大学病院、戦略コンサルタントを経て、高齢者の笑顔を選んだ医師 —武藤真祐氏【前編】 

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武藤 真祐/ムトウ シンスケ

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一般社団法人高齢先進国モデル構想会議 代表理事

昭和46年5月9日生

■学歴
昭和59.3 埼玉県立泉野小学校卒業(埼玉県入間郡毛呂山町)
昭和62.3 私立開成中学卒業
平成2.3 私立開成高校卒業
平成8.3 東京大学医学部医学科卒業
平成14.3 東京大学大学院医学系研究科内科学専攻博士課程修了
平成21.9 早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程修了
平成25.7- INSEAD Global Executive MBA

■職歴
平成8.6-9.5 東京大学医学部附属病院 研修医
平成9.6-11.5 三井記念病院 循環器 内科医
平成14.4-14.9 科学技術振興事業団 博士研究員
平成14.10-16.3 東京大学分子細胞生物学研究所 博士研究員
平成16.4-18.8 宮内庁 侍従職侍医
平成18.9-20.11 McKinsey & Company コンサルタント
平成20.12- NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会 理事長
平成22.1- 祐ホームクリニック千石 院長
平成23.3- 医療法人社団鉄祐会 理事長
平成23.5- 一般社団法人高齢先進国モデル構想会議 代表理事

■資格その他
日本国医師資格
米国医師資格試験 (USMLE Step3) 合格 (カリフォルニア州)
医学博士 (東京大学大学院)
認定内科医
循環器専門医
米国公認会計士 (デラウェア州)
ファイナンスMBA (早稲田大学大学院)

高齢化が進む中、病院や介護施設ではなく「自宅で最期を迎えたい」と考える人が増えている。そのために不可欠なのが、在宅医療。往診してくれる医師や看護師、ケアマネジャーが連携し、24時間365日、相談できる体制をつくること。これを実現するため、東京と宮城県・石巻で在宅医療を手がける医師の物語。一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る連載第4回前編。

大通りを入って5分ほど歩くと、大きな公園に出る。ここでは毎朝、ラジオ体操が行われている。最寄りのJR山手線巣鴨駅近くには、いわゆる「おばあちゃんの原宿」、地蔵通り商店街があり、買い物や談笑を楽しむ高齢者で賑わっている。

こうした場所に出かけてくるのは元気な高齢者だ。一方で、武藤真祐(むとう・しんすけ)が日々、接しているのは外出に困難を感じる高齢者たち。年を取るにつれ、誰でも感じる体の不調や手術などで退院した後の不安を抱えつつ、できればずっと、自宅で家族と一緒に暮らしたいと願う人は少なくない。もしも信頼できる医師や看護師が往診してくれさえしたら。

そうした願いをかなえるために、武藤が巣鴨駅徒歩圏に「祐ホームクリニック」を開設し、東京で在宅医療を始めたのは今から4年前の2010年。現在、文京区、北区、荒川区、豊島区の全域と台東区、板橋区、新宿区、千代田区の一部地域で訪問診療を行っている。2011年に大震災が起きた半年後には、宮城県石巻市に在宅医療の拠点を作り、同市内で訪問診療を行っている。

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祐ホームクリニックの約束(YOUCREDO)には「患者さん・ご家族との約束」として「わたしたちは、患者さんが安心してその人らしい人生を送ることができるよう、患者さんとご家族の言葉に真摯に耳を傾け、適切な支援を行います。」と記されている。

20歳以上の6割以上が望む、終末期の在宅医療

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高齢化が進む中、在宅医療へのニーズは高まっている。厚生労働省の調査によれば、慢性期・回復期や終末期の患者が生活の質を重視しながら在宅医療を希望するとみられ、2015年には29万人が在宅医療を必要とすると推計している。現在、20歳以上の国民の6割が、終末期には在宅医療を希望し、高齢者の4割が自宅での介護を希望している。在宅療養届出診療所は1万2000余りあるが、まだ課題も多い。「介護してくれる家族に負担がかかる」「症状が悪化したときの対応に不安」「24時間相談に乗ってくれるところがない」といった点が挙げられる。

『在宅医療の最近の動向』(出所:厚生労働省医政局指導課在宅医療推進室)

行政の文書を見るだけでは、武藤が作っているものの真価は伝わりにくいかもしれない。彼がなしていることの価値を実感するには「武藤がいない地域」を見るのが手っ取り早い。

ひとつの例を見てみよう。千葉県北西部にある中規模の街に住む66歳の女性は、最近「在宅医療を受けられるような仕組みづくり」のため、動き始めた。人口7万人余り、平成22年の国勢調査では高齢化率20%を切るが、市の財政は苦しい。地域で20年にわたり、介護ボランティアやコミュニティバス開通、街づくりに取り組んできたこの女性は、最近、行財政改革の市民委員になった。あらためて分かったのは、市の厳しい財政事情だ。アドバイスをした大学教授は「ここまで削るのか、と驚くほど、支出をカットしなくてはならない」と言った。だから「行政には頼れない。自分たちでやらなくては」と思った。

昨年、遠方に住む、この女性の姑が介護施設で亡くなった。年齢だけを見れば大往生。見舞いや介護など嫁として出来ることはやった。だが「おばあちゃんは、あれで幸せだったんだろうか」という思いは消えない。ふと自分が住む地域を見ると、子どもが巣立ち高齢者のみの世帯が目立つ。「何とかして自宅で最期を迎えられるようにしたい」。そう考えて情報を集めているうち「往診してくれるお医者さん」を見つけた。

「まずは、志のあるお医者さんを発掘しようと思う。今度、地元の医師会にも相談に行ってみる。介護のケアマネージャーとも協力して、自分の家に住み続けられる体制を自分たちで作りたい」。こうした体制づくりは全てボランティアになる。

医療と介護の連携は容易ではない

これは一例だが、日本中に同じような事例が山のようにある。「うちにいたい」と望みながらかなわず亡くなっていく人は数えきれない。個人が何とかしたいと思ったら、手弁当で情報を集めるところから始めなくてはならない。往診してくれる医師はどこにいるのか。どのケアマネジャーが情報を持っているのか。元気で、何より無報酬で動ける善意の人々の存在が欠かせない。報告書は「連携」と漢字2文字で済ませるが、それを素人が実現するのは容易ではない。もし、地域にひとり、武藤のような医師がいたら。

こういう状況の日本で在宅医療のクリニックを始めるのは、ビジネスパーソンに聞き慣れた言葉でいえば、「社会的起業」に相当する。医療機関や多様な専門性を持つ医師、看護師、介護事業者やオペレーションのスタッフを取りまとめ、最初の相談から定期的な訪問、緊急時の対応、そして最期には在宅で看取りまで行う。それは、現在、亡くなる人の8割が病院という状況を知ると、大きな変化だ。必要とする人は多いが、手間のかかる困難の多い仕事。なぜ、そんな世界に飛び込んだのか。それを知るために、過去20年の武藤の経歴を振り返ってみたい。

将来を約束されたエリート

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一言でいえば、武藤は絵に描いたようなエリートだ。1990年3月に開成高校を卒業し、4月に東京大学医学部に進学、96年に卒業し東大医学部病院で研修医を務めた。翌97年に三井記念病院の循環器内科医となり、5年後の2002年には東大で博士課程を修了、そのまま東大の分子細胞生物学研究所の博士研究員を1年務めた後、2004年に宮内庁侍従職侍医となった。

転機は33歳頃に訪れた。「このままいけば50代で東大教授になるだろう」と思われた頃だ。普通の人が見れば完璧なキャリアだろう。だが、その時、武藤は考えた。「ポジションで変えられることは限られている」。医療だけではない、世の中を変える手段を知りたいと考え、経営を学ぶためMBA留学を検討した。ところが様々な人に話を聞くうちに「マッキンゼーやボストン・コンサルティングというものがあること」を知る。「留学と同じ2年間」のつもりでマッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社した。

そこは東京タワーが見える六本木のオフィス。「俺たちが日本を変える」と前向きに信じる有能な人々の集団を武藤は「カッコいいと思ったし、楽しかった」。一般に戦略コンサルタントの仕事は激務と言われるが「僕は平気でした。循環器医の時は週2回しか家に帰れないこともザラでしたから。それに比べたらコンサルタントの仕事をきついとは思わなかった」と振り返る。英語の仕事環境こそ「最初のうちは辛かった」ものの、論理的なものの考え方やチャートを使った表現など「日々、学ぶことがあるのが楽しかった」。

マッキンゼーで得たものは「スキルより『何とかなるという意識』。自分を変化させる力だと思う」と武藤は言う。予定通り、マッキンゼーを2年で「卒業」する頃、自分が何を最も嬉しいと感じるのかが、あらためてよく分かった。

名誉よりお金より、欲しかったもの

それは「人に喜ばれる」こと。高給取りだが顧客から「使い倒される」感覚の強いコンサルタントより、それを上回る激務でも患者に心から「ありがとう」と言われる医療の世界に戻ろうと思った。それも一番、現場に近いところへ。そうして選んだのが在宅医療という分野だった。

経歴を知る人からは「野に下る」と言われることもあるが、武藤は意に介さない。「正しいことをやっていて、それが世の中に求められるのであれば、自然に結果はついてきますから」と子どものような笑顔で言い切る。

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