ソフトバンクと事業リスク ―事業構造の変遷とリスクの関係 

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今回は、企業の成長に伴う事業構造の変遷と、そこで経営陣が果たすべき役割について、ソフトバンクを例に考える。

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株価の変動リスクの大きさを表す指標として、「ベータ(β)」がある。これは、株式市場全体(例えば東証株価指数/TOPIX)に対する個別株式の株価の変動幅を相対的な大きさで示すものだ。例えばβが1であれば株式市場全体と同じリスクの大きさ、1より大きいということは市場平均よりもリスクが大きいということを示している。

では株価は何によって変動するのか。その根幹はバランスシートの左側の資産そのものにある。

企業が保有する資産が生み出すキャッシュフロー(フリーキャッシュフロー)がバラつくために、株価が変動することは前回のこのコラムでも説明した。つまり、借入金(有利子負債)の提供者と株主とに分配されるフリーキャッシュフローの総額は時の経過と共に変動する。借入金の提供者は株主に優先してキャッシュフローの分配に預かれることから、その分配額の変動幅は小さい。一方、株主は借入金の提供者に分配された後の残り物にしか権利がないことから、株主への配分(配当金+キャピタルゲイン)は大きくバラつくことになる。これが、株価が変動するリスクの根源である。

また、借入金の提供者に先にキャッシュフローが分配されるため、資本構成(株式時価総額と借入金の構成割合)によっても、株価の変動リスク(β)は変化することになる。
このように、株式βは資産のリスク(資産β)と資本構成の二つの要素によって決定される。

この関係を式に表してみよう。資産のリスクの大きさは、借入金と株主資本のそれぞれのリスクの大きさの加重平均であることから、以下のように算出できる。

資産β=有利子負債β×D/(D+E)+株式β×E/(D+E)
D(有利子負債額)、E(株主資本の時価総額)

ところで借入金は全資産に占める割合が相当に大きくならない限り返済不能となる確率はかなり小さいことから、そのリスク(有利子負債β)は、ほぼゼロとみなすことができる。従って「資産β=株式β×E/(D+E)」となり、ここから、「資産β=株式β/(1+D/E)」という式が導き出されるが、実際には借入金にはその支払い金利の節税効果があることから、最終的には以下の算出式が出来上がる。

資産β=株式β/(1+(1-税率)×D/E)

ここで、上記で求めた式を使ってソフトバンクの株式βと資産βの推移を見てみよう。

表:ソフトバンクのベータ値推移

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※1:東京証券取引所推計の株式β(5年間) ※2:株式分割を考慮した後の株価 ※3:資産β=株式β/(1+(1-税率)×D/E)

上の表から明確に見て取れるように、ソフトバンクのβは株式β、資産βともに時系列的に趨勢的に減少してきている。このことは、ソフトバンクの資産のリスク、即ち事業リスクが時の経過と共に小さくなってきていることを示している。

ソフトバンクはパーソナルコンピュータ用のパッケージソフトの流通事業から起業したが、その後、何回か大きく事業構造を変革してきた。

米国のコンピュータ関連出版事業の買収を皮切りに、ベンチャー企業への投資・育成事業、そして1996年1月にはヤフー日本法人を設立してインターネット事業に参入。2001年9月には「Yahoo!BB」によりADSL事業に、2004年7月には日本テレコムを買収して固定電話事業に、そして2006年1月にはボーダフォンを買収して移動体通信事業にと、通信分野での事業拡大を図ってきた。

注目すべきは、これに伴ってソフトバンクが保有する資産の中身も大きく変化してきたことである。βの時系列での推移を見ても、リスクの極めて高いベンチャー投資事業から、リスクの低い移動体通信事業(例えばNTTドコモの株式βは0.66*1と、かなり低い)へと、ソフトバンクの事業ポートフォリオは、時代とともにリスクが低減する方向に進んできたことわかる。

ここで疑問が湧く。ソフトバンクの孫(正義)社長は、意識的に事業リスク(β)を低減させるべく事業展開を行ってきたのだろうか。孫社長はもしかしたらそうかもしれないが、一般にCEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)は、事業リスクについてはさほど意識せず、あくまで事業戦略上の観点から自社の競争優位性をより発揮できるように事業ポートフォリオを組み替えていくのではないか。そしてその主眼は、まずは営業利益(EBIT)の継続的な増加にあろう。

一方、CFO(最高財務責任者)は、自社のその時点での事業展開の中で企業価値を最大にできるような財務の枠組みを追求する観点から、事業リスクの大きさを勘案しながら、最適な資本構成(企業価値を最大にする借入金と株主資本の比率を「最適資本構成(最適負債比率)」と呼ぶ)を追求していくことが求められている。つまり明確に自社のβを意識しながら資本構成を検討することになる。

企業価値の算式を思い出してほしい。

PV=Σ(FCFn/(1+WACC)^n)
PV(企業価値)、FCF(フリーキャッシュフロー)、WACC(加重平均資本コスト)

分子となるフリーキャッシュフローが以下の算式で表されることは前回述べた。

FCF=EBIT×(1-税率)+減価償却費-投資-増加運転資本
FCF(フリーキャッシュフロー)、EBIT(税引き前、利払い前利益)

一方、分母のWACCは以下の算式で表される。なお、WACCは調達した資本の加重平均コストであると同時に、企業が生み出すフリーキャッシュフローのリスクの大きさを表した割引率であることは、第5回のコラムで説明したとおりである。

WACC=rD×(1-税率)×D/(D+E)+rE×E/(D+E)
WACC(加重平均資本コスト)、D(借入金の時価総額)、rD(有利子負債提供者の期待利回り)、E(株主資本の時価総額)、rE(株主の期待利回り)

さて、株式βに表されるリスクの根源は資産が生み出すフリーキャッシュフローのバラつきの大きさ(資産β)にあり、企業がどこまで借入金ができるかは、この資産βの大きさによって概ね決まることになる。
借入金の利率は株主の期待利回りよりも小さいことから、借入金の比率を上げれば当然WACC(加重平均資本コスト)は下がっていく。フリーキャッシュフロー価額は資本構成によって変化しないから、WACCが下がれば企業価値は上昇していく。
それでは借入金の比率を無限に引き上げていけるかというと、それは難しく、あまり借入金に頼りすぎると倒産するリスクが高くなる。倒産のリスクを回避しながら借入金の額を最大にできる地点が最適資本構成と呼ばれるものであり、同じ金額のフリーキャッシュフローであっても企業価値が最大になるよう、資本構成をこの最適資本構成に近づけていくことがCFO(最高財務責任者)の重要責務の一つである。

ただ、ここで述べたのは、あくまで本来そうあるべきとの観点からの考察であり、現実の問題として、そうした考え方で経営が推進されている企業は、さほど多くないように思われる。

先ほど、「ソフトバンクの孫(正義)社長は、意識的に事業リスク(β)を低減させるべく事業展開を行っていたのだろうか」と問いかけたが、ここで強調したいのは、βを意識していようと、していまと、自社の競争優位を強化し、かつシナジーが発生するような事業ポートフォリオを組んでいけば、結果として事業リスクは低減できるということである。エイベックスがアーティストのポートフォリオを組むことによって売上高の変動幅を抑え、事業リスクを低減させた事例を思い出してほしい。同社の経営陣が、ポートフォリオ理論を念頭に、明確に事業リスクを低減すべく事業展開したかは疑問であるが、経験からの直感としてポートフォリオを組むことの重要性(=これによってリスクを低減できる)は充分に認識していたのではないだろうか。このことは当時の会長・依田巽氏の「(売上高・利益に対する浜崎あゆみの貢献度が大きく低下したにもかかわらず)非常に健全になった」とのコメントからも伺える。

しかし実際には、自社の競争優位性を省みない事業の多角化やM&Aが横行しているのが現実である。

また、自社株買いにしても、事業構造の変遷・事業リスクの変化に足並みを合わせる形で、最適資本構成に近づけ続けようと明確な意図を持って実施している事例は、まだ極めて少ない。

ファイナンス理論を学ぶ目的の一つは、企業としての戦略の妥当性を評価し、そしてその戦略が本当に採算に合うのかを合理的に判断する視点を養うことにある。単純に定量分析の結果、NPVがプラスだから投資を実行すればいいという単眼的思考では企業経営は決してうまくはいかない。自社の競争優位を更に強化できるような事業展開かどうかという定性的な判断と、その戦略は採算に合うのかという定量的な分析を、車の両輪のようにバランスよく実施していくことの重要性を念頭に置きながら、ファイナンス理論を学んでいく必要があるのではないだろうか。

*1 2007年3月までの5年間の東京証券取引所推計値

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