エジソンという起業家  -エジソン財団のアドバイザリー・ボードに参加して 

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「天才は、99パーセントの努力と1パーセントのひらめきにより生まれる」

エジソンのこの言葉は有名である。そのエジソンの息子が創った財団であるエジソン財団のアドバイザリー・ボードへの就任要請がきたのは、1年ほど前のことである。「エジソン財団は世界の叡智を集め、財団運営に貢献できる人材を世界から集めることにした」というのが、僕への就任要請の趣旨であった。

年に1回のボード会議への参加と年2回の電話会議への参加が、ボードメンバーへの期待である。交通費・宿泊費さらには、年間のボードへの報酬も適度にコミットされていた。僕は最初は躊躇した。本業であるグロービスの経営大学院やベンチャー・キャピタル以外に、G1サミットやKIBOW、経済同友会の委員長、ダボス会議の「世界の成長企業」の共同議長、更に政府の委員を務めていて、かなりの多忙だったからだ。子供たち5人とも十分な時間を過ごしたいと思っていた。だが、トーマス・エジソン氏への畏敬の念が強かったことと、年会議の日程も僕の海外出張にある程度は合わせてくれると言うことで、引き受けることにした。

4月に1度電話会議が開催されたが、その時は財団の経営チーム、更には他のメンバーの顔がわからないので、あまりピンと来なかった。9月の第4週にNYでエジソン財団のアドバイザリーボード・ミーティングが開催されることが決まった。僕は、以前は年に3、4回NYに来ていたが、Apaxとのパートナー契約も終了し、投資家対応も権限移譲できるようになってきたので、最近はNYへの訪問は年に1回程度になっていた。その訪問の時期は、9月の国連総会の週に合わせる様にしている。国連総会の週にNYでは様々な会合が開かれ、要人に会うにはとても良い時期だからだ。僕が一昨年共同議長を務めたアトランティック・カウンシルの会合も、その週に計画されていた。

9月21日に成田を発った。トライアスロンの翌日でもあり、多少の筋肉痛を伴う海外出張となった。アトランティック・カウンシルのディナーやApaxの元パートナーとの朝食会など、バタバタしていた。少し遅れて安倍総理もNY入りされていたので、友人の世耕弘成官房副長官とも週の後半に会い、国際情勢に関して意見交換した。ボード会議の前日にハーバード・クラブに併設されたホテルに移動した。部屋全体がハーバードカラーであるクリムゾン色に染め上げられていた。

9月26日、朝8時にエジソン財団のボードメンバーと会い、バスに搭乗してエジソンが50年近く拠点にしたニュージャージー州のウェスト・オレンジ市に向かった。そこには、エジソンの自宅、研究開発センター、そして工場が広大な敷地の中に位置していた。

朝食をとりながら、エジソンについて説明を受けた。エジソンは、世界のGDPの10%以上の価値を生み出した。発電システムをつくり、電球を発明し、蓄音機、更には映画も創った。1000以上の特許を出願した発明家の側面は、ある程度は知っていた。だが僕が最もビックリしたのは、それらの発明をもとに、製品化し、製造工程を創り、人を雇い実際にマーケティング等の経営を行っていた事実である。つまり、彼は「発明」と称する研究開発(R&D)をもとに事業化した、ハイテクベンチャー型の起業家でもあったのだ。

僕はベンチャー・キャピタルを本業にしているからよくわかるのだが、研究開発はそれだけでも難しい。だがそれ以上に難しいのが、その技術を基に製品化し、製造工程をゼロからつくり、品質が高い製品を大量に生産し、新規顧客を獲得し、売上を得て、財務的にも永続的に儲かる仕組みをつくることだ。その過程で、それらに適した多くの人材を雇い、マネージし、人材育成もしなければならない。

しかも発明の場合には、それら全て、つまり製品化、製造工程、マーケティングを含めて誰もがやったことが無いことだ。模倣が無い、全くゼロからの創造なのだ。僕はエジソンの工場を視ながら、震えるほどの感動を覚えていた。エジソン財団のアドバイザーとしての特権を活用し、普段は誰もが入れないところにも入れてもらえた。その一つが、エジソンが使っていた机の前での記念撮影だ。

エジソンの発想はオープンイノベーションだ。全く違う分野のエンジニアと議論をしながら、アイディアを現実化させていく。そして現実化するプロセスは、実践的な実験の繰り返しでもあった。まさに、トライ&エラーだ。

エジソンの有名な言葉に、「失敗は、発明の母である」がある。「1万回失敗したのではない、1万通りのうまくいかない方法を見つけることに成功したのだ」とエジソンは言った。実験室に行くとわかる。ありとあらゆる素材を試すのだ。結局、電球のフィラメントは、京都の竹が一番有効だと発見することに成功した。その発見までにうまくいかない方法を何千回と見つけることに成功したのだろうか。とても粘り強く、よく働くのだ。

エジソンの机の近くには、ベッドが置かれていた。エジソンは1日18時間働き、その合間によく昼寝をしたらしい。「どうせ寝るならしっかりと睡眠をとって欲しい」と妻が願い、ベッドを執務室の部屋の片隅に設置したらしい。

工場の傍らにあった19世紀末にできた世界初のスタジオの中に入った。その後、工場の敷地を後にして、丘の上に位置するエジソンの邸宅そしてガレージへと向かった。邸宅の机の上には、エジソン社にて使われた社内報が大切そうに置かれていた。この社内報からも、1万3000人の従業員を抱えていた大企業経営者のエジソンは、社内のコミュニケーションをとても重要視していたことが理解できた。まさに、「起業家エジソン」の面目躍如である。

ガレージの中に入ると、1920年前後の車が何台か置かれていた。中にはエジソンがつくった電気自動車もあった。電気自動車は、今ではハイテクの様にもてはやされるが、100年近く前から既に公道を走っていたのだ。その電気自動車の前でパチリ。

研究所、工場、スタジオ、邸宅、ガレージと訪問した後に、NJ州の中心都市であるニューアーク市にあるエジソン財団の事務所に向かった。昼食をとりながら、いよいよボード会議の開催だ。議題は、「どうやってエジソンの功績を世に広め、財団が財政的にも拡大再生産することができるか」だった。

僕自身、3つの非営利団体を運営している。学校法人(グロービス)、財団法人(KIBOW)、そして社団法人(G1サミット)だ。それらの経験からいくつかアドバイスをさせてもらった。「発明家ではなくて、起業家としてエジソンを捉え、草の根的な寄付を募る活動を展開したらどうだろうか」というのが、僕の一番の提案だ。エジソンは発明が凄すぎたために、起業家的側面は無視されがちだ。だが、単なる発明だけではない。これだけ多くの産業と雇用を生み出してきたのだ。その功績はとてつもなく大きい。

エジソンとよく比較されるアインシュタインも立派だが、産業も雇用も創ることは無かった。学者は発明だけではなく製品化、さらに産業化までを担って初めて、その功績が高まるのではないかと思う。まさに、日本の山中伸弥・京都大学教授がiPS細胞の発明をしてノーベル賞を受賞してもそれに満足せずに、iPS細胞をもとに臨床を行い、再生医療の分野で新たな産業を創ろうとしているのと同じだ。とても尊敬に値する姿勢だ。そのモデルになったのがエジソンである、と言っても過言ではないと思う。

バスがハドソン川を渡り、マンハッタンのハーバード・クラブへと戻っていった。ホテルで休息をとったのちに、夕方5時半に歩いてグランドセントラル駅にあるイタリア料理の「チプリアニ」に向かった。その後、夜8時からミュージカルの『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。エジソンの発明は、この劇場そしてミュージカルにも活かされていた。電気が通り、電灯で明るくし、音楽が流れ、映像が投影されていた。

発明そして製品化によって、世の中は進化する。「神は、全ての問題を与えてくれるとともに、解決する方法も与えてくれている」(エジソン)のだ。まさに、社会の問題解決をするのが起業家の役割だ。

「1日も労働に従事したことは無い。全ては楽しみだった」(エジソン)。僕も、全く同感だ。僕にとっても、労働ではなくて、全てが楽しみなのだ。僕も、「起業家エジソン」に負けない「起業家堀義人」として、こういう楽しい人生を送り続けたいと心に誓った。

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