じつは、経済学の目的は、資本主義革命の解明だった!? ―経済学と経営学はどう違う?part2 

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さきほどから、主任の嶋野の携帯電話は鳴りっぱなしである。それもそのはずで、仕事をそっちのけで甥のケンジのそばにつきっきりだからだ。その中には、明らかに重要人物からと分かるものもあったが、嶋野はすべて「エマージェンシー」「コンティンジェンシー」といって後回しにしていた。甥の満足がなによりも優先であることが見て取れる。

末席にとっては、嶋野の行動は予想の範疇ではあったが、それよりも着信のメロディがかなりヘビーなロック調であったことは想定外だった。付き合いが長くてなんでも知っているようでいても、意外な新発見はいつだってあるものなんだ*1、そう末席は気を引き締めた。ケンジのほうにも言い知れぬ漠とした違和感があるようだが、いまはそれどころではない様子だ。
「じゃあ、ケンジくん、経済学って、どんな出来事がきっかけで始まったと思う?」

うーんと唸るようにケンジは考え込んだ。
「なんかヒントはないんですか・・・」

「ではヒントを。経済学は、ざっくり300年ぐらい前から始まりました」*2
ケンジの顔から察するに、それがなんのヒントにもなっていないのは明らかだ。
「うーん。どうすれば金貨が貯まるようになるとかですかね・・・」

さすが我が甥、いいセンを行っているな、と嶋野はご満悦だ。

末席は続ける。
「そうですね、それはとても重要なことです。金貨はなぜ貯まるのか。これを言い換えると、富はなぜ増えるのか、ということですね」

ケンジはとりあえず安堵の表情を表しながらも、自身の答えに少し疑問も持ったらしく、続けて末席に問うことにした。
「そんなこと。増えることもあれば減ることもありますよね、あまりにも常識的すぎて、学問になりうるんですか?」

*1: 日本の「灯台下暗し」という趣旨のことわざは世界各地にもある
*2: cf.『経済学をめぐる巨匠たち』(小室直樹著、2004年)

“富は領主様のもの”が常識の封建主義

「さすが、ケンジくんは現代っ子ですね。当時はじつはそれは当たり前じゃなかったんじゃ!」
末席はまるで17世紀からワープしてきた人間かのように、年寄りじみた口調で言った。

末席はさらに続ける。

「じゃあケンジくんは、どうしたら富が増えると思いますか?」
「うーん、そうですね、普通に働けば増えるんじゃないですかねぇ」
「では、ケンジくんは働いて増えた富は、働いた人自身のものだという意見なんですね」

ここで嶋野の携帯電話がまた鳴った。それをBGMにしながら、末席は続けた。
「おお、素晴らしい。まさにそれは、近代経済における最大の発明だったのです!」

そんな大げさな・・・。ケンジは、自身が言ったことの何がどうすごいのか、皆目見当がつかないでいる。嶋野は助け舟を出したそうにソワソワしている。それに気づいた末席は、嶋野に手のひらを差し出し「どうぞ」と促した。

鳴り止んだ携帯電話を胸ポケットにしまいながら、嶋野は甥に語りかけるように言った。

「それは、ジョン・ロックという常識はずれのイギリス人が、長い思考実験の末にたどり着いた結論で、それまではそんな発想がなかったんだよ」
「・・・じゃあその前までの常識って?」ケンジはびっくりしたようだ。
「いまじゃわかりにくいかもしれんが、ざっくりいえば、土地の領有に基づく封建主義と、それとセットの農奴制がほとんどで、つまりは全部が封建領主のものという考え方だったのじゃよ。富は領有地の大きさでだいたい決まっていた。領有できる土地は有限だ。だから・・・」*3

嶋野のほうも口調がなぜか17世紀風をイメージしたものになっている。
「だから、王侯貴族が武力で領土の奪い合いをしていたんだ」シミュレーション・ウォーゲーム*4が大好きなケンジは、封建主義の時代の理解が早いようだ。
嶋野は感激して続ける。
「そうなのだよ。有限の富をブンどって貯める&下々の働きは領主様のもの。これが中世時代の常識だった」*5
「でも、それだと、争いが終わらない・・・」
ケンジはじつはゲーマーだが、草食系でもあるようだ。

嶋野は甥はもしかしたら天才なんじゃないかという表情で、驚いて言った。
「なんと、ホッブズと同じことをキミが言うとは。惜しいのう、生まれてくるのが300年早かったら・・・」*6

末席はその叔父バカぶりを楽しむかのように続ける。

「同時代のトマス・ホッブズは、それを『万人の万人による戦い』と呼びました。つまり、現代風に言うと、これはもう途方もないバトル・ロワイヤルなわけです。もう大変ですよ。だから、自分たちをそんな状況から守ることを目的として、富に関する節操をひと通り決めて(盗まない、強奪しない、騙し取らないなど)、それを守るように決めよう、その節操をルール化して見張るのが国家の役割だとしたわけですね。ざっくりと言えば、これが近代国家の始まりなんです。国とは領主の支配地のことでなく、国民の契約で成り立つ仕組みだという意味で」

「なんか経済学って感じが、あまりしないんですけど」ケンジは訝しげに聞いた。
「もともと、政治や道徳や倫理から発生しているからね」*7嶋野は続ける。
「つまり、どうすればより良い世の中になるのかを考えることから始まって、それを富の観点に絞って徹底的に考える、というのが現在までに通じる経済学の目的なんだよ」

*3: cf.『政治学史』(福田歓一著、1985年)
*4: 日本では「信長の野望」「三国志」などがシミュレーション・ウォーゲームの定番として人気を博している
*5: cf.『経済学批判』などによる唯物史観より(カール・マルクス、19世紀頃)
*6: cf.『リバイアサン』(トマス・ホッブズ著、1651年)
*7: 経済学の父と言われるアダム・スミスは、もともと政治哲学の研究者であった

私有財産の肯定、封建体制への反抗は1600年代に始まった

「人類ってけっこう、頭いいんですね」
ケンジはそうつぶやいた。どうやら嶋野や末席の時間軸に毒されてきているようだ。
末席はその調子に乗っかりつつ続ける。
「いちおう、ホッブズが『万人』と呼ぶ一人ひとりを経済的主体と言ってもいいと思うんですが、富が増えないならホッブズが言うようにすぐ取り合いになっちゃいますよね。で、強奪とかはキリがないのでやめましょうという規制を作る」

うなずく嶋野の携帯電話がまたしても鳴り始めた。かまわず末席は続ける。

「で、その次に進みますね。そもそも富は有限なのか、それとも増やせるのか。そして、それは誰のものなのか?有限だとすれば、ホッブズの世界観となります。ただ、もし増やせるとすれば?そして増えたそれは誰のものなのか、という大きな問題が残りますね・・・」

「えー、でもやっぱり、僕が最初に見つけたり、働いて作ったものは、僕のものでいいですよね」
ケンジは当たり前のことを言っているつもりだったが、ただ、もう自分でも何が当たり前なのかがわからなくなってきている。それが思考実験の特徴なのだよ、と悦に入りながら、末席は見守っている。

嶋野は、甥をその混乱の淵から救うべく、携帯電話のBGMに乗って口を開いた。

「そう、それこそがロック!人類史上の一大発明なのだよ。私(有財産)の肯定、(封建)体制への反抗。それは60年代じゃなくて、なんと600年代に始まったのだ!」

「ビートルズも真っ青ですね」末席はお約束のあいのてを入れつつ、解説を続ける。
「そうすると、みんなやる気が起きますよね。で、自立(律)しますよね。それでどんどん働いて、どんどん富が増えていきます。自分で増やしたものは自分のもので、自分よりも位が上の人間に召し取られることはない。税金とかはまああるけど、それは年貢ではなくて自分たちの富を守るための決めごとを遂行するための一種の供出金だという考え方です。国家は自分たちの富を守るためにある。そんな考えは中世の封建主義以前ではありえなかったのですが、ロックのこの大発明から近代資本主義が始まり、『自由』の概念も出てきました。自分で生んだ富の使い方を自分で決めるということです」

「ロックが時代を動かした、ということはわかったけど、では具体的にはどんな影響があったんですか?」ケンジは大筋で納得してはいるものの、スケール感がいまいち掴めないでいるようだ。

「それはどうなんでしょうね、叔父様」末席はいちばんおいしいところを譲ります、というふうに嶋野に結論を預けた。

嶋野はまんざらでもないふうに、事もなげに答えた
「いやなに、さほど大したことはないんだよ。アメリカの独立とフランス革命が起きた程度だから」

「・・・!ロックと自由と革命は、やっぱり相性が良いんだな。・・・でも叔父さん、さっきから気になってたんですが、その着メロはいったい何なんですか?」
ケンジの顔は引きつったままではあったが、それでもなかなか筋のいいツッコミをするじゃないか、当研究所の研究員としては将来は有望かもしれない。慌てる嶋野を横目で見ながら、末席は「それは確か『パワー・トゥ・ザ・ピープル』だ」*8とつぶやいた。

*8「Power to the people」(John Lennon、1971)

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