が示す通り、もともとは「1万湖の国」の異名を持つミネソタ州のチームである。ちなみに、ロサンゼルスには自然湖は存在しない)。

ここでは両方ともスタジアム建設の事例を挙げたが、その他にも、移転を交渉材料に、さまざまな支援を引き出すのがアメリカ流であり、球団経営者もそれを当然と考えるようになってきているのである。

ドライな経営者は、地元ファンの強い人気があっても、あえてビジネスを優先してフランチャイズを移転することがある。筆者個人的には、NFLの名門で地元でも人気を誇っていた旧クリーブランド・ブラウンズが1996年に移転を強行してボルチモアに移ったのが印象に残っている。ボルチモアはそれに先立つ十数年前、これまた名門のコルツをインディアナポリスに奪われてしまったわけだが、こうした「緩い椅子取りゲーム」は今後も続いていくのだろう。

ビジネスと地元自治体との交渉

ここでビジネスと地元あるいは地元自治体との交渉について見ておこう。地元はあらゆる企業にとって重要なステークホルダーの1つである。とは言え、すべてのパターンを網羅することはできないので、ここでは類似性の高い製造業の工場をイメージして話をしよう。

いわゆる“六重苦”(円高、高い法人税率、労働規制、貿易規制、環境規制、高い電気料金)に悩む日本の製造業にとって、その「苦」を緩和することは喫緊の課題である。早々に日本での生産を見きって海外移転した企業ももちろんあるが、通常、それは最初に出てくる案ではない。雇用責任もあるため、まずは様々な代替案も検討しつつ、地元自治体と何らかの交渉を行うのが普通である。

それは補助金の場合もあれば、退職者の就職の斡旋、完全移転か部分移転かということもあるだろう。昨今であれば、ネーミングライツのようなものが交渉テーブルに上ってくるかもしれない。

基本はWin-Winの関係を構築することである。Win-Winという言葉はすでに日本でも人口に膾炙(かいしゃ)した感があるが、言葉を変えて言えば、「自分にとって重要だが相手にとって重要ではないところでは譲ってもらって得をとり、逆に、自分にとっては重要でないが相手にとっては重要ではないところでは譲って相手に得をとらせる。これを繰り返すことで、お互いの便益を最大化すること」である。

Win-Winの交渉で重要なのは、クリエイティブな「争点」を見出すことである。たとえば市庁舎の目立つ(たとえば新幹線から見える)外壁にその会社の広告を載せるなどは斬新な争点となりうる。あるいは退職者について言えば、通常はそのまま雇用か解雇かというオールオアナッシングの発想になりがちだが、ワークシェアリングを行うことで多数の雇用を維持しつつ、企業側も人件費を抑えることができるかもしれない。発想の制約を取り払い、自由度を高めて考えることが必要だ。

こうした交渉を行っても妥結点が見出せないなら、「移転」(あるいは「操業停止」など)も視野に入ってくる。ここで重要となってくるのは、「移転」というカードにはある程度実態が必要だということだ。ネゴシエーションでいうところのBATNA(Best Alternative to Negotiated Agreement)である。全く移転先のあてがないのに移転カードをチラつかせるのは、交渉がうまくいかないときに大きなダメージを被りかねない。悪く言えば「二股」ということにもなるが、「選べる選択肢が多いほど自分の交渉力は増す」というのが世の常である。いくつかの具体的な代替案を用意しながら交渉カードとして用いるのが良いだろう。

ただ、あまり中小企業の場合はまだしも、大企業が露骨にこれをやると「弱い者いじめ」と取られるリスクもある。特に昨今はITの発達もあって、透明性が高まりつつある時代だ。十年前には理にかなったネゴシエーション戦術も、現代では評判リスクを考えれば必ずしも適切ではないというケースもありうる。特に海外移転の場合は、マクロで見たときの経済全体への悪影響という問題も無視できない。

自社の置かれた立場や長期的な評判(レピュテーション)も考慮するなど、高度なバランス感覚が求められるといえよう。

スポーツビジネスにおいて地元自治体との交渉で気をつけたいこと

さて、今回は主に「移転カード」、すなわち「他にも代替がありますよ」「我々を失っていいんですか」という交渉カードを軸に地元自治体との交渉について議論してきた。

もう一度スポーツビジネスに戻り、この交渉カードの有効性についてさらに考えてみよう。前でも述べたように、まずは実質的な代替都市があることが必要だが、もう1つ忘れてはならないのは、交渉相手や移転候補の自治体がどのくらい自分たちを必要としているかという度合いである。その見極めを間違うと、いたずらに高飛車に出て成立していたはずの交渉も流れてしまう、ということになりかねない。

たとえば、「球団移転を交渉の武器にする米国メジャースポーツ」でも述べたように、1988年時点で、大阪市や大阪府、さらには大阪地区の野球ファンは必ずしも南海ホークスというチームを必要としていなかった。すでに阪神タイガースという人気球団があったし、パ・リーグだけでも他に2球団が関西地区にあったからだ。おそらくこの時期にホークスが大阪市や府に何かを要求したとしても大した成果は挙げられなかっただろう。

一方、移転先の福岡は、ライオンズという伝統ある球団が所沢に移転して以来、プロ野球団に飢えていた。九州は野球どころでもある。ダイエーという、関西発祥の親会社であるにもかかわらず、無駄に地元自治体と交渉するよりも、さっさと本拠地を福岡に移したのは正解だったといえよう。

その後、ダイエーホークスは、市民、さらには九州のファンに愛されるべく経営努力を続けていく。特に高塚猛氏が球団代表を務めていた時期は、地元密着を進め、ホークスのロゴマークの著作権無料使用を認めるなど、斬新な施策を打ち出す。チームも王貞治監督の下、九州出身の選手を中心に力をつけ、ペナント争いの常連となった。経営母体はダイエーからソフトバンクに移ったが、選手の補強などには常に積極的で、いまや福岡にはなくてはならない存在になったと言える。現状であれば、何かあった時も、地元自治体に対しても有利な状況で交渉はできるだろう。相手と自分の力関係、特に選べる代替や相手にとっての必要度の見極めは必須といえよう。

移転という交渉カードを切りすぎるとカードの価値が薄れてしまうという点にも留意したい。たとえばアメリカNFLのオークランド・レイダーズは、1982年にリーグとの訴訟に勝った結果(これは共存共栄を旨とするNFLではかなり例外)、ロサンゼルスに移転した。最初は成績も良かったため観客動員も悪くはなかったがが、移転先のロサンゼルス・コロシアムは治安が悪いにもかかわらず市の動きは鈍く、観客動員も後年伸び悩んだことから、結局1995年にオークランドに出戻る形となった。復帰そのものは歓迎するファンも多かったが、いまだにレイダーズを冷ややかな目で見るオークランドのファンは少なくないという。

ロサンゼルスとNFLの関係について言えば、全米第2の都市であるにもかかわらず、ロサンゼルスにはNFLの球団がない。かつてはレイダーズとラムズの2チームを抱える時期もあったが(厳密にはロサンゼルス・ラムズは1980年に郊外のアナハイムに移転していた)、すでにNFLチーム不在となって十数年がたつ。

ロサンゼルスとしてはNFLのチームを誘致したいのだが、多額の新スタジアム建設費用が障害となって来てくれるチームがないというのが現状である。NFLの他にも、MLBのドジャースやNBAのレイカーズというプロの人気チームもあるし、アメリカンフットボールについて言えば、USCやUCLAといった人気カレッジチームもある。何より、大都市ゆえに娯楽に困ることはない。過去にNFLチームに逃げられたという悪評もある。実はロサンゼルスは、NFL誘致側としての交渉力は、他の都市よりも弱いのである。

交渉はつまるところ相手の力関係や代替の多さがものを言う。Win-Winの精神も重要だが、それだけでは物事はうまくは運ばない。

プロスポーツチームとしても、自治体側としても、自分たちの魅力がどのくらいあるのかを正しく見極めることが、交渉上、非常に重要なのである。ビジネスにも参考になる部分は大だろう。

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