新社会人に贈る2013〜自分の物語を編んでいこう 

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2013年春、社会に出て新しく職業に就くみなさんおめでとうございます。その門出を祝して次の3つのことを書きます。

1)「楽しい」仕事があるわけではない、仕事に「楽しさ」を見出せる人間がいるだけだ
2)12年経ってわかる答え
3)将来が見えないことを不安がる必要はない、大事なのは“心のベクトル”を持ち、機会をつくり出すこと

そうじ仕事はつまらないものですか?

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私は企業内研修の実施を仕事にしています。そのプログラムのひとつとして、入社3年目〜5年目の若年層社員を対象にした『プロフェッショナルシップ研修』というのがあります。「プロフェッショナルシップ」とは私の造語で、一個のプロであるために醸成すべき基盤意識をいいます。そんな種類の研修ですから、受講者の働く意識の持ちようをよく観察することができます。入社3年目ともなると、自分の仕事にモチベーションを高く持ってぐんぐん成長している人とそうでない人の差がはっきりと出てきます。

仕事への意欲が上がらない人の多くは、仕事のつまらなさ、きつさ、やらされ感、未来への閉そく感を口にします。「能力適性と配属のミスマッチ」という便利な言葉で、「ここは自分のいる場所じゃない!」「(いまの仕事が面白くないのは)会社や上司の人の活かし方に問題があるからだ」と決めつけにかかる人もいます。そんな場合に私が伝えているメッセージは次のようなことです。

あらかじめ「楽しい」仕事があるのではない。
仕事に「楽しさ」を見出せる人間がいるだけだ。

極端な例ですが、あなたがもし、そうじ係のような仕事を1年間任されたとしましょう。その任務をどうとらえてやり抜くか。それはあなたの心持ちによって決まります。確かにふつうに考えれば、そうじの仕事は単調でつまらないように思えます。しかし、この一見つまらないそうじの仕事も、心持ちひとつによって劇的に変わるものなのです。昨今話題になっている『新幹線お掃除の天使たち 「世界一の現場力」はどう生まれたか?』(遠藤功・著、あさ出版・刊)という本を読んでみてください。

この本は、新幹線車両の清掃会社である鉄道整備株式会社の清掃員の仕事の様子をまとめたものです。7分間という停車時間内で車両をピカピカにする清掃員たちは、まさにそうじを究めたプロフェッショナルです。

たいていの人が好きにはなれない清掃の仕事。労働環境も決してラクなものではありません。しかし、そんな仕事の中にも無限の可能性があり、自分に喜びと誇りを与えてくれるものであることを彼ら・彼女らは教えてくれています。

日本一の下足番になれ

会社に入り、どこか受け身の姿勢で、何か「楽しい仕事」「やりがいのある仕事」「成長できる仕事」に出会うことを期待するならば、それは期待はずれに終わるでしょう。どんな仕事を任されるにせよ、そこに楽しさを見出し、やりがいを見出し、成長機会を見出していくのは、ほかならぬ自分自身の能動的な働きかけなのです。阪急グループ創設者の小林一三は次のように言っています。

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみよ。
そうしたら誰も君を下足番にしておかぬ」。

豊臣秀吉が織田信長の下足番からのし上がり、ついには天下を取った話は有名です。小林は著書『私の行き方』の中でこう書いています。

「太閤(秀吉)が草履を温めていたというのは決して上手に信長に取り入って天下を取ろうなどという考えから技巧をこらしてやったことではあるまい。技巧というよりは草履取りという自分の仕事にベストを尽くしたのだ。
厩(うまや)廻りとなったら、厩廻りとしての仕事にベストを尽くす、薪炭奉公となったらその職責にベストを尽くす。どんな小さな仕事でもつまらぬと思われる仕事でも、決してそれだけで孤立しているものじゃない。必ずそれ以上の大きな仕事としっかり結びついているものだ。
仮令(たとえ)つまらぬと思われる仕事でも完全にやり遂げようとベストを尽くすと、必ず現在の仕事の中に次の仕事の芽が培われてくるものだ。そして次の仕事との関係や道筋が自然と啓(ひら)けてくる」。

つまるところ、下足番のまま成り下がるのも、それを究めて次の大きなステップに自分を押し上げていくのも、その分岐は本人の心持ちと行動の中にあります。

ですからまず3年間は、与えられた仕事に正面から向き合い、その仕事を自分なりに進化させる、掘り起こすことをやってください。そこを仕事の内容がつまらないからといって、すぐに居場所を変えようとしないことです。そこで逃げグセをつけてしまうと、それは一生ついて回ることになります。“一所”懸命でもがいてみて、何かをつかみとる経験をしてみてください。そこから次の展開が必ずみえるはずです。

そもそも20代というのは自分の職業能力がどうあって、何に向いているかなどは分からないものです。いろいろと業務を経験する中で顕在化してくるのが職業能力です。むしろ想定外の仕事を任され、そこでもがくほうが未知の能力と出会えることが多いのです。これが1点目のメッセージです。

就職<職に就く>チャンスは今後無限にある

みなさんの中には、今回入社する会社が必ずしも第一志望ではなく、下位の志望であったり、あるいは「とにかく採ってくれた会社」であったりするかもしれません。しかし、だからといって、引け目を感じることも、第一志望で入った人たちをうらやむこともありません。ほんとうの勝負は、ここから5年、10年、20年の期間をかけてやっていくものです。

私の経験を少しお話ししましょう。私は学生時代、テレビのドキュメンタリー番組に興味があり、就職第一志望はNHK(日本放送協会)でした。民間放送局にはまったく関心はなく、NHKがだめなら、もうあとはどこでもよいというくらいダントツの志望でした。相当に入社対策の勉強をしましたが、あえなく敗退。内定をもらっていたメーカーに就職しました。

就職したのはプラスという文具・オフィス用品のメーカーです。NHKへの敗北感が残る中での旅立ちでした。プラスへの就職面接は、たまたま友人がこの会社の説明会に行くからというので私もついていったという成り行きでした。

申し訳なくもそんなたまたま入った会社で、私は大きな出会いをします。文具の商品開発本部に配属され、今泉公二商品開発本部長(現・プラス代表取締役社長)と、岩田彰一郎商品開発部長(現・アスクル代表取締役社長)のもとで働きました。お二人からマーケティングや工業デザインといった分野のことを徹底的に教わることになりました。会社を辞めてからも永遠の上司として尊敬し、お付き合いさせていただいています。

映像ジャーナリズムの世界を夢みていた大学生が、いざ、モノづくりの現場で、商品戦略やらマーケティングやらデザインの世界に身を浸したわけですが、存外、自分の能力もそこに向いていたんだなと感じるようになりました。さきほども指摘したように、人間の潜在能力は仕事という器によって予想外の発達をみせることがあります。その意味においては、「自分はこの職種・業界でなければならない」と決めつけてかかることは、かえって自分の可能性を閉じることにもなります。

仕事の中に楽しさをつくり出すメーカーでの3年間が過ぎたころ、私は転職機会に恵まれ、出版社に移りました。印刷・活字メディアで情報をつくるという第2のキャリアをスタートさせました。

なぜ転職をしたかですが、それはやはり「世の中を変えていくにはメディアの力が要る。ジャーナリズムの世界で働くという初志をかなえたい」という強い気持ちが残っていたからです。そして何よりも、日経BPという会社の転職面接に受かってしまったからです。結果的に私は、日経BPで7年間、米国への私費留学をはさんで、ベネッセコーポレーションで5年間、記者・編集者として働くことになります。日経BPもベネッセも人気企業ですので、新卒で入社しようと思えばかなりの狭き門でしょう。おそらく私も新卒で挑戦していれば受からなかったと思います。ですが中途採用から入ることは、それよりもずっと容易になることが起こります。それまでの仕事実績や経験が、自分という“人財”の価値を上げてくれているからです。

就職のチャンスは、新卒のときだけに限りません。今後一生、いつでも職に就くチャンスがあるのです。「職に就く」とは何も社外への転職だけを言うのではなく、同じ会社内で魅力的なプロジェクトに参画するというのも広い意味で就職チャンスです。そのときに、自分が選んでもらえるかは、ひとえに、あなたが日々月々、積み重ねていく能力や経験といった内的資産です。ですから、今回、第一志望の会社に入れなかった人も、今後、そのリベンジチャンスはいくらでも手にできると考えていいでしょう。

12年の時を越えて出した答え

35歳になったときでした。私はベネッセで書籍とビデオのセット商品を担当することになりました。その中のひとつは天文学をテーマにしたもので、ハワイ島・マウナケア山にある「すばる天文台」を取材し、その映像で構成しようという企画でした。どこに制作を依頼するか検討した結果、科学番組の制作技術で定評のあるNHKの関連会社に決めました。加えて映像の案内役としてNHKの解説委員を登場させることにしました。

制作関連者が一堂に会する第1回目の会議の場。私はコンテンツ商品の発行元の代表として参加しました。プロジェクトの中ではプロデューサーという立場になります。そしてテーブルをはさんで対面には、NHK関連会社側のディレクターやカメラマン、そしてテレビでお馴染みの解説委員のYさんがいらっしゃいました。ざっくばらんに企画会議を進める中、私はかつてNHKに入りたかったんだよなぁ、こういう願いのかない方もあるんだなぁと、不思議な気持ちに包まれていました。

この企画は半年後、無事商品となって書店に並びました。そして彼らとの共同制作で確信できたことは、「自分は映像メディア向きの人間ではなかった。私は活字メディア向きの人間だった」ということです。第一志望NHKへの入社試験に敗れて、実に12年が経っていました。12年越しに得た答え。それは負けを取り戻せたとかいう次元ではなく、腹から納得できる答えが出せたという感動に近いものでした。

人生・キャリアは、唯一無二の“正解値”がある算数問題ではありません。自分なりに“納得できる答え”をつくり出せるかという価値実現の問題です。それはいわば絵を描くことであり、自分の模様を編んでいく創造作業です。短期にはそうやすやすと出来上がるものではありません。

どうか5年、10年、20年の時間単位を持ち、短期のことに焦らず腐らず、足下のことを一つ一つ大事にしながら歩んでいってください。そうすれば将来のどこかの時点で、必ず自分の来た道を悠然と振り返られる状態になるはずです。そのときの充実感こそ、あなたのキャリア上の勝利ということになります。これが2点目のメッセージです。

不確実性の人生にあって「心のベクトル」を持て

変化の激しい時代です。しかもみなさんは当面、職業上の興味や能力が明確に定まっていない20代を生きていきます。そんな中にあって、5年後や10年後の自分を想像することは難しいものです。ですから、「将来が見えない」・「なりたいものがわからない」ということに落ち込む必要はまったくありません。私自身も20代はわかりませんでした。

ただ、だからといって、漫然と多忙に過ごしていればよいというものではありません。私からのアドバイスは、何か「この方向ではがんばるぞ」のような“心のベクトル”だけは持つことです。私の場合ですと、20代のころは「自分なりに“新しい発想”を世の中にぶつけることをしぶとくやるぞ」と思っていましたし、30代のころは「人の向上意欲を刺激することに自分の能力を使いたい」でした。これが私の心のベクトルであり、言い方を変えれば、「働く上で中心にある価値軸」でした。

将来の姿は必ずしもうまくイメージできないけれど、こうした心のベクトルを持ち、その方向に行動を仕掛けていくと、次第に道筋が見えてきます。行動で仕掛けるとは、自発的に「やってみる・提案してみる・形にしてみる・変えてみる・発信してみる・呼びかけてみる」などです。

すると同じような価値軸を持った人が寄ってきます。そうした人たちと交流しているうちに、ますます自分のベクトルが強く明確になってきます。「ロールモデル」(模範的存在)となる人との出会いもあるでしょう。そしてついにベクトルの先に目指したいイメージが現れてくる。これがキャリアをたくましく拓いている人の想いを実現するプロセスです。

先が見えないから動けないのではありません。
動かないから先が見えてこないのです。

私は結局41歳のとき、サラリーマン生活にピリオドを打ち、教育の仕事で独立しました。いまではこれが天職だと思っています。考えてみれば、20代のとき、あるいは30代半ばのとき、自分が将来教育の分野で独立し、メシを食っているなんてことは想像だにしませんでした。

心のベクトルに従って、機会をみずからつくり、その機会によってみずからを変えてった結果、現在の納得の仕事人生があります。メーカーで働いたことも、出版社で働いたことも、いまとなっては過去のすべてのことが、この教育の仕事をするための必然だったように思えます。

では、今日、最後のメッセージです。───不確実性を友としながら、想いを軸に積極的に動き、どんな人生展開になるのかを楽しみに待つというおおらかさとしなやかさを持ってください。

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拙著『ぶれない「自分の仕事観」をつくるキーワード80』の中で私は、「仕事は梵鐘である」と書きました。お寺の鐘は、小さな棒っきれでたたけば小さな音しか鳴りませんが、丸太でどんとたたけばゴォーンと鳴り響く。それと同じように、仕事が与えてくれるものは、すべて自分の当たり方次第です。小さな音しか鳴らないことを「鐘が悪い」と文句をつけるのは筋違いです。あなたのたたき方が不十分なのです。

縁があってお世話になる会社です。どうか会社という梵鐘を最大限鳴り響かせるような働きぶりで、納得のいくすばらしいキャリアを拓いていかれんことをお祈りいたします。また、どこかでお会いしましょう!

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