じつは、一粒で日本経済の三大症状に効く妙薬がある!? 

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グラグラと地震がくるたびに、麹町経済研究所は大騒ぎになる。3人所帯だというのに、大げさな表現だと思われるかもしれないが、嶋野主任の地震嫌いは5人前なのだ。

「オー、マイ・・・」

小さい地震の時には、嶋野が連呼する「オー、マイ・・・」という言葉に続けて、マネジャーと末席がいろいろ勝手にアテレコして遊んでいた時期もあった*1のだが、3.11を期に、二人はその遊びを封印した。

 

「あの悪夢がよみがえる・・・」

嶋野は、地震が収まったあとも、子ウサギのように震えている。さすがに気の毒になったのか、マネジャーは、気を紛らわせようと話題を振った。

「主任、地震で日本の経済はどうなりますか・・・」

「うーん、今はサプライサイドが混乱しているからバタバタしているが、それが収まれば、日本国民は底力があるから、なんとかなると思うんだがね・・・」

末席は、嶋野の言葉に、いつもの主任らしさを感じなかった。そういえば、さっきテレビでエコノミストが言っていたコメントと同じじゃないか。精神の萎縮は思考を狭めることがある、という例は、新古典派が依拠する効率的市場仮説がなぜ成り立ちにくいのかの根拠となりえるな・・・*2。そんなことを悠長に考えてしまいそうになるが、嶋野主任の正気を取り戻すほうが先決だ、と末席は思った。
「主任はいつも、需要サイドの元気のなさを気にしていたじゃないですか。それは大丈夫なんですか」

「・・・」

嶋野は、楽観したり、悲観したりの表情を2秒ごとに繰り返して*3、決然と言った。
「微妙かもしれないね。じつは大きな需要の元にもなりえるが、元気を失えば、大きな需要喪失にも繋がりかねない。こうしてはいられない!!」

嶋野は自身の仮説を徹底的に議論したいと言い出した。こういうときは、母校であるブリンストン大学へ出張するのが常である。マネジャーは、嶋野がこうなると手に負えないことをあらかじめ知っているため、反対はしないが、必ずこう言うようにしている。

「オーケー、ドクター。でも、アウトプット(成果物)は必要ですからね」

「もちろんだ」

マネジャーは、こういうときの嶋野はどんな注文も受けることを知っている。なんといっても、目の前に欲しいものがあるからだが、この心理は、行動経済学的にも明らかになりつつあるが、日本では昔から知られている真実である*4、と末席は思った。

 

「じゃあ、リポート20本と論文5本ということで」

なんちゅームチャ振りだ、と末席は心の中で思ったが、嶋野はそれでもいいという。

嶋野が立ち去ったのち、末席はマネジャーに近づいていって言った。

「レポ20本に論文5本って、いくらなんでも主任がかわいそうじゃないですか!」

「しょうがないじゃないか、末席くんのアウトプットが頼りないんだから!」

末席はあっけにとられながら、でもこうやって、合理的なしっかり者たちが先を見通して帳尻を合わせているから、じつは市場っていうのは効率的なのかもしれない、とも思った*5。

 

(翌日)

「ヘイ、ドクター・シマノはいるかね」

どこかで聞き覚えのある、外人さんの声が聞こえる。

「いやっ、これはこれは」マネジャーは心底、驚いたふうに言った。「嶋野は御宅様に御伺いしているはずですが」

萎縮したマネジャーが丁寧な言葉を使うため、外人さんにはよけい分かりにくくなっている。彼らの様子から、きちんと意味が伝わっていないのは明らかで、マッチングというものは、なかなか難しいものだ、と末席は思った。

普段ならその状況に気付かないわけがないマネジャーが、そうなってしまうほど緊張しているのも当然で、相手はブリンストン大学の経済学部学部長と教授の2名で、一人はノーベル経済学賞を最年少でとったばかりである。

「バーナード学部長が直々にいらっしゃるとは。こんなこともあるものなのですね」

マネジャーは、その訪問の意図を推し量るように言った。それに対して、バーナード学部長は小さく笑うだけだ。かわりに、隣にいるクルーグ教授が口を開いた。

「じつは、皇居の周りをジョギングしたついでに、近いから寄ったんですよ」

この程度のお笑いセンスでは、イグ・ノーベル賞*6もあげられないな、と末席は心の中で思いつつも、彼らは直接的に訪問意図を言ってしまうことは友愛的な態度ではないと考えているようで、それには好感を持った。

 

「あのー、じつは、入れ違いなんですよ」

末席は、マネジャーを「意気地なし」と言わんばかりの横目で見ながら、単刀直入に言った。

「なんと!そうであったか!」バーナードはそう言って絶句した。海の向こうでも嶋野に同じことが起こっていることを想像してしまい、末席は笑いをこらえるのに必死だ。マネジャーが続ける。

「この坊やでは不足でしょうが、よろしければ御相手したいと言っています」

そんなこと言ってないのに、と末席はとっさにマネジャーを見たが、どうやらこれはマネジャーの意趣返しらしい。先方の二人も遊ぶものが何もないよりはあったほうがいいというスタンスで、マネジャーの提案にイエスと返した。

末席は、まあ、こういう世界的な経済学の権威と接する機会もまたとないだろうから、積極的に活用しよう、決してイヤイヤじゃないし、相手だって人間なんだから、とって食われるわけでなし、まさか大統領に新聞のコラム上で噛み付いたりしないだろうし*7、中央銀行にケチャップを買えとかムチャも言わないだろう*8、アイビー・リーガーは絶対に紳士なはずだもん*9、と自分に言い聞かせて、応じることにした。

*1: スパゲッティ、ニュース、ベイビー、ケンイチなどが定番であった
*2: 新ケインズ派などはモデルを考察する際に重視する
*3: 思考実験を実施していると、そのプロセスが顔に出るタイプの人がまれにいる
*4: 「目の前のニンジン」のことを経済学では「インセンティブ」と呼んだりすることもある
*5: cf.合理的期待仮説論者など
*6: イグ・ノーベル賞は「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に贈られるもので、1991年に創設された。ノーベル賞のパロディ色が強いが、研究のレベル自体は高いと評価されている
*7: cf.『嘘つき大統領のデタラメ経済』ポール・クルーグマン著,2004年
*8: cf.『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』田中秀臣著,2006年
*9: cf.「MEN’S CLUB」ハースト婦人画報社

デフレ、円高、復興増税、この3つを解く鍵は?!

「きみがマセキくんか、ドクター嶋野からはよく話は聞いているよ」

ま、そんなことは主任は絶対話してないだろうな、と思いながらもバーナードの気遣いに感謝して言った。

「ありがとうございます。えーっと・・・」

このような場合、言い淀んだら最後、大変なことになるということを、末席は痛いほど知ることになる。

クルーグは口火を切った。

「あのさ、リキディティ・トラップって知ってる?」*10
「流動性の罠なら知ってます・・・」*11

末席は自分でも小学生のような受け答えだと身が縮む思いがした。それも無理はない、相手はその論文で世界を唸らせたのだから・・・。
「で、みんなどうしてるの?」

「大変だなって思っていると思います・・・」

それだけか、オー・マイ・・・、というふうに口を動かしたが、クルーグは声には出さなかった。

こんどはバーナードが続ける。

「GDPギャップってご存知かな?」*12
「はい、今はマイナス4%くらいですかね!」

末席はこんどはかわいく言うという作戦に出た。

「日本のGDPが500兆円として、4%だと・・・」

「20兆円でしょうかね!」

「つまりあと20兆円、あると嬉しいですよね」

「そうですね!」

「ではなぜ作らないのか」

バーナードは笑っているが、目の奥で怒っているのがわかり、末席は戦慄した。かわいい言い方は完全に裏目に出てしまったようだ。

クルーグも口を挟んでくる。

「マネーサプライは?」*13
「マネタリーベースは100兆円くらいで、マネーサプライは800兆円くらいですかね、ざっくりですが、ははは」末席は、なぜ笑っているのか自分でも気付かないまま答えている。*14
「じゃあ、問題ないんじゃないの、(GDPギャップ分の20兆円を足して)マネタリーベースが120兆円でも。そのときの予想マネーサプライは?」

「ざっくり8倍*15したとして、960兆円でしょうか」
「いま、ドル/円レートは?80円くらい?800兆円で80円だとすると、じゃあ960兆円では?」

「うーん、ざっくり96円くらいになりますかね・・・、でも、20%も増やすとインフレが・・・」*16
「でも、いま、デフレなわけでしょ?え、マイナス1%?アウチ!しかも流動性の罠で困っているのでは?それだと実際、ジャンプスタートしないと沼地から出られないと思うし、それでもそのインパクトに足りないかもしれないというのに。インフレが心配だというなら、それは言い換えれば、ジャンプスタートが成功したと確認できればということと同義だと思うけど、じゃあさ、今度はブレークイーブンインフレ率を見ながらひきしめていけばいいだけじゃないかな」*17
末席は、もはやグロッキー寸前だったので、テレビで見たエコノミストの受け売りを言うしかなくなってしまった。

「でも、日銀がルールに則ってサプライを調整している以上、どうしようもないですよね・・・」

「どうしようもないのかなぁ、どうなのかなぁ」

このあたりを話したいがために、どうやらこの二人は麹町経済研究所に来たのだろう。

そこで、テレビで速報が入った。

「復興増税は20兆円規模に」

「あれ・・・」

末席は偶然の一致が気になった。

バーナードとクルーグはちょっと意地悪そうに言った。

「20兆円出さなきゃいけないところがあって、20兆円欲しいところがあるんだって。へぇ、なるほどねぇ」

末席はニブいほうだが、今回は気がついた。

「たしかに、増税はちょっと・・・。ただ、国債を出すのも・・・。・・・えっ、まさか!」

クルーグは、さっき皇居の近くのお店でお土産に買ってきたという小判を大事そうに扱いながら言った。

「ここに一粒の金塊があるね、小判ていうんだっけ。ここに、マジックで消えないように政府が20兆円と書けば、どうなる?」

「たぶん、それ、最終的には20兆円になりそうですね・・・」

末席は教科書で政府貨幣発行のプロセスを勉強したことを思い出した。

「裏には復興祈願と書きましょうか」

バーナードは優しげに言った。

「では、撒き方は?」

末席はゴクリと喉をならした。

「それは、日本国民同士で真剣に考えるべき、ガイジンの出る幕じゃないよ」

そう二人は笑って、満足げに帰っていった。

(2日後・・・)

嶋野は、がっかりした表情で出社をしてきた。マネジャーと末席はニヤニヤしてそれを見ている。

「お土産、買ってきたんだが」

そう差し出したのは、コインの形をしたチョコレートだった。

「ありがとうございます、アウトプットのほうもよろしくお願いしますね~」

コインのチョコレートの裏側をチラリと見ながら、笑顔で催促するマネジャーは、ほんとにしっかり者だな、と末席は思った。
*10: ‘It’s Baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap’,Paul Krugman,1998
*11: 『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』ポール・クルーグマン、ラルス・E・O・スヴェンソン著、2003年
流動性の罠とは、名目金利が下がりすぎ、金融政策の打ち手が限られる、あるいは効果がなかなか上がらない状況に陥ること。詳しくは以前のコラム(http://globis.jp/1522-3)を参照されたい
*12: 潜在GDPと現実のGDPの差の割合のこと。マイナス幅が拡大すると景気に深刻な影響を与える
*13: 通貨供給量のこと。「マネーストック(通貨残高)」とも呼ばれる(日本銀行ホームページを参照)
*14: マネタリーベースとは、中央銀行が発行した通貨と当座預金を合わせたもの。マネーサプライは、マネタリーベースを基にした信用も含み、この大きさをどうするかを考えるのが金融政策。また、詳細値などは日銀のホームページでも確認できる
*15: これはほんとうにざっくりで、信用は経済環境下で日々、伸び縮みもしています
*16: 貨幣数量理論におけるMとPの関係より。:貨幣数量理論(quantity theory of money)は、流通している貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決めるという、新古典派経済学の主要をなす理論で、貨幣ストックをM、流通速度をV、価格をP、生産量をYとすると、MV=PYが成り立つとする仮説。詳しくは以前のコラム(http://globis.jp/1522-2)を参照されたい。なお、ほかの要素はここでは捨象している
*17cf. 『クルーグマン教授の<ニッポン>経済入門』ポール・クルーグマン、ラルス・E・O・スヴェンソン著、2003年

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