セブン-イレブン10円の飴玉…I shop, therefore I am 

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最近のコンビニは小額菓子の宝庫

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「I think, therefore I am.(我思う、ゆえに我あり)」というデカルト*1の言葉をもじって、アメリカのモダンアーティストのバーバラ・クルーガー*2は、「I shop, therefore I am.(我買い物す、ゆえに我あり)」と表現した。確かに、人間以外の動物は買い物をしない。買い物は、人間の本質的な行動の一つである。だから、「人間にとって買い物とは何か」を考えることは、マーケティングの重要なテーマとなる。

人間は、何かの目的のために買い物をするが、同時に買い物という行為自体を目的とすることもある。ここに、人間がする買い物という行動の大きな特徴がある。
すべての買い物は、「目的買い」と「買い目的」それぞれの要素の混合によって構成される。たとえば、朝ごはん用のパンを買うときというのは、90%が必要なものを持ち帰る「目的買い」で、10%が何かを買う行為によって心を満たす「買い目的」かもしれない。逆に、特に具体的に買わなければならないものは無いが、なんとなく何かを買いたい気持ちに動かされてコンビニに入り、結果として新製品の「北海道チョコポテト」*3を買ってしまった場合というのは、90%が「買い目的」で、10%は「目的買い」かもしれない。

さて、最近コンビニへ行くと10円の飴、20円のチョコといった、つい最近まではあまり見かけなかった10~30円程度の小額商品が目につく。
セブン-イレブンで最初に10円の飴玉を見た時、私の無意識の奥底に埋もれていた記憶が蘇った。小学校へ上がる前(1960年代半ばです)の私の大きな楽しみは、祖父から5円玉や10円玉を一つもらって、2軒隣の駄菓子屋へ行き、量り売りの飴玉や揚げ菓子を買うことだった。時には1円玉一つを握り締めて、ニッキの飴玉一つを買うこともあった。その時の私には、とにかく「買う」という行為自体が楽しかった。買うものは飴でも揚げ菓子でも何でも良かった。極端に言えば、「買う」ことで、子供ながらに社会の一員であるという自己確認をしていたような気がする。

セブン-イレブンの10円の飴玉に戻る。70年代以降、駄菓子屋という業態は急速に淘汰された。それに伴い、商品はあらかじめパッケージ化され、その最小単位は大きくなり、就学前後の幼い子供が自分の身の丈の範囲内で自由に買える商品も無くなってしまった。そのことは、子供から買い物という人間ならではの楽しみを奪ってしまったことを意味する。

セブン-イレブンの10円の飴玉は、目先のことだけを考えれば効率のいい商売ではない。でも、10円の飴を売ることで、セブン-イレブンは、子供たちに買い物の楽しみを復活させた(皮肉なことにそれは、自らの成長によって奪ってしまった楽しみなのだが)。自分で10円の飴を買った子供は、至福感に包まれる。そして、20年後、順調に成人し、購買力がついたかつての子供は、セブン-イレブンに入るとその時の至福感が無意識のうちに蘇り、つい不要なものまで買ってしまうことになる(かもしれない)。

人間にとって買う行為には快楽が伴う。商品そのものの価値を考えると同時に、その商品を買うことの価値を考えるという視点に気づかせてくれたセブン-イレブン10円飴玉でした。

 

*1ルネ・デカルトは、1596年・フランス生まれの哲学者・自然学者・数学者。「近代哲学の祖」とも称される。広く知られる著に「方法序説」がある。
*2バーバラ・クルーガーは、1945年・アメリカ生まれのアーティスト。広告業界に身を置き、グラフィック・デザイナー、アート・ディレクターなどとして活躍の後、1970年代から写真と文字を組み合わせたメッセージ性の強い作品の発表を始めた。フォトコラージュ「I shop therefore I am」は1977年の作品。
*3北海道チョコポテトは、明治製菓が地域を限定して販売しているチョコレート菓子。ポテトスナックにチョコレートを絡ませた商品で、「あまじょっぱい」ハマる味。稲垣吾郎がCM出演している。

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