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自然は人間の鑑? -自然主義の誤謬

投稿日:2010/06/02更新日:2019/08/14

問題です

以下の会話で、夫の論理展開の良くない点はどこでしょうか。

妻: 「あなた、浮気したでしょ!」

夫: 「え、何を根拠に?」

妻: 「しらばっくれたって、証拠はあがってるんですからね。この前、若い女の子とデートしているところを見たのよ。ついでに、ケータイのメールもチェックさせてもらいました。私の知らないところで、ずいぶん仲良くしているようね」

夫: 「…」

妻: 「どういうつもりなの!」

夫: 「そんなこと言ったって…。そもそも男は浮気する動物なんだよ」

妻: 「何わけのわからない言い訳してるのよ」

夫: 「だってそうじゃないか。オスというものは、たくさんのメスを追い求めて、多くの子孫を残すようにDNAにインプットされているんだ。これは生物学的に仕方ないんだよ。自然の摂理なんだ」

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解答です

今回の落とし穴は、「自然主義の誤謬」と呼ばれるものです。つまり、「自然界ではこうなんだから、人間が○○するのも仕方がない、あるいは、社会が△△の状態にあるのも当然だ」という考え方をしてしまう、しかし、それが必ずしも望ましいものではない、というものです。なお、学者によって「自然主義の誤謬」にも多少定義の差はあるのですが、ここでは最も世の中で多く用いられている考え方を示しました。

たとえば、今回のケース以外では、以下のような主張が自然主義の誤謬の例と言えます。

・「自然界は徹底した弱肉強食だ。優勝劣敗は自然の摂理であり、弱者に手を差し伸べる必要はない」

・「カッコウなどの一部の鳥類は卵の世話を他の鳥に任せるなど、手間を省いて自分が有利になるように進化してきた。企業も、もっとずる賢く進化しなくてはならない」

・「光は最短のルートで進む。企業も最短のルートで成長すべきだ」

では、こうした自然主義の好ましくない点は何でしょうか?これについてはさまざまな議論があるのですが、ここではその中でも最も重要と思われる、「事実(状態)と規範の混同」を指摘したいと思います。つまり、「○○である」という「状態」と、「□□すべし」という規範を、単純に結び付けているところに落とし穴があるのです。「△△は□□すべし」と言う規範は、多くの論理展開で重要な位置を占めますから、この部分が説得力を持たないと、最終的な主張も説得力を持たないものになってしまいます。

確かに動物のオスのDNAには、より多くの子孫を残すというプログラムがインプットされているかもしれません。しかし、だからと言って、人間の世界において、際限なく浮気を認めてしまったら、非常に混乱した世の中になるでしょう。

人間は、理性を働かせることで、自然の状態に囚われない、規範や法を作り進化させてきました。現在、多くの国で、「一夫一妻」が取り入れられているのは、そうした理性が作り上げてきた結果です(ちなみに、そうした規範をどのように定めるべきかについては、ベンサムが提唱した功利主義やカントの道徳論など、様々なアプローチがありますが、ここでは割愛します)。

人間は理性の動物です。自らが生きている自然に学ぶことは大切ですが、自然がこうだから、と安易に人間の規範と混同しない姿勢が必要なのです。

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