じつは、経済学者の夢は、「貧困の解決」です!? ―経済学と経営学はどう違う?part3 

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「まあ、個人の自由意思がなかった中世の時代とは違って、昨今は自由なご時世だし、あとは若い人たちにまかせて・・・」

主任の嶋野は、甥の現代っ子ぶりを見て、未来の経済学の発展を嘱望したいと思っているらしいのだが、まるでお見合いの時の父兄のようなコメントになってしまっている。

まだ大学に入りたての甥であるケンジにとってみれば、それはいかにも迷惑だ、そんな表情をしている。末席は、過度の期待や持ち上げは相手にとっては押し付けにもなりうる*1といういい実験を見せてもらったオブザーバーのような気持ちになりつつ言った。

「そんな。まだ嶋野主任だって若いじゃないですか」

嶋野のほうは、まんざらでもない表情を浮かべている。末席は、「まあ、アダム・スミスなんかにくらべればね」と心のなかで付け足した。

ケンジは麹町経済研究所のオトナたちのそんなやり取りに、だんだんうんざりしてきている。何が目的でいちいちそんなしょうもない掛け合いをする必要があるのだろうか。合理的に考えて、無駄以外の何ものでもないというのに。

さすがは経済学者の叔父をもつ家系の出だけに、合理的な判断は自然に身についているようだ。

そのケンジが「ナゼ?」に飢えてきている頃合いを見計らって、末席は本題に入った。

「経済学の目的は資本主義経済の解明だとして、じゃあ経済学者の目標って何なんでしょうね?」

*1心理的コスト(:cf.行動経済学など)

難解な「経済の仕組み」の解明に取り組む真の動機は・・・

「うーん・・・」

お腹は減ってはいたけれど、いきなりヘビーなものを食べさせられた子どものように、ケンジは消沈してしまった。

甥のピンチを見かねたのか、嶋野がフォローを入れる。

「ヒント。ノーベル経済学賞ではありません。 ・・・・・・アレ?」

その場は余計にシンと静まってしまった。アレ?じゃないよ。まったく、どうしてくれるんだ、と末席は嶋野をにらみながら、いまだシンキングタイム中のケンジを気の毒に思った。気まずい空気のなか、ケンジはおそるおそる口を開く。

「どうしたら儲かるか、ではないんですよね・・・」

否定形で様子を伺ってみるというのは、不確実性の高い状況では確かに有効な方法なんだ、そう感心しながら末席はケンジの勇気を称えるように答えた。

「それももちろん立派な追求するべき道ですよ。いまも一部の経済学の目標になっています。ただそれは多くは経営学者に受け継がれていますかね」*2
ケンジはこの連載の第6回目を慌てて読み直しつつ言った。

「確かにそうでした。では、『経済の仕組み』を知ることが経済学の目的だとして、経済学者もそうなんじゃないんですか?」

「それはそのとおり。ただでも、なぜ人は、そんな『経済の仕組み』なんてことに興味を持ったんでしょうかね。実際、経済学の勉強なんて本格的にやろうとしたら病的に難解だし、難問愛好家でもない限り、やりたくないよっていうのがまあ普通の感覚ですよね。でも、多くの人がものすごい勢いで経済学に取り組んできました」

ケンジの目がかすかに光った。何かを見つけたようだ。

「もしかして、儲けの方法でなくて、その反対のほうですか?」

末席はニヤリとして言った。

「そう、まさに!」

「エッ、損する方法ってこと?」

嶋野はさきほどのリカバリーを焦ったのか、どうやら早まってしまったようだ。こういう状況になると、末席は、反射的にノリツッコミをしてしまう。

「そうですね、穴をほって、水を引いて、そこにシャベルでこう、札束をバサバサとね、投げ入れつつ土でまた埋めてね、文字通りおカネをドブに捨てるっていう・・・。って、そうじゃなくて!」

オトナの世界って何かと苦労が多いんだな、ケンジは末席を見て気の毒そうに言った。
「貧困の解決なんでしょうか?」

「そうなんですよ!貧困に苦しむ人を見ていて、止むに止まれず、これってなんとかならないもんかなあ、というふうに発展してきたのがケイザイガクなんですね!」

なんと、弱者の味方だなんて、なんかカッコイイ。そんな表情をしている甥のケンジを、叔父バカである主任は喜ばしく見ている。末席は、そんな嶋野を喜ばしく見ながら一気に続ける。

「止むに止まれぬ気持ちというのを、社会学では『行動的禁欲』と呼びます。それはマックス・ウェーバーという人が重視した概念で、資本主義を実現した精神にも通じるものです」*3

*2たとえばヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)のメンバーなど。cf. 『天才たちの誤算―ドキュメントLTCM破綻』ロジャー・ローウェンスタイン、2001年
*3行動的禁欲(アクティブ・アスケーゼ[独Aktive Askese]cf. 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー、1905年)。ちなみにマックス・ウェーバーは、資本主義がなぜ成立したかについての答え(仮説)を、従来の定説であった利潤の利得的欲求ではなく、プロテスタント(キリスト教の一派)の徹底した考え方に求めた。自身が救われるべき存在として神に認められているかどうかは、正当な信仰に基づいた行為による正当な利潤の追求から証明され、逆にそれがなければ神に認められていないことになるという考え方(=プロテスタンティズムの倫理による資本主義の精神の実現化)。そのストイックな考え方が、行動的禁欲(止むに止まれぬ気持ち)を引き起こし、資本主義経済の原動力になった、という説であり、世界中を驚嘆させた一大論考

貧困の原因は、自己責任か、社会問題か

「たとえば、アルフレッド・マーシャルという中産階級の英国人がいました。彼は皆が認める19世紀の経済学の第一人者ですが、学校へ通う道の途中にスラム街がありました。マーシャル少年はロンドンでも最悪だったそのスラム街を通るたびに『なぜ貧困はあるのだろう。それは必然的にしょうがないものなのか、あるいは手のうちようがあるものなのか』と問うていたといいます」*4
「当時のスラムほどひどくはないにしても、貧困問題というものは現在でもあります。時代は変われど、主題は変わらない。そして、現代でもそれは、経済学上の大きな論争のテーマとなり続けています。貧困の原因は、自己責任なのか(つまり個人の努力次第で解決することなのか)、社会問題なのか(個人の努力ではどうしようもない、つまりなんらかの施策が必要)ということですね」

貧困問題に関して、今まであまり考えたことがなかったケンジは、素朴な感想をつぶやいた。

「それ、どっちもありそうな気が・・・」

「それはそのとおり。貧困が自己責任のこともあれば、社会的な問題のことだってある。ケンジくんは、それ、どっちがより大きそうって思う?」

「うーん。ぜんぜん働かないし努力もしないっていうのは論外だからなぁ。でも、努力したからって、必ず裕福になれるわけでもなさそうな気もする。運もあるだろうし、病気にだってなってしまうかもしれない。難しいですね・・・」

末席は議論の深まりに手応えを感じつつ、さらにそれを進めるよう促す。

「じゃあ、逆に言えば、努力しなくても運良く裕福になる人はいるかも知れないし、ビンボーでいることが大好きなんだから貧困になる自由を認めろっていう変わり者もいるかもしれない」

「うーん・・・。多くはないかもしれないけど、いないとは言えないでしょうね・・・」

ケンジは眉間にシワが寄りっぱなしになっている。寄り目の甥もなかなかかわいいな、と嶋野はそれを嬉しそうに見ている。

「じゃあケンジくんは、貧困な人に会ったら、どう声をかける?」

「うーん、やっぱり『がんばって貧困を抜けだしてください』かな・・・。いや、『まず助けを求めるべきですよ』というかな・・・」

「いまのケンジくんの逡巡は、じつは経済学者たちの200年間の逡巡でもあるんですよ。そして経済学は、その二つの意見を言う立場に大きく分かれ、現在にも至っているのです」*5
このことが、なぜ経済学においてはそれほどおおごとなのだろうか。いまいちピンときていないケンジをフォローするように嶋野は言った。

「『がんばって抜け出して』というのは、心の中では応援はしてるけど基本的に自身で何とかしてね、ということ(自己責任論)。『ます助けを求めるべき』というのは、個人ではなんとかならないところがあるから、あるていどみんなでなんとか助けるべき、ということ(社会構造論)。一般的に、前者を自由主義的、後者を社会主義的といいます」

歴史の教科書や新聞やテレビのニュースなんかに出てくる大仰な単語を耳にしたケンジは、その意外性に驚いた。いま自分は、そんなにスケールのデカいことを考えていたとは・・・。

嶋野は驚く甥に気をよくして続けた。

「まあ、プロテスタント的には『神は自らを助けるものを助く』ということで問題ないのかもしれないがね」*6
まったく主任め、上手いこと言っちゃって。そんなまとめをしてしまうと、経済学を二つの学派に分けつつ説明しようとしているこっちの立場はどうなるんだ!末席は、悪気なく悦に入っている嶋野を横目でチラリとにらみながら、主任こそが真の近代自由経済人(ホモ・エコノミクス)かもなのだから、まあしょうがないのかな、と達観した。

*4 “Grand Pursuit: The Story of Economic Genius”(Sylvia Nasar,2011)
*5いわゆる古典派とケインズ派(cf. 『経済学』P.A.サムエルソン、1948年)
*6cf. 『自助論』サミュエル・スマイルズ、1859年

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