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競走競技における競争ルール -何をすれば勝てるのか?

投稿日:2012/05/09更新日:2019/04/09

ただ走るだけ、なのに

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今回主に取り上げるのは「競走競技」である。定義によってどの競技までを含むか若干の認識の差はあるかもしれないが、ここでは、100メートル競走やマラソンといった「ある特定の距離を最も速く走った人間が勝つ」、別の言い方をすれば「ある特定の距離を走る時間の短さを競う」競技を指すものと思っていただきたい。

注目すべきは、競技のルールそのものは「ある特定の距離を最も速く走る」という、これ以上ないくらいに原始的でシンプルなものであるにもかかわらず、距離によって、勝つ選手のタイプが大きく異なることだ。当たり前のことのようだが、これはよくよく考えると興味深い話である。

たとえば、9秒58の男子100m競走世界記録保持者のウサイン・ボルトがマラソン(42.195km競走)に挑戦したとしても、男子マラソン世界新記録の2時間3分38秒というパトリック・マカウの記録を破ることはもちろん、上位に入賞することさえできないだろう。逆にマカウが100m競走に登場しても、おそらく平凡な記録しか残せない可能性が高い。

中距離走もまた別の世界だ。たとえば男子1500m競走の世界記録は現在ヒシャム・エルゲルージの3分26秒00だが、100m競走の選手もマラソンの選手も、この距離で世界記録を残せる可能性はまずないと断言できよう。1500m競走は(英米で人気のマイルレース(1マイル≒1609m)はほぼ同等の競技とみなせるが)、ほとんど「専業選手=スペシャリスト」が活躍する場となっている。

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主だった距離別の世界記録(男子)は2012年5月現在上記のようになっている。隣接する距離では同じ選手が記録を持つこともあるが、3、4倍を超える距離で同一人物が世界記録を保持することが極めて難しいことが読み取れよう。

なぜ勝つ人間が違う?

なぜ「ある特定の距離を最も速く走る」という単純なルールでここまで勝つ人間が違うのか。答えは簡単で、競技のルールは原則同じでも、何をすれば勝てるのかという「競争のルール」が大きく異なるからだ。

100m競走は、筋肉がしっかりつき、前に蹴りだせる能力の高い人間が有利だ。筋肉は脚はもちろん、腕の振りなども重要で全身のバランスが重要となるため、腹筋や背筋、上腕二頭筋なども発達している必要がある。脚は長い方が有利だ。また、ほとんど嫌気性代謝(無酸素運動とほぼ同義)の競技なので、酸素を取り込む能力や脂肪をエネルギーに変える能力といった、長距離競走(持久走)に必要な能力はあまり求められない。

筋肉は多ければいいというものでもない。まず質の問題として、遅筋よりも早筋の量が重要となる。これはトレーニングによってある程度比率を変えることが可能だが、遺伝的に決まる要素も大きい。また、全体的に筋肉の量が多すぎると、筋肉は重いため、必要とされるエネルギーが増えてしまう。重量挙げの選手が決して優れたスプリンターになれないことは明白だ。現在のところ、こうした理想の条件を備えたのがウサイン・ボルトということになる。

こうした短距離走の選手に対して、マラソン選手は体つきが大きく異なる。まず、隆々とした筋肉はかえってその重さが邪魔になる。遅筋の比率が高く、そこそこの筋肉量であることが望ましい。

筋肉以上に重要なのは、その生理的能力だ。100m競走との大きな違いは、好気性代謝の運動(有酸素運動と同じと思っていただければいい)であるということだ。そのため、糖(グリコーゲン)を分解してエネルギーの元であるATP(アデノシン3リン酸)を効率的に作れる能力や、糖を効果的に体内に蓄えられる能力、脂肪を効率的に使える能力(短距離走では邪魔な脂肪が長距離走では重要な意味を持つ!)、血中乳酸の許容量の高さ、酸素を効果的に取り込む能力などが必要となる。メンタル的な強さももちろん重要だ。

1500m競走といった中距離競走はまた別の世界になる。短距離競走と長距離競走という2つの異なる競争ルールの中間に位置し、独自の競争ルールが支配している。ここでは、短距離競走と長距離競走のトレードオフを高い次元で満たした選手が有利となる。レース直後のダメージはこの距離が最も極端で、多くの選手はラストスパートでATP欠乏、血中乳酸量過多の状況となるため、ゴールした瞬間に倒れ込む選手が非常に多い。この距離は、先述したように、スペシャリストでないとなかなか勝てない。

以上、短距離競走、長距離競走(持久走)、中距離競走で勝てる条件を見てきたが、「ある特定の距離を最も速く走る」という競技のルールは同じでも、そこで誰が有利になるのかという「競争のルール」は大きく異なることがお分かりいただけるだろう。

競争ルールとKSF

ここでいったんビジネスの話をしよう。ビジネスにおいては、「競争ルール」(「ゲームのルール」と呼ぶこともある)という言葉は、「何をすればそのビジネスで勝てるか(有利になるか)」を示す。これは、KSF(Key Success Factors:成功の鍵)とセットとなる概念とも言える。

たとえば清涼飲料というビジネスは、消費者が「飲みたいと思った時に製品が手に入れやすいようにする」ということが最も重要な競争ルールである。どれだけ広告をうって知名度を上げたとしても、消費者がいざ飲みたいと思った時に手に入らないようではビジネスに勝てない。具体的には、自動販売機(日本では最も消費者が利用するチャネル)を数多く設置し、コンビニエンスストア(消費者が2番目に多く利用するチャネル)にしっかり営業をかけ、店のプロモーションに協力したりすることが極めて重要となる。

この競争ルールの中で苦杯をなめてきたのが、サントリーに営業譲渡する前のかつてのペプシコーラだ。大胆な広告やプロモーションをすることで瞬間的に売上げが伸びることはあっても、結局は圧倒的な自販機網(ペプシの10倍以上)と強力な営業部隊を擁するコカ・コーラグループに跳ね返されてきた。よほどのファン以外は、コーラ飲料が飲みたいと思ったとき、すぐ手に入るコカ・コーラを買ったのである。

もちろん、チャネルの強さだけで勝ち負けが決まるわけではないが、そこが最も競争上重要であるのは、100m競争において筋肉、特に脚の速筋の鍛え方が重要であることと同じである。脚の筋肉が弱いままでいくら上半身の筋肉を鍛えたところで(これも重要な要素ではあるが)、勝負には勝てないのである。

ちなみにビジネスにおいては、競争ルールを見極めたら、とるべき手段は大きく3つある。1つは、その競争ルールの中で勝つべく地道に努力を続けることだ。たとえば事業規模を活かした低コスト構造がKSFであるなら、吸収合併などの方策も講じながら規模の経済を追求し、低コストを実現していく。

2つ目の方策は、「自分にとって都合の良い(自分が勝てる)ルールで競争が行われている(あるいは行える)セグメントを見つけ、そこで局所的に勝つ」ことである。いわゆるニッチ戦略だ。たとえば、かつてスルガ銀行は、所得が高いにもかかわらず当時の大手銀行の与信制度でははじかれてしまうような「ミドルリスク・ミドルリターン」のスポーツ選手などを狙って住宅ローンを販売し、独自の地位を築いた。

3つ目は競争ルールそのものを革新してしまうことだ。たとえば、セメント事業は多くの国で手詰まり事業とみなされ、「つまらないビジネス」と考えられていた。しかし、メキシコのセメックス社は、最終建築物の品質や現場の工期短縮につながるセメントの「鮮度」「納期」に目を付け、高レベルのデリバリーシステムを構築することで顧客満足度を高め、廃棄ロス減少によるコストダウンも同時に果たすことで急成長を果たした(なお、この戦略は、最初に鮮度や納期を重視する顧客に目をつけたという意味では、2つ目の方策の要素も含んでいる)。

いずれにせよ、自分が勝ちにくいルールで競争が行われている市場で資源やエネルギーを浪費することほど無駄なことはない。何事もそうだが、「何かを始めてから勝ち方を考える」のではなく、「どこが自分が勝ちやすい領域か」を考え、そこで戦う方が、成功の確率は高まるのである。もちろん、大成功したところでたかだか売上げ100万円というのでは、これもまたビジネスへの影響が小さい。勝てる可能性が高く、かつ、魅力度の高い(例:市場規模や成長率が高い)ビジネスを見極めることが必要だ。この観点についても、のちほど簡単に触れたい。

自分の勝てる競技を見出すことの難しさ

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「どこが自分が勝ちやすい領域か」を見極めることの重要性は、ビジネスのみならずスポーツでも重要なのは、これまでの議論を見れば一目瞭然だろう。100m競争タイプの人間はマラソンや1500m競争で一流になるのは難しいし、逆もまた然りだ。

実は、今回論じてきた競走競技は比較的その見極めがしやすい競技と言える。「走る」という動き自体は、短距離と中距離、長距離である程度の差はあるとはいえ、「投げる」と「飛ぶ」の動きの差ほどには大きな差がないし、どんな距離の走者でもトレーニングではある程度の距離は走るために、何種類かの距離を走っているうちに「自分は短距離向き」あるいは「中距離向き」「長距離向き」ということがある程度分かってくる。また、「速筋の比率」が高いなら短距離向き、逆なら長距離向きということが、スポーツサイエンスの観点からも判断しやすいからだ。

難しいのは団体競技の中で最も適切なポジションを選んだり、競技をまたいで最も自分の勝てる競技を選ぶことだ。

たとえば、団体競技の中で最も適切なポジションを選ぶということに関しては、指導者のチーム作りの意志が入ってくる。特に10代における指導者の影響は重大だ。例としてアメリカンフットボールのオフェンスのワイドレシーバーとディフェンスのコーナーバックを考えてみよう。両ポジションにおいて、求められる身体的特性は似ている。両者とも俊敏な動きと短距離でのスピードが強く求められるポジションだ。両方のポジションをこなしたディオン・サンダースのような選手もいる。

しかし、もしこうした選手がチームに複数いた場合、指導者はこう考えるだろう。「正確にパスルートを走ることが求められるワイドレシーバーは、タックルされる側でもあり、インテリジェンスと身体的頑健さ、そしてある程度の身長が要求される。一方、オフェンスの動きに応じて動くコーナーバックは、より瞬発力がある選手が適している。1つのミスにくよくよしないイージーゴーイングな性格も重要だ」。こうした相対感でポジションを割り当てる結果、Aというチームではワイドレシーバーになっていたかもしれない選手が、Bというチームではコーナーバックになってしまうことがある。そこで数年経験を積んだ結果、実は本人にとって最も競争力のあるポジションではないポジションに固定されてしまうことが起こりうるのだ。

サッカーのフォワードとミッドフィルダーも似たような問題を抱える。両者では求められる身体能力にほとんど差はない。日本選手の決定力不足はかねてから指摘されるところだが、その理由の1つとして、日本では指導者が優秀なプレーヤーをミッドフィルダーとして用いるからという説がある。少年サッカーレベルでは、ゲームを作れるミッドフィルダーの比重が大きくなるためだ。サッカー少年に大きな影響を与えた「キャプテン翼」の主人公がミッドフィルダーだったからという奇説(?)もある。真偽のほどを確かめるのは現段階では難しいが、本来優秀なフォワードとなった可能性のある選手がミッドフィルダーとして育てられ、その才能を開花させられないのだとしたら、本人にとってもファンにとっても残念な話である。

ビジネス的要素が選手の適材適所を変える?

どのポジションや競技を選ぶと勝てるチャンスが高まるか、という問題に関しては(特に競技の選択に関しては)、興行的、金銭的な要素(ビジネスでいえば市場の魅力度)が与える影響も非常に大きい。かつて初代貴乃花(利彰)は「水泳では飯が食えない」と言って(本人はこの発言を否定)、相撲の道に転じ大関にまで上りつめた。初代貴乃花が水泳を続けていたらどのくらいの成績を残したかはわからないが、オリンピック候補であったのは事実であり、水泳界としては痛手であった。

野球では昨今大リーグへの選手流出が止まらないが、「日本人は、野手よりは投手の方が成功する可能性が高い」という見方が定着しつつある。かつては野手の方が年俸を稼げるから野手を目指すという選手も多かったが、より年俸レベルの高いメジャーで活躍する投手が増えると、投手を目指す少年が増える可能性も否定できない。もし現代に川上哲治や王貞治(いずれもプロで野手に転向して大成功した)の2世のような選手がいたとして、投手に拘って打者としての才能を埋もれさせてしまったとしたら、これは悲劇である。

アスリートも人間である以上、生活がある。競技での勝利と人生での勝利は重なる部分も多いが、別の問題でもある。たとえば、800m競走で日本一になったとしても、おそらく注目度は低いし、そこで長年食べていくのは難しいだろう。もし彼がサッカーの才能もあるとしたら、ナンバー1になれなくても、Jリーガーの道を選んで何の不思議もない。かつてNFLのシカゴ・ベアースでワイドレシーバーとして活躍したウィリー・ゴールトは、モスクワオリンピック(アメリカは結局不参加)に選ばれるほどのスプリンターだったが、次のロサンゼルスオリンピックは諦めてプロフットボールの道を選んだ。ワイドレシーバーとしては1.5流といったところであったが、彼の判断を責めることはできない。

これはビジネスパーソンも同様だ。その領域でナンバー1になっても、食べていけないのでは仕方がない。あるいは、成功しなかった場合のダウンサイドのリスクが大きければ、それに挑戦しようとしなくても責めるのは酷だ。後者について言えば、日本ではいまだ起業にそうした要素が付きまとう。もし日本からもどんどんベンチャーを生みだしたいのなら、銀行の個人保障のような制度は止め、有限責任するなど、制度の整備は欠かせないだろう。そうしないと、起業家としてのポテンシャルのある人間も、安定した職業にいってしまう。国の戦略にあわせて「競争ルール」を設計することが為政者には必要だ。

超一流ほど微差が大差に

さて、最後にもう1つ競走競技の話題を提供して本稿を締めくくろう。昨今、日本の男子マラソンがさえない。アフリカ勢の台頭など、いくつか理由が挙げられているが、その1つに「企業が男子マラソンに本腰を入れなくなった」という説がある。女子マラソンの方が世界の選手層の面からも勝ちやすいし、企業の宣伝効果を考えるならマラソンより駅伝の方が効果的というのがその理由だ。駅伝については、大学の箱根駅伝の人気が上がったため、企業でもそのまま駅伝選手を続けるパターンが増えているという事情もある。

駅伝は概ね10km(10000m)程の距離を走る。嫌気性代謝が重要という意味ではマラソンと似通うところが大きいが、専門家に言わせると、やはりマラソンとは微妙に「競争のルール」は異なるようだ。では10000m競走でもっと日本人が活躍してもよさそうなものではという疑問が湧く。確かに世界レベルで見れば日本は上位に入るが、400mトラックを25周走る10000m競走と、駅伝というロードレース(かつ団体戦)では、特にメンタル面で求められるものが違うという。

これはスポーツもビジネスもそうかもしれないが、それほど高くないレベルであれば、ちょっとした競争ルールの違いは無視しうる。ある程度優秀な営業担当者であれば、売るものが自動車であろうが工作機器であろうが、一定の成果は出すだろう。

ところが、これが超ハイレベルになると、事情は異なってくる。たとえば、ノーベル賞級の生物学者であっても、ちょっと隣接の領域に行けば全く成果を出せないかもしれない。

実は、今回紹介してきた競走競技はそうしたハイレベルの世界の話だ。競争ルールの差が、どのくらい自分や自社の勝てる可能性に影響を与えているか、ぜひじっくり考えていただきたい。また、皆さんが競争にも人生にも勝てる仕事を選んでいるか、改めて考えていただきたい。

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