神社、寺、教会、モスク 

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日本人以外の方に、日本の神社にはどのようなイメージがあるかと尋ねてみよう。おそらく、「神秘的」、「論争」という答えが返ってくるのではないだろうか。日本では毎年、日本の英霊を祀った東京の靖国神社を上層の政治家が参拝し、他のアジア諸国から激しい非難を浴びるのが恒例になっている。残念な習慣である。

だが、この記事では靖国論争のことは脇に置いておきたい。その代わり、日本人にとって神社がどのような意味を持ち、日々の生活でどのような役割を果たしているのかについて説明したいと思う。

まずは、神社が持つ意味について説明しよう。僕たち日本人は、重要な人物――リーダーや社会に貢献した人々――が亡くなると、その人物は神に姿を変えて神社に住み、そこから社会を見守ると信じている。江戸(東京の旧称)幕府の初代大将軍である徳川家康は、その好例だ。1616年に家康が亡くなると、江戸幕府は日光東照宮(現在は世界遺産となっている)に彼を祀った。そうすることで彼の霊が、北に約120キロ離れた山地にある見晴らしの良い場所から、都の街を見守ることができるようにしたのである。

神社が日常生活で果たしている役割については、僕自身と僕の家族を例にとって説明したい。僕は東京の明治神宮で結婚式を挙げた。明治神宮は、近代日本初の天皇である明治天皇を祀った神社である。僕の家族は毎年、全員で明治神宮へ初詣に行く。また、僕は5人の息子全員を、生後1カ月と5歳のときにお参りに連れて行った(この習慣は、乳児死亡率が非常に高く、5歳まで成長できれば神様への感謝に値するほどありがたいと考えられていた時代の名残である)。

僕は、論争の的になっている靖国神社のすぐそばに住んでいる。現に、息子たちが通った幼稚園では、靖国神社の境内を遊び場として使っているほどだ。春には他の多くの家族と同様に、僕の家族も境内へ行って美しい桜の花を観賞する。夏には家族揃って浴衣姿で「みたままつり」へ行く。靖国神社はこの祭の期間中、焼きそばやたこ焼きを売る食べ物の屋台と、縁日でおなじみのゲームを楽しむことのできる子ども向けの屋台でいっぱいになる。このように、靖国神社を訪れることは、5人の息子を含む僕の家族にとっては日常生活の一部なのである。
神社はビジネスにも関わりがある。日本のサラリーマンには、赤坂の日枝神社を参拝して新たな試みの成功を祈るという伝統がある。実は僕の会社でも、現在の東京のオフィスとキャンパスの起工に先駆けて日枝神社の神主を招き、社業繁栄を祈願してもらった。

以上のことからわかるように、神社は日本人の日常生活に完全に織り込まれているのだ。
もう1つ、日本の宗教の素晴らしい特徴として触れておきたい点がある。それは、排他的なところが全くないという点だ。ここでもまた、僕の家族を例にとって要点を説明したい。僕の祖父の1人が亡くなったとき、葬儀は仏教の寺で行われたが、別の祖父の葬儀は教会で行われた。一方、クリスチャンである僕の父は、教会で結婚式を挙げている。僕自身は自分を仏教徒と見なしているが、先に述べたように、結婚式は神道の神社で挙げた。つまり、1つの家族に3つの宗教が共存しているのだ。

僕たちはなぜここまで受容的になれるのだろうか。それは、僕たち日本人が、あらゆる宗教は結局のところ同じ神に通じると信じているからだ。だからこそ日本では、いかなる種類の宗教戦争も起こったためしがないし、起こるはずがないのである。

世界では宗教が断層線の役目を果たし、それに沿って紛争が勃発することがあまりに多い。この状況を変えるために、世界は日本からあるものを学ぶことができると僕は考えている。それは、宗教に対する日本の寛容で受容的なアプローチである。僕たちは、神社、寺、教会、モスクのすべてが仲良く共存できると信じているのだ。
(Photos: © 安ちゃん - Fotolia.com)

この記事は、2013年10月7日にLinkedInに寄稿した英文を和訳したものです。

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